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woman  作者: しは かた
42/102

第三十七話

誤字報告ありがとうございます。

頼りにしていま…いや違うから。なるべく無くなるように頑張りますです。


では続きです。

よろしくお願いします。

 


「ふぅ。できたっ」


 互いの親を見事にクリアしたその一週間後の日曜日、午前九時半を過ぎた頃、なーんだ、私だってやればできるじゃないのと、私はそんな台詞とともについ高笑いしそうになっているところだ。というか実際ふふふと笑っている。


「ふふふふふ」



 私は今朝、今もすやすや眠っている夏織を起こさないように静かにベッドを抜け出して朝食を作ってみた。ふと、いつも手際よく、ささっと料理をする夏織を見ているうちに、もしかしたら私でもできるんじゃないかなと思ったから。

 そのついでに、わぁ、ありがと幸とか、うっまーい、幸っ、すごいじゃんとか、そう言ってもぐもぐ食べる夏織の姿を妄想してみたら居ても立ってもいられなくなってしまったから。


 そう。衝動とはとても恐ろしいものだ。それに突き動かされたところで上手くいく保証なんてどこにもないのだから。

 作り終えた今になってもしも失敗していたらと思うと震えがきてしまう。食べ物を無駄にするなと夏織に怒られてしまうから。怒ると牙を剥くたぬ…夏織は側から見ていても中々に怖いのだ。


「こわっ、って、違うでしょ。上手くできたからねっ」



 そう。私はやってやったのだ。衝動に突き動かされたその結果、だいぶ時間はかかったし出来栄えの方もいまいちぱっとしないけど、味についてはたぶんどれも美味しいと思う。

 大体、使った食材には元々味の付いている美味しいものだからそれに手を加えることでさらに美味しくなりこそすれ、不味くなるとは私には到底思えない。


 それに私は夏織の言うところの愛情のスパイスとやらももたっぷりと入れたから。

 美味くなれーって言いながら、こうやって手をびろびろってしないと意味ないから、その台詞だけじゃ駄目だからと、夏織がみんなやってるしと教えてくれたなんだかよく分からないヤツもちゃんとやっておいたから。

 つまり、これで失敗してしまうなんてことはあり得ないということなわけ。



「ふっふっふっ」


 私は不敵な笑い声を漏らす。

 私はね、ただいちゃいちゃしたり甘えるためだけに料理をしている夏織の背中に引っ付いていたわけじゃないの。

 もちろんそれが一番の目的であることは確かだけど、私は夏織といちゃいちゃしながらも、夏織の手際を観察して密かに爪を研いでもいたの。イメージで。優秀な私ならそれで十分、お茶の子さいさい。べつにどうということはなかったから。


 出来上がったモノを見渡して、見よう見まねで作った割にはとても上手にできたなと私は思う。

 それなら高笑いも出ようというものだ。ふはは。


「ふはははは」





 そんなわけでいま私の目の前には朝食として完璧な、我ながら素晴らしいチョイスだと思う、手でレタスを千切ってやっただけのシンプルなサラダと缶詰のスープ。フライパンで焼いた大きなソーセージとハムとベーコン、それに目玉焼きがそれぞれ二つずつある。


 ぱっと見ソーセージなんかは、夏織の焼いたものと比べると何となく黒っぽくて、そのせいでほんの少し固そうに見えるけど気にしない。

 色の方はどうせケチャップをかけるから目立たなくなるし辛子もつければなおオッケーだし、もしも固かったとしても、カリカリベーコンみたいにしてみたよと言い張ればいいのだから。


 そして目玉焼き。目を離していた隙にフライパンから煙が出ていて驚いたけど、偶然にも見た目は超半熟っぽい目玉焼きができていたのだ。箸を入れたら黄身がどろっと流れ出てしまうくらいの黄身がどっろどっろな目玉焼きが。見ていると今も黄身だけが揺れている気がするというか確実に揺れている超半熟な目玉焼きが。


 ただまぁこれに関しては、周りと裏がかなり黒いから凄く苦そうだし、それを見てしまうとさすがに、えー、なにこれってなってまうと思うし実際わたしもそう思う。

 要は焦げてしまったのだけど、周りを取ってしまえば食べる時にわざわざ目玉焼きをひっくり返すような訳の分からないことをする人間はいないから大丈夫。そんな人間がいる筈はないし私はそんな人間を見たことがない。

 だから裏さえ見えなければ全然イケる感じはする。醤油かソースをかけてしまえばきっとイケてしまう。それなら両方とも黒いからそのせいだよと言えてしまう。黒に黒を足しても黒だからきっと大丈夫だと思う。


 さらには夏織の好きなクラムチャウダーだって今回はちゃんと温めて鍋で控えている。食べる直前にまた温め直すつもりだからもう(ぬる)いとは言わせない。

 出来もまあまあいい感じ。お玉で掻き回したり掬ってみると少し重いから、夏織はもしかしてコレはグラタンかな? やるな幸、凄いじゃんとか思うかもだけど、これは缶詰のヤツだから、きっとこういう種類のクラムチャウダーなんだろうなと私は思うことにした。

 カレーだって国によって何か違うし、種類が幾つもあるんだからクラムチャウダーだって同じ筈。茶色い粒がところどころに見えるのもそれと同じでこの缶詰はそういう類いのヤツなんだろうということにしておく。


 え? 味を見ろ? いや、そんなことしませんよ。そんなことしたら無くなっちゃうから。

 私はいま凄くお腹空いてるから、味を見るために口に入れたりすると我慢できなくなっちゃうから。そのまま全部食べちゃうから。それじゃあ味見とは言えないでしょう? だからしないの。あはは。


 出来上がったものを確認しながらそんなことを思ったあと、私はそれをお皿に盛った。

 その時に黄身がぷるんぷるんと揺れているのを見て、こんな超半熟を作っちゃうなんて私ったら実は凄かったんだなとにやついてしまった。



 それから淹れ立てのコーヒーを用意して、昨日買っておいたパン達もお皿に盛った。つい買いすぎてバイキングのパンコーナーみたいになったけどなんか美味しそうだから気にしない。


「これでよしっ、と」


 私はぱんぱんと手を叩く。総じて言えば、やってみると意外簡単、まあ、楽勝だった。


「全然余裕」




 私は出来上がったものをローテーブルに運んでいく。クラムチャウダーは熱々を食べてもらいたいから今は鍋で待機してもらって、それ以外を全て並べ終えたところであらためて眺めてみる。

 サラダの緑色以外は全体的に黒っぽく見えるのはご愛嬌。愛嬌は大事。なぜなら私は女性だから。それについてはなるほどなと、夏織も納得するだろう。



「さてと」


 私はさっそく夏織を起こして朝食を作ったことを褒めてもらおうとベッドに向かう。

 その際、私は一度、我ながらなんでここまでになるのかなと思う、ものの見事にやってしまったキッチンを振り返ってみようかと思ったけどやめておこうと考え直す。

 とっ散らかったキッチンの惨状は今は放って置く。だって私は片付けられないというかたくない人だから。


 なんと言っても私には夏織がいてくれる。いくらとっ散らかっていても夏織はすごいなとかやっぱりなとか言うだけで、幸らしいなと特に気にもしないし、当然という顔をして、ちゃちゃっと片付けを始めてくれる。私がそれに甘えても夏織は怒ることもない。

 私と夏織はこんなことでも相性がいい。できない私をできる夏織が補ってくれる。逆も同じ。そういうことが私は嬉しい。


 ああ、言っておくけど、生ゴミなんかは別にしてちゃんと袋に纏めて置いてある。そこは私でも気になるところだから。臭いも嫌だしコバエとかGとかそういうのは要らないから。夏織は偉いなと褒めてくれたし。


「あはは」






 そして今、私はベッドに腰掛けてすやすやと眠る夏織を見ている。寝顔があまりにも可愛らしくて、起こすつもりが魅入ってしまった。


 夏織はいまだ夢の中。涎を垂らしてたまにむにゃむにゃと口を動かしている。まだまだいけると甘くて美味しいモノを食べているのかもしれない。私はそっと呟いた。


「美味しい?」



 もう何度も目にしたその穏やかな寝顔が私の中の何かに触れる。胸の辺りが温かくなったり苦しくなったり落ち着いたりそわそわしたりする感じ。元気が出たり微笑ましくなったり、時には泣きたくなったりする感じ。


「…ん」


 最初の頃は、夏織の寝顔を目にするたびにただ可愛いなぁと思っていた。

 けど今ではそれは、それ以上の大切な何かに変わっている。上手く言えないけどとにかくそうなっている。


 生まれてから死ぬまでのあいだ、人はどれだけの人と出逢えるのか。その中でお互いが特別な存在になる人は一体どれだけいるのだろうか。人によっては出逢えないことすらあるだろう。

 モノを抱えた私なら、なおのことそうかもしれないと、そんなふうに思い悩んでいた時期もあった。仕方ないねと諦めにも似た気持ちを抱いていた。


 けど、こうして夏織は私にとって絶対に失くしたくないとても大切な女性なった。夏織はそうなった。なってくれた。それを思うと泣きそうになる。

 その理由はちゃんと分かっている。ふとよぎる失うことへの不安と日頃感じている満ち足りた幸福感からだ。



 私はそれに触れたくなって、壊さないようにそっと手を伸ばす。


「夏織」


 小さく名前を呼んで、私の手が夏織の頬に掛かる髪に触れようとしたその時、何かを感じたのか、夏織はぱちっと目を開けて視線を彷徨わせたあと、私と目を合わせたその目を閉じてまたすぐにそれを開きばちばちと瞬かせて私を見た。

 寝起きの二度見。夏織はそんなこともできるのかと、ひとり昂ぶらせていた感情はどこへやら、私はくすりと笑ってしまう。


「起きた?」


 私が問いかけながらその面白おかしい挙動を微笑んで見つめていると、最終的に夏織は垂れた目を大きく見開いて固まった。


「幸?」


「おはよう夏織」


「おはよ、って、なんで幸が先に起きてるの? おかしくない? てかさ、なんか焦げ臭くない?」


「えっ」


 夏織は寝起きの顔を可愛く首を傾げていたけど、急に鼻をひくひくさせて鋭く指摘してくる。上を向いたり左右を向いてくんくんと鼻を鳴らしている。

 なんとも可愛い仕草だけどその顔は真顔。一体何をやらかしたのよとその顔を私に向けた。


「幸?」


 しまったっ。なんかヤバい、なんかバレてしまうと私は一瞬焦ったけど、バレるも何も私は料理をしただけだし、ちょっとフライパンから煙が出ただけだしちょっと色々焦がしたくらいだし、食べればきっと美味しい筈だからべつになんの問題もない筈だからと私は胸を張る。

 だって私はただキッチンを散らかしただけで悪いことは何もしていないのだから。


「じつはねー」


 私はさらに胸を張り、聞いて驚けとばかりに夏織に向けて言ってあげた。


「私ね、朝食作ったんだよ」


 私はじゃじゃーんと声を出しながら、見てよ見てよと広げた腕をローテーブルに向けた。


「は?」


 夏織はまた固まってしまった。上手く伝わらなかったのか、なに寝ぼけたこと言ってんの幸という顔をして私を見ている。

 私は、私じゃなくてこの手の先を見なさいよと思ったけど、寝転がったままだからよく見えないのかなと思って、しょうがないなぁと体の位置をずらしてから、声を大きめにしてもう一度同じことをしてあげた。


「じゃっじゃーんっ。なんとっ。私が朝食を作りましたっ」


「え。まじ?」


「うん。まじ」


「へぇ」



 へぇと言いつつ夏織は体を起こしてローテーブルを覗いている。そこにある私の成果を見つけてそれをじっと見つめたあと、まぁそうだよねとかあちゃぁとか言って額に手を当てている。


「あれぇ?」


「あれぇってなに?」


 あれおかしいな。夏織のリアクションが私の妄想と全然違う。

 なんかもっとこう、凄いなとか偉いなとかぐいぐいくる筈だったのに、なんだろう、私の勘違いかもしれないけど喜ばれたり褒められたような気が露ほどにもしないのだ。


「あれぇ?」


 今もあちゃぁとやっている夏織を見ていると私は何か間違えたのかしらと首を傾げてしまう。



「たしかになんかあるね」


「朝食っ。あ、さ、ご、は、ん。そう言ってるでしょっ」


「言ってたね」


 あちゃぁをやめた夏織は、そいつはご苦労様でした的な微笑みを浮かべて私の肩をぽんぽんと軽く叩きながらも、その視線の先にあるキッチンもついでに目に入ってしまったのだろう、なんだそのリアクションはと頬を膨らませている私を余所に、今度は天を仰いで、そりゃあそうなるよなぁとか言い出していた。


 それについては私は何も言えないから、よろしくねと、私も夏織の肩をぽんぽんと叩くだけにしてお口にチャック、ちゃんと黙っておく。


「幸」


 そして何かに気がついたように夏織は私を訝しむ。眉を顰めて難しい顔をしている。その視線は私を見てはいないけど、もの凄く何かを言いたそう。

 なんかマズい、なんでか分からないけどなんか怒られてしまう。毒を吐かれてしまう。余計なことをするなとか幸が料理とか、おばさんあたまだいじょうぶ? とか言い出すのかと私は思わず顔を伏せて身構えてしまった。


「えと、ダメだった?」


 私は顔を伏せたまま視線を上げて夏織に訊ねてみる。ごめんねと、怒らないでと反省して見せてたのだ。この前写真で見た、夏織にとって大切な友達だったタロが仕出かす無垢な悪戯みたいに、仕方ないなぁと思ってくれたらいいなと、なんならくぅんと鳴いてみようかなと思いながら。


「かはっ。べべべつに駄目じゃないから」


 けど、夏織は最初から怒っていなかったみたい。私のように変な声を出してその顔を赤く染めはじめた。


「ねぇ幸。どっか切ったり火傷とかしてない? 平気なの?」


 その赤くなった顔を気にもせず、心配そうな夏織の視線は私の手に向けられていた。それから夏織は両の手で、先ずは私の左手を取って、丁寧に自分が言ったことを確認し始めた。

 その顔はとても真剣で、こっちは傷もないし血もついてないなとか呟いている。次に右手を取って再び同じことを始めている。


「ああ」


 夏織は慣れないことをした私のことを、包丁で指を切ったり、鍋やフライパンで火傷をしたりしていないかと本気で心配してくれただけだった。夏織は優しいから。特に私には。


「よかった。大丈夫みたい」


 それが終わると夏織はほっとした顔をしてゆるふわな微笑みを私に向けた。


 私はふるふると震えている。夏織がそんなふうに私を心配してくれたことに、なにこれぇ、ここに天使がいるじゃないのと、どこかに消えていた私の昂ぶった感情が再び戻って来てしまったから。


「うん。大丈夫だよ」


 私は凄く嬉しくなって夏織をきつく抱き締めた。思い切り抱き締めたのはなんかすっごくきゅんきゅんときてしまったからだ。

 夏織の口から、ぐぇっていう、女性にあるまじき音が聴こえてきたけど私は気にしない。似たような音をよく聴くし夏織は間違いなく女性だから。大丈夫、女性だから。



「よかっ、た。けど、私、が、大、丈夫じゃない。くる、しいって」


「いやよ」


「ぎぶぎぶ。出ちゃ、うから。わた、し、呼ばれ、てるから」


「またまたぁ」


「はうぁ」



 調子に乗ってぎゅと力を込めたところで間抜けた声を出しながら夏織は不意に抵抗していた力を抜いた。

 私は慌てて夏織を離す。早く行っておいでと、大丈夫、今ならまだまだ間に合うからねと、励ますように笑いかけて。


 けど夏織は私に冷めた一瞥をくれたあと私の笑みを無視するように無言で立ち上がり呼ばれるままにベッドを出た。焦る様子も見せずただ無言でとことこと歩き出した。


 今までにない行動になんかもの凄く気まずくて、私は夏織を目で追えなくなってその視線を逸らしてしまう。


「ねぇ幸」


 聴こえた柔らかな夏織の声に顔を向けると、夏織は天使のように優しげに微笑んでいた。

 私は、ああ、やっぱり夏織は天使なんだと思ったけど、天使はすぐに顔からその微笑みを消した。


「えっと…」


 私が何かを言おうとしたその時、私の顔めがけてたぬきが何匹も飛んできた。


「このっ、馬鹿幸めがっ」


「うわ、ちょっ」


「とりゃとりゃとりゃ、うりゃっ」


 ぬいぐるみ的な柔らかいたぬきが次々と私の体に当たり、最後にソファにあった大きなクッションが私の顔をヒットした。


「あだっ」


「はっ、ざまぁ」


 夏織は痛がる素振りの私を嬉しそうに指差して、天誅だからなと鼻で笑ってから、扉をばたんとを閉めてトイレに消えた。


 明らかに怒っていたような気がするけど、夏織が私に投げつけてきたのは万が一にも私が傷つくことのないようにと、柔らかいヤツだけ。

 その気遣いに私の気持ちはますます重くなってしまう。


「はぁ」


 朝食を作って、それが上手くいって、浮かれていた私はつい調子に乗ってしまった。こうやって調子に乗るのは私の悪い癖だ。今までは怒られなかったけど、私はついに夏織を怒らせてしまった。悪いのは私。盛大なため息が出てしまう。



「はぁぁ…やっちゃった」





 夏織はいま洗面所で顔を洗っている。そして私はあちこちに散乱したたぬきとクッションを拾いながら、毎回しつこくやり過ぎちゃったなと反省している。

 ここは少しでも誠意を見せないとと、私はそう思ってたぬき達を拾ってロータンスに綺麗に並べているところ。

 これが終わったらキッチンを綺麗にしようかなと思っているところだ。




 トイレとか洗顔とかを終えて戻ってきた夏織は、なにごともなかったかのようにおはよう幸と微笑んで私の唇にキスをしてくれた。



 最後のたぬきを持ったまま呆然と固まる私を不思議そうに眺めたあと、夏織はそれどころではなかったなと、ローテーブルに目を向けて、パン屋なのと呟いた。

 それからソーセージとかを見て、茶色かと思ったら黒だったのかさすが幸と呟いたあと、今度はサラダをじっと見て、草か、いや草だけれどもと呟いて、私は山羊か、べつに羊でもなんでもいいけどさとまた呟いた。




「裏は真っ黒。黄身は無事、というかほぼ生」


 超半熟な目玉焼きについては黄身のとこだけ食べればいいかと頷いていた。


「なななっ」


 えー、なんで裏を見ないでなぜ分かるのよ。夏織が天使なのはもう知っているけど、お前は神かと私は思った。

 あとで訊いたら、初心者にありがちな失敗だから、蓋をして弱火で焼かないと黄身まで火が回らないうちに先に白身が焦げちゃうからと教えてくれた。


「えーと。あとは…」


 夏織はキッチンに目を向けて、ああ、アレかとコンロにあるクラムチャウダーの鍋の側までとことこと行ってその蓋を取った。



「なんだこれ? ()()()じゃん」


 ()()()って。違うよ夏織、それはスープだよと、私は思った。


「タネか。笑える。ふふふふふ」


 タネ? それってクラムチャウダーっていう名前のスープじゃないの、あさりが入っているしそう缶に書いてあったんだけどなおかしいなと思う私を置いて、夏織は何がおかしいのか、鍋を覗いてけらけらと笑っている。






「わかった? ねぇ、幸、聞いてる?」


「ごめんなさい」


「え? なにが?」


 夏織はいまヘラで鍋を掻き回し、クラムチャウダーを牛乳でのばしている。

 あのね幸、コレは水か牛乳でのばすんだよと言っている。その()()()だとクリームコロッケのタネみたいでしょ、ゆるいけどとかなんとか言っている。


「そ、そっか」


 普段から料理をしない私には何を言っているのかよく分からないけど、少し前に、幸ちょっと来てと呼ばれた私はかなり戸惑いながら夏織の隣に立っている。


「で、なんの話?」


「さっきの話。アレ、怒ってないの?」


「ないよ」


「なんで?」


「なんでって、べつにいつものことだし。それに、私はああやって幸と遊んでるの、凄く楽しいから」


 私を見ずに夏織はそう言って笑っている。幸も楽しいでしょと笑っている。

 そんなのはあたり前。私だって当然そう思っている。


「かおりー」


「おっと。どしたの?」


 私はまたしても感極まって夏織の背中に抱きついた。今回は包むようにそっと、優しくその頬にキスをした。


「よかったぁ」


「あー。やけに大人しいと思ったら私が怒ってると思ったのか」


 珍しく自分でたぬきとか片付けてたしくっついてこないし、何か変だなと思ってたんだよなぁと、夏織はまた笑っている。

 鍋に小指を突っ込んでそれを舐め、あちち、ちょっと焦げ臭いけど、まぁこんなもんかと頷いている。


「まあ、ね」


「なら完璧に私の思惑通りだから。調子に乗るから少し懲らしめてやったから」


「嘘つき。今、あーとか言ったじゃない」


「バレたか。ふふふ」


「あはは」


「ねぇ幸」


「なぁに」


「えっとね、私が幸にされて嫌なことはたぶん、幸が必要以上に無理をしたり我慢をしたり、自分をかえりみなかったりとかそんなヤツ。だから幸には自分を大切にしてほしいかなって思う」


 少し照れながらそんなことを言ってくれた夏織。

 それから私を振り向いて、あ、あとね、私のことも大切にしてと、顔を赤くしててへへとはにかんでいる。


「くは」


「幸?」


 なにこの天使。誰がどう思おうと何を言おうとも夏織は天使。優しくて愛すべき素敵な女性(ひと)

 私はまたまた夏織をきつく抱き締める。


「ぐわっ。ちょっと幸、苦しいって」


「いいでしょ」


「はぁ。まぁ、いいけど」


 しょうがないなぁという感を出しながら、夏織は私の腕に手を添える。私にその背を預けてくる。実は夏織も嬉しくて堪らないのだ。




 暫く夏織を抱き締めていると、私に伝わる温もりが泣いてしまえと私を煽る。私はこの目に涙を溜める。


「幸?」


「少じだけ。ごのままで」


「いいよ」


 この温もりがいつまでも私の傍にあるように、私はこれからも私らしく胸を張って前へと進む。私が私である限り、どんな私でも私は私。私にはそのことになんの迷いもありはしない。それも夏織の望みなんだから。それが夏織の愛する私なんだから。



「ねぇ幸。どうする? 私の胸で泣く?」


「ゔん。ぞう、ずる」



 夏織は私の手を引いてソファへと誘って腕を広げて私を抱いた。私は暫く豊かな胸に顔を埋めて泣いていた。

 夏織は理由を訊かなかったけど、絶対に分かっていたと思う。

 私がしくしくと体を震わせているあいだ、幸だって同じ想いでしょと私の髪を優しく撫でてくれていたから。


「どごにも行がない?」


「行かないから」


 何言ってんの幸、行くわけないじゃん、傍に居るよと夏織は笑った。




 けど、幸せな時はいつまでも続きはしない。私はそれを知っている。私の天使はゆるふわに微笑みながらも悪魔にもなれる女性(ひと)だから。


「ねぇ幸」


「なぁに」


「これからは呑む量を減らすか」


「なななっ」


 ちょっと、それはないでしょセニョリータと私は思った。


「うーん」


 再び呆然とする私を抱いている愛しの悪魔なセニョリータが、私も甘くて美味いヤツを減らすかなぁ、でもなぁ、嫌だなぁと、ぶつぶつと呟いている。





幸は朝食を作った。頑張った。えらいえらい。

ふたりはまだひと口も食べていませんが…

あ、あれ? なんでだろう、お、おかしいな。


読んでくれてありがとうございます。

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