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woman  作者: しは かた
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第三十五話

続きです。


よろしくお願いします。

 


 きぃーきぃー、かぁかぁかぁ。



「…ん」


 朝が来た。


 昨日から降り続いた雨はもう止んでいるらしい。

 私はいつもの朝と変わらない(ひよどり)やカラスの鳴き声が聴こえてくる私の部屋で、たった今ぼんやりと目を覚ましたところ。なんだようもうるせえなぁと思うけれど、私の気分はそれほど悪くない。


「ふわぁ」


 私がここに住み始めて五年目。代替わりしているのかは知らないけれど、慣れてしまえば不穏なアイツらの鳴き声も、毎朝この辺りにやって来て健気にも時を告げているんだと思うとなんとなく愛着も湧くし、いつもご苦労、お疲れさんですという気もしてくる。それに台風とか大雨の日とか、鳴き声が聴こえてこない日はアイツら大丈夫かなと心配してしまうようにもなってしまった。私は優しいから。

 そう。私について周りがどんな印象を持っていても、私の本質には全く関係がないのだ。



「ん」


 まぁ確かに、人間の(がわ)からすれば、アイツらはうるさいしふん害とかあるし迷惑な存在であることはある。生ゴミの日にはその袋をつんつんやって食べ物を漁っていたりもする。

 けれど鳥だってなんだって、ご飯を食べないと死んでしまうのだ。どんなに迷惑な存在でも、いつもうるさくても、アイツらだって懸命に生きているのだ。


「んー」


 それにアイツらは、毎朝うるさいはうるさいけれど、べつに私の抱えているモノについてぎゃーぎゃー文句をタレているわけでも、モノを抱えた私を非難したり責めたり攻撃したりしているわけでもない、私にとって全く害のないヤツらなのだ。

 しかもそれだけでなく、もしかするとアイツらは、いけるぞ負けるな頑張れと、私にエールを送って励ましているのかもしれないのだ。


「そう…そう」



 私は寝ぼけた頭でそんなことを考えて、ああそっか、私達をいじめる人達みんなが鳥だったらいいんだなとか馬鹿なことを思いながら、ごろりと寝返りを打って時計を見ると六時四十分。


「…ああ」


 もうばっちりと体に刷り込まれているいつもの時間。

 けれど私は枕に顔を伏せ、このまま二度寝をすることにした。そこは全然大丈夫。なぜなら今日は土曜日だから。


「ふわわぁ」


 私はなんとも言えない幸せな気分で抱き枕のように布団を抱いて、起きたら意地悪な人達みんなが鳥になっていたらいいなと思いながら目を閉じる。

 睡魔は既にそこに居て、眠りに誘うように優しく私を包んでくれる。

 二度寝。その眠りに落ちる瞬間はいつだって最高なのだ。


「おや、すみ…さち」


 あとで、会おう、ね。





「…ん?」


 もう起きちゃどうよと眠りを妨げる鳴き声は聴こえないけれど私は目を覚ました。なんか暑いから。

 梅雨明けにはもう少しかかりそうなこの時期、朝方はまだしも、布団では暑くて少々汗を掻いてしまった。


 抱いていた布団を足でえいえいと遠ざけて、くそう、せっかくの二度寝がとか、暑かったな、もうタオルケットでいいのかもしれないなとか、シーツを夏用に変えるかなとかぶつぶつぶつぶつ呟きながら、私はふと、鳥の気配は感じないし何よりこれだけ静かなのだから、私のような人間を嫌ういじめっ子達はどうやら鳥にはならなかったみたいだなと、そうなればいいのにと思って眠りに入ったことを思い出した。


「そっかぁ」


 まぁ、ただそう思っていたことを思い出しただけで、私はべつにそうならなかったことを残念がっているわけではない。それはそうだ。だってあり得ないから。そんなの当たり前だから…けっ。


「なんだ。つまんないの」




「んっ。んーっ」


 午前八時半。私は少しへこんだあと、さて起きるかなと気持ちよく伸びしてふへぇと脱力する。そのあとなんの気無しにぽりぽりとお腹を掻いて起き上がり、よっこらせっとベッドを出てトイレに向かう。


「はいはい」


 いつもより起きるのが遅いから、自然が早く来いよと私を急かすように呼んでいたのだ。私は敢えて、その声に耳を塞いで二度寝をしていたのだ。


「今いくって」




 今日、幸との待ち合わせは二時。一時過ぎに出掛ければ大丈夫だから、今朝は時間的に余裕があるのだ。


「おはようさっち」


 私は先ず洗面所に向かい、お風呂の窓を開けながら、アヒルのさっちに声を掛けて洗面台の前に立つ。

 お高めなヤツを使って、顔を洗って保湿して歯を磨いてと、大人の女性として絶対に欠かしてはいけない朝の一連のお手入れ作業を終えて、次は洗濯をしなくっちゃなと、汚れ物の仕分けを始める。


 ブラをそれ用の網に入れたり、私はソックスやストッキングを下着を一緒に洗濯するのだけは絶対に嫌な人だから、ソックスやアウターはあとでまた別にと端に置いて洗濯機のスタートボタンを押した。


「よしっ」




 それから私は鼻唄交じりにゆったりとした気分で朝ご飯を作る準備を始める。


 今までにない最近のプライベートの充実振りに、事あるごとに世の中を(すが)めて見てしまうような私でも、こんなふうに鼻唄を唄ったりして自然とご機嫌な気分になっていることが増えた。

 それは明らかに幸のお陰。私と幸の間にある確固たる絆のお陰。そう感じるくらい私達はらぶらぶなのだ。

 そのせいで私の中から愛しの幸がだだ漏れしているのだろう、それが唄になって出て来てしまうのだ。止めたくても止まらない。なんと幸せであることか。ふふふ。



「てけてっててってって」


 と、三分間的なヤツを口ずさみ、それに合わせて体を微妙に揺らしながら卵二つと私の好きな薄くて大きめなハムと調味料、それからソース用のボウルを用意して、二つに分けたニィングリッシュなマフィンをトースターに突っ込んでつまみを捻る。



「こいつとコイツと、あと、こいつもか」


 それからソース用の調味料を突っ込んだボウルを持ってしゃかしゃかとやりながらレンジのスタートボタンを押す。

 これで、レンジが卵をポーチドっぽくナニしてくれればそれで終わり。今朝の工程はこれでことが足りるのだ。




 チン

 チン


 さすがに三分とはいかないけれど、調理自体はとても簡単だった。それをお皿に盛り付けながら、その出来栄えに我ながらなかなかのものだと満足する。


「よし。できた」





 相変わらずふんふんと鼻唄を奏で、出来上がったヤツをローテーブルに並べていく。私は今から優雅に朝ご飯を食べる。

 私は料理が好きだけれど、今朝のヤツは誰かに食べてもらうために作ったわけではないから当然手は抜いている。私は自分のために腕によりをかけて作るとかつまらないしと思っている人だから。喜んで食べてくれる人がいてこその料理だと思うわけ。


「じゃ、いっただっきまーす」


 先ずはサラダじゃなくて野菜ジュースをコップ一杯飲んでから、ナイフで小さく切った一口目、分量も適当なオランディーズソースがたっぷりかかっている、ハムとポーチドっぽい卵をマフィンに乗せたなんちゃってなエッグベネディクトをフォークで刺して、それを口に入れる。


「んー」


 少しの量を口に入れて、その味を確かめるために視線を上げて左右に動かしてもぐもぐと噛んでいる今の私を見れば、きっと誰もが気品を感じてしまうだろう様だ。それはまさに優雅としか形容し得ない姿だと思う。


「うん、美味いな。これなら今度、幸にも食べてもらえるな」


 私の口からそんな感想が漏れる。

 幸は、これ美味しいねと盛り盛り食べてくれるだろう。その姿を想像すると嬉しくなってくる。


「ふふふ」


 手を抜いてもそれなりに美味い物を作ってしまうのだから、さすが夏織と幸は絶対に褒めてくれる。


 やはり私は幸のいいお嫁さんになれるな、なんてにやつきながらそれをちまちまと優雅に食べ進めて、最後に朝のデザートのコンビニスイーツ、他と比べて少し小さ目の、さくさく美味い生クリームのシューを、淹れ立てのコーヒーとともに優雅に食してやった。


「美味かった。ご馳走様でした。はい、お粗末様でした」




 優雅な朝食を終えて片付けを済ませたあと、私は洗濯機を確認するために洗面所を覗く。

 ごごごごごと、既に脱水を始めていたそれはあと五分くらいですと表示している。

 五分でできることはなんだろうと考えて、掃除はこれが終わってからでいいし、幸の部屋と違って片付けるようなものも無いしなと、うーんと唸っているうちに洗濯機がピーピーピーと鳴る。


「終わったか」



 部屋干しはできれば避けたいところだけれど、梅雨だし、いつ雨が降るかも分からないし、今日は帰ってくるか分からないし、夜遅くまで外に干しておくわけにはいかないから、私は室内用の物干しを広げて、そこに干していく。


「ふんふんふふん」


 私が楽しげなのは、それが楽しいわけではなくてまた愛しの幸が溢れて出ているからだ。このあとの掃除機がけもきっと楽しくできるだろうなと私は顔を綻ばせる。




 午前十一時。順調に全てを終えてソファで寛ぐ私の手にはスマホと昨日の帰り道で見つけて懐かしさのあまりつい買ってしまったジェリーなビーンズがある。その袋自体はお腹の上に置いてある。凄く取りやすいから。


「あむ」


 私は不動産屋さんのサイトを検索して、この家はいいなとかこれはいまいちとか呟きながら、ソレを美味い美味すぎるなと思いながら食べている。


「くそう。また噛んじゃった」


 美味いからいいけどさと、時どき噛まないようにしてなんとかソレを舐め切ろうと頑張ってみたりしているけれどまだ上手くはいっていない。


 けれど私は、人間というか生き物は、口の中の異物を脊髄反射的に噛むようにできているのではと思いついていた。もちろん学術的に正しいのかは知らない。詳しいことはべつにどうでもいいの。私が単にそう思いついただけだから。


「うーん」


 とにかく今も頑張って舐めてはいるものの、そろそろそれにこだわらなくてもいいんじゃないかなとも思っていて、これを限りにもう終わりにしようかとも思い始めている。

 けれどそれは、甘くて美味い物に関して諦めの悪いこの私が諦めたということでは決してなく、無駄なこととかこだわりとかをばっさばっさと切り捨てて、忘れて生きるという私のスタイルに(のっと)ったものだから。そういうことだから。


「そうそう」



 そして私は今、ビーンズ的なヤツを機械的に袋からひとつ取っては無くなるたびにもうひとつと、ソレをひょいひょいっと口に入れている。切り捨てると決めた結果、噛もうがどうしようがもはやどうでもよくなってしまったのだ。

 私はコレの、誰でも一度は必ずどこかで嗅いだことのある芳香剤のようななんとも言えない匂いが好きなのだ。色によって味が違うというよりも、その色によってグレープとかオレンジとかの匂いが微妙にするのだ。

 ちなみに白っぽい半透明なヤツもあるけれど、それが何味でなんの匂いなのかはいまだ謎。黄緑色のヤツもメロンなのかマスカットなのかよく分からないけれど美味いから気にしていない。というか、どうしてか自分で当てたいと思うからそれの袋を確かめたりはしない。

 それは無駄なことじゃないのかと思うかもしれませんがそれは違います。私のことである以上、無駄かどうかの判断は全て私の基準だから。はい残念。


 そして大事な話、芳香剤のような芳潤な匂いの中に、あー、確かに苺だとかこれはやはりメロンなのかなとか、うん桃だなとかやりながら食べるのが一番楽しい食べ方なのだけれど、一気に二つ三つと口に入れて、もはやコレはなんの匂いなのかとやるのもまた一興。それは、機会があれば是非とも試してもらいたい食べ方だから、私はそれを強くお勧めしたい…はあ? 誰に?


「こわい」


 私は頭を振り振りしながらも、怖くて結構、幸にしてもらえばいいんだなと、またそれを口に入れ、鼻に匂いが通るようにふがふがとやってその芳潤な匂いを楽しんでいる。美味い。


「やっぱ美味いなコレ」



 と、ここまでジェリーなビーンズについて熱く想ったあと、私はそれをやめた。絶対どこかの誰かに伝わった筈だと、食べたくなってしまった筈だと凄く満足したからだ。そして私は物件探しに没頭していく。

 まぁ、すぐに決められるわけではないけれど、こんなのあったよと幸とわいわい話すのもまた楽しいのだ。




 正午過ぎ。起きてからの妄想とか二度寝したあとのトイレから始まって、家を検索したり美味い美味いといちいち騒いで一人遊びをしているうちに、幸との待ち合わせまで二時間を切った。私はここで、凝視していたスマホを脇において、いよいよ支度を始めることにする。


 昨日の夜、額に汗して散々悩んで決めた服は既に用意してハンガーに掛けてある。それに響かないようにするインナーも決めてある。


 ただ、その時に何があったのかは詳しく言わないけれど、服を選んで着るたびに、サイズ的な問題でいま置かれている私のナニをはっきりと思い知らされて、打ちのめされても打ちひしがれても、それでも私は顔を上げてしっかり前を向いていた。決して落ち込んだりして俯くことはしなかった。

 服選びがようやく終わったあと、私は良くやったな頑張ったなと自分で自分を褒めてもあげた。


「いろいろ()()かったな」


 あれ? 今また上手いこと言っちゃったな、けれどほんとに大変だったなぁと、私は昨日のことを思い出し、掛かっている服を見ながら少し感慨に浸っていた。



 選んだヤツは、いま現在の私の持つ魅力を最大限表現できる、まさに大人の女性でありながら可愛らしさをも感じさせるという、私に合った、私の最も得意とする服装だ、と思う。

 幸は絶対気に入ってくれる筈だし、幸の親もきっとこれならオッケーさってなってしまうさすがのチョイスだなと自分では思う。

 たぶん平気。大丈夫。


「いけるいける」



 互いの親に会う日を決めてから、私はずっと緊張していたし、受け入れられなかったら嫌だなぁとか余計なことを考えたりもしていたけれど、今日これから幸の親に会うにあたり、私はそれほど緊張していない。


 私には幸の親に対して失礼な態度を取るつもりは更々ないけれど、私らしさを誤魔化すつもりも素直過ぎる性格を取り繕うつもりもない。

 それをして気に入ってもらえるのなら、それも有りかもしれないけれど、だからと言って敢えて背伸びをするようなことはしない。始めた無理はいずれ必ず破綻を来してしまうから。進む方向を始めから間違えてはいけないのだ。




「次は私か。大丈夫かな」


「夏織も大丈夫だよ」


「なんで?」


「だって夏織は今までにないタイプだからさ、うちの親は絶対に気に入るよ」


「そっか。なら大丈夫か…な?」


 えーと、それってどういう意味なのと私が訊いても幸は笑って誤魔化していたけれど、ウチの例もあるし、実際に大丈夫だったから私は楽観的にいくことにしたのだ。私は素直で単純だからそれを真に受けることにしたのだ。


 それに幸が私の親に会った時、幸は緊張していても驚いていても自然体だった。いつもの幸だった。

 それは私も同じこと。何にしたって私は私。結局のところ、やはり私はそれ以上でもそれ以下でもないのだから、いつもの私を見てもらえればそれでいいと思うのだ。たぶん。




「いけるな」


 幸との会話を思い出しながら着替えを終えた。いま鏡に映る私の姿は凄くイケている、と思う。服装自体はばっちりだなと思う。


 上はかっちりめなクリーム色のカットソー。それに濃紺に大きめな花柄の入った少し裾の広がっているマキシ丈なロングスカートを少しサイズを気にしながらも私は見事に着こなしてみせて、あることの確認のために鏡の前に立っている。


 くるっと回って、四つになっていないよなとお尻のラインを確かめたり、脇腹のナニの乗っかり具合をチェックする。


「うーん。まぁ大丈夫かな」


 昨日よりきつい気がするのは気のせいだと思うことにして、その事実をすぐに頭から消し去った。私の憂いはなくなったというか消してやった。何はともあれ、これで何を気にすることもなく私はことに臨めるのだ。



「よし。じゃあ行くか」


 私は、窓よしガスよしと、戸締りと火の元を確認して、じゃあさっち、行ってくるからあとよろしくとバッグを持った。

 時間は少し早いけれど、先に着いてしまっても、幸はまだかなまだかなと待っているのも何気に楽しいものだからそこは気にしない。


 とことこと玄関に向かって、どれにするかなと靴入れを覗く。

 すると偶然にも大分ご無沙汰なヤツ、底が不安定だから歩くと筋肉が鍛えられてもしかすると痩せるかも的なウォーキングシューズっぽい黒のヤツが目に入り、なんとなくそれを手に取ってじっと見る。



「…いや、違うでしょ」


 私はソレをそっと元の位置に戻し、結局、中のソールが柔らかくて気持ち良くて履き易い、ほぼほぼ底がぺったんこなビルケンなシュトック、茶色のパンプスを履くことにした。このフット感が堪らなく癖になるヤツだ。


「よっと」


 もう一度玄関にある鏡でチェックをしたあとに、行ってきますと扉を開ける。と、どんより曇り空が見えて、ああ、傘がいるなとそれを持って扉を閉めて鍵を掛ける。


「よし」


 ノブをガチャガチャとやって鍵が掛かったことを確認して私は歩き出した。


 何となく緊張してきたように感じるけれどえずくほどではないからたぶんこの緊張は身が引き締まる的ないい意味での緊張なのだと思うことにした。これもまた私の得意とするポジティブなシンキングというヤツだ。


 私達のこれからを左右する、今日という日がどうなることやらと思わないでもないけれど、全てのことは為すがまま、在るがままに流れていくのだから考えていても仕方ない。だからそのことは脇に置いておく。

 私は今から幸の元へと向かうのだ。それが重要、それが一番大事なこと。私はそれでいいと思うのだ。


「そうそう」



 幸が私を待っている。そう思うと、ふんふんとスキップしながら傘を振り回したくなるけれどそんなことはしない。私は周りに迷惑をかけたくない人だから。

 そして私は思いつく。私が先に着いたならというかこの時間なら絶対そうなんだけれどその時は、そこらの店で美味いスイーツを食べて、幸が颯爽とやって来るのをわくわくしながら待っていよう、と。


 何という完璧なプラン。


「うふふ」


 私は笑みを浮かべつつその思いつきにに満足する。今にも雨が降りそうだけれど私の気分は雲はあっても晴れやかなのだ。


 そんなことを思う私は今、駅に向かって商店街を突き進んでいる。







 そして誰も居なくなった部屋。

 私が出掛けてから約五分後に、外の通路をとととと小走る音が聞こえたあと、がちゃりと少し乱暴にその扉が開けられた。当然、外から。私が。鍵を使って。


「はぁはぁはぁ、あー、あぶなかったぁ」


 私は慌てて靴を脱いでばたばたと部屋に入った。


「どこだっけ? って、あった」



 そう。私は忘れ物をしてしまったのだ。

 玄関に用意しておいた紙袋を掴み、念の為、中を確認してみる。


 お高いお酒、手土産に用意しておいたシングルモルトのウィスキー、タリスカーの十八年物と、幸の甥っ子をあやす玩具、揺れるとぽこぽこ音がするなんだかよく分からない結構うるさいヤツ。


「あるな」


 私は気を取り直して玄関の扉を開こうとした途中でまたしても気が付いた。


「あぶないあぶない」



 再びリビングへと戻り、口の開いている袋とまだ開いていない袋を少しのあいだじっと見て、こっちだなと開いている残り少ない方を手に取ってバッグに突っ込んだ。


「これでよし、と」


 私のお勧めの食べ方で幸に食べてもらう為のジェリーなビーンズ。バッグに入れた袋の中身はもう残り少ないけれど、幸が気に入らなかったらなんだしなと思って私は口が開いている方にしたのだ。

 決して開いていないヤツをひとりで全部食べたいなと思ったわけじゃないのだ。美味いからといって、私はそこまで意地汚なくはないの…いや、嘘じゃないし。


「さてと、行くか」


 この台詞、さっきも言ったなと思いながら忘れ物をした自分の間抜けさを反省しつつ、全てあるなと確認をして、私は少し慌てて再びぺったんなヤツを履いて玄関の扉を開けた。


「よいしょっと」



 思わぬ時間を喰ってしまったせいで、早く行かないと私の思いつきが台無しになってしまう。このままではそこらの店の美味そうなスイーツを食べ損ねてしまうから…いや、それも違うから。


 私は今から幸の元へと向かうのだった。そうだった。

 忘れ物をして焦ったお陰で少し混乱してしまった。


「あほか」



 阿保みたいな混乱から立ち直った私は、次の電車を逃さぬようにとことこ歩く足を早めていく。その目的はただ二つ。美味そうなスイーツを食べながら愛しの幸を待つためだ。


「いそげいそげ」



 そう。私は諦めが悪いのだ。ことスイーツに関しては。





夏織は一人遊びが得意なのです。ひとりでいる時間が多かったから…いや、泣いてないし。

いまとても幸せだから大丈夫。へいきへいき。


読んでくれてありがとうございます。


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