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woman  作者: しは かた
33/102

第二十八話

続きです。


よろしくお願いします。

 


 ーそれじゃあ、また来年ねー


 そんな言葉を残してゴールデンの奴はあっと言う間にいってしまった。今朝、一緒に出社してお互いの課の入るフロアに向かうために手を振って幸と別れた時点で私のゴールデンは終わった。


 本当に時の流れは無情で残酷、待ち遠しくて指折り数えていても訪れてしまえば過ぎ去るのは一瞬だ。

 私は今朝までは凄く幸せだった。甘くて時たま苦くもあった五日間はもはや過去のものとなってしまったのだ。


「はぁ」




「コイツをこうして、っと」


 カチカチっ


 午後三時。私はいまだ、たまにため息を漏らしながら仕事をしている。

 今日の私は朝からずっとこんな感じだから、周りの連中には休み明けの出涸らしのように見えていることだろうけれど、それはまぁ、いつものことだし事実だし、みんなも似たようなものだから私は全く気にしない。



 カタカタカタカタ、カチカチっ


「まぁこんなもんか」


 それに、周りには腐った魚の目をしているように見えるのかも知れないけれど、その(じつ)いまの私は白鳥のよう。

 なぜなら私は、ロシア的なケーキとは一体どんなモノだろうと思いながらもついこのあいだ取引先の人から太っちゃうから屋敷さんにあげると言われて喜んで頂戴していた未開封だった十二個入りの箱にあるのうちの一つ、真ん中に赤いジャムがある、言われてみればまさにロシア的な雰囲気を醸し出している…かどうかは私にはちょっとまだよく分からないけれど、ケーキという名のクッキー的なヤツを側から見るといかにもソレっぽく優雅に食べているものの、PC画面と睨めっこしながら来月発売予定の新製品に関する販促資料をもっと分かりやすく簡潔にするために勝手に手を加えたり、初回の分が欠品しないよう今のうちに数量を確保すべく関係各所に連絡を取って根回していたり、今回はどこにどれくらい割り振るべきかなとか、そこそこなりの必死さで頑張っているのだ。ドラッグしたりクリックする人差し指が余裕で限界なくらいには。



 カタカタカタカタ、カチカチっ


 そんなわけで私はまさしく白鳥。優雅で必死というヤツだ。分かる人には分かってしまうけれど、その私の優雅さも必死さもたぶん、私をよく見てくれている幸くらいしか気づかないと思う…いや、泣いてないから。



「いや美味いなコレ」


 私はくいくいと手首を返して持っているロシア的なヤツを確認する。ケーキ? うーん、ケーキねぇと、じっと見つめてみる。

 ああ、なるほどやはりこれはクッキーだなと結論づけて、美味いからまぁべつにいいやと、私は再びもぐもぐと食べ進めて、小さくなってしまった最後のひと欠けらをぽいっと口に放り込み、既に温くなってしまったアイスコーヒーだったそれを手に取った。



「さてと」


 そんな声とともに私が気合を入れ直したと思った人はまだまだ甘い。だって、頭を使ってしまったのだから糖分の補充は必須なの。よって、私の頭の中が甘くて美味いソレで埋め尽くされてしまうのは当然のことだから。はい残念。

 もはや私の意識は仕事を離れてさくさくで甘くて美味いロシア的なケーキに向うのみ。もしも幸が今の私を見ていたなら、夏織はやっぱり可愛いねと微笑んで髪を撫でてくれる筈。ふふふ。



「次はどれしようかなぁ」


 私はロシアなケーキの箱から目を離さずにブルーライトカットのメガネを外し、ついでとばかりに座ったまま伸びをした。


「うーんっ」


 慣れないことを長時間したせいで、といっても一時間くらいだけれど、それでも私の体は強張ってしまったのだ。私は頑張ったの。


「だはぁぁぁぁ」



 気持ちよく伸びをしてはゎゎと脱力したあとに、私は再びアイスコーヒーを手に取ってストローを咥えて思い切り椅子に背を預け、ちゅうちゅうと吸いながらロシアの箱に手を伸ばす。


「あ、あれ?」


 けれど椅子に深くもたれたせいでロシアな箱が遠くなってしまった。手が届かないのだ。

 私はだらしない姿勢のまま、よいしょよいしょと足だけを使って手が箱に届くまで近づいていく。


「いけた」


 そして私は箱の中から二つ目のロシア、緑色のジャムが真ん中にあるヤツに手を伸ばし、包装紙を引っぺがしてから、なんのジャムだコレとしげしげとそれを見つめながらも、私の意識は次なるところ、幸と過ごした五連休へと向かっていた。





「ここでいったんまとめよう」


「はーい」


 物は当然マンション。1LDKもしくは2LDK。賃貸ではなく買う方向で。


 先ずは一人で買う場合。当然、名義は一人、払いも一人。もしも働けなくなってしまったら、幸が、もしくは私が払っていけばなんとかなると思う。いける。団信に加入していれば万が一の時は残りのローンは相殺されるからそこは問題ない。いける。購入資金が限られる。相続などの問題あり。


 続いてふたりで買う場合。収入合算というヤツ。名義は一人、ひとつのローンを二人で支払う。その分借り入れる資金は増える。名義人ではないもう一人が連帯保証する。一人が働けなくなっても毎月の支払う金額は変わらないというリスクあり。万が一の時、名義人の場合は団信に加入していれば相殺される。そこはいける。相続などの問題は残る。


 そしてもうひとつ。ペアローン。名義は二人、ローンも別々に組で個々に払っていく。その分借り入れる資金が増える。それぞれが連帯保証人になるからどちらかが働けなくなった場合のリスクあり。万が一の時はそれぞれ団信に加入しておけばそれぞれの分だけ相殺される。そこはいける。相続の問題はあるけれどそれぞれに持ち分があるから少しは軽減されるような気もする。



「とまぁ、取り敢えず纏めるとこんな感じ」


「だね」


 二番目と三番目でローンを組むとなると二種類の公正証書と登記事項証明書を用意しておく必要もある。

 それは私達にのみ課されたものでそれにかかる費用もそう。この扱いの差に酷くイラッとするけれど、法的に認められていない私達の関係を認めて受けようとしてくれているわけだし、私達の関係が破綻して取りっぱぐれても困るわけだし、当然、ビジネス的な側面があることも大きな理由だと思うけれど門前払いされるよりは百倍もマシ。


「くそう。でもしょうがないな」


「そうそう。ありがたい話だと思ってさ」


 後ろから私を抱いている幸が私を覗き込んで優しく微笑んでいる。私も幸に微笑んだ。

 叶えるために許容するのだ。その先には比べ物にならないくらいの価値があるものがあるのだから。


「うん」


 幸の唇が私の頬に触れた。私は私の体に廻されている幸の腕にキスを返す。

 すると幸は、くくくと笑って私を抱く腕に力を込めて、私の体を優しく左右に揺らし始める。幸の揺り籠。心地良くてなんか好き。


「ふふふ」


 それを充分に堪能したあと私は幸を振り返りキスをねだった。




 話が逸れてしまったけれど、いずれも銀行の審査が通ると仮定すれば、採れる選択肢はこの三つ。それぞれにメリットとデメリットがある。


 幸と話し合っていくうちに私が現時点で考えていることは、私が買って払いは私。幸は同居人で生活費を折半する。団信に加入しておいて万が一の時はローンを相殺する。幸は私が支払う月々の金額の半分くらいの金額を万が一の備えにしておく。これは恵美さんと同じ方式だ。



「あのさ、この感じからすると、万一の時のためにお互いの身内に会っておくべきな気がする」


「そうだね。勝手に進めるよりは一応、話を通しておく方がいいね。通らなくても進むけど」


「うちは母さんが味方だからいける筈。幸のこともきっと気に入ると思うな」


「それは嬉しいよ」


「うん。幸の方は? あれ? そう言えば幸の家の話ってあんま聞いたことないな」


 特に話すこともないし、訊かれなかったからねと、なんでもないことのように幸は言う。

 私はその口調にちょっと違和感を感じて、無理に話すことないからと、話し出そうとする幸を止めようとしたけれど、まぁちょっと聞いていてよと私を後ろから抱えたまま話し始める幸の声は敢えて明るくしている感じ。



「姉とは仲良くやってるよ。私を避けたりしないで、べつにいいじゃないと受け入れてくれたの。だから姉のことは今も好き。産んだ子供も抱かせてくれるし旦那もべつに私のことを気にしていないから」


「そうなんだ。年代もあるのか」


「そうかもね」


 姉さんは踏み込んで来なかったけど距離をとったりもしなかった。子供の時から変わらないそのスタンスは、貴女は私の妹、これからもよろしく的な感じがしてありがたかったなぁと、幸はあははと笑っている。


 私は嬉しそうに笑う幸を見て、幸のお姉さんは幸の味方なんだと胸を撫で下ろす。家族に味方がいてくれることは心強いことだから。それと同時に母の姿が目に浮かんできて、その母が私に言ってくれたことを思い返していると私の顔にも笑みが浮かんできた。



「けどさ、親は違った。社会人になって自立しようと家を出るタイミングでカムアウトした時、怒られたり責められたりしたわけじゃなくて、本当にそうなのか、思い込んでいるだけじゃないのかとか、直せるものなら直してほしいとか言われて泣かれちゃってね」


「うん」


「それがなんか凄くショックでさ。直してほしいなんて言われても、私は病気でもなんでもないし、イレギュラーかもしれないけど異常なんかじゃないんだよって。こっちは高校の頃、そんなのとっくにやってみたっていうのにさ。泣きたかったのはこっちもだよって」


 それ以来、家も出たし親とはあまり話していないんだよねと、そう話す幸の声は少し鼻声で少し寂しそうになった。


「この連休もさ、帰るからとか帰ってくるのかとか、そういうのも無いんだよね。そういうのは全部、(たまき)に訊くんだよ。幸はどうするんだろう? なんてさ。本当、笑っちゃうよね」


 ああ、環ってお姉ちゃんのことだよと幸は言っている。笑えてないからと、私は思う。

 笑える筈なんかない癖に、幸は強がって寂しがって、そして凄く怖がっている。

 私も父に対してはそうだからそれが分かる。私から見て完璧女史の幸にもやはり、抱えているものはあったのだ。



「そっか。それは知らなかったな」


「べつに内緒にしておきたかったわけじないよ。なんか言いそびれたと言うかタイミングがなかっただけと言うか、ごめんね」


「気にすんなし」


 私は首を横に振ってぱしぱしと幸の腕を叩く。幸は謝ってくれたけれど私に話さなかったのは幸の勝手。べつにどうってことはないのだ。幸には幸の理由なり本音なりがあるだから。


「ねぇ夏織。それ使い方あってるの?」


「さぁ? そこは気にすんなし」


「ぷっ。なにそれ、あはは」


 幸が笑っている。私はそれに満足する。

 私にだって口が裂けても言えないことはある。体重とかお腹周りのサイズとか…いや、泣きそうだし。


「くそう」


 そう思って、私が自分のお腹をこの野郎めと摩っていると、何してるのと私を覗き込む幸。


「夏織?」


「い、いやべつに」


 私がなんでもないからと慌ててお腹から手を離すと、幸はくすりと笑って、気にすることないのになとか呟いてから、それでねと自分の話を()めた。


「うん」


「たぶんうちの親は、私のことを納得はしていないけど諦めてる。でも娘のことだから色々と気にはなる。でも直接訊くのはちょっと…ま、そんな感じかな」


「そうなんだ」


「うん」


 幸の話を聞いたあと、私は一度もたれていた幸からよいしょと離れ、その横に座り、幸の腕を掻い潜るようにしてから両手で抱えるように幸を抱いた。幸は寂しく微笑む顔を私に向けてから私の頭に頬を乗せた。

 そして私は、でもね幸、そんな顔をしなくても大丈夫だからねと、幸の話を聞いていて私の感じたことを伝えることにした。



「ねぇ幸」


「なぁに」


「たぶんなんだけどさ、私は思うんだよ」


「うん」


「幸の親は幸の話を聞いた時、幸のこれからのことを心配したんじゃないかなって」


「どういうこと?」


 幸は少しだけ体を引いて私を覗き込む。眉を顰めて怪訝な顔をしているけれど、私は気にせず微笑んでその先を続ける。


「幸の親は、受け入れるとか受け入れないとかそんなことを思う前に、ただ幸のその先の人生を心配したんだと思う。親からすれば幸には、娘には幸せな人生を送ってほしいのに、同性愛者ってことで嫌な思いをするだろうとか理不尽な目に遭うだろうとか思っちゃったんじゃないかなぁって。だってほら、私達って多少なりとも嫌な経験とかもしてるでしょ」


「そう…なのかな?」


「だから幸の親は咄嗟に、直せるものなら直してほしいなんて言っちゃったんだと思う。もしもそうできたなら普通の人生っていうか、しなくてもいい苦労も辛い思いもしなくて済むっていうかさ」


 幸は何も言わずにいる。頭の中で私が伝えたことを繰り返して、その可能性の有無をを考えているのだと思う。

 私は黙って待っている。暫くすると幸は口を開く。その声は見えた希望に縋るようにも聞こえた。


「ねぇ。夏織はほんとにそう思う? 慰めとかじゃなくて?」


「うーん。なんかそんな感じがする。幸の親はその時も今も幸を心配しているだけなんじゃないかなって。傷つけるようなことを言っちゃったから、どうしようとか思っているうちに時間が経って余計気まずくなって、もうどうしたらいいのかよく分からなくなっているんじゃないのかなって。幸の話を聞いて私はそう思った」



 親だって人の子で、何でもできる超人ってわけじゃない。私達の歩む人生の延長線上を先に歩いているに過ぎないのだ。僅かな経験が私達よりもあるだけで、全てを知っているわけでも殊更強いわけでもない。さすが親だなと私達が期待する姿をいつも見せてくれるわけでもない。間違えてしまうことだってある。

 だからこそ、今ならと思う。この歳になって何となく分かる親の気持ち。それを推し量ることができるようになったからこそ私はそう思ったのだ。


 幸の親はきっとそう。私の父もたぶん同じ。だからいつまでも親に期待するだけでなくこちらから、私達から歩み寄ってみてもいいのかなと思う。もしもそうすることで親子の関係が完全に終わってしまっても、私達は抱えたモノを受け容れて生きているうちにそれを覚悟できるようになっているのだ。

 それは単なる強がりでしかないけれど、どう転んでも、泣いても喚いても、悲しいことに私達はそうやって生きていくしかない。お腹を痛めて産んだって、小さい頃の可愛い娘の記憶があったって、嫌なものは嫌だからとか無理なものは無理だからなんて突き放されてしまったら、私達はそれを受け容れて泣く泣く諦めるしかないのだから。

 幸だってそのことはちゃんと分かっている。



 私の言葉を受けて、けどとかでもとか呟いている幸は今、頭の中を整理しているのだと思う。考えてもみなかったことを私に言われて、その可能性について考えている。

 優秀で聡明な幸ならその可能性があることくらいすぐに気づく筈。


「大丈夫。いけるいける」


「そう思う?」


「いけなくても幸には私がいるから」


「うっ」


「泣くの? ほら幸、泣くなら私の胸で泣きなよ。DだよD」


「な、泣かないけどちょっと貸して」



 体を離し腕を広げて幸を待つ私に向かって、かおりーと幸が私の胸に飛び込んでくる。私はそれを受け止めようと頑張った。


「ぐえ」


 勢い余って床に転がっても、打った背中が少し痛くても、私は幸を抱き締めて、幸の背中をとんとんとあやすように優しく叩きながら、幸の気の済むまでこうしていることにした。



「よしよし。幸は偉いよ。よくやってる」


「うん」


「でも疲れたら休まないとな。私みたいにさ」


「くくく。そうするよ、ありがとう夏織」


「いいのいいの。気にするなって」



 いま幸が重くなった。下にいる私が重くないように腕や脚で庇っていた体の力を抜いたのだ。そのせいでうっとなってしまったけれど私は気にせず愛しの幸の髪を撫でる。私に体を預けた幸はいま甘えているのだからしたいようにしてもらう。それも私の望みなのだから。


「よしよし。さすが幸。えらいえらい」


「そうよねー。私はえらいよねー。くくくくく」



 幸の綺麗な髪を撫でながら私は思う。

 愛しの幸とこの先ずっと一緒にいても、私達は書類上は単なる同居人で法的な婚姻関係にはなれない。

 それ以上の行き場のない私達の遣る瀬なさを分かる人は少ない。分かってくれる人が多ければとっくに何か変わった筈だから。

 けれど、そうじゃないからそうなのだ。多くの人が当事者じゃないからそこは私も仕方ないなと思う。自分にとってどうでもいいことはどうでもいいのだから。それは私もそうだから。

 だとすると、私達を取り巻く世界が変わるには一体どれだけ時間がかかるのかな。


 今迄も気持ち悪いとか異常だとか、生産性がーとか増えたら困るんだけどとか言われて、これからもそういう声は絶えることなく続いていくだろう。

 バレないように生きている私達には反論する場もなく、その声を聴いているうちに次第にそのことに慣れていく。すっかり慣れきってしまった私は果たして精神的に強くなったということなの? 

 卑下されることや傷付けられることに慣れてしまって麻痺しているだけじゃないのかなと、そんなふうに思ったりもする。



 甘える幸を抱きながら私は思う。

 子供として親に愛されることにもこうしていちいち悩まなくてはいけないのだから、普通に生きていくということはとても難しいことなのだと。

 けれど、私も幸もそんなことは百も承知の上。その上でちゃんと決着を付けて私達は先に進むのだ。



「あーあ」


 けどさぁ、大丈夫って、いけるいけるって、へいきへいきって、誰か私にも言ってくれないかなぁ…と、思ったけれど幸が言ってくれるからいいんだったと思い直す。

 そして私はぐちぐちと文句を垂れて弱音を吐いたところで何も変わらないから今はこれで終わることにした。すっきり感はないけれど、必要以上に悩んだり落ち込んだりはしないの。それが私。私は私。それでいいの。


「いいのいいの」


 私は幸を乗っけて転がったままローテーブルに置いてある北海道のお土産の定番、甘くて美味いレーズン入りのバターサンドに手を伸ばした。


「よっ、んっ、むっ」


 むむっとか唸って、もう少し、あとちょっとで届くぞとかぶつぶつ言いながらそれをなんとか手に取って、それをひとくち齧るとすぐにある思いが浮かんでくる。


「安定の美味さだなコレ」


 そう。やはり美味いもの美味いのだ。


 そして気づけば幸が私の胸で体を揺らしているというか震えている。くくくとそんな声まで聴こえてくる。


「幸。何笑ってるの?」


「だってこの体勢でも平気で食べてるしさ、美味いなとか言うから、なんか可笑しくって。まぁいいかってね」


「ふふふ。全ては私の作戦通り。上手くいった」


「嘘つき。あはは」


 幸は笑った。ともあれそれでいいのだと私は思う。幸には笑っていてほしい。無理矢理なヤツじゃなくて楽しくて嬉しくて面白くて幸せで笑顔になってほしい。



「夏織。わたし週末は親に会ってくるよ」


「うん。なら私もそうする」


「うん」


「お互い頑張ってみるか」


「そうだねー」


 幸はどことなくすっきりした感じ。いま見せてくれた笑顔は本物だ。全ては私の(てのひら)の上。上手く転がってくれたのだ。偶然にも。


「あ、そうだ」


「なぁに」


「今度、恵美さんにも会ってね」


 そう。すっかり忘れていた恵美さんからの転職の話。突然なにを言い出すのかと思うかもしれないけれど、私は今、密かに作戦を立てていたことを思い出したのだ。


 私が家を買うとすればいま転職はできないし、やはりあのモードの恵美さんの下で働くのは私には無理がある。私が私でなくなりそうで嫌だ…じゃなくて、その、なんだっけな、えっと、そうアレだ。とにかくアレなのだ。私は今の私のままでいたいのだ。

 けれど優秀で聡明な幸なら余裕でいけると私は思うから、幸のキャリアアップにもなるしお給料もアップするし、その話を是非にと幸に振ってみようと企んでいるところ。


「転職の話だよね」


「あれ?なんでバレる?」


「あはは。夏織の悪だくみなんてお見通しなのよ」


「だめ?」


「だめじゃないよ。だってあの会社でしょう?話だけでも聞いてみる価値はあるよ」


「まじ?」


「まじ」


「さすが幸。意識高いな」


「まぁね」


 私はお礼のつもりで残りのバタサンを幸の口に突っ込んだ。ふわぁなぁにふるのほもおと幸は言っているけれど良く聞き取れないから気にしない。

 そして私はもぐもぐしながら私の体にぽろぽろと食べかすを溢す幸を可愛いなぁと思うのだ。


「ちょっと幸。こぼれてるし」


「ごめんごめん」


「うわっ。顔に飛んでくるから喋るなって」


「わざとじゃないよ?」


「いや、わざとでしょ」


「夏織はそんなこと気にしなくていいの」


「うん。うん? いや、違うから。なに言ってんの?」


「あはははは」


 幸はいま楽しそうに笑っている。笑っているならそれでいい。全ては私の掌の上。

 私はにんまりと微笑んだ。






不定期と言いつつも週いちペースな感じですね。

私は頑張った。えらいえらい。


読んでくれてありがとうございます。

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