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woman  作者: しは かた
32/102

第二十七話

続きです。


よろしくお願いします。

 


 ついにっ、待ちに待ったゴールデンの初日がやって来たぞっ、といってもそれは後半の五連休の話。

 残念なことに、私達の休みは毎年カレンダー通りだから、ニュースとか巷とかで今年は九連休ですね海外に行く人も多いですねなんて言っているのを耳にするけれど、は?なんのこと?と思ってしまう。

 私の笑顔は真顔になってしまった。


「くそう」


「あはは」



 それでもまあまあそこそこの私にはこの五連休はとてもありがたい。今年のゴールデンなヤツは幸と過ごすことになっているから尚更だ。

 だって私達はこの五連休の間ずっと一緒にいて、いちゃいちゃして楽しい話をしてぼーっとして、またいちゃいちゃして真面目に話し合ってぼーっとして、愛し合って過ごすのだから。

 そう思うと私の真顔は笑顔に戻っていく。


「ね」


「ん?夏織、ねって言われてもねぇ」


 幸は首を傾げてそんなことを言っているけれど、その幸もにこにこと嬉しそうだから、幸は私の言いたいことをちゃんと分かっているのだと分かる。


「ねはねだし。ね、幸もそう思うでしょ?」


「まぁね。私もそう思ってるよ」



 今にこにこな私の隣には、にこにこしている幸が居るの。相手は自分を映す鏡。なるほどなぁと私は思った。



 そして私はここ二ヶ月ほどのあいだ、幸と私達のこれからのことを考えたり話し合ったりしているうちに、それをせざるを得ないと強く意識させられたことがある。

 それは、分かっているけれど深く考えるのを避けていたヤツ、できれば考えることもそれ自体も避けて通りたいヤツだ。


 私は面倒くせーなおいと悪態をついたり、幸と暮らすのかぁ楽しみだなぁとか、こんな部屋もいいなぁと浮かれてみたりして気を紛らしていたけれど幸はちゃんとソイツと向き合っていた。



「うーん」


「どうしたの?」


「バレるよね?」


「そうね。誰かには。でも夏織、それを避けては通れないんだよ」


「うん」


「どうする夏織。やめる?」


 一緒に暮らさなくたってこのまま私達の関係を続けていくことも選択肢の一つだよねと、いま意地悪な顔をしている幸は私がそれを選ぶことはないと分かっている。そこに少しの不安も抱いてない。

 だから私は幸の期待通りにソイツのことをあざ笑ってやった。


「ははっ。そんなのやめるわけないし」


「だよね。嬉しい」


 微笑む幸はいつものように優しくしっかりと私を抱き締めてくれた。もう一度、私の耳元で嬉しいよ夏織と囁いてくれた。


「うひゃひゃ」


「あ、くすぐったかった?」


「ちょっ、離れて幸」


 実は、私の左耳はなんだか知らないけど擽ったがりなの。たまにだけれどスイッチが入ると囁かれたり優しく触られたりキスをされたりしたらぞわぞわぁってなるの。

 そしていま幸は、耳元で囁きながら私が逃げられないようにがっちりホールドを決めている。私を弄ぶ気満々なのだ。


「ふっ」


「ひゃひゃっ。わかってんならやめろって幸」


「ごめんごめん」


「うひゃっ」


「大丈夫?」


「ひゃひゃっ。幸、だめ、ぎぶぎぶ、ぎぶだから」


「くくく。いやよ。だって夏織、かわいいんだもん」


 それから幸は暫くのあいだ、大好きとか可愛いねとか私の耳元で囁き続けていた。私は幸にいいように弄ばれてしまったのだ。それが終わる頃には私は脱力してへなへなになっていた。


「くそう」


「あはは。ごめんごめん」


「うるさいバカ幸。ていっ」


「あだっ」


 覚えていろよと私は思った。



 私達は、私達がどうしてもと強く望んでいることのために、できればそうあってほしいと望んでいることを多少なりとも諦める、我慢をする。

 それは私達が死ぬまで一緒と誓った時から覚悟している今更な話。叶えるためには必要な代償は払わないといけないのだ。

 まぁ、支払いはなるべくお安く済めばそれに越したことはないけれど。


「そうだね」


「うん」



 そうなの。私達が進む方向を決めて本格的に動き出せば、それに関わり合う不特定の人達の中には、私達の関係を話さないわけにはいかない人もいるわけだし、そうでなくても関わり合っているうちに分かる人には分かってしまうことはどうしても避けられないのだから、この先はいちいち周りの目や反応を気にしていても仕方ないの。

 つまりそれは、一人が知ってしまえばあと三十人は知ってしまうと思えというアレ。ちょっと違うけれどGみたいなものだ。


 ガードを下げるつもりは私達にはないけれど、ふたりで進んでいく過程でそうなることはどうしても避けられないのだ。

 ただ願わくば、白い目や蔑みの目を向けられませんようにと祈るのみだ。



「さちー」


「おっ。よしよし。大丈夫だよ」


 私は幸に手を伸ばしその慎ましやかな胸へと飛び込んでいく。甘える私を幸はこれでもかってくらいに癒してくれる。それで私は頑張ることができる。私もそうであったらいいなと心から思う。願わくば。


「わたし言ったよね、そうだって」


「うん。そうだった。ふふふ」




 と、そんなこともありながら迎えたゴールデン初日のお昼時、私達は幸の最寄駅で落ち合った。

 その待ち合わせ場所でただ立っているだけなのに、その姿も様になっている幸を見つけるたびに私はいつも感動している。今もそう。


「やっぱ幸はカッコいいな。綺麗だし」


 私は顔を綻ばせて呟いた。それはもう何年も繰り返していることだけれど、その感動は今はそれ以上かも。

 だって私達は恋人で、将来を誓い合った仲で、私が幸は特別な女性だと思うのは当たり前だから。



 私が逸る気持を抑えつつ改札を抜けてとことこと幸に近づいて行くと、幸はさっと手を上げて私を笑顔で迎えてくれる。


「お疲れ夏織」


 それだけで微笑み満開になった私は、嬉しさいっぱいの笑顔を幸に向けながら今までよりも一歩分だけ幸の近くに立った。幸よりも六センチ背が低い私は、少し腰を曲げて幸を下から覗き込む。ちゃんと上目遣いすることも忘れない。


「出迎えご苦労。なんちゃって。てへっ」


 そして私は唇の横に舌を出す。いわゆるてへぺろというヤツだ。当然、こつんと頭を叩くのも忘れていない。

 すると幸は、徐々に顔を赤くしていくと、かはっかはっと声を出しながら私から真っ赤な顔を背けてしまう。近いでしょとか可愛すぎかよとか呟いて。



「幸。顔が真っ赤っか、いてっ」


「夏織がいけないのよっ」


 幸は素早くデコぴんを放つ。私は痛くもないのに、痛いなもぉとか言いながらおでこを摩る。


「ふふふ」


「あはは」



 私達の待ち合わせは最近はいつもこんな感じ。はしゃいでいる感は否めないけれど、私達はストレートなカップルでいうところの婚約者だしお互いを想う気持ちははち切れんばかりなのだから仕方ない。



「夏織。わたしお腹減った。早くご飯食べに行こう」


「いいよ。どっち?」


「こっち」


 そう言って一瞬だけ私の腕を掴んだ腹ぺこ幸に引かれて横に並んで歩き出す私の肩に触れるくらいまで幸が傍に寄ってくる。

 私はそれを、近過ぎでしょとか注意することなく笑顔を向けて受け入れる。休日のお昼時のこの時間、人がたくさんいるから混んでいるのだ。だから大丈夫、たぶん平気。


「へいきへいき」


「そうだねー」


「ところで幸。また朝抜いたの?」


「起きたら十一時半前だったからね。焦っちゃったよ」


 たははと苦笑う幸は以前、休みの日はお昼過ぎまで寝ちゃうからいつもお腹減って死にそうなんだよねと言っていた。

 この話になると私はいつも愛しの幸に朝ご飯を作ってあげたくなるし、食べてもらいたくなる。

 もし順調にいけば、もしくはそうでなかったとしても、それがそのうちにできるようになるのだ。そう思うと嬉しくて堪らない。

 寝起きの幸に、朝ご飯もうすぐできるよ待っててねなんて言いながら。それこそまさにあの、伝説の中の伝説、裸でエプロンをしてあげてもいい。

 そしたら幸の奴が、ご飯もいいけど夏織を先に食べたいななんつって、私が、駄目だよご飯もうできるんだから我慢してねなんつって、そしたら幸の奴、夏織が欲しいのいいからおいでなんつって、私が、あ、駄目だってばもぉなんつっているうちに幸の奴が強引に私をベッドまで連れて行ったりなんかして。


「ぐへへ」


「ちょっと夏織ぃ」


 いま私は妄想の真っ最中。並んで歩く幸の思い切り呆れた視線を感じながら酷くにやけた顔をしている。なんでかバレているけれど気にしない。たとえ黒いヤツが来ようとも楽しいものは楽しいのだ。

 確実にいま私の脳から何かが出ているのだ。いっときの快楽に溺れてしまうのもたまにはありだから。


「じゃあ、幸は要らないの?」


「いや、いるけどさ」


「でしょ」


「「ぐへへ」」



 こうして馬鹿な話をして幸と並んで歩いていていると虫は嫌でも天気もいいし楽しくなる。視線を遣れば幸はちょうどパテをダプルにしようかなぁ、それとも二ついっちゃうおうかなぁとかぶつぶつと呟いていた。


「ねぇ、そう言えばさ、なに食べるんだっけ?」


「ハンバーガー。で、いい?美味しい店があるんだよね」


「いいよ」


 幸の食べたいものならそれでいいよと笑顔で返すと幸はやったと嬉しそう。私はそれに満足する。幸が嬉しそうなら私はそれで嬉しくなる。


 理由は違えど笑っている私達は並んで道を歩いていく。ここ左とか、ここを右とかその都度わたしの腕を取りながら、パテが美味しいんだよとかバンズも美味しいよ、あとポテトもねと、幸の説明は続いている。


「ほうほう」


「あとお勧めはねー」


「うん」


 私は瞳をきらきら輝かせ楽しそうに話す幸にちらちらと目をやりながらいちいちうんうんと相槌を打っている。


「ソフトクリームなんかもあるよ」


「まじ?」


「うん。それを目当てに来る人もいるみたい。一度食べたけどミルクな感じが濃厚でかなり美味しかったな」


「やったっ」


 道の端、私は思わず今日一番の反応を見せてしまったけれど幸は優しい目をしてあははと笑っていた。私はその目で見られるとなんとも言えないじんわり温かな気持ちが胸の奥から湧いてくる。さすが私、ちょろ過ぎる。


「いいのいいの」



 途中、並んでいると人とすれ違うのが難しい狭い歩道のころになると、幸はさっと私の後ろに下がって肩に手を置いたりする。肩に手を置くのはやり過ぎかなと思わないこともないけれど、そうやって周りや私に気を遣う幸はすごく好き。


 避けない人なんてごまんといるのだ。そして私は、そういう人は不思議なことに女性が多いなという気がしている。

 混んだ駅の構内とかでわざわざ私の前を斜めに横切っていく人もそう。私の足が突っかかたりするとキッと睨んで去っていく。馬鹿なの?当たり屋なの?後ろを通ればいいじゃないと思うけれど、私はそういう時は、たぶん漏れてしまいそうだからトイレに急いでいるのだろうと思うことにしている。漏らしてしまえばいいのになと思いながら。


「ね」


「ん?まぁ、そうかな」


「たぶん少し出ちゃってるんだと思う」


「やめなさい」


「はーい」





 そして今、お目当のお店で幸は二つ目のハンバーガーにかぶりついている。


「やっぱり美味しい」


 結構なボリュームなのによくイケるなさすが幸と、もぐもぐ動く幸の口を見ながら私は既にお腹いっぱい、サイドメニューにあったソフトクリームを食べている。そこはほら、みんな納得、別腹というヤツだから問題なし。言い訳はいらない。


「付いてるよ」


「とって」


 そして私は幸の口元、跳ねてしまったソースやなんかを見つけてはそれをティッシュで拭いたりもしている。


「はい。とれたよ」


「ありがとう」


 ここは日常、私達の望む何気ない日々の一コマ。そこに溶け込めているかはどうにも怪しいところだけれど、自分が見られていると思うほど人は見ていないものだから案外平気だと思うよと幸は笑って言っていたから、逆もまた真なりだと私は思うけれど今は気にしないことにした。いま少しだけこうさせてほしいと思ったから。



「ん」


「子供か」


 ここを拭けと唇を尖らして頬を向ける幸。私がはいはいと拭いてあげると幸はそのたびにありがとうと微笑んでくれる。幸は私のしたいことをし易いようにして、それを丸ごと受け入れてくれているのだ。

 けれど、私が思うように幸は幸で思っていることがある。きっと幸だって、こんなふうにしながらもこの日常に溶け込むことを望んでいるのだ。私達以外の誰の記憶にも残らないような何気ない日々の一コマになりたいのだ。





「はいどうぞ」


 食事を済ませ買い物も済ませた私達は幸の部屋の前にいる。私はその扉を貰った合鍵で開けた。そして荷物を多く持つ幸のために扉を支えて幸を招き入れた。


「ありがとう。夏織。ただいま」


 合鍵を渡されたのだからこの部屋は私の部屋でもあると私は思うからそうしたのだ。当然、私の部屋は幸の部屋でもある。


 つまりいま私が言ったはいどうぞには、お帰りなさいという意味が含まれている。そして幸はさすがだから、それをちゃんと理解してくれた。



「おー」


「あはは」


 一歩入ると幸の部屋は相変わらずの凄さだった。


「凄いな」


 よくもここまでさすが幸と、私が幸にじと目を向けても、幸は笑って凄いでしょうと自慢げに胸を張っている。

 まぁ、私は怒っているわけでも呆れているわけでもないから、そうされても腹が立つことはない。


「やるか」


「おー」


 私は袖を巻くって片付けを始めてやった。意外にも幸は率先して手伝ってくれるつもりらしい。やる気に満ちた声を出したのだから。



「ちょ、邪魔」


「うそだぁ。嬉しいくせに」


 違った。幸は私の傍をうろちょろしたりぴたっとくつっいていたり後ろから抱きついてきたりといちゃいちゃしていたかったみたい。それはそれで楽しいから私もついついやり返してしまう。


「うりゃっ」


「うわっ。やったな」


「ふふふふふふ」


「そりゃっ」


「ぐわ」


「あはははは」


 とっ散らかった部屋が余計に散らかってしまうけれど私達は気にしない。

 ふふふあははと笑いながらそこらにあった幸の服を投げてみたり、散乱していた文具なんかをこれは危ないからと端に退けてみたり、タヌキの置物的なヤツを人質にしてみたりして遊んでいた。


「この卑怯者っ。私の夏織を人質にするなんてじゃなかった、そこのかわいいお前、そのかおタヌキを離せ」


「おいこらねえさちかおたぬきってなに?」


 私の耳がおかしくなったのか、凄く嫌な言い間違いをした奴がいるような気がしてつい真顔で問いかけてしまった。其奴はいま私の目の前できょどりながら慌てているから明らかに黒だ。


「幸、腕を上げてそこを動くな」


 私はタヌキを掲げて幸にそう警告した。コイツがどうなっても知らないぞ的な感じで頭を持って揺らしてみせる。幸は卑怯だぞーとか言いながら素直に両手を上げた。


「よし。そのまま動くなよ」


「くっ」


 私はこれから幸を思う存分擽ってやるのだ。それはもう、小学生の頃ならば少し出てしまうくらいになっ。


 そう。これは先日、耳を弄ばれた私の復讐なのだ。ついにこの機会が訪れてくれたと、私はいへっへっへっとやらしい顔をして両手をわきわきさせて幸に近づいていく。


「それっ、ってあれ?」


「あはは」


「幸。なぜ避ける?」


「人質がいないからね」


「はっ」


 言われた私は気付いてしまった。わきわきを始めた時にタヌキを離してしまったのだ。馬鹿なの?


 一瞬呆けてしまった私は、その隙をついて反撃に出た幸に返り討ちにされてしまった。うつ伏せにされてくすぐられて、笑い過ぎてちょっとだけ出てしまったのだ。



「もうお嫁にいけないかも」


「私がもらうんだから大丈夫よ」


「あ、そうだった」


 私達はふふふあははと声を揃えて笑ったあと、私は幸の腕に抱かれてそっとその唇に触れた。その先はどちらからともなく誘い合ってじゃれ合って、深く濃く交わって蕩けてしまいそうな激しくも甘いキスをした。



「好き、だよ幸」


「私も、夏織のこと、大好き」


 キスの余韻に浸りながらはぁはぁと荒げた息を整えたあと私は体を離す。


「よいしょ」


「あ」


 幸は少し寂しそう。私もまだまだ幸にくっついていたかったけれど、私にはどうしてもやらなければならないことがあるのだから仕方ない。


「ていっ」


「あだっ」


「ふっ、ざまぁ」


 私は割と本気の蹴りをくれてやったのだ。立ち上がったついでに油断して無防備な、けれど痛いと可哀想だから体の部分でも丈夫だと言われているお尻に。


 そして私は替えを持っていそいそとトイレに向かう。

 お尻を押さえて蹲った幸はどうしたかなと振り返ってみると、幸は片手でお尻を摩りながらそんな私を慈愛で包み込むような優しい微笑みを浮かべ、いってらしゃいと手を振っている。それはまるで気にするなと私を励ましているかのよう。


「いや、違うから。幸のせいだから」


「だよね。あはは」


 なんか前にもこんなことあったなと私は思った。そして私は、もしかすると私は人よりも若干緩いのではないだろうかなんて不安が頭に浮かんでしまった。


「うーん。まずいかも」


 このままでは今後の生活に支障をきたしそうな気がする。私はどうにかして鍛えなくてはいけないなと思うのだった。





「これ、高校の頃に読んだ記憶があるよ」


「わたし好きなんだ、それ」


「へー」


 やっとこさ片付けを終えた私達は一息入れているところ。

 幸はタブレットを前にうつ伏に寝転がって脚をぱたぱたと交互に動かしながら私の愛読書というかなんか好きだから今でもたまに読んでしまう、無駄にプライドが高くて周りを見下しているうちに虎になってしまった男のヤツを読んでいる。


 私はその横で住宅情報誌を見ながら最近ハマってしまったコンビニの冷食、お皿に移した大学いものヤツを解凍せずにそのまま食べている。


「超美味いなコレ」


 量はあまりないけれど冷たくて甘くて美味い。やはり最近のコンビニのナニは侮れないのだ。

 今は午後三時半。私はこののんびりとした空気の中で心身ともに満たされている。幸が居て、甘くて美味いおやつもある。まさに至福の時、最高なのだ。



「あ、夏織。私にも。あーん」


「はい、あーん」


「ありがとう」


 その美味いヤツをたまに幸の口にも運んであげている。あーんについては、やられるのは困るけれどやる分には楽しいから構わないの。


「あーん」


「あーん」


 餌を催促する雛のように口をあむあむとやる幸も、美味しいと言いながらそれをもぐもぐとやっている。


「あ」


 もうすぐなくなってしまうけれど、この残った甘くて少ししょっぱいタレを何かにまぶしたら絶対に美味い筈だと私は考えていた。


「白玉?トースト?カステラか?」



「ねぇ夏織。なんで虎になるのかな?」


 幸は読み終わったらしく、タブレットのアプリを閉じて、そのままそれをいじりながら私に訊いてくる。その声は訳が分からないと主張している。


「さぁ?虎は群れないからじゃないの。そんなに孤高がいいなら虎になってしまえ的な?」


「そうなの?」


「さぁ?」


「夏織、この話、好きなんだよね?」


「うん。なんか面白い」


「私には理解できないなぁ。なんで虎になるのかなぁ」



 幸はうーんと首を捻っているけれど、私がちゃんと説明できる筈がない。

 私はそれをもう何度読んだか分からないくらい読んだけれど、意図とか理由とかを理解できている訳じゃないし、そうしようとも思っていないのだから。

 なんか好き、読むたびにそう思うだけだから。面白いなと思うだけだから。


「そうそう」



「お、この間取りもいいね」


「どれ?」


 もはや虎になる理由などどうでもいいと幸は思ったみたい。幸は私にタブレットの画面を向けた。

 その部屋はやはり1LDK。私は指を伸ばして画面に触れる。それをスクロールしてみると、写真を見る限りでは部屋も広くてキッチンもお風呂も広そうだ。


「たっかっ。なんだこの値段」


「あはは。その物件は新築だし、都心も都心だからねー。あくまで間取りの話だよ」


 私が場所を確認してみると、オフィスまで自転車で楽々行けちゃうくらいの場所だった。


「近くていいな。買えないけど」


「残念でした」



 私に向けていた画面を戻し、再び何かないかなと探し始めた幸は、そこから目を離さずにさり気ないふうを装ってこんなことを訊いてくる。


「そういえば、花ちゃんが夏織を夏織って呼んでたね。なんで?」


「まさか幸…妬いてる?花ちゃんは結婚するんだよ?ていうかさぁ、幸も花ちゃんの口から聞いたでしょ」


「ち、違うって。そうじゃなくてさ」


 私は自分の頬が緩むのを感じながらもジト目で幸を見ると、幸は慌てて否定する。

 幸は嫉妬する必要はないと分かっているし、私と花ちゃんの仲を嫉妬してしまうと黒いヤツが来てしまうのも分かっているからだ。


「だろうね」


「あ、分かる」


「分かるよ。幸のことだから」



 私には幸の訊きたいことは何となく分かる。だからいま嬉しそうな顔をした幸に、ま、べつに秘密ってわけでもないからなと、私はつい先日のこと、私と花ちゃんの間に何があったのか話をした。




「そっか、だからなんだね」


「そう。分かった?」


「うん。納得だよ」



 つまりこう。


 抱えていたものを降ろせるようになった花ちゃんだけれど、花ちゃんにはそれを降ろすつもりはないのだと思う。

 けれど、そこにはもう後悔とか罪悪感とかは少しも無くて、それに囚われることなく事実は事実としてこれからも抱えていくつもりなのだと思う。

 この先も千春さんを想って涙を溢してしまうことはあるのだろう。けれどそれは純粋に故人を偲ぶ涙。だから私はそんな涙を流せるようになった花ちゃんのことを嬉しく思うし、本当によかったなとも思う。


 そして花ちゃんは、私を妹のように思っているところがある。私はそれをその時に初めて知ったけれど、花ちゃんはそれを私に隠すことをやめた。

 きっと花ちゃんは、私を後輩として友だちとして、そして千春さんの代わりとかじゃなく、時には私をもうひとりの妹として扱うことにしたのだと思う。

 だから花ちゃんは私を名前で呼ぶことにしたのだ。普通は妹を苗字で呼んだりしないから。


 そう。ただそれだけのことなのだ。私にとっては凄く嬉しいことだけれど。



「ねぇねぇ幸」


「なに」


「ほんとは妬けた?」


「ちょっとだけね。あはは」


「やっぱりな」



 私は幸の隣にぴたりとくっ付いて、その腕を取って私の肩に廻す。幸はその腕で私を抱えるようにしてくれた。間近になった顔を寄せ合ってにっこりと微笑み合ってから、私達は再びタブレットを手に検索をかけてそれを覗き込む。



「あ、待って。ほらこれ。幸、こんなのもあるよ」


「どれ? おー、いいかもね」





在宅ワーク継続しています。

やはりあまり時間が取れない不思議。

でも大丈夫。今日はいけたから。


読んでくれてありがとうございます。

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