第二十五話
続きです。
よろしくお願いします。
「ねぇ、もうちょっと飲んでいかない?」
私は夏織に向けて親指と人差し指でお猪口を持つ感じにして、くいくいっと飲む仕草をした、というかしてしまった。
夏織は微笑んで、うんいいねと言いつつも間髪入れずにツッコミも入れてきた。
「おっさんか」
「だよね。あはは」
週末の金曜日、私達は仕事帰りに待ち合わせをして夜の街に出た。それから予約を入れていた特定のブランド牛しか扱わないステーキ専門店で、ディナーのセットでさえもお二人様四百グラム四万円也と、お高いお肉を食べた。
そこにお金を掛けるのはどうなのかなと思ったけど、遅ればせながら私達が付き合ったお祝いと、この先にある厄介と面倒を美味しいお肉でも食べて乗り切ろうということになったからだ。
「乾杯」
「かんぱーい」
グラスをちょんと合わせてごくごくと飲んだあと、取り分けられたサラダ、スモークされたサーモンと付け合せのパンを食べていく。
「う。このサーモン美味過ぎる」
「本当に美味しい。このサーモンだけでも来た甲斐があるね」
「うん。超美味い」
そして私達がテーブルの上にあった物を残さず食べ切ったタイミングで、いよいよメインの肉がやって来る。
ここはリブですとか、ここは赤身ですとか説明されながら目の前で切り分けられていく肉に私達は目が離せない。
「幸、よだれ出てるし。口が決壊してるから」
「うじゅるっ」
嘘だと言おうとしたけど、私の口はそれをさせてはくれなかった。開いた途端に涎が垂れてしまったの。
しかも、慌てて吸ったら音が出て、それを見ていた夏織は素早くバッグから取り出したハンドタオルを渡してくれながらふふふと肩を震わせている。その姿は頑張って笑いを堪えているよう見える。
「ふふふ」
「ふふふ」
そしてなぜか二つ聴こえる笑い声。聴こえてきた方に目を向けてみると、肉を切り分けてくれていた支配人さんの肩も、夏織と同じように肩が微かに震えていた。
「…恥ずかしい」
ハンドタオルで口を拭いながら思わずそう口にすると、夏織は手を伸ばしてきて、よくあることだよ気にするなって、私はないけどねと私の肩を優しくぽんぽんと叩いた。
支配人さんは変わらず肉の塊を切り分けていたけど、その顔は、大丈夫ですよ食いしん坊の方はよくそういうふうになっていますから、でも私もそちらの方と同じでありませんけどねと優しく微笑んでいるように見えてしまう。
「くっ」
いやあのね、ふたりとも。その優しさは逆効果、余計に恥ずかしくなっちゃうからねと私は思った。
「あ、美味しい」
私は全てを忘れて肉を喰らっているところ。私は夏織を見習ったの。いいな思うところはどんどん吸収していかないといけないの。 反省したらそれ自体はすぐに忘れる。それは、なかなかできない凄いことだと思うから。
「あはは」
そして私はまた一口と肉を喰らう。あまりの美味しさに自然と顔が綻んでくる。
「なにこれ甘くて溶けた超美味い」
余程の衝撃だったのだろう、喰らった肉をもぐもぐしながら夏織を見れば、まじやばいんですけどとナイフとホークを持ったまま固まっている。
私は赤身の部分をもぐもぐと食べていて、味だけでなくその固くもなく適度な噛み応えにも満足する。私は肉はこれくらい噛み応えがある方がいいと思っている人だから。
私はいまだ呆けている夏織にそれを進めてみた。
「おーい。ね、夏織。こっちの部位は噛み応えがあるよ。これも美味しいよ」
「えっ。あ、うん」
言われて夏織はそれを手元で小さく切って、口に入れてもぐもぐとやっている。私もまたもぐもぐとやっている。
「どう?」
「ほんとだ美味いねこれ」
と、その店で食べたお肉はお高いだけのことはあってとても美味しかった。それに嬉しいサプライズもあった。
「はい幸。これどうぞ」
目の前にあった大きなお皿に切り分けられた肉のうち、幸これあげるから食べてねと夏織の分を三分の一程も私の方に寄せてくれたのだ。
「いいの?」
「いいのいいの。食べて」
「やったっ」
お陰で私は大満足だった。あ、いや、そうじゃなくて、いや、それもそうなんだけど、本日はようこそおいでくださいましたと各テーブルに挨拶して回っていた支配人さんに、お祝いで食べにきたんですよと伝えると、私達が全てを綺麗に平らげたあと、お店からのお祝いですとクレープシュゼットをサービスしてくれたのだ。
「これは店からです」
「いいんですか?」
「お祝いと伺ったので」
「やったっ」
やったっと叫んだのは当然、夏織。私はそれを微笑ましいと思ったけど、側に立つ支配人さんはどうだろう。
どうかお静かにとか言われちゃうかなとその顔を窺ってみると、支配人さんは奇しくも私のよだれの時と同じ、今も私と同じ優しい目をしていた。
喜んでいる夏織をフランベしながら微笑んで見ていたのだ。私のよだれの件もあるし、さすがはプロというべきか、はたまた優しい人柄なのか、お高いけどまた来たいなと思わせる出来事だった。お高いけど。
「美味しかったね」
「うん。超美味い肉だった」
「サーモンも美味しかったね」
「うん。超美味かったよ。クレープも美味かったし。得しちゃったね」
「うん」
その店を出たあと、賑わう夜の街をぶらぶらと駅に向かって夏織と並んで歩いているうちに、一応これは会社帰りの夏織とのデートだし、私はもう少しこの時間を味わっていたくなって、少しお酒を飲んでから夏織の部屋に帰ろうよと、お肉凄かったなとお腹を摩って隣を歩いている夏織に、つい、くいくいっとしてそう提案したのだ。
「うーん」
夏織はちょっとまってと立ち止まり、何かあるかなぁと双眼鏡のように筒状にした両手を目に当てて辺りを見回している。
その仕草が私の中の何かに触れて自然と頬が緩んでくる。私は思わず呟いていた。
「かわいいなぁ」
「おっ。あそこにあんなものがある」
夏織が道の反対側、雑居ビルの端に置いてある看板を指を差した。その看板からしてお洒落そうな感じの店な気がする。私達の夜のデートに似合いそう。
「ねぇ幸、あそこは?」
「そうね。駅にも近いしそうしようか」
私はさっと手を伸ばして夏織の手を握った。それから左右を見渡して車が来ないことを確認して行くよと夏織に声を掛けた。
「渡ろう」
「う、うん」
たたたと小走りに道を渡る私に手を引かれてとととと私の斜め後ろを慌ててついてくる夏織。繋がれた手に力が入っている。このぎゅっと握られる感覚は庇護欲を唆られる感じがするなと考え出したその三秒後、私達は無事に渡り切った。といっても車は一台も来なかったけど。ここは裏通りだし。あはは。
「もう幸。いきなりおどかすな。ていっ」
「あたっ」
渡り切ったあと、夏織は急になにすんだと照れを隠して怒った振りをしている。その証拠に夏織のパンチはへなちょこで、その気がないのが丸分かり。
「でもありがと幸」
「いいの。気にしないで」
「うん」
ほらね。
じゃあいこうとお店に向かう夏織の後ろを歩きながら、ふと、たまにはこうして夏織を驚かせてふたりで暮らしていくのもいいかもなと私は思った。
「くくく」
というわけで、私と夏織はいまバーにいる。バーと言ってもいつもの隠れ家的なバーとは違ってお洒落で今どきの流行りのバーだ。
「こういうとこ、久しぶりな気がする」
少々騒がしい店内をぐるりと見回したあと、なに飲もっかなと、メニューをちらりと見てそんなことを言う夏織は、私達が席に着いてすぐに置かれた数種類のナッツが入った鉢を指でちょんちょんとやって何かを探している。
下を向いてえらく真剣なその表情と姿は可愛らしくもなんかおかしくて私をくすりと笑わせてくれる。
そして目当てのものを見つけたのか、夏織は嬉しそうに、やった、あったとそれを摘んで口に入れ、もぐもぐしながら下を向いていたせいで顔に掛かった髪を耳に掛ける仕草をしたあとに再びメニューを見始めた。
「幸は決まった?なに飲むの?」
「ゴッドマザー」
「うわぁ、それかぁ」
「美味しいよ?」
「私はむり。キツすぎる。私はジントニックにしようっと。あっ。ねぇねぇ見て、ジェラートがあるよ」
ゴッドマザーを軽くディスった夏織は自分の飲み物をさっさと決めるとメニューを閉じて裏を見て、そこにあったジェラートの写真達に目をきらきらさせながら、ほらほら幸も見てよと私にメニューを向けてきた。
「へぇ、本当だ。食べたいのならついでに頼んでみたら?」
「うん、そうする」
こうなると夏織は素早い。ささっと店員さんを呼んで、私達のお酒を頼むと、あと、このジェラートのダブル、マンゴーとピスタチオのヤツでくださいとメニューを指しながら頼んでいる。その際、いつものように幸はどうすると訊いてくれたけど、クレープも食べたし私はいらないかなと言ってしまった。
「残念」
「なにが?」
「幸も頼んでくれたら、違う種類をあとふたつ食べられたじゃん」
「あー。なるほどね」
その言い分はいかにも夏織っぽいなと私が頬を緩めると、その微笑みを見た夏織も微笑んだ。
きっと、私がいま思ったことが分かったんだと思う。それが嬉しくて私の頬はさらに緩まっていく。もはやでれでれ、私は夏織を甘やかしたくなってしまった。
「やっぱり私も頼もうかな」
「それがいいよ」
途端に嬉しさではち切れそうになった夏織が身を乗り出して、ね、ね、なにを頼むのとせっついてくるその目は何かを期待している。私には分かる。
だから私は夏織の食べたいヤツでいいよと言おうとしたけど、夏織は既に、この中だと私のお勧めはねぇ、そうだなぁ、とか言い始めている。
夏織がその小芝居を始めたのは、今日は食べ過ぎていることを自覚しているからだ。けど、夏織はスイーツの誘惑には勝てなかったのだ。それを小芝居で誤魔化そうとしているのだ。なんとも可愛すぎて笑っちゃう。
私は笑っちゃいそうになるのを我慢して、そのすっとぼけた小芝居に付き合うことにした。
「どれ?」
「そうだなぁ」
食べたいヤツはもう決まっているくせに、夏織は腕を組んで、メニューを見ながらうーんと悩む振りをしている。私は我慢できずについ笑ってしまいそうになるのを堪えている。
いつまでそうしているつもりなのかなと思ったけど、既に決まっているからなのか、夏織はそれを申し訳程度に切り上げて、これとこれだなとか言ってお目当てのヤツを指を差した。
「このブラッドオレンジのヤツとね、このバターミルクのヤツが美味いと思うんだよね」
「お勧めなの?」
「うん。絶対いけると思う」
夏織は私がそれを選んでくれるだろうと疑いのない、期待に満ち溢れた眼差しを私に向けている。それがまたとても可愛らしくて、私はちゃんと期待に応えてあげる。
「ならそれにしようかな」
私がそれでと頷くと、いまだバレていないと思っているのだろう、夏織は私に隠すようにして小さく拳を握ってよっしゃとか呟いている。
このあと夏織が一応確認してくることを私は知っている。やっぱりやめたとか言わないでねとその垂れた目で訴えながら。
「いいの?」
「いいよ」
「やったっ。あ、すいません」
夏織が食べてみたいと思っていたヤツにすんなりと決まり、夏織は喜びを隠すことなくすぐに店員さんを呼んだ。その姿を見て、やはり甘やかしてよかったなと私は思ったけど、笑いたくもなってしまった。
だって、夏織はいいのとか訊いていたけど、その台詞がせっかく頑張った小芝居を台無しにしているんだから。夏織はそのことに気付いていないのかしら。
「くくくくく」
これとこれでお願いしますと頼んだあと満面の笑みを浮かべてふんふんとリズムをとっている夏織は今ご機嫌だ。
私はこういう夏織の姿を昔からずっと目にしていた。そしてそれは、今は私にとって失くしたくない大切なものになっている。
夏織を見つめながらそんなことを思っていると、夏織が私を見て微笑んだ。その微笑みは、ジェラート早く来ないかねー、私はそれが楽しみで楽しみで仕方ないよ、幸もでしょ?と私に伝えている。
何度も見てきた筈のその夏織に、私達がいずれは忘れてしまうかもしれないその素直で無垢な微笑みに、私はなんだかぐっときて泣きそうになる。
「やだな」
だけど、泣きそうになってしまった今だって、無情にも時は流れて何処かに消えて行く。永遠なんてどこにもありはしないけど、それでも時を止めて今この時を切り取ってしまいたいと私は思った。
「幸?」
「なんでもないよ。早くくるといいね」
「ふふふふふ、大丈夫。私には待ちきれない自信がある」
「なんだその自信。あはは」
そして夏織は今、先にやって来たジントニックに口をつけ、再びナッツの鉢を指でちょんちょんとやっている。その中から砂糖か何かでコーティングされている豆だけを選んではそれを摘んでぽりぽりと食べている。私はそれを眺めながら一杯目のお酒を飲み干した。
「あ、幸。どうする?」
今夜の私は酔っ払ってしまうかもしれない。笑いたくなったり泣きたくなったり、なぜだか今夜は夏織を見ていると感情が忙しい。あと何杯か飲みたいけどセーブした方がいいのかなとも思う。
「んー。同じもので」
まあ、いいかなと、私は飲むことにした。まだまだ余裕だしもしも酔っ払ってしまっても夏織がいるから大丈夫。夏織がなんとかしてくれる。
「わかった。すいません。こっちお代わりください」
「ありがとう夏織」
「いいのいいの」
そして私はふと気付く。甘い豆に気を取られながらも夏織はすぐに空のグラスに気がついていつものようにお代わりを頼んでくれた。それはつまり私が豆に勝ったということだ。ということは、甘い豆よりも幸。そういうことだ。やったっ。
「くくく」
「これ、甘くないヤツは幸にあげる」
私の夢想を遮って、夏織が鉢を私の方へ寄せてきた。夏織はようやくナッツをシェアする気になったらしい。その鉢を覗いてみると、その中で見事に甘い豆とその他に分けられていた。
「ありがとう。でもそれ、私にもひとつちょうだい」
「いいよ。はいどうぞ」
夏織に向けて私が手を出すと、夏織は私の手のひらに三つ、豆を乗っけてくれた。
「いいの?」
「いいのいいの」
私はそれを一気に口に入れぽりぽりと齧りながら、豆を口に入れるたびに甘くて美味いなと満足げに微笑んでいる夏織を見ている。
その顔もまた、私が昔からずっと目にしていたものだ。そして今、その夏織がかわい過ぎて堪らなくなってしまう私がいる。
その姿を微笑んで眺めていると、夏織の顔が曇ってしまった。
「あーあ」
夏織はついに甘くて美味い豆を食べきってしまって落ち込んだ声を出していた。
私にはよく分からないけど、なんとも理不尽なことだと夏織の顔が訴えている。食べればなくなるのは当たり前なのに。
「くくく」
こうなったら早くジェラートがやって来るといいねと、上手くできるようになった忍び笑いをしながら私は思った。
「うまーい。幸これ美味いよ」
そのあとすぐにやって来たジェラートに、私達はいただきますと手をつけた。バターミルクのヤツが濃厚でなかなか美味しいなと、私がその口溶けを楽しみながら夏織を見ていると、嬉しくて仕方ないといった感じで口に運んだその一口目を終えた夏織は微笑みいっぱい、いつもの台詞を聞かせてくれた。
「くは」
ヤバい。超可愛いいから見ていたいけど、このままでは私がやられてしまう。夏織にやられてもべつに構わないけど、ここは部屋じゃないから気をつけなくてはいけない。
そう思って、私は気持ちを落ち着かせようとその原因から顔を背けてみるけどそいつはもう止まらない。幸のは美味い?ねえ幸のは?と訊いてくる。こうなっては仕方ないので私は夏織に向き直った。
「幸のヤツも美味そう」
「お、美味しいよ」
「そっかぁ」
夏織はわざとらしくも愛らしい台詞を吐いた。私に向けるその顔には早く交換こしようと書いてある。
「わ。わたしはもういいから。あとは夏織が食べてね」
「うんっ。ありがと幸」
満面の笑みで頷く夏織は天使かよと、私はまた、くはっ、っと小さく声を出してしまった。夏織の言うところの、いってしまったというヤツだ。
「ん?幸、どうかした?」
「なゃんでもなゃいよ」
「ふーん」
私の分のジェラートの入った容器を手にして、さらにはスプーンを口に入れたまま首を傾げて私を見ている夏織。
幸、大丈夫?とやっているその顔には天使だけでなく悪魔もちらちらと見え隠れしていた。
「ぐっはぁ」
「ふふふふふ。幸ったら相変わらず面白いな」
夏織はとても満足げにジェラートを食べている。私はその姿がとても可愛いから今やられたゆるふわ攻撃を許すことにした。私はチョロいのだ。許すも何も、私は全く怒っていないのだから。
「泣かないで」
「な、泣いてないからっ」
私は四杯目のゴッドマザーこくこくと、夏織は二杯目のジントニックをちびちびと飲んでいる。
「あ、そうだ」
「なぁに」
「あのね」
夏織にとっては終わってしまって悲しいかもしれない、けど私にとってある意味とても辛かったジェラートの時間を乗り越えて、落ち着いた私達は話をし始めた。
あれもこれもどうしようかと考えるばかりで、すっかりと忘れていた楽しいことをあれこれと。
「幸は住むならどんな部屋がいい?」
「んー、そうね。私は広めな1LDKがいいな。それで、収納もちゃんとしてる部屋」
「じゃあそれで探してみようよ。古いマンションを買ってリノベーションとかしちゃったりしてさ」
「それは楽しそうでいいけど、かおりはなんかないの?」
「幸がいいなら何でもいいの。あ、でもキッチンとお風呂は広い方がいいな」
夏織はその間取りがメインなマンションならファミリーとかはいなそうだしとぽつりと呟いた。
それは私もそう思う。けど今はそんなことは気になってしまうけど気にしない。だから私はそれを聞こえなかったことにして、楽しく話を続けることにした。
「きっちんとおふろいがいはわたしのすきでいいの?」
「うん。ていうか幸、幸は収納とかこだわらなくてもいいから」
「ぐっ。いいえ、こだわりますよぉ。わたしはね、これからはかたづけられるおんなになるんですぅ」
「ほー。ま、頑張ってね」
夏織ははいはい分かったよと、私には期待していないからねと呆れている。私はそんな夏織を見返してやるぞと気合いを入れる。
「いま気合いを入れても意味ないから」
「えっ」
いやいや。気のせい気のせい私はやれる。大丈夫。いつかきっと片付けられるというか片付けようと思える人になる。いつかきっと。たぶん簡単。
「いつかっていつ?」
「それはなんともいえないかな?なななっ」
私の心の声がバレている。それを驚いて固まっていると、夏織はにんまり笑ってその理由をさくっと教えてくれた。
「だって幸、ぜんぶ口に出してるから」
「なななっ」
「私はね、家具とかも基本何でもいいんだけど、テーブルを置くなら丸いヤツがいいんだよね」
「へぇ。なんでぇ?」
「なんとなく。丸がいいの。イメージ?。でも天板がガラスなのは嫌だな」
「わかるぅ、わかるなぁ。そういうのってぇだいじよねぇ」
「よし。今度、北欧デザイン家具屋さんと、親子で揉めていた家具屋さんとか行ってみようよ」
「いいねいいねぇ。あとねぇ、ちょっとぉこれみてみれ」
私はバッグから、たまに駅で見かけるフリーペーパーの住宅情報誌、『都内でマンションを買うならこの沿線』と、『買う?借りる?お得なマンション特集号』を取り出して夏織に渡す。夏織はそれを受けって、おおとか言ってさっそくそれを開いている。
「ええとねぇ、こんなのいいなってまどりにぶっけんにおりめをつけておいたからぁ」
「そうなんだ。どれどれ」
夏織は、ほうほう、ふむふむとページをめくるたびにそう声に出し、なるほど幸はこういうのがいいんだと呟いている。
「あ、そうだ幸」
「なぁに」
「アナログか」
「んん?あはははは」
私はいまとてもいい気分でいる。美味しいお酒を飲んで、夏織がいて、住宅情報誌があって、こんなのはどうだとかあれもいいねとそんな話しているのだから。
今ここにあるものは、ストレートとかビアンとかゲイとかバイとかトランスジェンダーとかそんなものは一切関係なく、将来を約束した私達の夢と希望の話だけ。
だから楽しくて私はいまとても気分がいい。
「うぃ」
「幸がここまで酔うとか珍しいな。というか初めてかも?」
「へへへー」
さてそろそろ帰ろうかなと夏織が言っている。私のバッグを持って、アナログかとつっこんだくせに凄く大事な物のように情報誌をそこに入れている。なんとなく嬉しくなる。
「帰るよ幸」
「あいあい」
私は残っていたお酒を空にして立ち上がる。少しふらふらするけど気分はとてもいい。
「おっと。幸、大丈夫?」
「ありあとう。ぜんぜんへいきらよ」
ふらつく私を支えてくれた夏織が、これはタクシーだなと呟いていた。
そしてタクシーの中、私は閉じそうになる目と戦いながら夏織に体を預けてうつらうつらと幸せな気分でいる。夏織は運転手さんと、いやぁ、この子酔っちゃってとか話をしている。
おいこら夏織、おっちゃんよりも私を見ろと思うけど、置いたバッグの下でぎゅっと私の手を握ってくれているからそれでよしとしている。
うつらとしながらも私は分かってしまった。
私があれくらいのお酒で珍しくも初めてここまで酔ってしまったのは夏織がいるからで、夏織がいるからこそ私は安心して気を張ることもなく気分良く酔うことができたのだ。
傍にいると心から安心できて甘えることができて、普段はともかくいざとなればとても頼りになる夏織だからこそ、こうして外でも気分良く酔えたのだ。
「んー?」
視線を感じて自然と閉じていた目を開けると、夏織が心配そうな顔で私を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「だいじょぶ。ねむたいらけらよー」
「よかった」
それから夏織は、まだかかるから幸は眠ってていいからね言ってくれた。いい夢見てねと微笑んで。
それは私にとって何にも勝るいつもの微笑み。
ああ、そうか。
私は目を閉じる。そして分かってしまった。
全幅の信頼。私にはそれができる女性がいる。それは凄いことで、凄く幸せなことなんだ。
なるほど。だから私はいまとても気分がいいのだ。
つまりはそういうことなわけ。
「へへへー」
GWいかがお過ごしでしょうか?
私はマスクをして近所のスーパーに買い物に行きました。それだけです。それだけ…いや、泣いてないし。自重は大事。だいじだいじ。
このっ、珍型コロナめがっ。くそう。
さて。肉を食べてジェラートを食べて酔っ払って一話を終えました。そしてこの長さ。もはやさすが私と言うべきか。
読んでくれてありがとうございます。