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woman  作者: しは かた
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第一話

続きです。

よろしくお願いします。

 


 私は扉の前にいる。

 この先は、人によっては異質な空間なのかもしれないけど、私のような人間にとってはとても居心地の良い空間。私達の世界。

 私は手を伸ばし、私達の世界の扉を開けた。


 扉に付いている小さな鐘の音がカランコロンと鳴る音を耳にしながらバーに入っていくと、そこには既に数人の常連さんがいた。直ぐに私に気づいて手を振っている。


「あ、さっちゃん」


貴子(たかこ)由紀(ゆき)さん。みんなも久し振り」


「ね。それにしてもさっちゃんは相変わらずかっこ綺麗だね」


「そうかな?でもありがとう」


 彼女達の側まで行って少し言葉を交わしたあと、いつものカウンター席に行こうと目を向ける。するとそのカウンターの端の席に、まだ早い時間にも関わらず燃え尽きてカスのようになって伏せっている女性がいた。


「…あちゃー、あれ、(あおい)さんだよね?」


「そうなのよ」


「またみたいよ」


 カウンターの方を指差して訊いてみるとみんなが頷いた。

 私の話を聞いてもらいにここに来たんだけど、どうやら先客がいたようだ。




「こんばんは(なぎさ)さん」


「さっちゃん、いらしゃい」


 燃えカスの隣り、いつもの席に着くと、これまたいつものようにこのバーの店長、渚さんが私を迎えてくれた。


「いつものでいい?」


「はい。あと、適当になにか摘むものも。少しお腹に溜まるやつで」


「はいはい。ちょっと待っててね。おーい、ななこー」


 今、奈々子ー、バゲットとパテお願いねーと、一度奥の方に声を掛けてから私のお酒と摘みを用意してくれている渚さんは、とてもそうは見えない四十二歳になる美魔女。

 初めてこのバーに来た時に、本当は三十前半ですよねと真面目に訊いてみると、でゅふふふふと変な声を出しながら凄く喜んでいた可愛らしい女性。

 いつも柔らかい笑顔で私達を迎えてくれる、見た目も性格も少しふわふわしているビアンで優しい美魔女さんだ。

 八年くらい前、身体を壊してしまったこのバーのオーナーに請われて企業勤めの社会人から水商売の世界に入った、少し変わった経歴の持ち主でもある。

 渚さんは元々客としてこのバーに通っていて、その頃から誘われていたのよと言っていた。



 例によって会員制のこのビアンバーはあまり広くない。カウンターが六席と四人がけのテーブル席が五つあるだけだ。

 それなのに、私は満席になっているのを見たことがない。


「経営大変じゃないですか?」


「全然余裕」


 少し気になったのでそれについて訊いてみると、渚さんは親指を立てて不敵に笑っていた。

 確かにここは掛かる金額がお高めだし、いつも適度に席が埋まっていて、客としてストレスを感じるほど混んでいるわけでもなく閑散としているわけでもなかったなと、私は思い当たって納得した。



 このバーに通う常連客の中では三十歳の私は下の方で、このバーで働く四人の女性は皆、私よりも歳上だ。

 つまりこのバーの年齢層は、掛かる金額と同じで客もバーの関係者もほんの少しだけ高い……のかも知れない。

 ちょっとだけ。本当にほんのちょっと高いだけだから。


「さっちゃん」


「な、なんですか?」


 口に出していない筈なのに、私の思考に鋭く反応した渚さん。私のお酒と摘みの野菜スティックを持ったまま私から視線を外さないでいる。少し怖い。


「えっと、わたし、何か言ってましたか?」


「ねぇ、高い高いって何のことかな?」


「ぶふっ」




 オーナーの意向と渚さんの好み、それと、年齢層がちょっとだけた、た、高いからだと思うけど、このバーはいつも落ち着いた雰囲気が漂っている。

 流れている音は優しく心地よく耳を撫でていくだけで、会話をするために声を張る必要もなく無駄に騒がしくもない。

 はしゃぎたい女性や盛り上がりたい女性は他の店に行くし、やけにがっついた感じの、一夜のことだけを目的とする女性もいない。このバーの雰囲気や私を含めた通う客達がそれを許さない。

 客が店を選ぶように、このバーも何気に客を選ぶ。もしも静かに落ち着いて話をしたり飲みたいと思うのならここにくればいい。


 時間がゆっくりと、そして静かに流れていると思わせてくれるこのバーを私はとても気に入っている。私だって気を張らずにゆっくりと過ごしたい時もあるから。

 それはきっと、私の歳のせいもあるのだろう。私は三十歳。だからまだオバサンではないけど、ほんのちょっとだけ年齢が高めだから。

 何にしろ、私にはこのバーの落ち着いた雰囲気が合っていると思うようになった。つまりは歳相応ということだ。


「さっちゃん」


「ひっ」






「美味しい」


「そう?よかった」


 あまり待たずにやって来たお酒と野菜スティック、切られた小振りのバゲットとレバーのパテを前にして、私は手を合わせていただきますと呟いた。

 それから置かれたお酒を一口飲んで、人参にマヨっぽいディップをつけてぽりぽりとそれを囓りつつ隣りに視線を向けた。


「どうやら葵さん、また振られたみたいですね」


「そうなの。なんでこの子はわざわざ苦労するのかなぁ」


「ほんとそうでよすね」


 渚さんは溜息交じりにそう言って、葵さんに視線を向けて困ったような顔をしている。葵さんのことを気にしているのだ。

 確かに葵さんは恋愛に関しては苦労人だから、する恋愛のせいで今のように燃えカスになってしまっていたら心配もするし気にしてしまうのは理解できる。

 こんな姿を見せられたなら、私だって気にしないではいられない。今となっては尚更気になってしまう。


 私は左手を伸ばして燃えカスのか……のようになっている葵さんの髪を撫でた。

 葵さんはうーと唸っている。


「恋愛相手は他にいっぱいいるのにね」


「そうなんですよね」


 渚さんをはじめとして、店員さんや私を含めたこのバーの常連が葵さんの恋愛に幸多かれと願っているんだけどそれには訳がある。


「恋だからね、仕方ないんだけど」


「そうなんですよね」


 私よりふたつ歳上の葵さんはどういう訳かストレートの女性に恋をすることが多い、と言うか葵さんと知り合って以来、私はそれ以外知らない。

 その恋のせいでいつも始ってから終わるまで、もの凄くエネルギーを使ってしまう恋愛をしている。

 そして葵さんは恋をする度に、ついに見つけた運命の人だとか、今度こそずっと一緒に居られるはずとか、このバーでとても嬉しそうに宣言しながらも、最終的には振られてしまって今夜のようにカウンターの端で燃えカスのような姿になっていたりする。

 私が葵さんの燃えカス姿を見るのは今夜を入れたらもう四度目になる。

 その姿をじっと見つめていると明日は我が身と思わないでもない。




 その葵さんはグラスを掴んだままカウンターに突っ伏しながら、たまにうーとかあーとか唸っている。

 私の手は変わらず葵さんの髪を撫でていて、渚さんは優しい目をして私達を見ている。


「だいぶ飲んだんですか?」


「そんなことないよ。ただね、強いヤツをね。それが二杯目」


「あー、そうでしたね」


 葵さんはあまりお酒が強くない。見れば掴んでいるグラスには三分の二くらいのお酒とオリーブが入っている。

 どうやらグラスの中身はドライマティーニのようだった。側にチェイサーは見当たらない。

 渚さんの作るドライマティーニはなかなかにキツイから、葵さんは一杯で撃沈してしまったのだろう。いや寧ろよく一杯空けたなと思う。


「渚さんの作るやつは私でもキツイから」


「あら?さっちゃんのは特別なのよ。気付いてなかったの?」


「えっ」


 渚さんはイタズラが成功して嬉しいわと、凄く嬉しそうだ。どうやら私のだけを異様にキツく作っていたらしかった。


「なんで?」


「だって、さっちゃんがベロンベロンになっている姿を見たことなかったら、ついね」


 ぺろっと舌を出しつつも、ごめんねと両手を合わせている渚さん。私は笑って全く気にしてないことを伝える。


「あはは。いいですよ。特になんともないし」


 私は(ざる)蟒蛇(うわばみ)だ。気持ち良く酔ってはいるけれど、お酒のせいでベロベロとか燃えカスのようになったことはない。でもそれは自分でも気をつけていることではある。

 私のことを知らない会社や友人達との飲み会では、私は限界が来るずっと前にもうお腹いっぱいとか言って飲むのを止める。

 酔ってタガが外れて何か口走ったり態度に出したりするわけにはいかないし、帰宅するのが億劫になるのも面倒で嫌だから。

 だから私が色々と気にせずに気持ちよく飲める場所はこういったバーだけになる。


「やっぱりそれも平気なの?」


 渚さんが私のグラスを指していた。濃いなとは思うけど、私にはいつもの味だし美味しいし特に気になることもない。


「はい。美味しいですよ」


「本当に?それ、結構がんばって作ったんだけどな。さっちゃん無理してない?」


「全然余裕」


 私は不敵な笑みを浮かべながらグラスを置いて親指を立ててみせる。

 渚さんは私を見て凄く呆れた顔をしている。

 葵さんはうーと唸っている。





 こうしてお酒を何杯か飲んで、摘みを綺麗に平らげたあと、私は渚さんに話を切り出した。


「実はわたし、葵さんのことなにも言えなくなっちゃって」


「ん?どういうこと、ってさっちゃん。まさかさっちゃんもなの?」


 渚さんは驚いた顔をしたあと、それを顰め面に変え、右手で両のこめかみを抑えてため息をついた。顰めた顔とその態度で表現するのは呆れているとは違う別のもの。


「ええ。まあ」


「絶対にやめておきなさい、と言いたいとこだけどね」


「そうなんですよね」


 渚さんの態度に表れていたものは諦めだった。素直に頑張れとは言えないよ、ということだ。それは分かる。こうなるまでは私も同じだったから。


 恋をするなら私達と同じビアン同士ですればいい。それなら何の問題もなく気楽で楽しく過ごせるのにと、葵さんを見ていてそう思っていた。いや、今もそう思うけども。

 でも、私が好きになった女性はストレート。だから、葵さんに対してどの口がそれを言うのかと自分でも呆れてしまう。この歳になって恋愛で冒険するのは本当にどうかと思う。



 私は屋敷を気にしている。恋という意味で。

 屋敷は元々私のお気に入りの同期で、いい話し相手であり、相談相手であり、楽しい遊び相手だ。

 時には仕事について泣き言を言って困らせたり言われて困ったり、話題の場所に遊びに行ったり、ランチを賭けて営業成績を競ったりもする。屋敷が勝った時はケーキとかパフェとかアイスとか大福とかタイ焼きとか甘い物ばっかりだけど。


 うまーい、幸、コレすっごくうまいよと、甘い物を頬張る屋敷は確かに可愛いいと思う。

 話していて楽しいし、無理に合わせる必要のない、一緒にいて楽で居心地がいい相手なのも確かだ。

 ふたりで飲みに行けば、お酒でほんのり頬を染める屋敷はやけに綺麗で艶もあって、その姿に何度もどきっとさせられたことも確かにある。


 でもそれはもう何年も見ていた姿だった筈だ。それだけで心を動かされた訳ではないと思う。屋敷はストレートだと、私とは違うんだと、私はちゃんと線を引いていたんだから。

 じゃあ何で今頃になって、知り合ってもう八年も経つ今なのか。


 屋敷も変わっていた。昨日ふたりで飲んだ時の屋敷が持つ雰囲気は今までとは違うものだった。

 隠していたモノを幸に見せる、だからよく見て欲しい。そんな感じだった。

 もしかしてと、屋敷の方から初めてそう思わせるように振舞っていた。

 屋敷は少しはしゃぎ過ぎのような気もしたけど、私にはそんな屋敷がとても可愛く見えて正直ヤバかった。


 だからついあんなことをした。昨日、酔って眠ってしまいそうな屋敷を部屋まで送って寝かしつけたあと、私は自分の気持ちを抑え切れなくなってしまった。

 そのあと暫く部屋から帰らずに、少し苦しそうに寝ている屋敷を眺めながら、もう認めるしかないと思った。



「悩んでいるならやめておきなさい」


 私はいつの間にか俯いていたらしい。やけに鋭い渚さんの声が聞こえて顔を上げる。今の渚さんにはふわふわした雰囲気は無くて、その表情は真剣そのもの。ありがたいことに。


「いや、悩んでいるのは理由です。気持ちはもう決まっているので」


 私が屋敷を好きなことは、寝ている屋敷に衝動的にしてしまったキスでもう確信できている。進むか戻るかも、もう既に決めている。

 ここまで決めているのなら、いま悩んでいる理由なんてべつに気にすることはないかも。

 私は真っ直ぐに渚さんを見つめた。


 そんな私の顔を見て、渚さんは大きくため息をついたあと再びふわふわした雰囲気を身に纏って優しく微笑んでくれた。


「そっか。それならもう何も言わない。その人に振られて泣くまで頑張って」


「なななっ」


「間抜けなあなたにはこれくらい言わないとね」


 そう言って渚さんはふふふと笑っている。

 私は呆気にとられて何も言えずに口をぱくぱくさせている。

 葵さんは今、くーくーと寝息を立てている。




「渚さん、わたし今ちょうど三十歳なんですけどね」


「それが?」


 私の話がひと段落ついたところで、私はグラスを空にしてからふと思い至ったことを話してみることにした。

 渚さんは空のグラス素早く下げて、すぐにお代わりを用意してくれた。

 私は置かれたグラスを手に取ってこくこくとふた口ほど飲んで、それを手で玩びながら話を進める。


「ちょうど三十ということは、アラサーじゃなくてジャスト三十、つまり、ジャスサーということになると思うんです」


「ふむふむ。それで?」


「ということは、私はまだ三十を超えていないということになりますよね?三十ぴったりだから」


「そうなるのかな?まぁいいや。それで?」


「世間一般、特に若い子からは、私のような歳はもうおばさんて言われています」


「まぁそうよね。それで」


「けど、わたし、おばさんて呼ばれるのは三十一からが正しいと思うんです。だから私はまだおばさんと呼ばれる年じゃないことになるんです」


「へー。なんで?」


「いいですか、よく聞いていてくださいね。いきますよ。おばさん、オバサン、オーバーサン、Over3…じゅう。ほらね」


「ほらねと言われても困るけど」


「あれ?伝わらない?三十ちょうどは三十を超えていないでしょ。オーバーしていないからおばさんじゃないでしょ?」


「でしょと言われても困るけど」


「あれ?なんで伝わらない?」


「なんで言われても困るけど」




 何で伝わらないのかと、がっかりしながら隣の燃えカ……葵さんに目を向けると、いつの間にかこちらを向いてカウンターに突っ伏して寝ているその口から何かが出ているのを見てしまった。


「渚さん大変。葵さんの口から魂が抜け出てる」


「魂って、さっちゃん…あららほんとだ。これってさ、エクトプラズムってやつかな?わたし初めて見たよ」


「わたしも初めて見た。なんか怖いですね」


「冗談は置いといて、ねぇ、さっちゃんこれってさぁ……」


「量は多いけど、透明だからヨダレかなと」


「ヨダレ?……だよねっ。うん。そうよね。ヨダレよね。あーよかったぁ」


 何と勘違いしたのか、渚さんはあからさまにほっとした顔をして布巾を手に取っていた。

 ほっとする気持ちはよく分かるけど。





 帰宅した私は、ベッドに転がって帰り際の渚さんとの会話を思い返している。

 そう考えたことはあったけど、やはり屋敷は違うと私が思い込んでいたこと。



「ねぇさっちゃん。さっきの話なんだけど、その子ってほんとにストレート?」


「ええ。私の優秀なセンサーには反応しなかったですね」


「ふーん。そうなんだね」


 渚さんは首を傾げて腑に落ちないなという顔をしている。

 確かに昨日の屋敷は怪しかったけど、今までずっと屋敷は違うと思っていたから、昨日怪しかったからといって、それだけで屋敷をビアンだと決め付けることはなかなか難しい。

 だからこそちゃんと確かめないといけない。私は屋敷を見る目を変えるつもりでいる。


「なんでそんなことを?」


「話を聞いていてそう思っただけだよ。その子の言葉とか態度とか、私達とそんなに変わらないなって」




 私はベッドから起き出した。そのままソファに座って、家でしか吸わないことにしている煙草を手に取った。


 もしも屋敷がビアンだとしたら、屋敷は八年も上手く隠してきたことになる。優秀な判別センサーを搭載しているこの私から……やるな屋敷、なんちゃって、あはは。



「凄いね屋敷は」


 煙草の煙を燻らしながら思ったことを口に出していた。訊いたところで意味はないけど今なら訊ける。


「屋敷。あなたはどっちなの?」





読んでくれてありがとうございます。


追記 12/20 0:25

ブックマークありがとうございます。

書き忘れるとか本当にごめんなさい。m(__)m

お詫びになるかはわかりませんが、次話は早めに投稿します( ̄^ ̄)ゞ


評価してくれた方、ありがとうございます。


しは かた

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