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woman  作者: しは かた
28/102

第二十四話 前

続きです。

今回、さすがに長すぎたのでキリの良いところで前と後とに分けてあります。

こちらが前になりますので、こちらから先にお読みください。


よろしくお願いします。

 


 バーに入っていつものテーブル席に目を向けると既に恵美さんと由子は席に着いていて何やらお喋りをしている。ここからでは恵美さんの顔しか見えないけれどやけに真剣な表情をしている。対面している由子は少し小さくなっているように見える。


「あー、あの感じは…」


 由子も大変だねと同情しつつ恵美さんのキャリアなウーマンモードに少しひきながらも、私は顔見知りの常連さんや店員さんに久しぶりーとか今晩はーと手を振って挨拶をしながら二人の側にとことこと近付いていく。


「その甘い考えは捨てた方がいいわね」


「うっ」


 そんな会話が聴こえてくる。


「うげぇ」


 私は、やっぱり終わるまでカウンターにでもいようかなぁと思ったけれど、私は恵美さんの斜向かいの席、由子の隣に黙って腰を下ろした。


 私には恵美さんの邪魔をするつもりはないけれど、このまま由子をひとりにしておくのも何かアレだし、せめてそのモードが終わるまで口を挟まずに大人しく由子の隣に座っていることにしたのだ。私が隣にいれば、それだけで由子は心を強く持てると思うから。たぶん。


 それに何といっても沈黙は金なのだ。まぁまぁ恵美さん落ち着いてとか言って下手に口を出してしまうと私まで、仕事に手を抜いてるわねとかもっとできる筈よとか言われてしまいかねない。それは勘弁してもらいたい。私には私のペースがあるのだから。もっとできるできないは関係ないのだ。


「ああ夏織、お疲れ」


「恵美さんお疲れさま」


「夏織さんっ、いいところへ」


「なんだそれ。ふふふ」


「だって恵美さんが…」


「だね」


「夏織さん、止めてください」


「へいきへいき」


「なにがですかっ?」



 仕事の帰り、私はバーにやってきた。

 この前は由子の話で終わってしまって詳し話を聞けなかったから、夏織と幸さんのことをちゃんと聞きたいんだけどいいかしらと、恵美さんからお誘いというか催促というか、メッセージがやって来たからだ。そのメッセージには由子も誘ったからねとあった。


 そのお誘いは私にとっても都合が良かった。まさに渡りに船という感じ。

 私は、私と幸がこれから採るべき限られた選択肢について、既に恋人の陽子さんと暮らしている恵美さんに相談というか何かアドバイスをして欲しいなと考えていたし、それは今の由子には想像すらできないことかもしれないけれど、いずれはきっと由子の役に立つ筈だから。




「それで。由子、いいのよね?」


「あの、えっと」


 私が席に着いたあとも恵美さんの話は続いている。がんがん迫り来る恵美さんのトークに由子はたじたじでもはや風前の灯火のようになっている。

 私はそれを横目に店員さんを掴まえてビールと定番の野菜スティック、それと、凄く気になる本日のおすすめメニュー、何かのパテにパンを添えてとやらを頼むことにした。


「ねぇ。この何かってなに?」


「えっとね、ちょっと私には分からないの。里香さんが教えてくれないから」


 里香さんは厨房担当の女性。その昔冗談でシェフを呼んでくれと言ったら、何かありましたかと出てきてくれたお茶目で綺麗な四十ウン歳になる女性だ。里香さんの作るヤツはどれも美味いから私はそれを頼んでみることにした。


「そうなんだ。まぁいいや。じゃ、これもお願い」


「はい」


 この、何かとは一体なんだろうと気になって私がそれもと注文したとき、由子がぴくっとして、私もそれ気になってました的な反応をしたのがちょっと笑えた。


「あ、それ」


「なんだろうね。でもたぶん美味いよ」


「そうなんですか?」


「ちょっと由子。あなた真面目に考えてる?」


「あ、はい。すすすいまそん」


「ふっ、ふふふっ」



 この二人は私と幸が旅行に行った週末にもう一度ここで会っていた。その様子を知るに、どうやら由子も私と同じように恵美さんに懐いたようだった。

 それは凄くいいことだと私は思う。恵美さんはちゃんと話を聞いてくれる。不自然に遮ったりつまらなそうにしたり適当に相槌を打って流したりなんてことを絶対にしないから、抱えたものや思っていることを素直に吐き出すことができる。


 そして恵美さんは、私はこれこれこうだった、だからこうしたのよと自分の経験に照らして話をしてくれる。だから恵美さんのしてきたことが正解だったかどうかなんて関係なく、いちいち納得できるし共感できる部分も多くある。私もそうできるかなとかそうなりたいなとかそうしてみようかなとか思えて、自身が採れる選択肢が増えていく。私はそうだったし、今もありがたかったなと思っている。

 それに恵美さんは、やたらと厳しいキャリアなウーマンモードに入ってさえいなければ、凄く面倒見が良いし頼りになるし優しいし、そして何より私を励ましてくれて精神的に凄く楽にしてくれた恩人でもあるし、凄く素敵な大人の女性でもあるのだから。


 一応言っておくけれど、私が由子の相手をするが面倒くさいと思っているとかじゃないから。


「そうそう」


 だって私はといえば、素敵な大人の女性に日々成長しつつあるとはいえ、所詮はまだ途上の段階だし、取り立てて優しいわけでもないし優しいねなんて言われたこともないし、面倒見が良いともいえないし言われたこともないし、適当に相槌を打つこともままあるしよく毒を吐くと陰で言われているし、実際吐くし、そして何より私はどう足掻いても、まあまあそこそこな女性でそれ以上でも以下でもないのだから……いや、泣いてないし。


「くっ」


 私はお酒と摘みを待つあいだにそんなことを考えて、私という女性は一体なんなんだろうと思ったけれど、私は私だからべつにいいかとそれをとっとと頭から追っ払って、側から見ている分にはなかなか面白い二人のやり取りを今も黙って眺めている。


「そうね。一度、社にいらっしゃい。実際に見て体験した方が早いから。ね」


「え、はい。あっ…」


「インターンとして働いてみるのもいいわね。そうしなさい」


「え」


「インターンシップは長期の休みの時だけにすれば学業の方は大丈夫よね。うん、そうなるとやはり一度、社に来て手続きしてもらわないと」


 こうしてお喋りをしているというか恵美さんがぐいぐいと話しているのを由子が戸惑いながら聞いている様子に、この分なら二人はもっと仲良くなれるだろうな、よかったよかったと、私はうんうんと頷いていた。



「夏織さんお待たせしましたー」


「あ、莉里ちゃんありがと。相変わらず元気いいね」


「それだけが取り柄ですからー」


「なに言ってんの莉里ちゃん。いいところいっぱいあるでしょ。わたし知ってるから」


「サンキューでーす」


 莉里ちゃんは元気よく笑顔で去っていく。彼女は周りが見えてよく気の付くほんとにいい子なんだよなぁと、私はその後ろ姿を見送った。


「じゃ、いっただっきます」


 二人はまだ話をしているし、私はそれが終わるまで勝手にやっていようと、やって来たビールをごくごく飲んで定番の野菜スティックにマヨをつけていつか見た記憶のあるアニメのウサギのようにあむあむあむあむと人参を齧る。

 つい、よう、何やってんだい?とか言いたくなる。

 それから何かのパテをパンに塗ってそれも齧る。それを口に入れた瞬間、ああっとか呟いた由子の視線も感じる。


「うん。美味いなコレ」


 何かは分からないけれど、美味いなと何かのパテを塗ったパンを齧りつつ、私は再び恵美さんと由子の会話に耳を傾ける。


「春休みはもう無理ね。じゃあ、夏休みにインターンシップを利用すればいいわね」


「あ、あのですね」


「じゃあ決まりね。休みのたびにウチで働いて、卒業したらそのままウチに就職しなさい。私の枠を使うわ。当然、採用試験は受けてもらうんだけど」


「あ、あの、えっと」


「なに、心配なの?由子なら大丈夫よ。絶対に採用されるわよ。それは私が保証する」


「ええと」


「インターンシップのあいだは私が手足のようにこき使って即戦力になるように育ててあげる。この私が直々にねっ。ふふふ」


「あああっ」


「ああ、今からとても楽しみだわ。ふふふふふ」



 さっきからずっとそんな感じ。

 今、キャリアなスイッチが入って、優秀な人材を確保できたわと嬉しそうに笑っている恵美さんに、いま頭を抱えている由子はまだ慣れていないらしく、話がどんどん進んでしまっていくことに明らかに戸惑っているのが分かる。お願いですからどうにかしてくださいと助けを求めて私を見ている。


 けれど私は首を横に振った。こうなってしまった恵美さんは暫くは止まらないし止めることはできない。そんなことをしては怒られちゃうし確実に矛先がこっちに向いてしまう。私はそれを知っている。だって私は経験者だから。


「こわい」


 それにこの状況は、恵美さんと仲良くなっていく過程でどうしても通らなければならない道、つまりは通過儀礼みたいなものなのだから仕方ない。


 む り。


 私は声を出さずにそう口をぱくぱくと動かした。そしてせめてもの手向けにと、ゆるふわな優しい笑顔を由子に向けて が ん ば れ と、また口だけを動かして励ましてあげた。言われた記憶はなくたって私は優しいのだ。

 それを見た由子は、見捨てられたと驚愕した顔をじんわり赤くしながら私を真似て、がびーんと、声を出さずに口を動かした。


 いま時がびーんとか寒いけどウケるんですけどと、この子はほんと面白いなぁと私が感心していると、ちょっと由子、余所見をしないでちゃんと話を聞きなさいとか言われていて、由子は諦めたように恵美さんに顔を向けた。


「くくく」


 気の毒な気もするけれど笑えてしまう。だから私はこの状況を静観しながらくくくと忍び笑って楽しむことにした。



「あら?その顔、もしかして由子は嫌なのかしら」


「い、いえそんなことはないですけど」


「なら決まりね」


「うっ…はい」


 とうとう決まっちゃったのかと、私は思わず声を出して笑ってしまう。どうしても忍べなかったのだ。


「くくくくく」


「夏織。何がおかしいの?」


「いや、だって決まっちゃったから」


「き、決まってません」


「決まったわね」


「由子、私はいい話だと思うけどなぁ。くくく」


「そんなっ。夏織さんまでっ」


「あのね由子。この際、無理矢理とか強引とかそんなのどうでもいいと思う。私達にとって安定した収入源の確保は凄く大切なことだから」


「そうよ」


「うっ」


「まぁ、やりたいことがあるならべつだけど」


「そうね」


「…特にないです」



 結局、由子は何かを諦めて恵美さんの話を受け入れた。取り敢えず今のところはだ。由子は利発で頭がいいから私達の言い分、私達が抱える将来的な不安を理解できたのだろう。

 まぁ、そうは言っても、まだ学生で若い由子には四十年も先にある老後のことなどしっかりとイメージできるわけもない。私自身もそんなところがあったと思う。


 けれど、いずれ社会に出て、ビアンな私達も含めて、いろんな人と出会い色々と経験していくうちに、私と恵美さんの言うことは良くも悪くも正しかったのだということが分かる。分かってしまう。


 私達の言い分は若い者を諭す的な、なんとも凄く年寄り臭くて老婆心染みているけれど、私達の立場がいつまで経っても無い無い尽くしなのだからそうなってしまうのは仕方ないことなのだ。自分のことは自分が守ってやらないといけないのだから。


「くそう」


 私は、それがいいことかどうかは置いておいて、そうやって諦めることも由子の中の何かを成長させるんだからねと、励ますように由子の肩に手を置いた。




「ああそうだ」


「こわっ。な、なに?恵美さん」


 恵美さんは由子ついては満足したらしく、次はお前だぞと私に顔を向けた。

 その目はまだキャリアなウーマンのそれだ。これはヤバい、私に飛び火するかもと私は身構えて警戒する。


「超こわい」


「なに言ってるの夏織。あなたにも話があったのよ」


「話って?わたし怒られるのいやなんだけど」


「違うわよ。夏織、あなた転職しない?ウチにいらっしゃいよ」


「は?」


「私の下に。もちろん直でよ」


「げ」


「なによ、げって」


「げ、げっぷです。たぶんビールのせいじゃないかなぁ。ごめんなさい。粗相してしまいました」


「ぷっ」


 私は正直者で素直な性格だから恵美さんが直の上司はあり得ないしと、つい嫌そうにしてしまった。それを誤魔化せたかどうかは分からないけれどとにかく頑張ってやってみた。当の恵美さんはまだ疑いの目を私に向けている。由子はぷっと吹き出していた。


「まったくっ。まぁいいわ」


「え、いけた?」


「ぷぷっ」


 それでもこの意外な展開に私は間抜けな顔をして、恵美さんは真面目な顔をして互いを見つめている。

 視界の端に映る由子はぷぷっと笑ったあと、恵美さんの標的が私に移ってよかったとあからさまにほっとした顔をして我関せずとグラスに手を伸ばしている。ついでに野菜スティックと何かのパテをもらってもいいですかとそれを交互に指差している。

 私はちらっと由子を見ていいよと頷いた。私はよく食べる子は嫌いじゃないの。



「恵美さんそれ本気で言ってる?」


「当たり前でしょう」


「そっかぁ」


「どう?考えてみて」


「考えるよ。けど恵美さん、その話はあとでね」


「逃げるの?」


「あとでちゃんとするって」


「…そう。ならいいけど。真剣に考えてほしいのよ」


「分かってるよ恵美さん」


 私が真面目な顔で頷くと恵美さんは取り敢えず納得してくれた。私は警戒を解いて脱力してグラスに手を伸ばしてビールを飲み干した。

 それを見ていた恵美さんもお酒に口を付けている。由子はいただいてますと私のパテに手を伸ばしている。その口元にはきゅうりなのかセロリなのか、マヨと一緒に食べかすらしきものが付いている。


「腹ぺこか」


「へ?」


 それに気付いた私はツッコミを入れておく。

 由子がそのツッコミにきょとんとしていると、優しい恵美さんは自分の口元を指して、ここ、ここと由子にやってあげていた。


「付いているわよ」


「うわ、ほんとですか?」


 私は分かってしまった。なるほど由子は食いしん坊キャラなのだ。となるとあの伝説の寝言を言ったこともあるに違いない。

 それなら幸もよく食べる方だからそのうち伝説の寝言を口にしてくれる筈だ。そう思うと笑えてしまう。


「あ。真希さん、注文いい?」


 ふふふと笑みを浮かべながら私は新たなお酒と摘みをもらおうと、側を通っていこうとしていたすらっとして背が高くて男装の麗人っぽい店員さん、真希さんに声を掛けた。その時に二人はどうすると訊くのも忘れなかった。



「謎なそれ、美味いよね」


「はい、美味しいです」


「恵美さんも食べてみてよ。美味いから」


「ありがとう、いただくね」


 皆で何かのパテをもぐもぐやっていると、私と恵美さんそして由子が頼んだお酒と摘みがやって来た。それらを適当に口にしつつ、私は、再び転職しろしろと言い始めた恵美さんに、私と幸が恋人になるまでの経緯を聞きたかったんでしょと、先ずはその話をした。


「以上です」


「幸さんはビアンだったのね」


「うん。恵美さんの言った通りだった。さすが」


「ふふふふ。夏織、本当によかったわね」


「うん」


「うらやましいです。でもよかったですね」


「うん。二人ともありがと」



 こうして恵美さんへの報告を済ませた私は、二人の祝福をひとしきり受けたあと、真面目な口調で恵美さんに声を掛けた。


「それで恵美さん、さっきの転職の話も含めてちょっと相談があるんだけど。いいかな?」


「もちろんいいわよ」


「あの、私は居てもいいんですか?なんなら外しますけど」


 由子が席を立とうとしている。私は気にするなと由子の腕を掴んだ。


「気を遣わなくていいよ。きっと由子にもためになる話だし。ね、恵美さん」


「いずれはそうね。じゃあ夏織、聞かせてくれる?」



 恵美さんは優しく微笑んで私を促した。キャリアなウーマンは今は影を潜めている。きっと、聞いてくれたあと一緒に考えたり悩んだりしてくれるつもりでささっと切り替えたのだと思う。


「うん。ありがと恵美さん」


 私は先週末、幸とした話をし始める。

 それをしながら、微笑えんでいる恵美さんを見て、この女性はほんとうに頼り甲斐のある私にとってもう一人の姉のような存在なんだなと、私はあらためて思うのだ。


「それでね」





後に続きます。


読んでくれてありがとうございます。

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