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woman  作者: しは かた
26/102

第二十二話

続きです。長いです。


よろしくお願いします。

 


 ずずずーっ


 私は今、幸を待ちながらだだっ広い例のスペースでコーヒーを飲んでいる。


「あー、美味い」


 午後四時半。私は窓際のひとり掛けの席に座っている。ここはもはや私の席だと言っても過言ではないと思う。右隣は幸の席。そこもまたそう言えると思う。

 そして目の前のテーブルには今はなき、かつてのヨコハマ的なミルフィユ、十二個入りの箱がある。味が変わってしまったかはよく分からないけれど私はこれが好きなのだ。サクサクで甘くて美味いから。

 ここにくる前に管理部に顔を出して花ちゃんに三つあげたからもう既に六つなくなっているけれど、私は構わず四つ目を食べている。


「うん、やっぱ美味いなコレ」


 もう分かっていると思うけれど私は食べ過ぎてなんかいない。あり得ないから。だってコレ細くてちっちゃいから。私としてはもう少しボリュームがあってもいいんじゃないのかなぁと思っているくらいだから。


「そうそう」


 もうすぐ幸がやってくる。その幸を待つあいだ、私はミルフィユ片手に幸とのこれからについて考えているところ。


「うーん」


 恋人になって、付き合い始めて約二ヶ月。そこだけ見ればまだ早いと思われるかもしれないけれど、知り合って仲良くなって、わちゃわちゃ過ごしてもう八年も経つのだから、そういう意味でも私は早いとは思わないし、私には八年のうちの三年間、幸を想い続けた日々もある。

 それに、私はこれからの人生を幸とともに生きていくつもりだから、私と幸のこれからをこんな感じで進めていこうかなとシミュレートしておきたいのだ。


 そうやってひとつひとつしたいことやすべきことを挙げていけば、私達には何が足りなくて何が必要で何が問題なのかとか、そういったものが具体的に色々と見えてくる筈だから。


 まぁ、それがなんなのかなんとなく分かっているし、それが見えたからといって残念ながら私達はストレートのカップルの様に簡単で単純で明解な話になることはない。面倒で厄介なことばかりで、何ひとつすんなりといくことはない。

 ことこれに関してはストレートの人達をべつに羨ましくなんかないんですけどとは決して言わない。私は全然平気だからと強がることもしない。


 物事はいつだって簡単で単純で明解であることが一番いいのだ。誰が好き好んで面倒なことをしたがるのか。

 まったくふざけた話だと思う。私は恋人の幸と先に進みたいだけなのに、その先には高いハードルがいちいち待っている。本当に面倒な話だしそのことだけを考えてしまうととても嫌になるし、正直、気持ちも萎えてしまう。


「はぁ」



 けれど私達はそういう星の下の元に生まれているのだ。その星はいくら避けようとしても、頭の上を離れずについてくる逃れようのないものだ。それについてはもう私の中でケリが付いているのだから、今更それを嘆くことなんて私はしない。そして、いくら面倒で厄介であってもそこに幸を加味すると、私は俄然やる気になるし頑張ることができる。それは幸を愛すればこそだ。


 私が人生を閉じるまで幸が私の傍に居てくれるのならこの先ふたりで生きていけるのなら、そのためなら何だって…かどうかはともかくとして、私がやれることはとことんやるつもり。


「頑張るぞ」


 私達がこの先に進むにあたって多くの面倒くさくて厄介なことがあっても、まあまあそこそこの私と優秀で聡明な幸とふたりでならきっと何とかなるだろうと私にはそう思えるのだ。


「そうそう」




 そんな決意を新たにして私は実際のところ、これから幸とどうしたいのかと考える。


 幸と一緒に住むこと、暮らすこと。これは当然でそのためには一緒に住める家を借りなければならないわけだけれど、ここでいきなり面倒くさい。掛ける労力と結果が見合うとは限らないからだ。


「なかなか大変なんだよなぁ」



 そもそもやる気のない不動産屋さんに当たってしまえば、難しいと思いますよとか言われて門前払いされるとか、もしそこを上手く切り抜けたとしても大家さんが認めてくれなければ、結局、話にもならない。

 普通に探せば大体はそんなもの。ルームシェアとかいったとしても二十歳かそこらの学生さんとかならまだしも、私達はもう三十歳。中々に厳しいものがある。


「くっ」


 それでもちゃんと調べてみると、私達のような人種、私はこの纏められ方はあまり好きじゃないから使いたくはないけれど、LGBTにも寛容なというか、多く住んでいる地域もあるようだし、不動産屋さんによっては結果はどうあれ親身になってくれたりLGBTについて理解して前向き探してくれる不動産屋さんもあるはある。それでもやはり結局は大家さん次第になってしまうことが多いみたいだけれど、先ずはその地域でその不動産屋さんを頼りに探してみるのがいいと思う。


「でもなぁ」


 そしてその一方で、私の頭の片隅に借りづらいなら買ってしまえばいいじゃない、どうせ家賃を払うならローンを組んで持ち家を手に入れる方がいいじゃない、なんて考えも浮かんでいる。


「うーん」


 私ひとりなら買えそうな物件を探して借り入れをしてローンを組める銀行を探してと、ちゃんと進めていけば、今の私の年収を考えればそこそこの中古のマンションくらいならいけるだろう。


 けれど、そこで幸と一緒に住んだとして、私に万が一があった場合、相続に関してはパートナーシップ制度でも、長年一緒に暮らした内縁の的なヤツ、事実婚すら認められない私達の関係では、いずれにしても相続なんてできないのだから私は幸には何も残せない。たとえ財産について公正証書で遺言を作成しておいたとしても全てを幸には残せない。遺留分とかいうヤツがあるからだ。そしてもし何もしていなければ法律によって、私の物は全て親の物になる。私は一人っ子だから。


 しっかり者の幸はべつに家なんて要らないよと言うかもしれない。

 けれど、そうじゃない。金銭だけの話じゃない。万が一の時は、遺せる物は遺したいの、あげたいの、そうしたいの。それだけなの。


「うーん」


 あとは、幸とふたりで家を買うことにした場合、確か、ペアローンなんていうものがあったと思うけれど、私達がそれを申し込むにはパートナーの証明書が必要だった筈。必要とあらばそれをと思わないこともないけれど、私の中ではパートナーシップ制度はいまいちな気がしているのも確かなのだ。



「だはああああ」


 萎える。なんとも理不尽でくそ面倒くさい。私はつい、ため息混じりの声を出してテーブルに頭から伏してしまう。ミルフィユを持つ手を出し損ねて、ごちんと音がしておでこがちょっと痛かった。ミルフィユが無事でよかったなと軽く現実逃避をしてみるけれど痛いものは痛い。



「あたたた。いや……でも、ちょっと待てよ」


 と、顔を伏したまま私は考える。

 私がカムアウトした時、父はともかく母は私を認めてくれた。

 夏織は夏織、私の子供、それはこれからも何も変わらないと伝えてくれた。何かあったら教えなさいとも言ってくれた。

 そしてありがたいことに母のその姿勢は今も変わらない。だから母と私は今も変わらず仲が良い。



「…はっ」


 そして私は閃いてしまう。凄い妙案が降りてきたのだ。

 つまり、母に幸を知ってもらって、仲良くなってもらって、今から私の万が一に備えておくというのはどうだろうか。


 もし幸と母が仲良くなってくれたなら、例えば病院についてよく聞く話、入院時の身元保証人にはなれなくても、家族以外は駄目ですよとか会えませんよ的なヤツについては母なら構わないと言ってくれるだろうし、それこそ相続の話も上手くクリアできるのではないだろうか。

 もしも万が一、父がぶうぶうと文句を言ったとしても、母は父よりも強いから母の目の黒いうちはたぶん平気。


 ならそうなると、先ずは母に幸を紹介して仲良くなってもらうのが先なわけだから、幸を近いうちに私の実家に連れて行ってみようと思う。幸と母はきっと気が合う。そんな気がする。


「ふふ、ふふふ」


 私はこの完璧な思いつきにいけるいけるとほくそ笑んだ。


「いける」



 そしていま私は五個目のミルフィユを食べながら幸と母を会わせるのはいつ頃がいいかなと考えている。早いに越したことはないけれど、先ずは幸と母に会ってほしい人がいるんだけどいいかなぁとお伺いを立てておかないといけない。



「夏織、お疲れ」


「あ、幸。お疲れ様」


 やって来た幸はうーむと考え込んでいた私の隣の席に素早く腰を下ろした。やはり右隣りはもはや幸の席だ。ふふふ。

 そしてその手には何やら美味そうなナニの紙袋。きっと勝っつだ。


「これあげる」


「いいの?やったっ」


 そう言われる前から手を出していた私の手に乗せてくれたナニ、きっと勝蔵の紙袋。どれどれと中を覗いてみるとそれは、季節限定のヤツだった。

 乗せられたそれを見ているとなんとなく縁起かいいような気がして、考えていたこととか面倒で厄介なこととかが全て上手くいくような気になってくる。


「ふふっ、きっと勝つぞぅとはね」


「ん?」


 私が何をしていたのかまるまるっと分かっていたかのようなお土産を持ってくるとはさすが幸。


「ううん。ありがと幸。幸にはこれあげる」


「お、ありがとう」


 私はミルフィユ三個を幸の前に置いた。それからほんの少し考えてもうひとつを重ねたそれの上に乗せた。

 全部で四つ幸にあげた。残りはひとつ。けれど私は泣かない。大丈夫。


「おー、増えた。ありがとう夏織。けど無理してない?」


「してないし。私にはこれがあるから」


 私がきっと勝蔵の入った袋を掲げて見せる。幸はそっかと笑っている。


「あ」


 その笑顔を見ながら私はふと気づく。

 一緒に住める家のこととか相続とか先走って色々考えていたけれど、私はまだ幸に伝えていないことがあったというか、一緒に住むとか母に会ってもらうとか、そんな話は先ずはこの先ずっと私と一緒にいてほしいと伝えてからのことだったのだ、と。


 私はまだ肝心なことを愛しの幸に伝えていなかったのだ。馬鹿なの?


「よし決めた」


「何を?」


「週末わかるよ。たぶんいい話だから」


「そっか。なら待ってるよ」


「うん。楽しみに待ってて」



 思い切り愛しさを込めて微笑んだ私の顔を少しのあいだじっと見て、いつものようにかはっと声を出したあと、何かを察したかのようにやけに嬉しそうに微笑んだ幸は、私のゆるふわにやられたのか照れてしまったのか、それを隠すようにぷいとそっぽを向いて頬を両手でぱたぱたとやりだした。

 けれどそっぽを向いても幸の赤くなった頬が少しだけ私の目に入っている。窓にもばっちり映っているのだから隠せる筈もないのだけれど。


「暖かそう」


「なゃ、なゃにが?」


「幸のほっぺた。どうしたの?」


「なゃ、なゃんでもなゃいよ」


 幸はどうやら照れているみたい。にゃじゃくてなゃなところが凄く可愛い。その違いは他の人には分からなくても私には分かる。幸のことだから。

 そんなの当然よねと、そのことに満足する私の顔は自然と綻んでいく。


「ふふふ」


 何が起こるのか幸が分かっているのならそれならそれでも構わない。その時が訪れるまで私も幸も色々と楽しく妄想できるのだから。


「ふー、あっつい」


 幸はいまだにぱたぱたとやっている。




 そして私達はいつものように、おやつを摘みながら暫くお喋りをした。


「でねでね」


「うんうん」


「ね、笑っちゃうでしょ」


「ぷっ、ほんとにね。あはははは」



 今週末、私達は一歩先に進む。もしも勘違いしていたらなんてことは考えない。私と幸は相思相愛、同じ星の下の元で生きている運命共同体みたいなものでもあるのだから絶対大丈夫。いけるいける。







「すごいなぁ」


 二週間振りの幸の部屋。それが部屋の扉を開けてくれた幸に続いて部屋に入ってすぐに私の口をついて出てきた言葉だ。


「お、褒められた」


 べつに褒めたつもりはないけれど、私はいやぁほんとすごいなぁと部屋を見渡している。幸はキッチンに入って買ってきた食材とかを冷蔵庫に入れながらそんなことを言っている。


「褒めてない。いや、褒めたのか?ま、いいけど」


 なんとなく想像できていたけれど、幸の部屋は中々の散らかり具合だったのだ。至る所に服とか服とか下…インナーとか書類とかが、普段、幸が座っている場所や動線が分かるように散乱している。そこには何もないからそれが分かってしまう。

 けれどこのとっ散らかした感じがやはり幸らしいなと、私はくすりと笑ってしまった。


「ふふふ、幸っぽい」


 この惨状を見れば人によっては文句のひとつも言いたくなるだろうし、うわぁとひいてしまうかもしれない。

 けれどここは幸の部屋。幸からすれば、人様に迷惑をかけない限りどうしようと私の勝手でしょうというヤツだ。それは私もよく分かる。


「そっか。ひく?」


「いや、べつに。むしろ燃える」


「あはは。やっぱりね」


 さらに私は分かっていた。この惨状を私に見せたということは、幸は片付けられないというかそのことに無頓着というか、片付けに関しては取り繕うことをやめたのだろう、普段はこんな感じですよと私に見せてくれたのだ。

 さらに幸はこのくらいのことで私が愛想を尽かすことはないと分かっているのだ。

 その通り、それは正しくもあり私にとって嬉しくもあり、やり甲斐を感じるところでもある。


 事実、私は今、この惨状をどうしてくれようかとうずうずしているのだ。そんな私の傍に寄ってきた幸はやる気だねなんて言って笑って私を見ているけれど、当然、幸にも手伝ってもらう。

 だって、ここは幸の部屋。権利には義務も付いてくる。そんなのは当たり前のことだから。


 ね、幸、っと私は幸を見る。


「うっ」


「幸、どうかした?」


「いやぁ、なんか急に寒気が…」


「へいきへいき」


「なんでっ?」


「だって幸だし、あだっ」


「ふーんだ」


「ごめんごめん」



 叩かれた腕を摩りながら、私は続いてキッチンに目を向ける。意外なことに、幸は水周りについては綺麗にしているのだ。

 まぁ、あまり使っていないというのも理由の一つではあるんだけれど。


「ああいうのはやるんだよね」


「さすがに食べかすとかそういうのはね。それにゴミの分別は大事だからさ。ここ、厳しいし」


「なるほど」


 お弁当の容器なんかは洗って重ねて置いてあった。食べ残した生ゴミ的なヤツもその都度処理しているみたい。お酒とかの缶もちゃんと分別されて纏められている。幸には幸の明確な基準があるのだと私は納得している。


「分別とかちゃんとできるんだ」


 偉いねぇと私が幸を褒めると、馬鹿にするなよーとか言いながら幸は私を後ろから抱き締めてきた。その温もりに感じる嬉しを噛み締めつつ、私は気合を入れた。


「よしっ。幸、やるよ」


「う?」


「返事」


「は、はいっ」


「よろしい」



 私はコートを脱いで、やったるでーと袖を捲る。先ずはこの部屋を綺麗に片付けてしてしまおう。伝えたいことはそのあと、落ち着いてから伝えようと思う。


 私は今日、幸に愛していると伝えるつもり。そう。それはまさにプロポーズ的なヤツだ。私はやってやるのだ。

 私はそう決意して、トイレに行こうかなぁとこっそりこの場からいなくなろうとしている幸の背中に引っ付いた。


「逃げるな」


「バレたか」






「ふぅ」


「ふー」


 ごりっ、ごりごりごり


 ごりごり、ごりっ


 そして一時間後、私達はソファに座ってコーヒーを飲み、ザラメのついたシケ気味のお煎餅を齧り、お喋りをしながら労働のあとのひと時を満喫している。


「意外と早く終わったねー」


「ふたりならこんなものでしょ」


「いや、夏織がいればだね」


「まあね」


「あはは。またよろしくね」


「いいよ」


 ばりばりではなくごりごりと口の中が騒がしくて耳に響くけれどこのシケた感じのなんともいえない食感が堪らない。しかも甘塩っぱくて凄く美味い。


「美味しい。みたらしみたい」


「やっぱ甘辛的なヤツは美味い」


「そうだねー」


「あ、ねぇねぇ、そういえばさ、鍵は見つかった?」


「え」


 私は幸に向けて手を出した。くいくいと指全体を動かして達人ブルース宜しくカモンカモンと催促してみる。

 幸は齧っていたお煎餅を咥えたまま固まっているな、と思ったら、にっこり微笑んでソファの裏に手を伸ばし、はいこれどうぞ夏織にあげるとタヌキのぬいぐるみを渡してくれた。


 ちょっとイラっとしたけれど、首に掛けられている鍵を見てしまえばそんなものはどこかへ消えていく。

 私が鍵を掴むとそれはあっさり私の手の中に落ちた。それから要らないタヌキのヤツを脇に放り投げて、こちらも部屋の隅に消えてもらった。


 そして私は幸に向き直る。幸からすればこの世のものとは思えないほどの可憐で可愛い笑みを浮かべているみたい。かはかはっと幸の出す声がした。



「ありがと幸。凄く嬉しい」


「遅くなってごめんね、って、おっとっと」


 私は幸の胸に飛び込んだ。幸はいつものようにしっかりと受け止めてくれる。

 私は、さちーとぐりぐり顔を擦り付ける。私がどれくらい嬉しいのかを知ってもらうのだ。太ももの間に顔を突っ込んできてぐりぐりとやるワンコのような感じ。決して顔を虫に刺されて痒いわけではないの。


「あはは。いたた。夏織、ちょっと痛いよ」


「我慢して」


「もぉ、はいはい」


 幸はしょうがないなと、片手で私をしっかりと抱いて、もう片方の手で私の髪を撫でてくれる。

 やがて私は満足して大人しく幸に抱かれていることにした。そしてある確信を持って訊いてみる。


「これ高かったでしょ」


「まぁね…あっ」


「やっぱり」


 幸が渡してくれたのは電子ロックの鍵。合鍵を作るにしても普通の鍵よりも高かっただろうなと思う。それでもこうして渡してくれたのだから余計に嬉しくなる。だから私はあらためて喜びを伝えようとしたけれど、幸は余計なことを口走りやがった。


「でもタヌキの方が高かったよ。今まで見た中で一番夏織にそっくりだから、つい、ね」


「…ほう」


 あ? タヌキ? ああ、そういえばそんなものを渡されたなと、私は幸から離れ、放り投げたそれが転がっているところまでいって、それを手に取ってじっと見る。


「ね、ね、ほんとそっくりでしょう?凄くない?」


 どこか自慢げにやけにそれを推してくる幸のやつうるせえなと思いつつも、言われればどことなく似ている顔の造りとか表情とか、見ていると凄く不愉快な気持ちになる丸味のあるお腹とか。

 持つ手をくるりと返してやはり不快な気になってしまう丸味のある背中とかお尻を確認したあと、私はもう一度それをしげしげと見つめてみる。


「むり」


 やはりむり。なんか凄くムカつく。だから私はそれを、えいえいと床に叩きつけてやった。


「くそうっ、くそうっ」


 それを何度か繰り返して、今日のところはこのくらいで勘弁してやろうと取り敢えず満足した私は、それをロータンスの上に並べてある幸コレクション、ずらっと並ぶタヌキの置物的なヤツの一番端に手荒く無造作に置いてやった。ひっくり返ってしまったけれど気にしない。

 そして私は埃を払うようにぱんぱんと手を叩き、ざまあ、と鼻で笑ってやった。


「ふんっ」


 幸は私を目で追いながらも、えー、っと呆気にとられて固まっていた。顔は間抜けな感じでも、その姿は何となく様になっているように思える。


「幸」


「あ、はい、なんでしょう?」


 幸の名を呼びながら私は幸の傍まで寄っていく。幸は姿勢を正してやけにいい返事をした。その幸を見つめながら、私は胸に手を当てて深く息を吸ってそれを吐き出したあと、ソファに座る幸の脚の間に少し強引に座り込んで、その手を取って少し緊張しながら伝えたいことを伝えようとしたけれど、幸がおもむろに私の開きかけた口に立てた細くて長い人差し指をそっと当てた。夏織はまだ何も言わないでと、幸は優しく微笑みながらも真剣な顔をして私を見ている。



「私から言わせてほしい」


 ああ、やはり幸は分かっていたのだ。

 その幸に優しい顔をしてそうなふうに言われた私はどきっとして、私の心臓はこれでもかと痛いくらいの早鐘を打ち始める。

 私には不安は全くないけれど、早く言ってもらわないとこのなんともいえない息を苦しさとか緊張感はとても耐えられそうにない。私は早く伝えてほしいと催促する。


「早く言って。お願い」


 幸はまたも小さくかはっと音を出したあと、私にはもったいないくらいの、私の人生でただ一回の、二度と訪れることのないとても素敵な瞬間を私にくれた。


「夏織」


「はい」


「かはっ。私の死ぬまでの時間を夏織にあげる。どうかそれまで私の傍にいてほしい。私は夏織を愛しているの」


 私の手を取って優しく握り、優しい目をして私を見つめ、少しだけ緊張して返事を待っている幸。


「はい」


 これ以上はほんとむり。それだけ口にするのが精一杯。私は幸に抱きついた。さちー、さちーと声を出して思い切り抱きついていた。


「おっと」


 そして私はあまりの幸せなこの夢のような素敵な出来事に感極まって泣いてしまう。


「ううっ、さちー」


 幸の体は細いけれど、いつだって温かくって私をしっかりと抱いてくれて、受け止めてくれる。


「夏織は泣き虫だね」


 そんなことを言う幸はこれから先もずっと私の傍にいてくれて、そうやって私を受け止めながら甘やかし、慰め、励まして、守ってくれる。私はもう、それだけで堪らなくなってしまったの。


「さちぃ」


「あはは。よしよし」


 幸はそんな私の背中を、私が落ち着くまでずっと、優しく撫ぜてくれていた。



「愛じ、でるよ幸。ずっと、一緒だが、らね」


「やっと言ってくれたね。嬉しいよ夏織。私達はずっと一緒」


 啜り上げる私のたどたどしい愛の言葉に幸はそう言って、抱きついたままの私を少しだけ離して上から覗き込んできた。

 あらら、ちょっと待っててねと涙と鼻水を少し垂らした私の顔を拭くためにティッシュの箱を手に取った。三枚四枚と取り出してそれで私の涙を拭いてくれた。それからまた三枚四枚と取り出して、チンしてチンと鼻をかませてくれた。


「びーっ、びー」


「はいこっちも」


「びびーっ」


「もう平気?」


「うん」


「なんか新鮮。こういうのもたまにはいいね」


「照れる」


 私は照れてぽかぽかと幸を叩きそっぽを向いた。幸はあははと笑っている。



「んー」


「なぁにそれ?口尖らしちゃて」


「ちゅーでしょちゅー」


「その顔で?」


「んーっ」


 はいはい分かったよと、幸が唇に軽く触れた。私は幸を逃さないようにその体に腕を廻す。すぐに唇を離なそうとしていた幸は諦めたように私の体に腕を回してくれた。



「うへぇ、しょっぱっ」


「あはは。だからそう言ったのに」





 そして真夜中。全てのことを終えた丑三つ時を過ぎた頃、私達は抱き合って布団に包まった。私も幸も萌えに燃えて眠るのが遅くなってしまったのだ。


「おやすみ夏織。愛してる」


「ふへへ、私も愛してる。おやすみ幸」


 愛してる。私はそう言われるたびに身も心もへろへろになりながら込み上げてくる愛しさとか嬉しさとかそういった諸々の感情に正直に反応していた。目が。


「また泣くの?」


「泣く」


「でもその前に」


 私の顎に指を添えて幸が私に唇を寄せてくる。私はそれが触れるのを待って、そっと触れた幸の唇を啄むようにして迎えた。甘くて甘い蕩けそうな唇を触れ合わせたあと、私達はお互いを迎えあった。私達は思うように誘いあって深く戯れあってたわむれて、私達もいつまでもこうしていようねと伝えあった。


 今はストレートもビアンもない、恋するふたりの、愛しあうふたつの生命が寄り添いあってその愛を確かめあって満たされているだけ。

 それは、分かる人にしか分からないことだけれど、この先私達を待つものは厄介で面倒なことばかりだけれど、不安になって泣きたくなってしまう時もあるけれど、それでも私達はふたり並んで前に進んでいく。その人生を閉じるまで。


「ふふふ」


「くくく」


 唇を離し、おでこをくっつけて微笑みあう私達。

 幸が傍にいれば大丈夫、いけるいけると、夏織が傍にいれば全然余裕、楽勝よと、私達は互いを深く愛し、信頼して力強くそう思うのだ。


「私がいれば楽勝なんだ」


「私がいるといけるんだね」


 互いの想いは伝わっている。さすが私達、やはり最高で抜群な組み合わせなのだ。

 それが分かると私達は微笑みあってもう一度、唇をそっと触れあった。




 その余韻に浸りながらも私はさらに先を目指す。


「あ、そうだ。ねぇ幸」


「なぁに?」


「近いうちに母さんに会ってね」


「ななっ、なななっ」


 ふふふ。さすがの幸でもここまでは分かっていなかったみたい。私は驚いて固まる幸を見て、今日というか日付はとっくに変わっているけれど、最後の最後でしてやったりと笑みを浮かべている。





 そして、いつの間にか眠っていた私は小刻みに揺れていた。


「ん?」


 寝呆けながらも地震かなと思ったけれどその震源地は幸だった。私の胸に顔を埋めた幸が肩を震わせて泣いていたのだ。


 私はここきにてようやく大事なことに気が付いた。私だけじゃなくて、幸だって泣きたかったのだ。

 今日のことは凄く嬉しくて凄く幸せなことで、けれどそれでも不安は尽きることはなくこの先を簡単には見通すこともできない私達。

 その諸々の感情を吐き出したのは私だけ。幸はまだそれを抱えたままだったのだ。


「ああ、ごめんね幸」


 私は幸がいつもしてくれるように、優しくしっかりと幸を抱き締めた。

 その幸は一瞬固まったあと何も言わずにただふるふると首を振り、私が一度も聞いたことのない大きな声をあげて泣き始めた。


「幸、大丈夫だから」


 私は幸が泣き止むまでごめんねありがと愛してると囁きながら優しくしっかりと幸を抱き締めていた。




 やがて静かな寝息を立てて幸は眠った。その穏やかな寝息を聞きながら私は密かに決意する。

 幸は強い女性だとみんながみんなそう思っている。けれど幸は人知れず、こうして泣いていた夜もあった筈。それは私も同じだけれど、さっきの幸の慟哭は私の心に深く突き刺さっている。


「幸」


 私はそっと幸の髪を撫でた。

 私はもう、幸に甘えているだけではいられない。幸がそうしてくれているように愛しの幸は私が癒す。それができずに何のためのゆるふわか。



「くそう」





気付けば1万字を超えていました。

でも大丈夫。前にもあったからへいきへいき。


読んでくれてありがとうございます。

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