第十四話
続きです。
少々詰め込んであります。
あと、最後の方にびえろも少々ありますので苦手な方はお気をつけください。
よろしくお願いします。
午前十一時。お風呂から上がった私達は幸のキッチンで料理をしている、というかしているのは私だけで幸は後ろから私に抱きついて肩越しにそれを楽しげに見ている。
「いい匂い。美味しそう」
そして私は今、幸が引っ張り出してきたまだ一度も使われていなかったと思われる小さなフライパンで卵をスクランブルしているところ。
「お皿とか調味料とか買っておいて正解だった」
「あはは。ウチには何もないって言ったでしょう」
「そうだけど、なさすぎでしょ」
「私は料理しないから必要ないの」
「じゃあこれは?何のためのフライパンなの?」
「いやぁ、ここに越してきた時にさ、なんかひとつくらいと思って買っちゃった感じ?」
「何だそれ」
「あはは。でもこれからは夏織が料理してくれるからね。買っておいてよかったでしょう?」
「それはそうだけどさ」
幸は背後から私のお腹あたりに腕を廻して、私の肩に乗せた顔を覗かせながら機嫌よくそんなことを言っている。ご存知わたしは世話を焼くのが好きだから、呆れながらもそんなこと言われるまでもないよと嬉しくなってくる。
「やったっ」
「ふふふ」
幸が唇でそっと私の頬に触れる。私はますます嬉しくなる。私は振り向いてここにもしてよと幸にねだった。
「あ、やば。固まる」
少しばかりそれに夢中になって目を離していたせいで、このまま呆けてキスをしていたら火を通し過ぎて炒り卵にしないといけなくなるなと、私はすぐにフライパンを上げて火を止めた。
「うん。大丈夫かな」
幸は変わらず背後から私を抱いていて口ずさむ歌のリズムに合わせて私の頬にキスをしている。
昨日から一緒に過ごしていて分かったのだけれど、どうやらこれは愛情表現というだけでなくて幸の甘え方でもあるみたい。
「ふんふんふん」
今も、幸は私が焦ったことを気にもせず、私を抱いて頬とか髪に唇で触れたりして私を喜ばせながら私に甘えている。
その様子は何となくご飯をねだる猫が足元をすりすりする感じに似ているなと思えるけれど、まぁ、そこは幸が凄く可愛いいから良しとする。
「幸。ちょっといい?」
「えー、どうしよっかなー」
お皿に移すからちょっと退いてと私がやりにくそうにしていても幸は全然退こうとしない。それどころかいたずらな微笑みを浮かべて抱いている腕にぎゅっと力を込めてくる。
「それじゃいつまでたっても食べられない」
「それも困る。わたしお腹減ってるんだよね」
それでもやっぱり離れようとはしない幸。私は仕方ないなと幸が喜びそうな頼み事をすることにした。
「じゃあサラダとかパンとか、そこのヤツ、テーブルに運んでおいて」
「おっ、まかせて。それなら楽勝」
「だろうね」
私がそう頼んだ途端、幸はわかったまかせろそれくらいという感じで、やったねご飯だ嬉しいなと私から離れて調理が終わっていたものを運んでいく。
私のスイーツと同じでよく食べる方の幸にとっては食事は楽しみの内のひとつ。以前、幸にそれを指摘してみると、確かに楽しみだけど夏織ほど酷くはないよと言っていたような気がする。
私はそれを思い出し、まぁそれはそうかもなと思いながらスクランブルエッグを皿に移してそれを持った。
「できた。終わりっと」
実はいまスクランブルされて盛り付け終わったヤツには幸の割った卵の殻が少し入っている。
濾せればよかったのだけれど濾し器はないし笊もない。できるだけ取り除いたつもりだけれど、どうせ私が食べるのだからと殻を拾っている途中でなんかもう面倒くなってしまったのだ。
「割りたい。やらせて」
「できるの?」
「ちょっと夏織さん。あなたは私のことを何だと思ってるのかしら」
幸がちょっとはあった胸を張り、右脚をすっと斜めに出して両手の拳を自分の脇腹に添えて、やはり様になっている姿でそんなことを言い出した。
私も負けじとある胸を支えるように腕を組んで臨戦態勢を整えた。
「何って、料理に関してはぽんこつってとこかしらね。おほほほほ」
「ぐっ、随分とはっきり言ってくれるわね。けどね、私にかかればそれくらい楽勝なのよ。残念ねぇ夏織さん、はら、卵を渡してよく見ておきなさい。おーほほほ」
「それはなんの冗談かしら。まぁいいわ。では幸さん、これをどうぞ」
なんですその愚問は、本当に心外ですね、馬鹿ですかぁと幸。ふっ、私は目を瞑っていても楽勝ですけどね、幸じゃむりだねと私。
私は調理するために用意していたふたつの卵のうちのひとつをそれなら試しに割ってみなさいなと幸に手渡した。
「あ」
任せなさいと自信たっぷりだった幸は私の予想通り、とても不器用な手つきで卵を割った瞬間に、あれれと呟いた。
それを、あのぉ、これなんですけどぉと、私に見せてきたお皿には黄身が崩れて割った卵の細々した殻が少なからず混じってしまっていた。
「やっぱこうなったか」
「で、でも大丈夫だよ、それくらいいけるいける」
「まぁ、いけるけどね」
そのお皿を受け取って、私が菜箸を使ってちまちまと殻を除いているあいだ、幸は、カルシウムだし食べたら骨が強くなるねとか言って失敗を誤魔化そうと頑張っていたけれど、あまり必死な感じが幸からしてこないのはわりと本気でそう言っているからだと思って、私はこの卵を幸に譲ってあげることにした。
「じゃあこれは幸の分にするから」
「え」
私は残った卵を取って別のお皿に素早く割って微笑みながらこれ見よがしに言ってやった。
「これは当然わたしの分だから」
「ずるい」
「いや、ずるくないから」
ずるいずるいと騒ぐ幸は手が滑ったとかちょっと右手の調子がなぁとか、今の無しもう一回とか言っているけれど私は卵を無駄にしたくないからそれをさせるつもりはない。
「いいでしょ?もう一回やらせてよっ」
「むり」
私は幸の言い訳にくすくすと笑いながら、先ずは卵に牛乳とチーズ、小さくカットしておいたトマト、黒胡椒を少々を入れてかしゃかしゃと溶く。オムレツでもいけるけれど卵ひとつ分だしスクランブルの方が好きだからそれはしない。
それからバターを敷いて弱火で温めておいたフライパンにそれを流し込む。しゅわわぁと音がしてゆっくりと固まっていく卵を菜箸でかき回し、少し待ってから適当なところで火を止めた。
とろとろスクランブルエッグのできあがり。完璧。
「あー、美味しそう。ずるいよ夏織」
「今から幸のも作るから。幸のは特別、カルシウム入りのヤツだよ?」
「そうなの?やったっ」
幸はそれならならいいよとにこにこして大人しくなったけれど、そんな幸を見ていると凄く心配になってしまう。
けれど、ちょっと待てよと私は殻入り卵をスクランブルしながら考える。
「うーん」
幸という女性はプライベートは基本的にはいつもオフで、オフィスのようなパブリックな場所や場面ではいつもオン、常に聡明でいられる女性な気がする。幸は自身の切り替えを上手くコントロールできているのだと思う。それに今までだって大丈夫だったのだから幸はきっと大丈夫。心配いらない。たぶん平気。
「へいきへいき」
それならこんなふうにはしゃぐ幸を知っているのは私を含めても家族とか親しい友人とか極々限られた人達だけなわけだから、そう思うと何となく、私は幸をよく知っているんだぞ感が増して嬉しくなってる。
「そっか。ふふふふふ」
その思いつきというか思い込みというか、それですっかりご機嫌になった私もどうかと思うけれど嬉しいから気にしない。
そして私は今できあがったスクランブルの乗っているお皿を持って、揃った食事を前に大人しく待っている幸の隣にピタリと付くくらいに腰を下ろした。なんとなくそうしたくなったから。
「お待たせ」
私が近すぎたのか、ん?どうしたのと私に顔を向けた幸に私はなんでもないよと首を横に振って微笑んだ。
「じゃあ食べようか」
「うん。ありがとう夏織」
「いいよ」
いただきます号令を待っている幸の目は今、並んでいる料理に釘付けだ。幸がわんこだったらヨダレで大変なことになっていることだろうなんてことを思いながら、私は私の前に置いてあったスクランブルエッグのお皿をさり気なく幸の方へとずらし、持ってきたお皿を私の前に置いた。
殻入りを愛しの幸に食べさせるつもりなんて私には最初からなかった。
私の作ったもので嫌な顔をしてほしくないし、特に幸には私の料理を美味しく食べてもらいたいのだから。美味いのは分かっていても美味しいよと幸の口からそう言ってもらいたいのだから。
「じゃ、いっただっきます」
「いただきます」
スクランブルエッグ、エッセンなソーセージとボロニアなハム、サラダと少し硬くて酸味のあるドイツ的なパンとコーヒー、あとは冷蔵庫で私を待っているプリン。
ぱきっ
私達はそれを食べながら今日の予定の話をしている。
「ねぇ夏織」
「ん?」
バンにスクランブルエッグを乗せて食べる私の口からたまにぼりとかぱきとか音がするけれど私はあまり気にしていない。
幸は取り替えたヤツをおいしいよと笑みを浮かべ満足そうに食べているし、そんな幸を見ていると私は笑顔になれるのだからそれでいいの。
「また近所をぶらぶらと歩こうよ。案内するからさ」
「いや。それよりまず先にすることがあるから」
「なにかあったっけ?」
ぼりっ
「あるじゃん」
シーツとか諸々の洗濯はいま洗濯機が頑張っているから大丈夫だし毛布と布団はブァブって干したから大丈夫。たぶんいける。
羽毛布団は陰干ししたかったけれどこの際手段は選んでいられない。先ずは匂い。それをどうにかすることが一番の目的なのだ。
それに今夜も幸が使うのだからまた苦しそうに眠りでもしたら幸の綺麗な顔にそのシワが刻まれてしまう。それは是非とも避けなくてはならない。
取り敢えずでき得ることは全てかどうかはともかく、一応やった。
となるとやるべきことは残りはクローゼットの中の整理することだけになる。だから私はびしっとクローゼットを指差した。
「そこ」
その途端、美味しいなぁと食べていた幸の顔色が変わった。頬張ったまま一度固まって、あわわあわわと動揺し始めた。
「どうした?」
「んんっ。あ、そそ、そうだ。そういえば、このまえ吉岡さんがね」
「幸、なぜ話を変える」
「な、なんのこと?」
「とぼけるな」
「なななんのこといてるのわからなませんですよ?」
何かを隠しているのか余程酷いことになっているのか、何にしても慌てたせいで幸は噛んでしまった。
「ま、いいよ。わからなくても」
私は立ち上がってクローゼットへとことこ歩いていく。幸が慌てた様子で後ろをついて来る。
けれど残念。動揺した分だけ出遅れた幸よりも一足早かった私はその戸を開けた。
「やっぱり」
思っていた通り丸まったていたりくしゃくしゃだったりよれよれだったりした服が私の前に落ちてきた。さらに、クローゼットの床には仕事の書類の束らしきものが崩れて散乱している。
「ダメー」
見るなーと私の目を後ろから覆う幸。けれどこれも残念。慌てて覆ったから隠し切れていなかった。そしてその隙間から私があらたに見つけたものは、私を鼻で笑わせるのには充分すぎるモノだった。
「幸」
「え、あ、はい」
私は振り返って幸を睨む。
幸は一瞬戸惑ったようだけれど私にバレたと分かった途端なぜかそこで足を揃えて正座をした。
私はそこまでしてほしかったわけじゃないけれど幸がそうしたいのならと気にしないで話しを進めることにする。気になることは他でもない、いま見つけたコイツらだから。
「これはなに?」
「えっと、な、なんだろうな?何かの写真集っぽい感じですね。なんか…ヌキっぽいですね」
「ふーん。幸はタヌキが好きなの?」
「タヌキというより…りが好きだからつい…」
つい?ついってなんだろう?私とタヌキの写真集がどう繋がるのか私には全く理解できないなんてことはないけれどしたくないんですけどっ。
「ふーん」
「じゃあこっちのはなに?」
「かわいいタヌキ、なのかなぁ?その置物?フィギュア?かなにか、ですかね」
そこには私の手のひらくらいの大きさの、タヌキ…ちっ、のぬいぐるみじゃなくて置物っぽいモノがあった。しかも五体も。
私はべつに見たくもないけれど、なんか変だなと思ってソイツらをじっと見る。本物そっくりなヤツから擬人化されているヤツまでバラエティに富んでいる。それがまるで、進化の過程を表しているかのように並べてあった。
「ふむ」
そりゃあね、かわいいと言われれば確かにかわいいけれど、並んでいるソイツらをよく見るとその三番目、明らかにひとつだけおかしいヤツが混じっている。うん、馬鹿だな。
私は幸に向き直った。
「幸はさぁ、こんなのを集める趣味があったんだ」
「っていうか…おりが好きだからつい飼い…買いたくなってしまったの」
「あっそ。けどさぁ」
私はね、べつにタヌキが嫌いとかそういうんじゃないの。私がタヌキに似ていると思われるのが、指摘されるのが嫌なだけなの。私のゆるふわのイメージがそうさせるだけなの。
けれどね、幸の飼いたがってじゃなくて、買いたくなってというか実際に買った置物的なヤツの中にね、あの、昔ながらのデザイン的なヤツ、お酒を持って帳面みたいなのをぶら下げているヤツががいるの。で、ソイツには付いているわけよ、地面に付いちゃってる凄く大きいヤツが。
おかしいよね。だって幸はさ、私を好きだからとか私を想って買ったっぽく言っているでしょ。そうするとね、これはさすがにおかしくね?と私は思うわけ。
「おかしくね?」
私は三番目を指差した。
「あ、それはオマケでくれたヤツ。在庫処分だって。よっぽどタヌキが好きなんだと思われたみたいでさ。持って行きなって渡されたの」
「え…あっそう」
「好きなのは夏織なのにねー」
「あ、そう」
「でも、夏織に似てるから最近はタヌキも好き」
あ゛。そう?
「くそう」
幸までもがそう思っているなんてと私はへこんだ。私もそう思うからべつにいいんだけど、やはりなんかへこむ。
「はぁ」
もういいやと、私は頭をふりふりとことことローテーブルまで戻って少し冷えてしまった朝ごはんを食べ始める。
そして、すぐ後ろをついて来た幸に温め直す?と私が幸を見ながらそんな感じでごはんを指で差すと、幸は大丈夫よと首を振って、私の隣にピタリとつくくらいに座って同じように朝ごはんを食べ始める。その顔は少しにやついている。
何も言わなくてもなんか分かる。これだから私達はいいのだ。
「ぷっ。くくく」
「笑うな」
幸め。何も言わなくてもなんか分かるんだからな。
「花ちゃんは知ってる」
「そうなの?」
「うん。知ってる」
幸はタヌキの置物的なヤツをロータンスの上に並べている。何となく嬉しそうに見えてしまうのは私の被害妄想に違いない。そう思いたい。
私はもの凄く飾りたそうにちらちら私を見ながらソイツらを持ってそわそわしている幸に写真集とその大事そうに抱えている置物的なヤツは好きにしていいよと伝えてあげたのだ。
「やったっ」
私と幸の、令和タヌキ騒動ぽんぽこぽん。これにについては私は諦めた。こうしてまたひとつ諦めることを知って、人はというか私は更に大人の女性に成長していくのだろうと思うことにしたのだ。このままいくと私はとんでもなくいい大人の女性になってしまうだろう。確実に。
「驚かないんだ」
「この前、吉岡さんと話したときにね、もしかしたらと思っていたからさ」
「この前って、あの、課長に喧嘩売ったり私が死んじゃうかもって騒いでいたとかいうヤツ?」
幸が私を振り向いて凄く嫌そうな顔をした。幸はこれから過去の自分に苛まれるのことを分かっているのだ。
比べて私は満面の笑み。私はぽんぽこぽん騒動の細やかなお返しをしてあげたというわけ。
「ちょっとやめてよ思い出しちゃうから。あ、ほらこっち来ちゃったじゃない。いやー、こないでよー、やめてー」
「ふふふ」
私達は今、クローゼットの中を片付けながら、さっきちらっと幸が口にした花ちゃんについて話をしているところ。
「一度さ、泣いているところを見せちゃって」
「そうなんだね」
学生時代、私は親にカムアウトした。もやもやを抱え続けていても仕方ないし、恵美さん達にも出会えて色々と話をしていた頃だったし、私達家族は仲が良かったから絶対に受け入れてくれると思っていたのだ。その考えは半分正しくて半分は甘かったけれど。
「恵美さんて?」
「私の行きつけのバーで知り合ったお姉さんみたいな女性」
「へぇ。そう」
幸は何か言いたそうにしたけれど私が首を振るとそれを堪えたようだった。そして私は話を続ける。
私が実はねと伝えると、父は聞きたくなかったと言ってその場からいなくなってしまった。私を突き放すようにいなくなった父のその背中が、私のことを、私の抱えているモノを拒絶しているように私には見えた。
けれど、それをあとで思い返してみると、それだけでなくて、あの父の背中がやけに小さくなっていたような気もした。
「そっか」
「うん」
「まぁ、みんな似たような感じだね」
「ウチは怒り出さなかっただけマシ、でもないな。あれはあれでキツかった。幸は?」
「ウチは意外とあっさりだったけど、まぁ、それなりにはね。けど、知り合いとかにはさ、揉めたりとか取り乱したりとか怒ったりとかそんなのばっかりだよ」
「そうだね」
私は父の反応が悲しかったし辛かった。泣きたくなった。
けれどその当時、年相応の知恵のついていた私は、父が私を受け入れられないのなら私も同じように父を突き放すことにすればいいんだと思いついた。悲しみに耐えるよりも怒っている方が楽だろうと思ったからだ。
だから私は父に対して怒りを抱えることにした。私は敢えて、楽な方を選ぶことにしたのだ。それはつまり、私は父と向き合わずに逃げるという選択をしたということだ。
「今も?」
「いや。今もも何も、わたしは最初から怒ってなんかいなかったから。悲しかっただけだから」
「そっか」
「父さんとは元どおりってわけでもないけど、今はまぁ一応って感じ。私も父さんもさ、あの時のことをまだ精算できてないんだよね」
「しないの?」
「わかんないなぁ。いずれはするかも知れないけど」
「そっか」
母は私を受け入れてくれた。ちょっとびっくりしたけど夏織がそうならそれでいいよと言って笑ってくれた。何かあったら隠さず相談するようにとも。
「それからね、お父さんを嫌わないで。お願い」
「そんなの父さん次第じゃん。私じゃなくて父さんに言ってよ」
「言うわよ、きっちりね。でも今は夏織」
そして、母は何かを思い出したように少しの苦笑いをして父について話し出した。
「あの人はね、いろいろ楽しみにしていたのよ」
「そんなこと言われても知らないし」
あなたの名前はねお父さんが考えて付けたのよ。夏織も分かっていると思うけど、八月生まれだから七夕の織り姫から採ったんだって嬉しそうに笑ってたの。
そんなの知ってる…けどさ。
ほら、この間の成人式のときだって振袖姿を見て綺麗だ綺麗だ可愛いなぁって喜んでいたでしょう?そのあとね、次は卒業式のハイカラさんだな、きっと今日みたいにかわいいぞなんて笑っていたのよ。
それにさ、お父さんは夏織のウエディングドレス姿は絶対に綺麗だろうなぁなんて言っていたし、いつか見られるって孫も楽しみにしていたからね。
そんな父の話を聞いたらさすがの私でもべっこりとへこんでしまう。
「だからさぁ、そんなこと言われても私にはむり。それに嫌われたのは私だから」
「夏織、それは違う。あの人は驚いて動揺しちゃっただけなのよ。逃げ出したのよ、もともと臆病な人だから。あの人には私がちゃんと言っておくから大丈夫」
「むり…でしょそんなの」
「夏織。お父さんのことは気にするなと言っても今は無理だと思うけど、気にしなくていいの」
「でも…」
「夏織、親を舐めるなよ。私達はあなたの倍は生きているんだからね。私達にだってね、それはもう色々とあったんだから」
母は懐かしむように父の消えた方に目を向けた。それから私に向き直り今回のことは想定外だったけどねぇと笑って私を撫でた。
それは小さな子供にするような感じ、まるで、夏織はいい子だねとそう伝えているみたいだった。
私にとって夏織はいつまでも私の子供。それはもちろんそうだけど、それなりに成長しても、私の背を追い越しても、ぐうたらでも生意気でも我儘でも、それに夏織が同性愛者でも、私は何も変わりはしない。それはお父さんも同じなのよと、母はそう言いたいのだろう。そんな気がした。
「大丈夫だからね」
「うっ」
私は肝っ玉な母の偉大さを見た気がしてその胸で少し泣いた。二十歳を過ぎて恥ずかしいなぁと思いながら。
「あはは。夏織はよく泣くよねー」
「う、うるさいな」
と、母は任せろ的なことを言っていたけれど、私は私で父との関係について向き合うべきか逃げるべきか、どうしようかなと悩んでいた。
そしてある日、私が入っているゼミのある教室の端で悩んでいたところを、込み上げて来たものを同じゼミの先輩だった花ちゃんに見せてしまった。
「屋敷。今日、時間あるならウチにおいで」
ビアンを隠すために他人をあまり寄せ付けないで過ごしてきた私は、いつの間にかそれが私の一部になってしまっていた。
取っ付きにくいとか冷たいとか付き合いが悪いとか、周りからはそう思われていたと思う。それでもバレるよりはマシだと、私はそう思っていた。
けれど花ちゃんはそんなことは知らないよとぐいぐい私を構ってくれて、私も根負けというかお手上げというか、そんな花ちゃんを受け入れることにした。
「屋敷。たまには顔を出さないとね。いくよ」
「…はい」
そんな感じ。そのお陰で、大学での小さかった私のコミュニティは花ちゃんを中心にして少しずつ広がっていった。
だからといって私が全方位にフルオープンになったわけでもなく、変わらず排他的な私であったけれど、花ちゃんは基本的にはそれでいいよと私を肯定してくれた。
「それでその日、家に帰らないで花ちゃんの家に泊まったの」
「うん」
花ちゃんはウチにおいでよと言っただけで、特に何かを聞き出そうとしたり知りたがったりしなかった。私が寂しくないようにただ側に居てくれただけ。
「私はね、それが凄くありがたくって」
「うん」
「花ちゃんのあの胸で癒されちゃった」
「うん。うん?ま、まさか夏織、あの、暴力的なまでに勝者の胸で?」
「うん。あの胸で」
「ちくしょう」
「なんでよ。少しハグしてくれただけだから。まさか幸、羨ましいの?」
胸なら私のでいいでしょうと思って、少し怒ったように訊ねると幸は苦笑いをしながら、吉岡さんがねと言った。その役は私がしたかったよとも言ってくれた。
嬉しいことを言うなぁと、私はこの際クリーニングに出してしまおうと纏めていた幸のしわしわでよれよれの服を置いて、少し離れていた幸の傍に四つん這いで近寄って後ろから抱きついた。
「ありがと幸。嬉しいよ」
「私は夏織のこと大好きなんだぞっ」
「ありがと。私も好き」
私は幸の首筋に唇を付けた。私は左腕でしっかりと幸を抱き締めて、右手で幸の慎ましやかな胸に優しく触れた。幸は私に振り向いてキスをしようとねだってくる。その唇を私のそれで優しく触れたあと幸を訪ねて中へと入っていった。私の左手が幸のお腹を滑っていってさらにその下へと降りていくと幸は切なそうに声を漏らして私に体を預けてくる。私は幸がこうして全てを預けてくれることに嬉しくなって更にその奥へと進んでいく。私に合わせて恥ずかしがったり喜んだり苦しそうだったりする幸を暫く堪能したあと、私はペースは変えずにあくまでゆっくりと優しく動き続けて、幸を導いた。やがて幸は震えだし大きく声をあげたあと昨夜と同じ、暫く私に抱きついまま荒く息をしていた。私はその頬に唇で触れた。
「好きだよ幸」
「私も夏、織の、こと、大好、き」
私がそう呟くと、しっかりと私に抱きついたまま、私の胸に抱かれたまま、幸はそう言ってくれた。
暫くして、もうすっかり落ち着いた幸は凄くやる気に満ちている。私もまたとてもやる気に満ちている。
「次、私の番ね」
「ダメ。ちゃんと片付けないと」
「えーっ」
「ほら、やるよ」
「やるって、夏織。もうちょっと恥じらいとかないの?」
私は、ほら片付けるよと幸を促したけれど、幸は、ちょっとさぁ恥ずかしくないのみたいな顔をしている。
私は少しイラっとして抱いていた幸を離して床に落としてやった。
「あだっ」
馬鹿なの?ぽんこつなの?
かわいいけどさ。
「ほらほら、やるよ幸」
「わかった。やるよ。やってやりますよーだ」
再び片付け始めた私の背後で声を上げている幸。私はくすくすと笑っている。
この作品では最長だったのですが分割したくなかったのです。
もはやいつものことだからへいきへいき、たぶんいけた。
読んでくれてありがとうございます。