第十一話
誤字報告してくれた方、ありがとうございました。アレ、凄く便利な機能なんですね。初めて知りました。
では続きです。いつもより更に長いですが分割しないことにしました。
よろしくお願いします。
土曜日の午前十一時。幸と会うまであと六時間。ここにきて私に限って一つの誤算が生じていた。それも最低最悪なヤツが。
「あれ?」
お風呂にお湯を溜め終えて、私は私を念入りに綺麗にしておこうとショーツ一枚になったところで乗ってやった体重計に表示された数値が異常をきたしている。私はつい二度見してしまった。
「お、おかしい」
私は慌てて乗っていた体重計から降りて電源を切った。そして私は到底何かが変わるとは思えなくても、すがる思いでショーツを脱いだ。
「う、なんかさむい」
けれどそんなことは言っていられない。これは高レベルで緊急な事態なのだ。
左、右と足を乗せて再度チャレンジすること約五秒、計り終わった数値を見るのは凄く怖いけれど、コイツにも間違いがあることを期待しながら首を下に曲げてそれを見つめてみる。
「うっそぉ」
思わず天を仰ぐ私。
残念ながらコイツは一度目と何も変わらない、全く同じ数値を示していたのだ。
当然、ショーツの重さなんてものは誤差の誤差のそのまた誤差。私の淡い期待、次に言うつもりだった、何だよこの体重計壊れてるじゃん、買い替えなくちゃ、という台詞はその正確さによって儚くも打ち砕かれてしまった。
「だ、大丈夫だから。ま、まだいけるから。お、落ち着いて、よく見て」
私はコイツが壊れていないのなら私の見間違いだったのかもと液晶画面をじっと見つめてみる。
けれど、順に表示されていく体重も体脂肪率も内蔵脂肪レベルもBMIも骨格何ちゃらもその数値は全く変わらない。
「くっ」
そして私は、よせばいいのに首を曲げていたせいでほどよい大きさのとても綺麗な左右の胸の間からほんのちょっとだけ視界に入っていたお腹のナニを恐る恐る摘んでみてしまった。
「これはぁぁ…」
もっちもっちで柔らかくって癖になるような触り心地に一瞬、はわわぁ何これぇ気持ちいいなぁと心を奪われそうにながらもなんとかそれを堪えつつ、私は叫び声を出して蹲ってしまった。
「ぐはっ」
そう。認めたくはないけれど私はついにいってしまったのだ。くっ。
ちゃぷ
そうなの。私は太っていた…いや違うから、そうじゃないから。ただ体重が増えていただけだから……いや、大丈夫じゃないし、泣きそうだし。
「はぁ」
あー、そう言えばなぁ、この二、三日、服がちょっときついかなぁとか思ったりし……し、しなかったな。うん、しなかったしなかった。う、う嘘じゃないし。
「…ほんとだもん」
ちゃぷ
風邪をひいて主食にお粥を食べていたせいで、やつれちゃったな、うふふちょっと嬉しいかもなんてことを私が思っていたのはいつの日か。この一週間で元に戻るどころか通り越しているなんてあり得ない。
「…わけでもないんだけどさぁ」
ちゃぷ
べつに痩せちゃったからと調子に乗ったつもりはなかったけれど、風邪をひいたときに中々の量を買い込んだコンビニスイーツは今はもう何も残っていない。
私はそれを食べずに捨てるなんてことのないようにしただけだから、それについて何か思うことはない。寧ろ私は頑張ったの。美味かったの。
ちゃぷ ぶくぶくぶく
ただ、そのせいかどうかなんて分からないし分かりたくもないけれど、結果はこうして出ているのだから太った…のではなくて体重が増えていたことを認めることは吝かではない。
ちゃぷ
けれど、ちょっと聞いてくださいよ、さっち。
私はね、ここ一週間それなりに忙しかったから食事も不規則だったし、仕事の延長として飲みにも二回行っちゃったし、それに幸にも会えなくて寂しかったから、そのストレスのせいでスイーツを多めに食べてしまったとしてもそれは仕方ないことだと思うんですけど、さっちはそこのところいかが思われますか?
ちゃぷ
私はお湯に浸かりながら、あの日、おそらくというか私じゃないから幸が買ってきて私の知らぬ間にお風呂に持ち込んでいた、いま私の湯船にぷかぷかと浮かんでいるアヒル、わたし命名のさっちに訊いてみたけれど、さっちは揺れるお湯の動きに合わせて私に近づいたり離れたり、私を見つめたりあらぬ方向を向いたりしながら楽しそうにぷかぷかと浮いてゆらゆらと揺れているだけ。
ぽちゃん
「ねぇさっちってば」
私の問いにどう答えようかと考えているのかそれともべつにどうでもいいのか、さっちは変わらずぷかぷかと浮いてゆらゆらと揺れている。
私は返ってくる筈のない返事を待っている。
「ちょっとさっち。聞いてる?」
いまだ私を無視しているさっちは、私の口からはとてもとてもそんなこと、可哀想すぎて言えないし言わせないでよねと、私から少しでも離れようとするかのようにお尻をこっちに向けながら、湯船の端へぷかぷかと浮いてゆらゆらと揺れていく。
「さっち…」
ぽちょん
お尻ふりふり私から離れていくさっちをじっと見ていると、太ったとか笑える、ぐわっぐわっぐわっと、このアヒルはもしかして私を馬鹿にして笑っているんじゃないのかと思えてくる。
「おまえー」
なんか凄くムカついたから、私はさっちをとっ捕まえて、その体を両手で思い切りきゅっと絞めてやった。
ぴゅー
「うぷっ、ぷっぷっ」
絞められたさっちは私の顔に向けて口からお湯をぴゅーっと噴き出した。
今や私の物であるさっちは、水鉄砲的な能力を備えた無駄にスペックの高いアヒルだったのだ。知っていたけれど忘れていた。
「もぉ、幸のやつぅ」
夏織にあげるねと楽しそうに笑って私のお風呂にさっちを置いていった幸。あの時の楽しそうな幸の顔が目に浮かぶ。
「くそう」
覚えていろよと私は思った。
「む」
そして気づけばとっとと復活したさっちは何事もなかったかのように私の湯船でぷかぷかと浮いてゆらゆらと揺れていた。
「なにあれカッコいい」
午後五時五分前。待ち合わせた幸の最寄り駅に着いた私は視線の先に幸を見つけて呟いた。
私の誤算はひとまず置いてというかもはやなかったことにしている私は今、私に手を振って微笑む幸に向かって一直線、とことこと歩いて改札を抜けるところ。
私が目指す幸は、ニット帽を被りモッズっぽい感じのダウンコートにジーパン、足元はスニーカーというラフなスタイルで駅の柱のひとつに体を預けていた。さすが幸。その姿もやはり様になっている。
「幸」
「夏織」
お互いに手を振りながら傍に近寄って声を掛け合うけれど、会えて嬉しいからとストレートのカップルのように手を伸ばしたり引っ付いたりはしない。
近寄ったあとも私達はちゃんと適度な距離を置いている。顔には感情が溢れ出ていても態度なんかは落ち着いたものだ。
実際、幸は頗る笑顔で私を見ているし私も幸に会えた嬉しさに弾けんばかりの笑顔を見せているけれど、掛け合う言葉はこんな感じ。
「お疲れ幸」
「お疲れ夏織」
私達くらいのキャリアがあれば。と言うのも些か変だけれど、周りの目を過剰に意識していた若い頃は疑心暗鬼というか被害妄想というか、どう見られているんだろうとか思われているんだろうとそれを気にし過ぎてそれだけで疲れてしまうこともよくあった。
けれど大人になるに連れて、こういうことは意識しようがしまいがそのうち自然と身に付いてくるものだから、今の私達は得手してこんな感じが普通になっているのだ。
もちろん、私達は付き合っていますと堂々と主張できる人達とか特に周りを気にしない人達だっているのだから、これが全てという話でもない。通って来た道は同じでも、その場合はまた別の話ということになる。
なんて思っていたら、幸が鼻と口のあたりを手で押さえてそっぽを向いてしまった。日が傾いていなければ顔の赤さも目立っていただろう。
「ちょっと幸」
「それはこっちの台詞。夏織の格好かわいすぎ」
幸がそのままの姿勢でそんなことを言う。幸と同じくニット帽を被り大きめなマフラーを巻いて、自身のゆるふわに対して細やかな抵抗のアウター、キャメル色のスウェードなライダースジャケットを着て、ワイドなロングスカートにショートブーツ履いている。
「そうかな?」
私はここぞとばかりに後ろに手を組んでから半歩分だけぴょんと跳ねて幸に近づいた。
それから少し体を傾けて下からそっぽを向いている幸を覗き込み、さらにより一層の笑顔を幸に向けた。
「ありがと幸。嬉しい。ふふふ」
だからといってこれ以上幸に近づいたりはしない。これがギリギリのライン。今の私は外仕様なのだから。
「うっ。お願いもうやめて」
「んー?なんのことぉ?」
「かはっ」
幸は何をする間もなくいってしまった。
私は私を馬鹿にして笑っていたというか無謀にもお湯鉄砲で攻撃してきたさっちのお礼に少しだけ幸に意地悪をしようとゆるふわのギアを一段あげてみたのだ。ふっふっふっ。
「あー、キツかったぁ。あはは」
「ふふふ」
程なくして復活した幸があははと笑っている。私もふふふと笑っている。
ちょっといちゃいちゃしちゃったけれど、私達はつき合い始めたばかりだしちょっと浮かれているし、まぁ、こんな例外もたまにはある。
「幸、ゆっくり休めた?」
「うん。いっぱい寝ちゃった」
私は今、幸の住んでいる街を幸と一緒に歩いている。週末は私の部屋においでよと幸が誘ってくれたのだ。それが私達の今日と明日のデート。
私としてもそれが一番いいかなと思っていたから万々歳。最近の忙しさを乗り切った幸は自分の部屋だからゆっくりできると思うから。
私は、やったっ、ついに来た幸の部屋だよふへへへへと嬉しいやら楽しいやらでいま凄くわくわくしているのだから。
「何か買っていくの?それとも食べていくの?」
「わたしお腹空いてるんだよね。ちょっと早いけど食べていってもいい?」
「いいよ」
「まぁ、ウチにはお酒とつまみの乾き物くらいしかないからさ、買い物もしないとダメなんだけどね」
「いいよ。幸と買い物するとか超嬉しいし」
「私も」
幸はまたそっぽを向いてニット帽の上から頭を掻いて照れている。私もまた自分で言っておいて照れてしまった。
なんてこともない会話。それに幸とは長い付き合いだから買い物なんて何度も一緒に行っている。
けれど、私達の立場が変わった今、買い物ひとつ取ってみても嬉しいものは嬉しいし楽しいものは楽しいのだから、こういう感情を出せる時には素直に出すのが一番だと思う。
「ふへへ」
すると、幸はそっぽ向いたままさっと手を出して私の手を握った。私も慌てて幸の手を握り返す。それはほんの一瞬で、幸の手はすぐに離れてしまった。
照れていた私の顔はいま真っ赤なリンゴのように赤くなっている筈だ。手をかざしたら確実にあったかいなと思うくらいの火照りだ。
「あっつ」
手で顔をぱたぱたと扇ぎながらふぅと一息ついて隣を歩く幸に目を向けてみると、その顔も私と同じように赤くなっていた。
「私も。なんか、ね」
ここ美味しいんだよと言って幸が私を連れてきたのは中華料理屋さんだった。
「お、いらっしゃい。いつものかい?」
「どうもー。えーと、今日は違うものにしようかな」
「へー、珍しいな。こりゃ、明日は雪でも降るんじゃないか。はっはっはっ」
「あはははは」
なんて会話を幸と店のおじさんがしているところを見ると、幸の食生活の一部が見えてくる気がするし、幸が料理をしないのもできないのも当然だなと思う。きっと幸にはこういった馴染みの店が他にも何軒かあるんだろう。
「ねぇいつものってなに食べてるの?」
私は分かっていたけれど、席に着いてすぐにメニューを見ている幸に訊いてみた。
「レバニラ定食」
「やっぱり。幸、好きだもんねそれ。今日は食べないの?」
「それは、ねぇ。当たり前でしょう?」
幸がメニューから目を外して妖しい視線を送ってくる。その顔には意味深な微笑みが浮かんでいる。ある種のサイン。
それを理解して私の鼓動がうるさく音を立て始めた。
「っ…そ、そうかも」
本当は、そうだったねーなんて言って余裕で返してやりたかったけれど、残念ながらそれはむり。
だって、私は愛しの幸とそうなることをずっと望んでいたんだから。期待に胸を膨らませているんだから。妄想だっていっぱいしちゃったんだから。
「あ。夏織、照れてるよね?ね、ね、照れた?」
「う、うるさいな」
「あはは」
ちょっと悔しかっだけれど、それに関して主導権はどっちがとってもいいかなと思う。
私は幸が望むことを望むの。私は幸にそうしてほしい。私は幸を受け止めるだけだから。それに私は両方とも好きだから。どんとこいってヤツだから。
「はい、お待たせ。いつも来てくれてありがとね」
「ここは美味しいから」
「あらま、嬉しいことを言うじゃないか。あっはっはっ」
そんな会話を店のおばさ…お姉さんとしている幸は今、オフィスにいる時とは違ってかなり懐っこい感じ。仕事以外では普段から一貫して排他的な私とはまるで違う一面を見せている。
「ああ、そっか」
「やっぱりわかるんだね」
「幸のことだから」
「さすが夏織」
たぶん幸は、私はこんな感じで暮らしているのよと、それを少しづつ私に見せようとしてくれているのだと思う。
「ありがと幸。わたし楽しみだよ」
「まぁ少しずつ色々とね。私は嬉しいよ」
味噌ラーメンと半炒飯セット杏仁豆腐付き。お腹が空いていた幸が頼んだものはそれ。
醤油ラーメン単品。私はそれにしておいた。杏仁豆腐付きには凄く惹かれるけれど、ご飯物、それも肉とか付いてくるのはちょっとなぁと私の本能が不思議とそれを避けていた。私に何かあったかしらと思うけれど本能がそうしたのだから仕方ない。ほんと人間て不思議。
「幸、これあげる」
「いいの?取って置いたんじゃないの?」
「ううん、いいの。食べて」
「やった」
お互いあらかた食べ終えたあと、私は食べようかどうしようかと迷っていた煮卵半分と分厚いチャーシューを、遠慮は要らないはいどうぞと箸とレンゲを使って幸のどんぶりにそっと置いた。
「ありがとう。じゃ、これあげる」
嬉しそうな幸はこれお返しねと私の前に杏仁豆腐を置いてくれた。けれどこれでは海老で鯛を釣ったみたいな感じがしてしまう。
「いいの?エビタイじゃない?」
「それはこっちの台詞」
幸はさっそくあげた分厚いチャーシューを口に入れてもぐもぐとやっている。
私はカロリーを全く気にしない目の前に座っている女勇者を目に映しながら、何でこの幸という女性はこれだけ食べても太らな…体重とかスタイルが変わらないのかなと、意外にも美味い、あとで幸が教えてくれたこのお店の手作り杏仁豆腐を口に運びつつ甚だ疑問に思っていた。
「不思議」
「ん?なんか言った?」
「ううん。何にも」
「そ」
それなら私は気にしませんと幸は続いて私のあげた煮卵半分をぱくっと口に入れた。幸はやっぱり美味しいとか言って凄く嬉しそうにもぐもぐやっている。
私はそんな幸を見ながら、この感じはどこかで見た何かに似ているなと考える。
そして私はすぐに、私の問いにどこ吹く風でぷかぷかと浮いていたアヒルのさっちを思い出した。アイツかっ。
さっちと違って、私は幸には何も伝えていないから幸は何にも悪くないけれど、どうしてもそのさっちとそっくりな感じがなんかイラッときてしまう。
「ていっ」
「痛っ。なに?どうしたの?」
「なんかちょっとイラっとした」
「わけわかんないよ」
足を伸ばして幸の脛を軽く小突いた私を、咎めるわけでもなくただ不思議そうに眺めている幸の口がまたもぐもぐと動きだした。
私はそんな幸に向かって舌を出してやった。そのとき目をばってんぽくすることも忘れない。そのあとさらにぷいっと顔を背けることも追加しておくことにした。
「ベーっ、だっ。ふーん」
「ぷっはっ。ごほごほ、ごほごほ」
「うわっ。ちょっと幸っ」
「ごほごほごほ」
本日二度目。幸はいってしまった。もぐもぐしていた煮卵を油断していた私に向けて発射して。そして私も本日二度目。まさにデジャブというヤツ。
「なんだかなぁ」
そして私は自分と幸の口周りとかを拭きながらこれは自業自得、身から出た錆というヤツだなと少しだけ反省していた。
「ごめんね幸」
「気にしなくていいよ。あはは」
そう笑う幸はやはり幸。私を甘えさせてくれる、受け止めてくれる心の広い本当に素敵な女性。私はその幸と恋人になれた幸せ者なんだなと、ふと思った。
幸の住んでいる部屋の扉が開いた。私よりも重い荷物を両手に持っている幸が少しやりにくそうにしながら開いてくれたのだ。
招かれるということは受け入れられるということだと私は思うから、初めて開かれる今回だけは幸自らの手だけで開いてもらいたいと思っていた。だから私は手を貸したりはしなかった。そして実際、そうしてもらった。
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
「なんかかたいね」
「そりぁあさぁ、やっぱちょっとは緊張するし」
必要不可欠なスイーツとか他の物とか買い物も済ませ、いよいよ幸の部屋に入る段になって私は少し緊張していた。
恋人の部屋なんて何度も訪ねたことはあるし、いまさらそんな歳でもないとも思うけれど、ここは私が三年以上も恋い焦がれた幸の部屋なのだからこればかりは仕方ない。
「そっか」
「それに幸だって、ウチでぽんこつになったちゃったでしょ」
「あはは。そうだった。ならきっと、こういうことはそういうものなのかもね」
「うん。幾つになってもたぶんそう」
どうぞと私の背中をそっと押す幸に誘われるように中に入ってみると、広めの玄関のすぐ先に扉がひとつあるだけだった。
幸はさっさとスニーカーを脱いで、先に上がって私を待っている。私はよっととショートブーツを脱ぎながら少しだけすぐ先の扉を見つめていた。
「夏織?」
ついに来た。あの先が幸の部屋だと思うとどきどきわくわくしてしまう。
「ふへへ」
私は変な笑い声を出しながら脱いだショートブーツをくるっと手前に返す。先に上がっていた幸のスニーカーも同じようにしておく。
「いいのに」
「いいのいいの」
そう返しながら振り向くと両手に荷物の幸がやけに近くに立っていて、私の様子をにこにこと見ていた。
ここで私はふと気づく。私のうずうずした気持ちはそろそろ限界だし、いま私達を邪魔するものは何もない。自身の枷ももう要らない。今この瞬間からここを出るまでは、私達は誰にも何にも縛られない。
ここは部屋の中だけれど、私達にとってはくそみたいな今の社会の常識とやらの枠の外なのだ。
私は幸に抱きついた。
「ななっ、夏織?」
「ねぇ、幸」
私は幸の首に手を回す。じっと幸を見つめたあと少しだけ体を預けて目を閉じて幸を待った。すぐにがさっと音がして、私の唇に触れた柔らかくて温かい幸のそれを愛おしく思いながら、私の中に入って私を探してくれている幸に私はここだよと応えると、互いを抑えていたモノはもはや消え去って、暫く夢中になって私は幸を、幸は私を求め合っていた。
深い触れ合いのあとも名残を惜しむように何度か軽く触れ合ったあと、ようやく離れた私達は一息ついたあとふふふあははと微笑み合った。それはもう、頗る笑顔でふたりとも。
「好きだよ、幸」
「私も夏織のこと大好き」
実は、微笑み合っていながらも私はじんわりもじもじきてしまっていた。今すぐにでもそうなりたいと心が逸る。期待もするししてほしいし、それだけ堪らない気持ちになっていた。
だけど今は我慢をする。幸にはバレないようにしておく。だって私はもう一度綺麗になってから私の全てを幸に見てもらうつもりだから。
「どうかした?」
「なんでもない」
「えー、そうかなぁ」
鋭いなぁ。何となくもじもじしててもさすが幸。
けれど私も分かっていた。もじもじしながら頬を赤く染めている幸も私と同じ、きっと今はまだだと思っていて、綺麗な自分を見てほしいと思っていることを。
だから私達は今はちゃんと我慢するのだ。だってほら、私達、中華食べちゃったし。馬鹿なの?
とにかく、好きだろうが愛していようが何であれ、同じ見てもらうのなら綺麗な自分の方がいいに決まっている。
特にこれからふたりでするようなことの時は、私が綺麗になる理由は他でもない貴女のためにすることなの、ただそれだけなのよと、女性なら好きな人には精一杯綺麗になった自分を見てもらいたいと思うものだから。
そう。私達はそういうところは擦れていないの。ある程度歳を重ねていても、結局のところ、心は永遠の女の子だから。乙女だから。特に幸は。ふふふ。
読んでくれてありがとうございます。