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woman  作者: しは かた
101/102

最終話 そしてまた始まる物語的な

これがラストです。


私は頑張った。

タロも頑張った。

みんな頑張った。

えらいえらい。


よろしくお願いします。

 


 え? なんだこれ? 幸? 嘘っ、なんで?


 幸が私に縋って泣いている。私は宙に浮かんでその様を見ている不思議。


 縋り付く幸の隣では、花ちゃんが妹のくせに先にいこうとするなんてとこの馬鹿夏織めがっと泣きながら怒って、恵美さんがそれに頷いている。


 幸が縋りつく私の体はベッドの上、管とかコードなんかがついていて、それに繋がる横の機械がぴーーーって平坦な音で鳴っている。私はそれを知っている。フラットラインというヤツ。


 あーあ


 なんだこれはと焦っていても私はもう察しがついていた。



 ついに来たかと私は思う。

 確か私の記憶では、私は病室を出で屋上で日向ぼっこをしながら、うん、美味いなコレと花ちゃんが持ってきてくれたきんつばを食べていた筈。

 気がついて、目の前に視界いっぱいの泣きそうな幸がいて、私はここで人生を閉じるんだなぁとなんか分かって、急いで幸に声をかけた。

 私が最後を迎えた今、ちゃんとお別れをしないと駄目だからと、そんな思いが強烈に湧いて、幸には伝えたいことを伝えたつもりだけれど、すぐに疲れて眠たくなって目を閉じて…


 そう。私は終わったのだ。私は今この人生を閉じたのだ。



 そして今、幸が今までに聞いたことのない声を上げて泣いている。号泣なんてものじゃないソレは慟哭。聴いていると胸が張り裂けそうになる。幸をそんなふうにして悲しませてしまったことを申し訳なく思う。


 そっか


 私は既に分かっていた。私はいってしまうのだ。ここではないどこか別の場所へ、幸を残してひと足先に私はここを去るのだと。


 そっかぁ、うぐ




 ごめんね幸と私は思う。最後の最後でそんなにも幸を泣かせてしまったから。これからいつかこっちに来て、再び私を見つけるまで、幸はとても辛いだろうと思うから。


 ごめんね幸


 誰かと深く繋がって共に生きるということは、その先には必ず辛い別れが待っているということを私も幸も分かってはいたけれど、それでもこれは超辛いもの。


 残された幸はもっと辛い筈。その想いが泣き叫ぶ幸からひしひしと伝わってくる。


 くっそう


 だからっ。だから私はっ、幸を置いていきたくなんてなかったのだっ。私を置いていかないでと何度も幸にお願いしていたけれど、私の本音は別にあった。先にいくのは私じゃなくて幸であってほしかったのだっ。


 ああ幸


 本当にごめんねと私は思う。

 私はもう幸に触れることはできない。私はここにいるから大丈夫だよと、だからどうか泣かないでと、そんなふうに、幸を抱いて慰めることはもう二度できないのだ。


 幸が私を一番必要としている時に傍にいることができないなんて。


 くそう


 ここでこうして悲嘆に暮れる幸をただ見ているだけなんて、そんなもの、なんの意味もないというのにっ。


 まじでくそったれだ


 幸の気持ちを慮ると辛くて死にそうな気分になる。




 私は今も病室の少し上から幸を見ている。私の頬を涙が伝う。

 へぇ、こんなんになっても泣けるんだなと、私は思った。

 けれど、私の涙にもはや意味なんかないのだ。



 私は死亡宣告を受けた。十六時五分、ご臨終ですと言うヤツ。


 幸は今、花ちゃんと恵美さんに縋って泣いている。その横では、この病院の師長さんになった陽子さんが涙を浮かべながらも淡々と私に付いていた管とかコードを外している。

 私はそれをじっと見ている。




 引っ張られる感覚とともに、不意に周りの景色が変わって、幸が少し遠くなってしまう。


 わんわん、夏織っと声がして、懐かしいその声の方を振り向くとあっちの方からタロが尻尾をぶんぶんとぶん回しながら、早く来てよと私を呼んでいた。側には父さんと母さんの姿も見えて、久しぶりと微笑んでいる。


 そこに行けばみんなと触れ合えるのだと理解する。今すぐあっちへ向かって駆け出したくなる。


 まだだめだから


 けれど私は首を横に振る。ごめんなさいと頭を下げる。私はまだそっちにいくことはできないからと。


 頭を上げると二人とも微笑んだまま、それでいいよと揃って頷いてくれた。これから私がどうしたいのかを理解してくれたのだ。

 そしてその途端、尻尾が垂れてくぅーんと鳴くタロに、母さんが頭を撫でて何か言っているのが見える。もう少し待っていようねと慰めているのだと分かった。


 ありがと


 私は力強く頷いて、またあとでねとどこかへ戻るみんなに笑って手を振ってからまた幸に目を向ける。私はまだ幸の傍にいたいと強く強く願う。


 仕組みは分からない。けれど私はいかない。絶対にいかない。幸を置いていかない。私はここで、幸の傍で、願わくば、なるべく幸が寂しくならないように、幸を見守りつつ幸を待つのだ。


 そしてどうか私の望み通り、甘くて美味いヤツを毎日お供えするのを忘れんなよ幸と願いながら幸を待つのだ。


 仕組みは分からない。けれど私を想って供えられたものは、なんだか味わえるような気がするのだ。

 なら、なおさら私はまだいけない。いけるわけがない。


 私の願いは何かに通じた。私は幸の傍に戻り、私に縋って泣きじゃくる幸に寄り添った。


 私は幸が少しでも寂しくならないようにここにいるのだ。私はここにいるよと、大丈夫だからひとりじゃないからと伝えたいのだ。そう感じてもらいたいのだ。


 幸。私はまだここに、幸の傍にいるからね。







 少し混濁する頭で私は考える。それは最近毎日のように思うこと。


 時が過ぎるのは一瞬。それは私と夏織も同じこと。決して止まりはしない。私達を連れて容赦なく進んでいく。


 私も夏織も順調に歳をとった。いくつとは言わないけど、四季で例えるなら冬、その頃には互いに持病を抱えながらも、足りないものは足りないままながらも、人並みに生きてきた。無いものを除けば私達は概ね幸せだったと思う。


「夏織…」


 若い頃を思い出しては笑ったり泣いたりするのは老人の特権。思い出の中の夏織はいつも笑顔でいてくれる。



「夏織。ここにあったあんドーナツ知らない?」


「なんだって?」


「あんドーナツ。知らない?」


「なんだってか?」


「はぁ。あのさぁ。まだそんな歳でもないでしょうに」


「まぁね。ふふふ」


 よく分からないけど、やけに満足そう。夏織はいい感じだなって顔。


「まったく」


「あ、幸。あんドーナツならさっき私が食べておいたから。腐ると困るし」


「そっか」


「あれ? それだけなの?」


「そうだけど?」


「腐ってなかったの? カビとかは?」


「昨日買ったんだもの。そんなのあるわけないでしょう」


「うそ。まじ?」


「まじまじ」


「くっ。なんだよくそう」


 妄想と違うだろと、なぜか涙目になってくそうくそうとテーブルをばしばし叩いていたなんてこともあった。



「あはは」


 私に甘えていた夏織。私を甘えさせてくれた夏織。何かあれば必ず一緒に怒ってくれて、泣いてくれて、喜んでくれた夏織。

 それら全てが私の宝物。夏織の姿は今もこの胸にちゃんとある。目を閉じれば浮かんでくる。



「色々あった」


「だ、ね」


「思い出せばいつでも会えるから。泣かないで幸」


「むり、だよ」


「だ、な。ありが、と幸。私を愛して、くれ、て」


 いくけどいかない。傍にいるし。あと、飲み過ぎは駄目だぞと、また私を見つけてね幸。愛してると、最後、呼吸を楽にするための酸素マスクを外して苦しそうにしながらも矢継ぎ早にそう言ってくれた夏織に触れることは出来なくても、その存在を間近に感じることはままあった。



「あれ。無いね」


 例えばそう、毎日供える甘くて美味しいヤツの数が合わないことがあった。私が呆けたか、そうでなければ夏織ったらと、そのたびに、うまーい。幸、コレすごく美味いよと、嬉しそうに食べる姿を探して辺りを見回したりしたこともあった。


 当然、姿が見えないけどここにいるんだと、とても嬉しくなることはよくあった。


 夏織はまだいかずに傍にいて、美味いなコレと食べながらいかずに私を待ってくれているのだろう、なんて思えたものだ。


 夜、ひとり静かな部屋でお酒を飲んでいるときも私の左腕に触れるあの暖かさをよく感じていた。ああ、私が置いたパウンドケーキ目当てにいつもの定位置にきてくれたんだなと思えたものだ。


 眠る時もそう。夏織がいなくて寂しく思う時、私の左側にそっと横たわる何かを感じたりもしていたのだ。


 私がぽんこつぶりを見せても、お腹減ったと呟いても、お酒を過ごして寂しいよぉとひとり泣いていても、馬鹿なの幸と、仕方ないな何にか作るかと、大丈夫、私がいるよと、そんなふうに、夏織は声を聞かせてはくれなかったけど、そのたびに感じる温度や匂いに、ふわっと頬を撫でる空気の動きに、夏織は私の傍にいると、私はひとりじゃないんだよねと思えていたのだ。


 けど、それも終わる。寂しかった日々はもうすぐ終わる。夏織に会える。


 そしてまた始まるのだ。きっとそうだ。






「幸おばちゃん」


 呼ばれた声に、怠さを堪えて目を開けるとそこには環の二番目の子、姪のさおりが心配そうに私の顔を覗いていた。


「ああ、さおり。久しぶり。来てくれたんだ」


「毎日来てるでしょ。やだなー。ボケちゃったかー」


「あはは。さおりも忙しくて大変なのに、毎日ありがとう」


「いいのいいの」



 今日は花を持ってきたからちょっとこれと変えてくるなんて言って、花瓶を持って出て行った。


「ぷっ」


 ふとこの耳に、なんだよくそう、どうせなら花じゃなくて甘くて美味いヤツにしろよなっと、まだ食べたことないヤツとか食べたかったヤツとかいっぱいあるんだぞと、文句を言う夏織の声が聴こえた気がした。


「くくく。そうだよね。くくくくく」


 そんなふうに、最近になって毎日聴こえる夏織の声。そろそろだねと私は確信していた。


「やっといける。お待たせ夏織」


 ほんとだぞと、また声がする。私は頬を弛めてしまう。

 いくのは怖くない。だって夏織がそこにいるんだから。

 そんなことを考えて、私はまた目を閉じた。いやに眠たい。




 私を置いて夏織がいってしまったのは五年前。

 夏風邪を拗らせて肺炎になってそのまま…ということはなく、甘くて美味いヤツを喉に詰まらせたわけでもなく、少し体調を崩し、大事をとって二、三日入院することにした病院の屋上、そこのベンチの陽だまりで眠るように意識を失っていたのだ。その手にお見舞いの品、齧ったきんつばのかけらを持ったまま。


 そのあと少しだけ意識を取り戻して私にお別れを言った。


「ありがと幸。辛くなるからいつまでも泣かないでね。私達はまた逢えるでしょ?」


「…ゔん。ながないようにがんばる。また、ね、夏織。愛してる」


「うへ、へ。私も愛、してる」



 夏織はちゃんと言えてよかったしと目を閉じて、そのまま眠るようにいってしまった。

 七十四歳。老衰というには若過ぎるけど自然な死だった。


 その少し前の夜、眠る前、久しぶりにそっちで眠ろうかななんて言って、もそもそと私のベッドに入ってきた夏織は私の体に抱きついて、幸ありがとまた明日ねと伝えてくれて、すやすやと眠ってしまった。


 私も久しぶりに夏織の体温を感じながら、穏やかな気持ちになってそのまま眠ってしまった。

 それが今生で最後の添い寝になると分かっていたら、もっと何かできたことがあっただろうかと、今もたまに思う。


 会社を辞める時に、私達はパートナーシップ制度を申請した。入院とか、万が一に備えるべきだと、そう話し合ったのだ。


「私達は同じお墓には入れないし子供もいないしさ、だから樹木葬とか散骨とかでいいんじゃない」


「だね」




 その後、夏織の両親が順番にいってしまって身内が全ていなくなった時、夏織は立ち直るのに暫くかかった。


 そうしてようやく自分の中でけりをつけたあと、夏織は引受人を幸にした公正証書の遺言書とか諸々、弁護士さんに依頼しておいたからとよろしくねと笑って言った。

 その笑顔は、何かを吹っ切ったように思えた、清々しくも、往年のゆるふわを私に思い起こさせてあまりあるとても素敵な笑みだった。


「かはかはっ」


「あ。久しぶりに見たなそれ」





 そして私は夏織がいってしまって悲しみに暮れながらも、ふたりで話し合ったことを、環と健一とさおり、そして恵美さんや花ちゃんに助けてもらいながら頑張ってやり遂げた。


 さらには、私が名も知らぬ同い年くらいの女性たちとか、以前会社でお世話になった吉田ですと名乗った夫婦も夏織に会いに来てくれた。


 私はその後のとても辛い時期を、恵美さんや花ちゃんが千夏とふたりで遊びに来てくれたりとか、環やさおりが毎日のように顔を出してくれて、みんなの助けを借りてどうにか乗り越えることができた。

 それについては今度あった時、えらいえらいと夏織に褒めてもらおうと思っている。


「あはは」


 私がいってしまう時、私も私の抜け殻を夏織と同じところに、夏織と同じようにしてもらうことになっている。


 私のことは環とか健一とかさおりが全てをしてくれるから、そういう意味では私が残されてよかったなと思う。


 乗り越えたとは言ったけど、夏織がいってしまってからこれまでずっと私はとても寂しくて辛かった。

 けど、身内、家族という意味で、夏織をひとりぼっちにしなくて済んで本当によかったなと思っている。私でこれだけ辛いんだから夏織なら耐えられなかった筈だから。


 私は夏織を奪ったいるかも分からない神様を怨みつつも、こんな思いをさせなくて済んだことだけは感謝している。






「幸っ」

「「幸おばさんっ」」


 どれくらい眠っていたのか、私を呼ぶみんなの声がする。けど、私はもう目を開けない。というかもう開かないのだ。

 その代わり頑張って、ありがとうみんなと呟いた。伝わったかどうか分からないけどたぶんいけた。途端にみんなの泣き出す声が聴こえたから。


 そして私は終わりが始まったのだと分かった。

 環が私の手を取って、さおりが私に縋って泣いている。仕事があるだろう健一も、いつの間にかやって来て、私のために泣いてくれている。私は宙に浮かんでそれを見ている。


 ありがとう


 心はとても穏やかだった。そしてわくわくしてもいた。だって、これでようやく夏織に会えると分かっているんだから。



 私と夏織が紡いできた物語は終わった。

 私の死も夏織の死も、広い世界からすればどこにでもある些細なこと。命がひとつ、またひとつと世界から消えただけで、この死を悼む者は身内と友人達。世界は何も変わらない。


 私と夏織の残した軌跡もみんなのそれと同じ、いずれ埋もれてしまう物語。世界の片隅であったどこにでもある物語、というヤツだ。





「幸っ、幸っ」


 ここはどこだろうと思う私を呼ぶ夏織の声がする。間を置かず体に衝撃が走る。


「うわっ。夏織?」


「そうだよっ」


「ああっ」


 ここに来た途端、私の胸に夏織が飛び込んできたのだ。私はそれを余裕で受け止めた。


「夏織っ」


 この感触は久しぶり。私はその首筋に顔を埋めて夏織の匂いを確かめる。


 夏織はやはりここにいた。待ってると言った言葉通りに、ここでひとり、私を待っていてくれたのだ。


 これまでに、私がふとその存在を感じたことは間違いじゃなかった。夏織はいってしまってからもずっと私の傍にいてくれたのだ。私を心配して、そして私が迷わないように、夏織をすぐに見つけられるように。



「さーちぃ」


 私の名を甘えるように優しく呼んで、夏織は体を少し離し、ゆるふわーく微笑んで私を見つめている。

 キスを待っているのかと思って、顔を近づけようとすると夏織はそのゆるふわをやめた。


「遅いっ。いつまでも待たせやがって、このっ、のろま幸めがっ」


「えぇぇ。あだっ」


「しかもしわしわじゃないとか。お婆ちゃんになったなって笑ってやろうと思ってたのにっ」


「は? なにそれ? あはははは」


「ふーんだ」


 頬を膨らませて私を叩いた夏織。

 遅い遅いと、待ちくたびれたぞもうと、なんで幸しわしわじゃないんだよまじ悲惨って笑いたかったのにと、あれこれ文句も言いながらもその顔を歪めて私に抱きついた夏織。私も泣いてしまいそう。


「待たせちゃったね。ごめんね」


「ううう、さちのばかぁ」


「ごめんごめん」


「さちぃ」


「夏織」


 仕組みは知らない。けどそんなことはどうでもいい。私の夏織にこうしてまた会えたのだ。


「ううう」


 私は顔を擦り付けて私の名を呼んで甘える夏織を思い切り抱き締めた。


「ぐぇ」


「会えてよかった」


「私も。けど、苦しいから離せっ」


「いやよ。ぜったい離さないっ」


「なっ。ぐぇぇ。ぎぶ。きぶだからっ」





 ようやく落ち着いた私達はくっいたり離れたり、揺蕩いながら話をする。

 夏織は首を傾げていた。


「なんでかな?」


 夏織の姿は私達が付き合い始めた頃くらいに見える。若くてとても可愛い。


「なんかそうみたい。不思議」


「そうなんだ」


「幸もだよ。皺がない。まじがっかり」


「なんでよ」


 私の不満を当然のようにスルーした夏織は、あ、そうそうと何処かから袋を取り出した。それは私が仏前によくお供えしていたヤツだ。


「でね。コレやっぱ美味い。供えてくれたヤツ、他のも全部美味かった。ありがと幸」


 その手に齧りかけのきんつばとヨーチの袋。

 夏織が倒れた時に持っていたきんつばと、私が入院する前、ごめん、ちょっと行ってくるから待っててねと私が最後に供えたヨーチ。

 全部食べれたんだよ凄くない? 不思議だよねと夏織は笑う。



「くくく。そっか。よかった」


「あとね、みんなあっちで待ってるよ」


「みんな?」


「うん。父さんも母さんもタロも待っててくれたの。だから今なら幸の両親もきっと居るはず」


「ほんとっ?」


「うん。だってほら」


 夏織は大きな河の向こう、対岸を指した。


「幸にも見えるでしょ。お出迎え」


「あ…」


 懐かしい姿が見える。大きく手を振る私の父と母。


「ね」


「ほん、と、だ」


 込み上げるものを感じていると夏織が手を取った。いつも繋いでいた細くて綺麗な指に私のそれに絡めてくる。


 ここまでずっと不思議なことばかり。信じていた、とはいえ、なぜ夏織に会えたのか。なぜまたみんなに会えるのか。

 仕組みはさっぱり分からない。けれど、そういうものだと思えばいいのだ。



「いくよ」


「うんっ」


 絶対に離れない離さない。泣いたカラスは笑顔満タン微笑み合って、大きく頷き合った。


「せーので」


「わかった」


「じゃ、いくよっ、いっせーのっ」


「せーのっ」

「せっ。ちょっとっ」


 私は思わずストップをかける。何を考えているのよと夏織をまじまじと見つめてしまう。


「なんだよ幸。せーのっでって言ったじゃん」


「は? 夏織こそ。いっせーのならせっ、でしょう?」


 この掛け合いも久しぶり。けどなんだか凄くしっくりくる。私達は笑ってしまう。


「ぷっ。ふふふふふ」


「あははっ、あはははは」


 夏織はやはり夏織だった。なんだかよく分からないこんな場所でもやることは来てしまう前と同じ私の愛した最愛にこうしてまた会えたのだ。

 嬉しくて堪らないのは当たり前。私達らしくわいわいはしゃぐのも当たり前。



「さてと。いつまでも待たせてたら怒られる」


「だね」


「じゃっ、いくよっ」


「「せーのっ」」



 私達は足を踏み出して河を渡った。懐かしの人達に会ったあと、そこから先は神のみぞ知る。けど私は夏織と共に進むだけ。繋いだ手に力を込める。


「ん?」


 味噌汁? はて、いつか誰かがそんなことを言っていたような。

 私は歩みを弛めて首を捻る。


「幸っ」


 ほらほらみんなそこに居るから早く行こうと私を引っ張って、一歩分先を行く夏織が私を急かす。

 見ればその奥に私の大事な人達が手を振っている。わんわんと夏織に駆け寄ろうとするわんこも居る。


「お父さんっ。お母さんっ」


 私も手を振りながら、わんこに顔を舐められ始めた夏織の横を通り過ぎて親の元に向かった。






「また一緒に」

「えと、それはちょっと…」

「母さんまじかっ?」

「嘘よ。また一緒にね」

「焦ったぞっ」


「父さんも母さんもなにしてんの?」


「「私達は一緒に」」


「幸のとこはさすがだな」

「まぁね。あはは」


 そんな会話をして、またねと言って先に進む私の飼い主達や幸と呼ばれる彼女の、親?



「私はこのまま。離れない」

「私もこのまま。離さない」


 そんなふうに希望を口にして、私の周りに居た人達は順番に居なくなった。仕組みは知らない。けど、そういうものだとなんか分かる。

 そしてまたふたりここから居なくなる。


「タロは? まだ?」


「わんわん」


「そっか」


「夏織。また会えるよ」


「うぐ。ぞうがなぁ」


「わんわんっ」


「ほら。タロもそうだよって言ってるじゃない」


「ぞうだげとざぁ」


 そして彼女は最後に思い切り、だけどとても優しく私を抱いてくれた。


「タロ」


 この人ならもしかしてと、淡い期待を抱いてその後ろを着いて行ったら行き場がない私を拾ってくれた私の恩人、大好きなこの人は、ご飯をくれておやつもくれていっぱい遊んでくれて、野垂れ死ぬだけだった私は幸せのうちに生涯を閉じることができた。


 私は最後に顔をいっぱい舐めて大好きですと想いを伝えた。


「ばいばいタロ。けど、またねだからなっ。絶対だからなっ。うぐっ」

「タロまたね。また夏織をを見つけてね。それから今度は私もね」


「わんわんっ」



 私との二度目の別れにまたも泣いてくれている優しい彼女を彼女の最愛が大丈夫だよまた絶対会えるからと慰めている。


「うう、幸ぃ。ううう、タロぉぉぉ」


「あーあー。こんなに泣いちゃって。よしよし」


 そんな掛け合いをしながら彼女とそのさいあいが先に進んでいった。



 彼女がいれば大好きな彼女は大丈夫。私はそう確信して目を閉じて、暫しの惰眠を貪った。私は犬だからすぐに眠たくなるのは仕方ないのだ。ぐー。





「タロ」


 目を覚まし、私は声に導かれるままいよいよ先に進む。そして私はそこで、この人に会ったのだ。なんでもこの世界を創った神様ともいえるだとか。


「君は本当にそれでいいの? なんならあの子の兄弟とか姉妹でもいいんだよ?」


「わんわん」


 そう問いかける声に私はわんわん吠えつつはいと念を送る。


 彼女達は次も同じで在りたいと、ただ、できれば次はもっと暮らしやすい世界がいいんですけどと、彼女達がしはかたと呼んでいたこの人にそう願っていた。


 私はそれを助けたい。せめて出逢わせることくらいはしたい。間違いなくまた彼女の元に行けるよう、私は最後まで残ったのだ。

 彼女の兄弟として人間に生まれ変わったら、それはそれで楽しいかもだけど、せっかく覚えている匂いを嗅ぎ取れなくなってしまう。それでは彼女の最愛を、幸と呼ばれる彼女を見つけられないかも知れない。


「うーん。大丈夫なんだけどね。まぁ、わかったよ。じゃあ送るけど、何か希望はある?」


「わんわん」


 彼女が好きだと言った奴になりたいです


「アレか。いいよ。良い旅を。またね」





 どれくらい眠っていたのだろう。トンネルを抜けて産まれた私は少しするとガラス張りのスペースに入れられた。


 ここは彼女達の望んだような世界なのかと考えながら、私は本能のままに、ひとりで遊んで覚えたトイレで用を足して、世話をしてくれるお姉さんに遊ぼうよと戯れかかって、ご飯を食べて眠たくなったらうとうとしながら覗き込んでは去っていく人間を眺める毎日を過ごす。


「わんわん」


 そう。私はひとつの使命を持って産まれたのだ。


「ふわぁ」


 あ、眠くなっちゃったからそろそろ今日はこの辺で。もぞもぞ。


「ぐー」




 そんな毎日を過ごし、ガラスのない、ゲージに入れられたある日、なぜか惹かれる弾む丸いころころ転がるヤツで遊んでいる時に、ついに、私の待ち人が、確かに嗅いだことのある匂いのする両親に連れられてやってきた。

 微かな記憶に残る、私にずっと優しかった彼女の面影とは少し違う気がするけど、匂いがそうだと教えてくれるあそこに居たみんな。


「わんわん。わんわん」


 ここだよここ、私だよと呼びかけて、私は彼女の方へ、尻尾をぶんぶんぷん回し、ゲージを乗り越えようとジャンプする。吐く息が荒くなる。


「はっはっ、はっはっ」


「あっ。かわいいー、てかカッコいいー」


 私に気づいて目を輝かせ、彼女がそう声をあげてとととと近づいてくる。


「うんしょ」


「はっはっはっ」


「タロ?」


 そして、ゲージの上から手を伸ばして私に触れた。


「あー。お漏らししてるー」


 無自覚でも私を分かってくれて、私は喜びのあまりうれしょんしてしまった。彼女達が言っていた黒いヤツだ。くっ。


「ふふふふふ。けど大丈夫。私も小さい時はしてたから」


 けど彼女は、子供だもんねー、しょうがないよねーと、笑って私を撫で続けていた。


「この子がいい」


「こりゃまたでかくなりそうだな」

「ちゃんと面倒見るのよ」


「わかってるって」





「タロは今日からタロだから」


「わんわん」


 と、ボルゾイなのに再びタロと名付けられた私はとても嬉しかった。彼女は私を忘れていてもその魂には私のこともちゃんと刻まれていたと分かったから。


 その日から月日は流れて彼女の家に来て六年目。彼女はだいぶ大きくなって、私もすっかりでかくなって完全にこの家の一員になっていた。悪びれもせず気の向くままにする日向ぼっこもお手の物だ。


 ということで、私は学校というところに毎日出かけていく彼女の帰りを待っている毎日。



「ただいまタロっ。おさんぽ。いく?」


「わんわん」


「よしっ。じゃあいこう」


 私は起き上がり大きく欠伸を一つ。それからぐぅぅっと伸びをして彼女の後をついていく。


 出逢った頃に比べると、彼女は大きくなった。小さかった歩幅は周りを歩く大人のそれと変わらないほど。


「タロ。でかいうんち袋、コレ二枚あるから、二回してもいいよ」


「わんわん?」


 同じ言葉を話せないのはもどかしい。私は今、なんのこと? といったつもり。


「遠慮すんなって」


 そう言って私を撫でる彼女の手は記憶の通りこの生でも変わらず優しい。

 本質は変わらない。魂とはきっと、そういうものなのだ。



「今日はそっちに行きたいの?」


「わん」


「いいよ。いこう」


 いつもと違うコースを選んでずんずんと、彼女の先を歩く私はあの場所で嗅いだことのある匂いを追った。

 それは優しい彼女が寄り添っていた女性の匂い。


「わふ?」


 いたっ。私はお願いされた通りちゃんと彼女を見つけたのだ。




「あっ。ちょっと、タロっ」


 彼女が軽く握っているのは知っていた。リードを引っ張って、私の首に負担をかけることを彼女はしないから。

 その信頼の一瞬の隙をついて私は匂いの元に駆け寄った。

 これも私の役目だと私は分かっていたのだから。タロも協力してねと、お願いねとふたりからそう頼まれたのだから。


 私はその女性にじゃれついた。


「おっと。あはは。でかくてかっこいいね。飼い主さんはどうしたの?」


「タロっ。だめじゃんっ」


「タロ?」


「あっと……うちのタロがごめんなさい」


「全然余裕……この子は、あなたの犬? タロ?」


「そう。タロだよ」


「タロ…」



 それから、あの、えっと、と、呆然として見つめ合う彼女達の間に陣取って、私はこの時代でもふたりを出逢わせるという役目を果たしたことに満足しながらこの成り行きを見守っている。


 ふたりが始まるまで少し時間がかかりそうな。だけど私はこの先どうなるかを知っている。姿かたちが変わっていても魂は記憶してるのだ。


「ごめんなさい。迷惑かけて」

「そんなこと気にしないで」


 焦れる。


「あの、友達に」

「連絡先交換しない?」

「するっ」


 まじ焦れる。そこからかと、私は呆れてしまう。気に入ったなら襲ってしまえばいいのにと思ったけど、私は獣で彼女達は人間。私達とは違うんだったと思い出す。


 彼女達が同じなのは魂だけで、姿は違うし頭の中に記憶はないからこの展開は仕方がないことだけど、私はでかい犬種だから生きてもあと五、六年。それまでにどうにかしてほしい。焦れる。ったく、気に入ったなら襲ってしまえばいいのだ。


「うー」


 できれふたりの幸せな姿を見てから私はいきたい。またあそこで長い時間みんなを待っているあいだ、私はちゃんと使命を果たしたと安心して待っていたいのだ。



 次は彼女の弟か妹にでもしてもらおう。そうしたら長い時間、彼女と一緒にいられるから。


 と、そんなことを考えていると、


「ふふふ」

「あはは」


 なにしてる人? 私は高校生だよ、どこの? あそこ、あー、あったまいいねー、そっちこそ、と、今は楽しげに話しているふたり。


「もしかしてお肉好き?」


「よくわかったね。すっごく好き」


「…なるほど」


「あなたは甘いもの好きでしょう?」


「うん。大好だよ」


「やっぱり…」


「じゃじゃんっ。これ食べる? まじ美味いよコレ」


「おっ。いただきっ」



「ふわぁ」


 そんなふうに仲良くなっていくふたりを置いて、ふたりは人間だし、まぁ、始まりはそんなものかと欠伸をひとつして、私は地べたに伏せて目を閉じる。


 私はわんこ。すぐに眠くなっちゃっうからそこは仕方ないのだ。ふわぁ。



「なんだよタロ。寝ちゃうの?」


「あはは。退屈なんだね。ごめんね」


「あっ。ねぇ、そう言えばさ」


「なぁに」


「名前。まだちゃんと訊いてなかった。教えて」


「あっ。そうだったね。あはは」


「えっとね、私の名前は」

「私はね」









 おしまい






これで終わりです。


私が創った私の世界ということで、最後は私の望むがままにさせてもらいました。


超猛者の皆様、最後までお付き合い、ありがとうございました。

興味がありましたら、このあと上げるあとがきをご覧くださいませ。


読んでくれてありがとうございました。

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