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次の土曜までは、とてつもなく長く感じた。
そして、土曜当日も、開店からの一分一秒が長く感じられ、ドアが開く度に顔を向けていた。来るとしたら閉店間近だと予測できるはずなのに、それでもドアを見ずにはいられなかった。傍目から見たら滑稽に映っていたに違いない。
そして、ラストソングが始まって間もなくドアが開いた。歌うのも忘れて、ドアを視ていた。
そこには、奈美の姿があった。すると、嬉しさのあまりに動揺したのか、不覚にも歌詞を忘れてしまい、目が合った途端、その安堵感からか、今度はギターのフレットを押し間違えてしまった。
ドラムのチー坊から顰蹙を買ったが、俺は笑顔だった。ガキのような笑顔だった。
「本日はご来店、誠にありがとうございました。皆様と過ごしてまいりました楽しい一時もそろそろお時間となりました。またのお越しを心よりお待ちしております。
♪さよなら~、バイバイバイバイ~、さよなら~、さよう~なら~
ありがとうございました」
閉店時間を告げるラストソングを歌い終えた俺は、ギターを置くと直ぐに奈美の元に急いだ。
そして、横に座ると、カウンターの下に隠れている奈美の手を強引に掴んだ。向けた奈美のその視線は、俺の誘いを待っているかのように、頼りなく、弱かった。――
奈美はベッドの中で、自分の性癖を教えるかのように、主導権を誇示していた。それは、嘗てない経験だった。それまでの女は皆、俺の手にすべてを委ね、阿り、自分という物を持っていなかった。つまり、大人の振りをしていただけだった。
だが、奈美は違っていた。本物の“大人の女”だった。奈美を抱いているというより、奈美に抱かれているという方が正しかった。
――だが、一度肌を重ねただけで、奈美は消えた。益々、奈美への想いは募った。
「お互いに大人でしょ?プライベートを詮索するのはよしましょう」
俺が電話番号を聞いた時の、奈美の返事だった。
つまり、俺は遊ばれたのだ。そう気づいた時は既に遅かった。そんな奈美の本心を知ったのは、腑抜けにされた後だった。
俺が玩具にしてきた女たちの気持ちが分かるような気がした。その時、“蹉跌”という言葉が脳裏を過った。
マキが死んだことを知ったのは、それから間もなくだった。中絶手術のミスだったそうだ。俺は自責の念に駆られた。俺が殺したような気がした。……罰が当たったのか。
間もなくして、バンドを解散した俺は、会社勤めをし、社内恋愛の末に結婚した。――
それは、一人娘と一緒に新宿のデパートに買い物に行った時のことだった。
優雅さと気品を兼ね備えた和服姿の女性が目に留まった。三十半ばのその女性は、旦那に買うのか、恋人に買うのか、男性用の高級腕時計を選んでいた。
何気に目で追っていると、振り向いた女性と目が合った。
途端、俺は目を見開いた。
それは、紛れもなく奈美だった。愕然と俺を見据えた奈美は丸くした目を直ぐに逸らすと、逃げるように足早にエレベーターに向かった。
芥子色の袋帯は、エレベーターのドアが閉じるまで、背にある絵柄を見せていた。
俺は突如、虚無感に襲われた。それは、砂を噛むように味気ないものだった。
……フン、自業自得か。そう、自分に言い聞かせると、俺のような男に引っ掛かるなよ、と女房へのプレゼントを選んでいる娘に、心の中で忠告した。
デパートを出ると、一足早いクリスマスツリーが点滅していた。電飾がキラキラと輝いて、そこだけが別世界に思えた。奈美がカクテルの色に陶酔していたのと同様に。
娘は目を輝かせながらクリスマスツリーを見上げていた。
俺には不釣り合いのクリスマスツリーだが、娘には、“おとぎ話”を演出してくれる魔法のアイテムだったに違いない。
終




