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いのちの残高  作者: 村井なお
第四章 六桁
13/15

13. 怪しい者ではありません

「センセ」


 脇から声をかけられます。振り返ります。


「どもっす」


 えり緒さんです。手を挙げて挨拶をしています。


「修羅場ってるっすか」


「今いいところです」


「かぶりつきっすね」


 美桜さんを連れてきたのはえり緖さんです。


 えり緒さんが窓から覗き込みます。僕は押しのけられます。


「気づかれないようしてくださいね」


「平気平気。役者は劇に夢中っすよ」


 えり緒さんの顔が歪みます。愉悦の色です。


 遠くから声が聞こえました。


 振り向きます。警備員さんが歩いてきます。


 えり緒さんが体を離します。僕も器具庫の壁から離れます。


 警備員さんが誰何します。


「怪しい者ではありません」


 僕は正直に答えました。


 えり緒さんが僕にささやきます。


「今いくら持ってるすか」


 僕は黙って指を三本立てます。


 えり緒さんが一歩前に出ます。


「こちらは家庭教師をされている天川先生です。五者面談においでくだすったのですが、道に迷われたとのことで、わたしを呼びつけられたのです。わたしが校門までお連れいたしますのでお構いなく」


 警備員さんは口を開けて固まっています。


「えり緒さん。まだ授業中です」


 可愛い教え子の顛末を見届けねばなりません。


「先生」


 えり緒さんの肘が肋骨に刺さりました。もちろん警備員さんには見えない角度です。


「通報されないだけ御の字っすよ」


 えり緒さんが耳打ちします。


 警備員さんが気を取り直しました。早々に出ていくようにと僕たちを促します。


 器具庫の窓を見ます。真っ暗です。離れてしまったので中が窺えません。


 えり緒さんが僕の腕を引きます。


 こうなっては仕方ありません。


 校門の外に出ました。


 警備員さんはまだこちらを見ています。尚も不審の念を抱いているようです。


 この期に及んでは早々に立ち去るのが吉というものです。


 停めておいたヴィッツに近づきます。


 コートの裾を引かれました。


「センセ、お小遣い」


 えり緒さんが手を差し出します。満面の笑みです。


「はい」


 財布を差し出します。


 引ったくられました。


 えり緒さんが財布を開きます。笑顔が固まります。


「足んないすよ」


「ちゃんとあるでしょう。三千円」


 えり緒さんは頷きました。お札を三枚抜きます。


 財布が返ってきます。


「センセ、学習能力ないっすね」


 えり緒さんは僕に背を向けました。


「教えたはずっす。無手でアウェイに乗り込んじゃダメって」


 えり緒さんが手を挙げます。


「助けてください。不審者です」


 警備員さんと目が合います。


 僕は笑って会釈をしました。


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