7 丸焼きの意義は美味しさではなく視覚効果
ディナーは確かに美味しかったが、質よりも量に圧倒された。
メインディッシュの一つとして、ガチョウの剥製の中にガチョウの丸焼きが入れられていた。俺にとってあまり食欲をそそるものではないが、21世紀だったらインスタ映えしただろう。
「一回一回ガチョウを準備するのも大変そうですね」
隣のヴェルデ様に話しかける。
「あの剥製は使いまわしているんですよ。」
ヴェルデ様はいたずらっぽそうに笑う。この方は大公のご婦人にあたり、大公が欠席したこのパーティーでは女主人とも言える。気取ったところがなく、感じのいいおばあさんと言う感じだ。ちなみに大公は結局挨拶にも出てこなかった。
「それを言えば、例えばあの優雅に飾られたナプキン、誰も使っていないでしょう、あれも飾り用で、あれを触りたくなる頃にもっと実用的な2枚目のナプキンが来ますよ。」
折り紙のようなナプキンを指してふふふと笑うヴェルデ様。ドイツの名家出身で政治熱心と言われるコンスタンツァ様に比べて、地元ヴェローナの伯爵家の出であるヴェルデ様は街の揉め事や一族の行事にあまりタッチしないそうだ。ご高齢なこともあり、俺の記憶喪失は伏せておく予定だったが、ディナーの際に俺の隣に座り、かつ俺でも相手ができる女性が他にいないと言うことで急遽白羽の矢が立ったのである。本人は嬉々として協力してくれた。ちなみに席順は男女男女と交互に並ぶのが慣例らしい。
席が決まった時にピエトロは「パウロ様は経験豊富な方が好みだという噂がありましたが、まさかそれほどとは」などと言ってきたが、ピエトロにしてはひねりが効いていないやっかみである。
「マーキューシオがあなたと話したそうにしていますね」
ヴェルデ様は色々楽しんでいるようだ。
「どうか隠れさせてください」
ヴェルデ様から2人挟んだ向こう側にいるのが俺の従兄弟のマーキューシオ様らしい。コンスタンツァ様が気をそらそうとしているようだが、どうにか成功してほしいものだ。ちなみにここからではマーキューシオ様が完全には見えないので、どんな見た目なのかはよくわからない。
「牡蠣がきましたよ」
そうだ、従兄弟よりも今は牡蠣だ。この時代の貴族は牡蠣が好きなようで、生で食べたり焼いたりして食べる。一方ムール貝は庶民の食べ物らしく、伯爵家の食卓には上がってこない。味付けがシンプルすぎるきらいがあるこの時代、素材だけで美味しい牡蠣は貴重だ。
「美味しい。でも牡蠣はいつも調理がワンパターンですね。トマトで煮込んだものなども食べてみたいです」
「トマト、とはなんですか」
やっぱりないのか。ヴェルデ様なら多少のおふざけは許してくれると思って確かめてみたが、こっちの時代で一度もトマトを見かけていない。ジャガイモやトウモロコシもなく、なんというかビタミン源のバリエーションが少ない。
「いえ、珍しい香辛料の一種だそうで」
誤魔化すように用意していた適当なセリフを言ってみる。
「まあ、香辛料は高いですからね」
そう、香辛料はすごく高いのだ。なんでも東洋から運ばれてくるらしい。こっちで会ったイタリア人は皆日本のことは知らなかったが、香料が取れるというインドは知っている。
需要があるのは頷ける。冷蔵庫がないこの時代は肉は塩漬けになるか燻製にするかしかないみたいで、肉料理は全般的に風味が乏しいのだ。ちなみにハムはスーパーにあるような薄く切られた肉のことをさすんだと勘違いしていたが、燻製したハムは硬いので薄く切らないととても噛めないのだということを知った。13世紀でもやっぱり発見はある。
「今年は1301年、ついに13世紀になったのに香料の生産は増えないんですかね」
ちょっと頭のいい感じのコメントをしてみる。
「1301年は14世紀ですよ。」
ごめんなさいヴェルデ様、せっかく小声で知らせていただいたのに、奥のマーキューシオ様の影が笑っているように見えます。
でもディナーパーティーは話題につまる。いや、21世紀のことを話すわけにはいかないし、ピサの斜塔落下事件は当事者であってかつ当事者でないし、何か話題を提供しようとして13世紀と14世紀を間違えるのもまあ当然の流れである。ほら日本史選択だったし西暦は難しい。
「あれはなんでしょうね」
ヴェルデ様が暦から話題を変えてくださった
「あれはゆで卵ですね。」
明らかにむかれたゆで卵が積んであったが、ヴェルデ様はお年だからか目がよくないのだろう。一つとって差し上げる。
「僕もせっかくだしいただこうかな。」
品種改良が進んでいないのか、こちらでも鶏も卵も小ぶりだが、味はなかなかいける。口に一つ放り込んでみる。
「ん!」
フィッシュケーキだった。さつまあげみたいな感じ。表面をテカらせて卵に似せていたみたいだ。
「そうやって違う食べ物に似せるのが流行なんですよ。こうして食卓が盛り上がりますからね。」
謀ったなヴェルデ様。楽しそうになさっているが、おくのマーキューシオ様の肩が震えている。からかわれる前に帰りたいがどうしたらいいだろう。コンスタンツァ様がこの人大丈夫かしらと言ったように見つめてくるのも辛い。
「残念ですが伯父が呼んでおりますので、途中ながらお暇しようかと」
「大公殿下はパウロ様を呼んでいませんよ。」
大公夫人には殿下の宝刀も通じなかった。