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5 コーヒーが修道士の秘薬だった時代

宮殿は石造りかと思いきや赤煉瓦造りだった。綺麗には綺麗だが外から見ると刑務所みたいな作りをしている。


「いかついな」


思わず呟いてしまう。


「いざという時に籠城できるように設計されておりますからな。」


テオバルド司教様が答える。戦国時代の城みたいなイメージだろうか。


監獄みたいな門を抜けていったん中に入ると、雰囲気はガラッと変わった。中庭のテーブルには集められた花やフルーツが並んでいる。ディナーの会場になるホールを覗いたが、高い天井の部屋に色とりどりのタペストリーがかけられ、絢爛っていう漢字がしっくりくる雰囲気だ。建物の外には一族の紋章が垂れ幕のように垂れ下がっている。ちなみにスカラ家の紋章は赤地に白い梯子。もうちょっと格好いいのはなかったんだろうか。


「ディナーがご心配ですか。両隣は安全なゲストで固めてありますが」


司教様が小声で話してくる。俺はホスト一族の人間なので、ディナーの席順は配慮してもらっている。今回はダンスの時間も食前に少しあるだけで、伯父に付き添っていれば踊らずに済むらしい。問題はディナー前の食前酒の時間と、ディナー後の団欒の時間だ。そこがいわゆる社交タイム。必死で名前を覚えたご令嬢達と話す時間だ。


「なんでディナーだけじゃないのかな。食前酒とか特にいらないと思うんだけど」


ため息をつきたくなる。


「ディナーは用意に時間がかかりますし、全部出来上がる時間はなかなか予想できません。また片付けも煩雑で会話の邪魔になります。その間にゲストが応接間で食前酒と軽食を食べ、あるいは食後酒とデザートを食べる、それが大まかな意義ですかな。」


毎回思うのだけど司教様の説明は簡潔だ。自己紹介の時に皇帝とのコネを示唆していたが、多分優秀さも買われて司教になったのだろう。食後酒はコーヒータイムに相当するようだ。残念ながらコーヒーも紅茶もこの時代にはないらしく、ピサにいたときから何かにつけてワインや果実酒が登場した。俺はあまり冒険をしない高校生だったので酒を飲んだことはない。


「酒の話は結局どうなった?」


司教様に耳打ちする。事前に酒は避けたいと通知してあった。


「バルトロメオ様が大事をとって、果実の絞り汁と入れ替えることになっております。ピエトロが給仕として入り込んでいるので、飲み物は彼からだけもらえばよろしいかと。」


つまりはジュースを飲むことになるようだ。


建物の前で主催者側で従兄弟のバルトロメオ様とコンスタンツァ様がゲストを歓迎していた。俺もホスト側だが、準備を手伝った訳でもないので、空いてる時を見計らって挨拶に伺う。


「パウロです。お招きいただきありがとうございました、バルトロメオ様。」


「来てくれてありがとう、パオロ。無理を言ってすまない。」


バルトロメオ様ががっしりとした手で握手する。パウロっていう人とパオロっていう人がどちらもいるのだが、パウロがラテン語読みでよりフォーマルに聞こえるみたいだ。いとこでも念の為「様」をつけて読んでみたが、訂正されなかったのでどうやら尊称をつけるのが当然らしい。


「事情はテオバルドから聞いていると思うが、元気な姿を見せてくれるだけでいい。無理して喋らなくていいからな。」


バルトロメオ様は颯爽としていた肖像画よりも威厳のある雰囲気だ。おそらくはまだ三十代前半くらいだろうか。がっしりした体格をしていて、歴戦の名将と言われるだけの風格がある。


「ありがとうございます。伯父様はどちらですか」


肖像画の老人は見当たらないようだ。


「大公様今日もご気分が優れないようで、ディナーの前のご挨拶だけすることになっているの。ディナーは欠席される予定よ。」


隣のコンスタンツァ様が続ける。


「バルトロメオ様のご意向で、空いている席の隣にあなたが座ることになったわ」


コンスタンツァ様は肖像画よりも二割り増しくらいで美人で、ヴェローナでは珍しい金髪が鮮やかだ。一方で肖像画よりもきつい目つきをしているので、この人に限れば絵は全くあてにならなかったと言える。予習内容についていえば、彼女はドイツの名門ホーヘンシュタウヘン家の出身で、スカラ家よりも高貴な家だそうだ。イタリア語を習得するのは大変だっただろうけど、イタリアに来て10年にしては訛りのない発音をしている。


「色々と首をつっこむのが好きなマーキューシオはバルトロメオ様と私が相手をする予定なの。あなたは煩わせずにすみそうね。」


ちなみに「夫」や「おとうさま」の代わりに「バルトロメオ様」や「大公殿下」と呼ぶのがこの時代のルールのようだ。一方で夫の従兄弟ながら臣下であるパウロは「あなた」でいいらしい。複雑すぎて覚えていられない。


「マーキューシオは悪いやつではないのだが、性格的に信用がおけなくてな。一族の主要人物ではあるんだが、パオロの記憶喪失は知らせていない。一方でその弟、ヴァレンティノはうって変わって寡黙で誠実だ。できれば知り合っておくといいんだが。」


バルトロメオ様は続けようとしているが、待ってほしい、脳からカタカナが氾濫しつつある。


「ありがとうございます。でも頭の中は今日覚えた令嬢の名前でいっぱいなので、また日を改めて。」


「わかった。無理はしなくていい。」


そうこうやり取りをしているうちに、後ろに挨拶待ち列ができていたので、二人に挨拶をしてお暇する。もちろん誰かゲストに捕まっても困るので、司教様のところに一直線で早歩きだ。


「素晴らしいですパオロ様、颯爽とし健康さをアピールできる歩き方でしたぞ」


司教様、誰かに絡まれないよう逃げていただけです、とは告解しないでおく。


天気がいいので、軽食は中庭に用意されていた。ピエトロのぶどうジュースを受け取る。ガラスは高価であまり流通していないから、木か陶器のコップで飲むんだが、おかげで何を飲んでいるかは周りにバレないですむから安心だ。


「パウロ様ではありませんか。」


後ろから落ち着いたメゾソプラノの声がした。振り返ると、今度は肖像画通りの人物が立っていた。


「カプレーティが娘、ロザリナでございます。お覚えでしょうか。」


せっかく当てられるところだったのに先に名乗られてしまった。なんだか悔しい。


「もちろんですよ、この場でお会いできて嬉しいです。いつでもあなたがいらっしゃると場が華やぎますね、ロザリナ様」


とっさに夫人の特訓の成果を見せつける。ロザリナ様も穏やかに微笑んだ。


ロザリナ様は青白い透き通った肌をしていて、赤茶ともこげ茶とも言えそうなあまり主張の強くない髪の色の持ち主だ。きらびやかなコンスタンツァ様と比べると、「整った顔立ち」という形容詞が似合いそうな感じで、大人しそうな見た目をしている。


「以前カプレーティの家に起こしになった際は、挨拶もいいところに引き下がってしまいまして失礼いたしました。お忙しい中、せっかく我が家の質素な食事にお越しいただいたのに。」


「それほど忙しくもありませんよ。それにどうぞご謙遜なさらないでください、とても素敵なディナーでした」


夫人に見せてやりたいこのアレンジ力。


「いえ、昼食だったと記憶しておりますが」


ごめんなさい夫人。やっぱり記憶なしでアドリブはやめます。


「いえ、その節はお世話になりました。話は変わりますが、素敵なお召し物ですね。」


そこからは夫人のボキャブラリーで会話が成立したと言っていい。俺が「伯父様カード」をきる前に、ロザリナが又従兄弟のティボルトに呼ばれたらしく、平和的に解散となった。一人クリアだ。


「なんとかなりましたよね」


司教様の同意を求める。


「調子に乗ると足元をすくわれますよ」


司教様は別の司祭と話していたようだったが、どうやら俺の小さな失敗には気づいていたみたいだ。


「ご令嬢を口説くはずが、3分間会話を生き延びたことを祝ってらっしゃる。悲しくなりますね。」


ピエトロは今日も長ズボンだが、言動は相変わらず半ズボンのそれだ。ジュースを頭からかけてやりたいが、ストックに限りがあるのでやめておく。


とは言えピエトロも積極的にけしかける様子はない。モテる計画は延期して、当面はサバイバルだけに専念しよう。とりあえずジュースをもう一杯。


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