「はじめてのお使い」
「うっ…うぅっ…」僕は広間のソファで小さく震えていた。
「うわぁ…ツァーンさん最低」その横で珈琲を啜っていた藍珈が冷たい視線で未だに真っ青なツァーンを睨む。
「すまん…間に合わんかった…」先程、先日の酒の代償を床にぶちまけたツァーンは、申し訳なさそうに呟いた。
「にしても、まさか団員の大人のほとんどが二日酔いでダウンって…大丈夫なの?」藍珈は、ため息混じりに再び珈琲を一口啜った。
他の部屋も確認したところ、トイレにいた先客も含めて、ほとんどの団員が、頭痛や吐き気に悶えていた。ツァーンさんを部屋に戻し、また広間に降りた途端、崩れるようにその場に座った。「ど、どうすれば…」初日からこんなことになるとは、全く予想もつかなかった。
その時 ––
「たっだいまーっ!新人さんはどこー?」と勢いよく扉が開き、溌剌とした声が広間に響いた。
「おぉ、おかえりなさいリムリン」
「あいぽん!久しぶり〜会いたかったよ〜!」リムリンと呼ばれた、白鼠色の髪の女性は藍珈に駆け寄り思いっきり抱きしめた。藍珈は、その腕の中で照れ臭そうに言う。
「ちょ…苦しいですよ」
「出張で地方まで行ってたんだし、別にいいじゃ〜ん!」
「あ、あの〜…お楽しみのところ失礼します…」このままだと、打開策はおろか何も始まらないので、恐る恐る声をかけた。「それで、上の皆さんはどうしましょうか…?」
「あぁ、それなんだけど –––」
「おぉぉぉぉ!!君が新入り君かな?」藍珈の言葉を全力で遮ったリムリンが、真珠のように目を輝かせてこちらを覗いた。
「は、はい…先日から入団しました、ジュナと申しま…ひゅっ!?」
「す、凄い!!なにこの餅みたいなほっぺ!?ずっとタプタプしてられる!」リムリンは僕のほっぺを両手で挟むと、マッサージのようにグルグル回した。
「ひょっ…はなひてっ…くらはい…」
「やばい…あと2時間はこうしてられるわ〜…」
リムリンは、僕の訴えなんてどこ吹く風で頰肉を揉み続ける。わかった…この人、夢中になると話聞かないタイプの人間だ。
「ねぇ、リムリン…今それどころじゃないからちょっと放しましょうか〜」リムリンの背後から銀の髪が覗くと、やっとほっぺを解放された。
「あぁ、ごめんごめん。つい夢中になっちゃって。ところで、皆んなはどこ?この時間帯なら、ある程度の人は起きてるはずだけど…」
リムリンはそう言うと、不思議そうに辺りを見回す。
「実は –––」僕たちは、今朝の一件をリムリンに話した。
「あっはっはっはっはっ!」閑散とした広間に、旋律のような笑い声が響いた。「本当っ?…ぷっふふっ、皆んなどんだけ騒いだのっ…ふふふっ…」
「お陰で今生き残ってるのは、ボナさんとローグさん、あとエリシャさんだね」藍珈はやれやれと言ったようにため息をつく。
「あれ?姉さんはお酒を飲んでいないはずですが…」昨晩は、僕が差し入れに持っていった肉まんくらいしか食べてないはずだが…。
僕の問いに、藍珈はあーね。と応えた。「実は、昨日の晩に調子に乗って冷蔵庫に余ってた生海老を食べたらしい…」
「まさか…」僕はそこで大体の予想をつけた。
「明け方くらいにお腹壊したらしくて、私に診て欲しいって頼んできたんだ。そしたら、案の定当たってた」
やっぱりか…と僕は眉間を抑えた。姉は昔から、なんだかんだ言って引き運がない。都会行ったら治る!とか言っていたけど、そんなことなかったらしい。
「あちゃ〜、食当たりは辛いなぁ…でも、すぐ治せるでしょう?」横でティーカップを持つリムリンが訊ねた。
「まぁ、材料とかあれば治るんだけど、ちょうど今切らしてて…」藍珈は所持品一覧を見ながら、残念そうに言う。
やはりここは、動くしかない…!
「藍珈さん、足りないものはなんですか?」僕は椅子に掛けてあったバッグと、そのギルドの者というのを示すスカーフを手に取って訊ねた。
「えっと…鴨ミールの葉と、オレンジターメリック、あとはペッパーミント。でも、このオレンジターメリックは普通のお店じゃ売ってないから、この街の東側にある"猫の帽子屋"ってとこに行かないとなんだよ」
地図を指でなぞりながら、僕はなるほど…と相槌を打った。
「一人で大丈夫なの?」とリムリンが心配そうに聞いてきた。
「地図があれば大丈夫ですよ。それに、こんな貧弱でたいした力もない自分を快く雇ってくれたんです。何か恩返しをしなくては」
それに、これからの為にも街のことをある程度、把握しておきたい。
「ふぅん、そんなに言うなら大丈夫だろうけど…あっ、ちょっと待ってて…」リムリンは弾かれたように顔を上げると、足元の旅行鞄から何やら薄桃色の球体を取り出した。「これ、出張先で貰ったお守りなんだけど、良ければ持って行って」そのお守りは、揺れるたびに、鈴のような不思議な音を奏でた。
「え、良いのですか!?」お守りや呪符はそこそこ値がはる物だ。たかがお使いに渡したりはしない。
だが、リムリンは「いいからいいから」と僕の手にそれを握らせた。まぁ持っていて損はないし、念のためにも受け取っておこう。
お守りを鞄に着けた僕は、持ち物を確認すると、緊張と期待の笑みを広げて言う。
「お財布にお守りと、買い物メモ…よしっ!では、行って参ります!」
「行ってらっしゃ〜い」
「気をつけるんだよ〜!」
僕は二人の声を背に、玄関の扉を開けた。
こうして、僕のはじめてのお使いが始まった。