「その記憶は…」
「ね…姉さん!?」
僕は、見覚えのあるその顔に目を丸くした。
なんと、巨漢の理不尽な鉄鎚から助け出したのは、僕の姉 レンだった。
レンはその長い黒髪をさらりと払うと「怪我はない?」と、僕に駆け寄る。
だが、目の前の無残に切り落とされた彼の腕を見て、僕の思考回路は完全に止まってしまった。来て早々、こんなものを見ることになるとは…。
青白い顔をして黙り込む僕を見かねたのか、レンはやれやれ、とため息をついた。
「うぐぅっ…てんめぇ、何しやがる!」
先程腕を切り落とされた巨漢が、クマのようにノソノソと立ち上がった。呼吸をするたび、豪腕の断面から血が滴り落ちる。僕は思わず目を背けた。
「何って、正当防衛よ」と男の怒号に、レンは素っ気なく応える。
「なんだと…絶対これ過剰防衛だろうがっ!うぐっあぁっ…!」男はまた怒鳴りかけたが、また地面に崩れた。
「兄貴!」と、そこへ取り巻きの2人が駆け寄る。
ところが、レンは間髪入れずに真っ赤に染まったナイフを彼らに向けた。
「動くな!まだ話は終わってない」
その鋭い眼光に、2人はまるで鎖に繋がれたように動けなくなる。
「さてと…あんまり時間もないから、単刀直入に言うと…」レンは床で悶え苦しむ男の前にしゃがんだ。
「もう、これ以上弟に危害を加えないなら、腕を治してやってもいい」
その言葉に、男はさらに眉間にしわを寄せる。
「早くしないと、一生そのまんまになっちゃうよ?まぁ、隻腕の冒険者ってのも良いかもね?」
「うぐっ……わかった、もう危害は加えねぇ…だから、はやく……腕をっ…」
男のリアクションに、レンは笑顔を浮かべてカバンから何やら淡く光を発する小瓶を取り出した。僕はそのラベルを見て飛び上がった。回復系統の薬の最上位、再生薬だ。滅多に市場に出回らず、お伽話くらいでしか見たことのない秘薬。たとえ瀕死でも、患者が生きてさえいればあっという間になんでも治してしまうらしい。本当にあったんだ…。
「契約成立。それじゃ、お大事に〜」
レンはそう言い僕の手を掴むと、いそいそと広場を出た。
こうして、僕は新生活の初っ端から洗礼を受け、辛くも逃れられたのであった。
「都会って、怖い…」
♢
「はぁぁ…」僕は、先程のショックから立ち直れずにフィッシュ&チップスを眺めていた。すると、あっという間にハンバーガーを食べ終えたレンが「食べないの?要らないなら貰っちゃうけど…」と口にケチャップを付けて言った。
「いや、食べるよ…ただ…」
お腹は空いているけれど、何かを食べる気分にはなれないのだ。
「ただ?」とレンが訊ねると、やっぱなんでもない、と僕はフィッシュ&チップスを頬張る。
そしてふと、昔のことを思い出した。
10年前、ロクスウェムの侵略によって故郷が滅んだ記憶–––
眼下に広がる原型を残していない黒の塊たちに、禍々(まがまが)しい紫色の炎に包まれていく家々。10年経った今でも、時々夢に見る災厄。
あの日、2人だけになってしまった僕らは、そこから少し離れた村の孤児院に保護された。それ以来、姉の目に前にはなかった鋭い光が宿って見える。
それはまるで、僕や孤児院の弟妹たちを何があっても守り抜くと言っているような。そんな鋭さだった。
気がつくと、僕は唇を噛み締めていた。過去の苦い思いを払い落とすように、僕は残りのポテトを一気にかきこむ。その塩気が、さっき噛んだところにチクリと沁みた。
♢
レストランを出た僕たちは、ギルドのある路地へ向かっていた。
「この街はね、夕日で道が出来るんだよ。その道中で、レンが嬉しそうに云った。そして海の方を指差して「この真っ直ぐな道に沿って、人も石畳もみんなオレンジ色になるんだ。綺麗だと思わない?」
「うん…そうだね」僕は俯きがちに応える。
「むぅ…聞いてるの?」レンは訝しげにこちらを覗いてきた。
「ちゃんと聞いてるよ」
「ホントかなぁ?」
そんなやり取りをしながら、僕はレンに案内されるまま路地に出た。周囲にあまり人はおらず、階段のど真ん中で猫が気持ちよさそうにお昼寝をしている。ちょっとだけ触ろうと猫に近づこうとしていると、レンに引き戻された。
「さ、ついたよ」
幾分か歩くと、所々、汚れて黒く変色している大きな樫の扉の前で立ち止まった。
「ここが…」扉を前にして、僕の心に若干の緊張が迸る。
10年前のようにただ逃げるだけじゃダメだ。僕は此処で、強くなるんだ。
孤児院に残してきた家族達、姉さん。そして、この扉の向こうにいる未来の仲間たちへの誓いを胸に―
僕は扉に手をかけた。