遥か彼方は何処へ行く3
こっちも上げるんじゃよ。
仄かな間接照明が室内を照らす。雨で冷えた体が徐々に体温を取り戻し、鼓動の音がドクドクと聞こえる。そういえば私は今何処にいるんだっけ。ええっと変な奴らに追いかけられたんだっけ?んで、気が付いたらここに居るんだよね。
「もしかしてこれって誘拐?」
自分にもっとも縁がないはずのワードが脳裏を過り、遥かは少し焦りを感じた。辺りを見回すと、一つしかない窓には黒いカーテンが閉められており所々に間接照明が部屋に灯りを灯していた。ザーザーと降る雨が暫くは止みそうにない。
私はソファに寝かされていて、毛布も掛けてあった。あと服を着ていない。正確には下着は着ているが、私が着ていた服がこの部屋に見当たらないのだ。
「この下着も私のじゃないし・・・。」
部屋に閉じ込めている割には私を拘束する物が何一つないので、どうも私を部屋に監禁しているように思えない。物音を立てないように静かに起き上がり、こそこそと歩き回った。
「これドア空いてるのかな。」
ドアにそっと手をあて、ゆっくり押すと別の明かりが差し込んできた。さっきまでいた部屋の照明とは違う強い明かり。部屋をこっそり覗くとリビングらしき部屋には最近テレビで放送しているバラエティー番組のテーマが聞こえる。
やばっ、誰かいるかも。そっとドアを閉めようとするとドアが逆に引き開けられる。ドアを強く引かれた勢いで私はリビングに投げ出されてしまった。
視界に捉えた人物が私に声をかける。
「おお、目が覚めたんだね。ちょっと様子見に行こうと思ってたところだったけど、元気そうじゃん。」
柔和な女性の声が私の不安を溶かしていく。その女性も同じ私と同じ金髪だった。
「はい、どうぞ。」
金髪の女性は私に温めた牛乳が入ったマグカップを差し出す。サバサバした感じの女性かと思っていたけど、置かれている家具とかを、見ると女性らしさが顕著に表れている。私が持っているこのマグカップにもウサギとクマが手を繋いでいる絵がプリントされている。ざっくりと切りそろえられた短髪。伊達で付けているらしい眼鏡、その奥に見える黒の瞳。そして・・・。
「どうして下着姿なんですか?」
「どうしてってあなたをここまで運んでくるのに雨降ってたでしょ。結構な強さだったし濡れもするよ。」
「私を助けてくれたんですか?」
「そそ。あんな雨の中走り回ってて、しかも怖いお兄さんに追いかけられている女の子がいる。無視できる訳ないじゃん。それに、私に会いたいって言ってた物好きな子がいつまでたっても来ないから心配して探してたんだよね。」
「それは・・・私ですね。」
「だろうと思った。まあなんにせよ間に合って良かったよ。私がサナーこと神越紗那だよ。東雲遥かちゃんだったっけ?」
「はい。」
「まあ大体聞きたいことは事前に聞いてるし。まあ牛乳でも飲んで一息つきなよ。」
「お言葉に甘えて頂きます。」
ぐいっと一息で温かい牛乳を飲む。体中に熱が染み渡り体の緊張を弛緩させていく。
「こんな遠いところまで女の子一人でよく来たもんだよ。最近の子はちょっとアクティブすぎやしないかねー。親とかは心配しないの?」
「パ、お父さんは私がこうなってから家に帰ってこないし、お母さんは父さんの会社を支えるのに忙しくて・・・。私なんか構う時間なんて無いんですよ。」
「ほー、私と真逆か。私はこの状態になってからは親とかがしつこく私に構いだしてもー大変。根暗街道まっしぐらで、気が付けは部屋から全く出ない引き籠りになりましたとさって感じだね。」
「もしかして紗那さんも私と同じような経験を?」
「多分あなたが体験してきた事は全部経験してると思うよ。一目惚れだなんて言ってきた奴には回し蹴りいれてやったけどね。」
二人の間で小さな笑いが起きた。今までは同じような経験をした人が近くにいなかっただけで私と同じ心境の人は他にもいたんだ。そう思えるととても心強く思えた。
「さあて、本題に入ろうか。いくつか質問するよ。一つ目、声は聞こえる?」
「はい。寝る時に何度か聞きました。人の、女性の声でした。」
「OK。二つ目、1年前って言ってたけどそれってこの日?」
紗那は机に置いてあるミニカレンダーを手に取り、遥かに見せる。そこには、ある日付に黒で丸がされており、その日は遥かが家族で旅行に行った日と同じだった。
「やっぱりそうか。丁度この日にぱったり声が聞こえなくなったのよね。三つ目、声っていつ聞こえる?」
「いつも夜寝ているときに夢の中で声は聞こえるんですけど姿が見えない、みたいな。」
「え、うらやましいな。私の時は1日中聞こえた日もあったよ?やばかったなーあの頃は。耳を塞いでも直接脳内に流れ込んでくるから抗いようが無いんだよね。イヤホンで付けて爆音の音楽でかき消すのが精一杯だったよ。もう少し時期が遅かったら発狂してたかもね私。」
「そんなことまで・・・。」
私よりも深刻な状況に置かれていたはずなのに。今はこんなにケロッとしているのは、苦しみから解放されたからなのかな。
「じゃあ最後、黒神病になってから大きな怪我はしたことある?命に関わるくらいの物なんだけど。」
「ありません。」
「おーし、わかった。どうやら私と入れ替わりでそっちに移ったみたいだね。いやー移っちゃったものはしょうがないんだけど私と同じ運命をたどって欲しくは無いな。」
「あの、紗那さんはいつから黒神病に?」
「去年の解放された日からちょうど3年前だよ。3年間毎日あの声に呼びかけられてた。」
「『何処に行くの?』ですか?」
「そそ、最初は私の忘れたことを教えてくれてるのかな?って思ってたんだけど。違うみたいだね。」
「私は、『私の所に来なさい。』って言われましたね。」
「んー私の時は『帰って来なさい』だったね。正直どうしたらいいかわからなかったよ。『何処に?』って聞いても『私の所に』しか言わないんだもん。なのにずっと『帰って来なさい』しか言わないからたまったもんじゃないよ。今いる場所が自分のいるべき場所じゃないのかもって考えた時もあったね。」
「あの、私はどうしたらいいんでしょうか?」
「後からいろんな人の話とか聞いてわかったんだけどさ。どうやらうちの先祖がある場所から逃げてきた時の呪いが黒髪病なんだって。遥かちゃんのお家がどうかはわかんないけど、次に行く当てが無いんだったらそこに行けばいいんじゃない?何かわかるかもよ。」
「ある場所とは?」
「時守村だって。バスが一日に1週間に1本通るか通らないか位の辺境で私もネットで調べたけど名前すら出てこなかったよ。地図はあるみたいだから渡しておくよ。」
「何から何までありがとうございます。」
「いいのいいの。私が同じ立場だったときは誰も私を助けられなかったし。力になれただけで充分だよ。そうだ、遥かちゃんに面白いことを教えてあげよう。」
「何でしょうか?」
「実はね・・・。」
紗那さんと出会ってから2週間と少し経った。紗那さんに教えて貰ったことが頭から離れずにいる。衝撃の一言ではあったものの試してみる勇気が無い。
それに、私は最近誰かにつけられている。あの日家に帰ってから誰かに見られている気がする。振り向くと人影らしき何かが通るのを何度も見た。付かず離れずの距離で、接触してくるわけでもなく。追いかけても追いつけやしない。夜眠るとあの声は日増しに大きくなってくるし。私は一人の時間を確保することが出来なくなっていた。いつも何処かで誰かに監視されている感覚が拭えなくなってしまった。学校にも最近行かなくなった。
今もこうして名も知らぬ一番高いビルの屋上で空を眺めている。ベンチに座り、一本のペットボトルを片手に5時間程屯している。ただずっと何処かを見つめている。
日が暮れ始めた。時期に世界は夜の世界が始まる。夜は怖い。あの声が聞こえるから。眠るとあの声が聞こえるから。いつあの声は収まるんだろう。紗那さんみたいに誰かに伝染るまで?そんなの駄目。
私や紗那さんみたいな人をこれ以上増やしていけない。私で終わらせるんだ。だから時守村に行かないと。
でも怖い。そこに行けば何かが変わる。私が私では無くなってしまう。そんな予感がしている。私はまだ子供だ。親にも甘えたいし普通に学校に通いたい。こんな場所で時間を潰してていい訳が無い。私にも未来がある。
けど全てこの髪が黒神病が私のすべてを奪った。もう過去には戻れない。
そっと自分の髪に手を当てる。毎日欠かさず手入れだけはしてきた。幾ら親のおもちゃにされようともマミーやパピーのためならと思いずっと我慢してきた金髪。けどそれも、もう限界だ。
(それはあなたが拒んでるからじゃない?)
「え?」
あの声だ。まだ寝て無いのにどうして聞こえるの・・・?
(あなたは変化した環境に置いてけぼりにされている。順応してないのはあなたの心よ。日常が変わることがそんなに怖いの?違うわよね。過去の自分を忘れるのが嫌なのよ、あなたは。自分しか憶えていない過去を美化してそれを汚そうとしている者たちに牙を剥き、苛立ちを覚える。偶然で変わったことがそんなに受け入れられないの?今ある自あなたはあなたじゃないの?)
「そ、それは・・・。」
(ならあなたは変わらないといけない。真実に到達しなくてはならない。その為の道しるべはもう掴んでるのだから。)
「時守村・・・だよね?」
(そう、私はそこで待ってる。お話しましょうよ。私はあなたのすべてを受け入れるわ。)
「私の、全てを?」
(ええ、全てよ。ずぅーと待ってるわ。あなたが死ぬまで。)
死ぬまで?そんな馬鹿な!紗那さんは教えてくれた私は死なないと。
「待って!私は死ねないんでしょ!?」
(自分で試してみたら?)
そう目の前に広がっている光景。どの位の高さかはわからないが、とにかく高いという理由で登ったビル。ここから飛び降りるだけで、私は死ぬことが出来るだろう。人目に付くとかどうとかじゃない。一歩踏み出せば私は消える。そのはずなんだけど。
「私も何回か試したんだけどさ。どんなに高い所から飛び降りようとも何も食べなくても、車に轢かれても、炎で焼かれても私は死ねなかった。まあ黒神っていうぐらいだからね、人を殺すことも生かし続けることもできちゃう。そんな奴に私たちは目を付けられちゃったんだよ。」
嘘だ。私はまだ信じていない。この柵を飛び越えたら私は死ぬんだ。ほらあとはもう飛ぶだけでいい。
「待ちなさい。」
「え?」
「あなた、東雲遥かさんよね?重大な話があるから来て欲しいんだけど。」
扉の前に少女が立っている。私の一つ下位だろうか。私よりも背丈が低いのに偉そうに腕を組んで仁王立ちしている。
「もしかしてあなたが私をつけてたの?悪いけど私は女の子には興味ないよ。」
「鉄のフェンス越えた側の人間のセリフじゃ無いでしょそれ。そうじゃなくてあなたはこの世界にとっての重大なファクターなの。だから、私が所属している組織で安全に管理するべきと思ったまでよ。」
「嫌だと言ったら?」
私がそういうと、何処に隠していたのか銃らしきものを取り出し私に銃口を向ける。
「動けなくして連れて行くまでよ。」
映画やアニメでよく見るシーンだなって思った。何でだろう。銃って怖い物なのに。銃口を向けられたら本当は怖くて怖気着かないといけないのに。ついさっき死ぬか死なないか考えていた私には、拳銃なんてとてもちっぽけに見えてしまう。本当にそんなもので人が殺せるんだろうか。まるで、幼稚園児が考える疑問の様に、私はどうしたら人が死ぬのか気になってしまった。
もう一度柵を越え少女を見据える。生意気にも、
「一緒に来てくれる気になってくれたのかしら?」なんて言ってる。
「嫌だ。」
「何ですって?」
「嫌だって言ったの。初対面の癖に私に指図するな。」
少女は銃を持っていない逆の拳を強く握り振るわせている。
あーあ、言っちゃた。以前の私ならこんなこと言わなかっただろうに。
「無理矢理連れて行くわよ!」
少女が叫び、両手で銃を構える。
「撃てるもんなら撃ってみなさいよ!」
一歩前に進んだ。少女は撃たない。さらに一歩進んだ。少女は撃たない。また一歩進んだ。心なしか少女の腕が震えているようだった。さらに一歩進んだ。少女は撃った。私の心臓めがけて。
感想としては初めて銃を撃ったのかな?なーんて極めて理性的な思考だった。動きを止めるなら足でいいのに。激痛と共に私は仰向けで倒れた。痛い。ただそれだけ。意識が遠のく訳でもなく、ただ噴き出し続ける血が妙に温かいなって思っただけ。
何だ。やっぱ銃じゃ私は死なないじゃん。
私はゆっくりと起き上がる。只々痛いだけで、こんなの道で転ぶのと大差ない。
目の前の少女は化け物を見るような目で瞳に涙を浮かべて震えている。泣きたいのはこっちだっての。
(あなたが変わりたいのなら私が力になるわ。)
「じゃあ私は強くなれるの?」
(強くも何もあなたは自分の力をセーブしてるだけであなたは強いのよ。あの日から。変わってないのはあなたの心だけ。)
そうか。結局私次第だったんだ。全ては私が決めるんだ。誰かじゃなくて私なんだ。世界が小さく見えた。私は今私じゃない私になった。もう私は誰にも止められない。もう私は止まらない。
「なんでっ!あなた生きてるのよ!」
声を上ずらせながら体の震えを必死に抑えようとする少女。
そんな少女の首を掴み高々と持ち上げる。今の私には人っ子一人持ち上げるなんて造作もないことだ。少女が抵抗の意を示すために放った銃弾は私の足を貫いた。少し痛みが走る程度で私はひるまない。
「本当に撃つなんて、死んじゃったらどうするつもりだったの?」
首を掴む手にさらに力を加える。
「うぐぅ・・・あぁぁ・・・」
呻くだけで何も答えない。私の聞いたことに素直に答えたらいいのに。
「さっさと答えなさいよ!」
そう叫び少女を壁に叩きつける。少女は苦悶の表情を見せてから気を失った。
「管理とか言ってた割には大したこと無いわね。もういいわ。」
気が付くと夜になっていた。家に帰らないとマミー心配しちゃうかな?いや、そんなことはどうでもいい。するべきことが見つかった私はあの声の主に会いに行く。
鉄柵に手を掛け飛び越えるようにして私は飛び降りた。何事も無く着地をする。少し高い所から飛んだ時の様に静かに着地をした。と、同時に止まることなく私はある方角をめがけて走り始めた。
時守村がある方角へ・・・。
密かにだけどあの声が聞こえた。
「ようやく私の所に来てくれるのね。」
また数か月飛ぶかもしれないですが、気長にお待ちください。