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EとA'

作者: ざぐる

 保科市尹ほしないちいは優等生。超名門高校に2位で合格し、品行方正器量よしの才色兼備を誇っている。友人も多く、学年問わず多くの者から慕われて、また、先生からの信頼も厚い。


 そんな彼女は今、学校の副会長の銀色のバッジを胸に揺らし、誰一人いない夕暮れ時の教室で窓から一人外を眺めていた。グラウンドでは運動部の生徒が元気よく走り回っている。音楽室の方からは吹奏楽部の音階が聞こえてくる。


「はーーーーーーーーっ。」


だらしなく窓にもたれかかり、人前ではつかない大きなため息をついた。先ほど個人に返された、学校の試験の成績の紙をもう一度眺めてみる。


{国語95点(平均63点)、数学90点(平均42点)、英語98点(平均63点)、物理86点(平均54点)、化学96点(平均66点)、世界史97点(平均72点)。総合順位2位。第一志望校の判定A。}


凡人なら誰しもうらやましがるであろう数字がたたき出されていた。いつも通りの点数といったところだろうか。志望する大学の判定も堂々のAである。だが彼女は気に入らなかった。


「まーた2位か。それに……。」


大学の判定欄をもう少しよく見る。確かに判定のアルファベットはAが出ているが、彼女にとって大切なのはA判定の中でどこにいるのかということだった。


「ぎりぎりA判でもね。」


(別に嬉しくないんだわ。)


随分と贅沢な悩みではあるが、彼女にもそれなりの理由はある。


 保科一家は超優秀。母は有名な弁護士で父は大手企業の幹部。兄は現在市尹が通っている高校で延々主席を守りぬき、現在は海外の企業に就職している。彼らは勉強だけではなく芸術や運動にたいしても非凡な才を見せた。性格も決して悪いわけではなく、教養も豊かでよく人から慕われた。ただ、市尹はそんな彼らのいわゆる「努力」している姿を一度も見たことがなかった。両親や兄に勉強を教えてもらいに行くと決まってこう言われる。


「市尹、授業で習ってきたのではないの?それなら聞かなくてもわかるでしょう。」


小さい頃はそういうものなのかと聞き流して、それならそれでと自力で対処してきていた。兄や両親も、きっとサンタクロースみたいに、自分が寝ているときにこっそりとお勉強しているのだと。


 だが物心つくうちに、そうではないことが分かってきた。ある日市尹は悟った。自分の一家は、自分以外、いわゆる天才なのだと。一方、自分はというと……。


「延々2位のA'か……。」


 市尹は兄のように勉学において特に秀でているわけでもなく、また芸術や運動も人の倍以上努力してそれなりの成果を得ていた。だがしかしどこの世の中にもやはり自分よりもできる奴はいるようで。天才という輩はいるようで……。


 おかげで市尹はどの分野においても一番というものになったことが、ない。


「今回のテスト、頑張ったんだけどな。」


家族は2位の自分を受け入れてくれるし、友人からは尊敬され、先生からは褒めちぎられる。


 1位の奴は知っている。生徒会長の常時一輝じょうじかずきだ。彼はいわゆる、彼女が求める天才で、どの分野の方からも一目置かれる存在であった。別に周りからちやほやされたいわけではない。ただ、1位というものになってみたいだけなのだ。どの分野でもよかった。マラソンでも、リコーダーでも、勉強でも・・・。しかしそのどれもは叶わぬ願いであった。いわゆる2位どまりなのである。

 周りはいつもよく頑張った、えらいねと褒めてくれる。それでも、だ。市尹は満足できなかった。


「私、1位になれる器じゃ、ないのかな。所詮A’の人間なのかな。」


 市尹は、人にはそれぞれ適した器を持っていると考えている。あるいは業と呼ばれるものがあるのだと思っている。人を率いていくリーダーの器。あらゆる人の意見をよく聞く、耳としての器。母になる器。人徳のある器。ある分野で頂点に立てる者の器・・・。そして彼女は自分が一位になる器を持っていないのだと最近思うようになっていた。


 まさに嚢中の芋。袋に入れられ、どんなに揺さぶられても同じく入れられた錐のように袋を破ることはできず、ただ転がっている、芋。できることならば自分だって錐になりたい。一番になってみたい。そのような思いが長年彼女の胸に、降り積もっていた。ずっと、ずっと……。


 綺麗に手入れされた爪に力をいれ、成績表に爪の跡を食い込ませ、しまいに肩を震わせていた。


「どうせ、私は、一番にはなれない……。」


ずっと前からわかっていたことなのかもしれない。受け入れたくなかった。それだけの理由でずっと努力を重ねてきた。それでも報われない努力など、いっそ、いっそ……。


(もう、やめてしまおうか?)


 廊下を走る足音に何故気づかなかったのか、がらりと勢いよく扉が開かれたそこにはぜえはあと息を切らし、財布忘れたーと呟くつんつん金髪の問題児、矢羽椙太やばねすぎたが現れた。


 矢羽が机の引き出しにしまってあった財布をポケットに入れる隙に、市尹は急いで目にこみあげてきたものを拭う。


「あっれー、保科さんこんなとこで何してんのー?」


能天気な奴、と毒づきながらもスマイル欠かさず、別に、夕日を眺めていただけよと言って成績表を隠す。だが不幸なことに彼は彼女の手の中にあるものに気付いてしまったらしく、


「え、なにそれ、成績表かよ?」


新しい玩具を見つけた犬のような反応を見せた。


「そうだけど。」


「さっき返されたやつかよ。」


市尹が肯定する前に矢羽は嬉しそうに続けた。


「俺のもさっき返ってきてよ、進級できるってさー!」


はははっと笑いながら市尹のすぐ隣にやって来て、同じように窓の外を見やる。


「いい景色だなあ、ここ!」


気持ちよさそうに風なんか浴びたりして。

ワックスで固められているのであろう彼の金色の髪は微動だにしない。肌寒い季節に似合わない赤いTシャツが、夕焼け色に染まってはためいているのが眩しい。制服のないこの学校で年中真夏の格好をしているのは彼一人だ。そいうえば高校に入ってからもう一年と半年近くになるが、この矢羽という男と話したことがないなと市尹は思い返した。それも致し方あるまい。五分前行動を徹底している市尹と、晩年遅刻男との生活のリズムが合うはずもないからだ。初めて口をきくというのに距離感が近いことに少々戸惑いを覚える。だがこの男はお構いないしだ。


「お、まじ?学年で2位かよ。毎度毎度すげーな保科さん。」


ずいと顔を近づけて先ほどまで握りつぶしていた成績表を覗き見てくる。


「そうかしら。」


急に成績の話題に触れられたのと、距離がさらに近づいたのが相まってぶっきらぼうに答えてしまう。


「すげえよ、一輝の下にずっと張り付ける奴なんて、そういないぜ。」


『一輝の下にずっと張り付ける奴』という言葉が頭の中で反芻する。今一番聞きたくない言葉だ。


「俺あいつと幼馴染で結構仲いいんだ、今まであいつに張り合い続けられる奴なんてひっとりもいなくってよ。ほら、あいつ頭良いし、運動できるし、性格いいし、顔いいし?ほんっと、誰も最初から……てかまじ何であいつ俺と仲良くしてくれるんだろうな。あ、そういやこの前一輝の奴保科さんのこと嬉しそ……。」


隣でしゃべり続ける彼の言葉は右から左へ流れ落ちるように消えていく。手の中で爪を成績表にこすり続け、しまいに穴まであけてしまった。だがそれにも気づかずにさらに爪に力を入れると、手の肉に沈み込んで痛みが走った。


 思いがあふれて怒鳴りそうになったの市尹の頭を次の言葉が殴ってきた。


「……いやでも俺、一輝よりも誰よりもすごいのは保科さんだと思う。」


「え……?」


驚き見つめると、矢羽は相変わらずのんびりと窓の外を眺めている。夕日に照らされ、眩しそうに目を細めながら。


「あれ、自分ではそう思ってなかった?」


意外だという顔をしてこちらを見てくる。当たり前だろうと頷き返すとさらに驚かれた。


「え、あんなに気を遣えて、フォローうまて、ずっと頑張ってんのに?」


「気を…?フォロー?」


この二点に関しては心当たりが全くない。


「今日総会で配ってたプリントとか、全部保科さんが準備してたし。ほら休み時間中。この前お客さんが来た時もすぐ動いてお茶出してたし。あの時だって別に先生から言われたんじゃないだろ?」


「ああ、あれ……。」


確かにプリントは今日使うだろうと思い早めに準備していたし、先日来校者が訪れた時も、職員室に先生方がどなたもいらっしゃらなかったので最低限のもてなしはしておいた。だが、それが何だというのだろう。


「俺、保科さんすっげーって思ってた。」


「すごい、の?」


「はっ?当ったり前!何にも言われずに動けるとこ、まじすげーし。それに褒められない仕事進んでやってるとことかまじかっけーし。」


確かに市尹は表だって仕事をするよりも、裏方へ回ってフォローに走ることの方が得意だ。だがしかし。


「やらなくちゃいけないことだったし。それに、頑張るのは当たり前のことよ。」


そう。彼女にとってそれは当たり前のことで、義務でもあった。


「だから、それがすげーんだよ。一輝だって敵わないってぼやいてたぜ?あんなに見えないところで頑張れないって。」


「そう、なの?」


あの常時君が、意外だ。


「そうだって。」


「でもね……。」


でも、なんだよという風に矢羽は市尹に視線を合わせる。


「私はね、どんなに、どんなに頑張っても、」


息が詰まる。


「所詮、ただの、ただの、」


本当はこんなこと、思いたくはないけれど。


「A'にしかなれないの!」


ごめんね、怒鳴ったりなんかして。


「ずっと、ずっと、一番にはなれないの!」


君に言っても、仕方がないよね。


「だから!」


ああ、目が熱い。


「だから!」


手に握った紙がクシャリと音をたてる。


「だからもう、」


認めたくは、ない。


でも。


「頑張ったって、意味ないの!」


 言い切った市尹は肩を震わせ、気が付けば涙を流していた。最後の言葉が教室中に響き渡っているようだ。言ってしまったと気付いてからの沈黙の時間は、長く、そして、重かった。最初に、しかし静かに口火を切ったのは矢羽椙太の方だった。


「保科さんがA'なら、俺はEかな。」


市尹ははっと顔を上げた。するとそこには先ほどまでとはまるで違った様子の矢羽がこちらを見ていた。決して怒っているわけではなく、優しそうな笑みをたたえて。それから彼は思い出したようにFじゃないぞ、進級できるからな、と笑って付け足した。するとまた例の静かな笑みに戻って、


「A'が努力する意味ないなら、俺、生きることも許されないかな。」


少し寂しそうにつぶやいた。


「ちが、そんな……。」


「俺さ。」


ぽつりぽつりと紡がれる言葉に、市尹は耳を傾けていた。彼の父が賭けに失敗して大量の借金を抱えていること、母が置手紙一つ残して家を出ていったこと、年子の兄が重度の障害を持っていること、補助金だけでは到底やりくりできず、深夜に学校に内緒でアルバイトをしていること、それが原因で朝遅刻して、よく先生に注意されていること……。


「俺、もう充分持ってるもの持ってるのに頑張ってる人すげー尊敬してんだ。一輝とか、保科さんとか。特に保科さんは、褒められない仕事とか誰もやりたがらない仕事ちゃんとするし。よく疲れた時とか、保科さん見て、すげーって思って、やっぱ俺も頑張ろうって思ってたんだ。一輝じゃなくてさ。」


「--ごめん……。」


「ん?いいよ!疲れるときとか、よくあるし。」


そういってははっと笑う矢羽が、なんだか眩しい。


「ごめん……。」


許されないことをしてしまった。罪悪感に打ちひしがれる市尹をよそに、矢羽椙太はまたいつも通りの調子でそろそろ暗いから、帰ろうと言ってきた。


 校門を出るまで二人は誰ともすれ違わず、また言葉も交わさなかった。影が長い。


 校門を出たところで、矢羽がおお、と大きな声を上げて空を指した。


「みて!すっげー綺麗な星!!」


見上げた空に星一つ。ごくごく小さな二等星。


市尹はふうと一つ深呼吸をし、


「あの!」


と矢羽に声をかける。


「ん、どした?」


くるりと矢羽椙太が振り返るが、逆光でその表情までは分からない。


「今日は、本当にごめんなさい。それから、それから。」


もう一つ、息を吸って。


「ありがとう!」


言い切ってから見えない椙太の表情を伺う。彼が少し笑う気配がした。


「いいよ、全然!てか、また保科さんが元気出してくれんなら、すげーうれしい!」


じゃあさ、といって椙太はぐいと手のひらを差し出した。求められるがままに、だが少しためらいながら市尹は手を重ねる。


「EとA'、これからも頑張ろうな!」


手を一度だけ強く握りしめ、そして彼はぱっと駆け出した。


やられたな、と思った。


暫くその背を見つめていた市尹は、寂しくなった手を握り、よしと呟いてまた歩き始めた。


「EとA'。頑張るよ。」


誰に聞こえるでも聞かせるでもないその宣言は、一体何に向けて発せられたものなのか。


市尹がもう一度空を見上げると、星の数は増し、先ほど見えていた二等星がどれかわからなくなっていた。だがそれでもーー。


「みんな綺麗……。」


一つ長い息を吐き、市尹は家路へとついた。


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