「再開」
今、僕の声はあなたに届いていますか?
今、あなたは何をしていますか?
今、あなたは幸せですか?
そんなことを聞いてみたいけど、もう僕の手は、2度とあなたに届くことはない。あなたが隣にいた日を取り返せるのなら、僕は何だって賭けられるだろう。喪失感という言葉では表しきれない何かが、僕の胸を締め付け、満たし、そしてこぼれていく。
だから、僕は伝えたい。この物語を伝えたい。これ以上誰も、僕みたいに悲しむことのないように伝えたい。
この星に生まれた、愛を知ってる全ての人へ。
久しぶりの帰郷だった。頭の中に浮かぶ5年前の風景と、目の前に広がる今とが、僕の脳に錯覚を起こさせる。高校1年生になったばかりの僕、野上凛太郎は、しばらく見ていなかった景色に胸を躍らせていた。5年前にはおそらく無かったであろうビルが、今では街のシンボルのようだ。行き交う人々の活気は、今も変わらない。あるところでは、大学生ぐらいのカップルが、微笑ましげに手を繋ぎ、またあるところでは、子供が母親におもちゃをねだっている。もう一度深呼吸して、僕は思った。この街が、僕のホームグラウンドだって。
僕は5年前、小学5年生だったころに、親の仕事の都合で、この街を離れた。仲の良かった友達とも離れ、小学生ながらに泣いたことを覚えている。中学生になり、ケータイを持つようになってからは、当時の友達とも連絡をとることがあったけど、直接会ったことはまだなかった。
そんな僕が、今ここにいるのは、自分の故郷の高校、宮本谷高校に進学したからだ。中学の頃の友達とは離れることになったが、電車で長い時間をかけて、山を越えた先の高校へ通学することにしたのだ。別に、小学校の頃の友達に会いたいから、その高校に決めたのではない。理系の学科に興味があった僕は、そういった勉強ができる高校への進学を希望していた。多少遠いというネックはあったが、宮本谷は理系の学科が有名らしかったので受験し、見事合格を勝ち取った。今日は、そんな宮本谷高校の、物品購入の日で、僕と同じ制服を身に纏う同じくらいの年齢の人が、たくさん僕と同じ方向へと向かっていた。そんな時だった。
「あれ?もしかしてリン?」
リンというのは、僕が小学校3年の時から呼ばれているあだ名だった。もしかして…。期待するままに振り向くと、そこには懐かしい姿があった。
「リンだ!久しぶりじゃん!!」
声の主は水谷遼誠。小学校の友達だった。彼とは僕も仲が良く、引越しの日にも、わざわざ友達を連れて見送りに来てくれていた。
「おう!久しぶり。」
「リン、宮本谷にしたんだなぁ。にしても、背伸びたな!」
言われてみればそうだ。遼誠が最後に見た僕はおそらく、背の順で並べば前の方だっただろうから。
「まぁね。遼誠だって伸びたろ?」
「中2で止まったけど、一応な。」
2人の間には、5年間のブランクを感じさせない空気が流れていた。きっと僕もアイツも、互いのことを忘れたことはなかったんだろう。遼誠は元々、クールで整った顔立ちだが、宮本谷の清潔感のある制服を着ると、ますますクールに見えた。もちろん、しばらく会ってなかったのもあるだろうけど、『大人になったなぁ
』と思った。
「そういやさ、希川小のヤツ、今年結構多いらしいよ。」
「へぇ、そうなんだ。よかったよ。」
「だな。みんな絶対びっくりするよ、リンが宮本谷にいるってなると!」
「覚えててくれてるかなぁ。」
「社会できない俺が覚えてんだから大丈夫だって!」
懐かしい、他愛ない会話に花を咲かせていると、宮本谷高校の校舎が見えた。創立からは結構経つらしいが、繰り返し校舎の改築を行っているらしく、外観はまるで私立高校のようだ。聞いた話だが、この辺りでは2番目に新しい校舎があるらしい。僕の胸は、少しばかり踊っていた。
校門の前では、先輩が新入生に向かって笑顔で挨拶をしている。校舎に向かうまでに咲いている桜も割と綺麗で、何か春らしさを感じた。
「あっ、そういや、クラス発表今日だったよな。」
見ると、3枚ほど並んだ張り紙の周りに、人混みができている。遼誠は、そこ目掛けてかき分けて進んでいった。
しばらくすると、遼誠が人混みから戻ってきた。遼誠は少し残念そうな顔つきだった。
「クラス、リンとは離れてたよ。同じがよかったなぁ。」
「マジで?僕も見てくるよ。」
「おう、気を付けてな。」
僕もそう言って、人混みの中に紛れ込んだ。その中には、友達と同じクラスで喜ぶ声もあれば、違うクラスで残念がる声もあった。もっと言うと、同じ中学の友達がいないのか、クラスを確認すると、1人で黙々と校舎に向かう人もいる。そんなことを思っていると、僕は人混みの先頭に出ていた。1組…2組…3組…と見ていくと、確かに小学校の時の友達らしい名前はよく見る。遼誠の名前は、3組にあった。が、自分の名前は見つからない。眺めていると、ようやく僕の名前が、6組の名簿で見つかった。その中で小学校の友達の名前を探してみる。けど、6組の名簿の中にはない。まぁ、遼誠がいることだしいいか。なんて思いながら、僕は人混みを後にしようとした。
しかしその時、僕の目に何かが飛び込んできて、僕の目は再び張り紙に釘付けになった。わかりやすいほどの二度見だった。そこには、1人の人の名前があった。
(この人、多分同じ小学校の人だ…。けど、誰だっけ…。)
もちろん、小学校の頃の学年の友達の名前を全員覚えているわけではないから、名前が出てこない子がいるのは当たり前だ。けど、この人は何か違うと直感した。明らかに、他の人とは違った。けど、思い出せない。スッキリとしない感情をそのままに、僕は人混みから離れた。
「どうだった?小学校のやつ、いた?」
遼誠が聞く。なんとなく隠したくはなったが、僕は嘘をつくのが得意じゃない。
「んー、多分ね。けど、誰か覚えてないんだ。」
「まぁね、そりゃ5年経つんだし、覚えてないのもおかしくはないよな。」
遼誠は笑ってくれたが、僕の気持ちはそんな単純なものではなかった。覚えてない。けど、確実にその人とは何かあった。説明のつかない感情が渦を巻き、どうしても、疑問は晴れなかった。
僕たち新入生は、校舎の3階と4階を使うことになっている。3組までは4階、7組までは3階という具合に分けられていた。僕と遼誠の教室は、別々の階にある。それもまた、少し残念だった。
3階に着いた時、遼誠がこう言ってくれた。
「じゃあな!また教室まで遊びに来いよ!」
「おう!遼誠も来てくれよ。」
遼誠は笑顔で手を振り、上の階へと進んでいく。さて、1人になった。ここまでは遼誠がいた事もあり、さほど表れてはいなかったけど、やっぱり緊張する。どうしよう…いきなりみんなの前で恥をかくようなことになったら…。
恐る恐る、僕は教室のドアを開けた。明らかに中学とは違った空気が、教室には漂っていた。理系の学科にしては女子が多い。男子クラスになるんだろうなぁとか勝手に想像していた僕としては、少し衝撃だった。そんな女子たちは既に1人の机に集まって談笑している。こういう時に、女子のコミュニケーション能力が羨ましく思ったりもする。僕は、自分から話しかけるようなタイプでもなかったので、後ろの方の指定された席に座り、1人でいた。
不意に、教室のドアが開いて、先生らしい人が入ってきた。散らばっていた生徒達がゆっくりと自分の席に戻っていく。教卓に立っているのは、紺色のスーツに身を包んだ、20代後半ぐらいの男の先生だ。にこやかな目には、優しそうな雰囲気を感じる。その先生が、口を開いた。
「今日から、このクラスの担任をすることになりました、栗田雅弥です。先生の自己紹介は、また入学式の時にするとして、今日はみなさん、物品購入に来られたと思います。大勢で一気に行っても混むだけなので、グループに分かれて向かってもらおうと思います…。」
こうして僕たち新入生は、物品購入に向かった。体操服や大量の教科書を買って、重い重いと言いながら教室に戻る。特に友達と近くにいたわけでもない僕は、なにかする訳でもなく、早く購入を終わらせて、教室に帰った。
「早かったね。」
栗田先生が言う。
「まぁ、はい。」
僕も、乏しいコミュニケーション能力をフルに使って返事をした。教室には誰もいない。本当に『早かった』みたいだ。
しばらく1人でいると、先生が何かあったのか、教室から出て、本当に教室には自分だけになった。かと思ったその時だった。教室のドアが開いた。入ってきたのは女の子だった。一瞬、目が合う。すると向こうは、何かに気付き、はっとした表情になった。彼女はもう一度、クラスの座席表を見て、僕を見た。名前を確認しているんだろう。すると、彼女はゆっくりとこちらに近付いてくる。何だろう。
「あの、もしかしてリン?」
僕のことをリンと呼ぶのは、僕のことを知っている人だけ。まさか…。
「そ、そうだけど。」
「やっぱりリンだ!!私!覚えてない?」
「んー、希川小の人だよね?ごめん、わからない。」
「そうだよ。覚えてないのかー。寂しいなぁ。」
「ごめん、なんか。」
「ううん、大丈夫だよ。5年前だもんね。」
「ありがとう。君、名前、何ていうの?」
その名前は、僕に衝撃を与えるには十分だった。
「私?篠原海琴よ。」
篠原…海琴……。
彼女の顔を見た今ならはっきり分かる。
それは、クラス発表の張り紙で見た名前だった。
そしてそれは、僕の初恋の人の名前だった。