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聖ミケランジェロ学園

波多野くん視点です

 脇沼氏から色よい返事をもらい、俺と先輩は大いにはしゃぐ。スキップしながら店のドアノブに手を掛けたとき、肩に手をポンと置かれて姿勢を正す。慌てて後ろを振り向くと脇沼氏の素敵な笑顔とご対面で、俺なんかにも愛想良くしてくれるなんてと少しドギマギしてしまった。


「ダブル裕ちゃん、ちょっと待て」

「「はっ、はい?」」


 さっそく通り名で呼んでくれるとは感激だ。

 脇沼氏にビデオを向けながら、端正な姿を映し出す。この人ほんとうに背が高い。しかも足長っ! バスケで鍛えた俺より背も足も高いなんて、どれだけハイスペックなんすかねと尋ねたくなる。


「わ、脇沼氏? どうしたんすか。俺と先輩のラテアート代は渡したっすよね?」

「あぁ、もらったな。それとは別の件。ほら」


 意外と金に煩い脇沼氏……と心の中にあるメモ帳にしまっておこう。受け取ったレシートはズボンのポケットに仕舞い込んだ。会社負担で出してもらう。


「俺と響子、お前たちの準備があるだろう」

「は?」

「俺と響子が体張るんだ。お前らにも体を張ってもらうぞ……恥を共にな」

「は、はぁ? 恥、ですか? それっていったい」


 準備? 体を張る? とはどういった意味だろう。俺と五十嵐先輩は、響子さんの案内で奥の部屋へと通された。渡されたものを見て目がテン。五十嵐先輩も声にならない悲鳴を上げて、響子さんと手に持ったものを瞬きもせず交互で見返す。


「あっちの部屋で五十嵐さん、こちらの少し狭いけど、波多野さん「祐介でいっすよ」……わかった、祐介くん。二人とも、お着替えなさってくださいね」

「「どええええっ、これ、これって!」」


 聖ミケランジェロ学園の生徒服だ。

 俺と五十嵐先輩はムンクの叫びの顔になった。


「俺と響子は二階で着替えてくるから――おい波多野、俺達の着替え、くれぐれも覗くんじゃねぇぞ」

「の、のの、のぞきだなんて」


 言われなくとも。いや、脇沼氏の裸体をおさめておかねばと一ミクロンでも思ってたけれど! だって、日本中の女子が脇沼氏を紹介してくれと言ってくるんだ。少しくらい視聴者にサービスしてくれても……はっ、待てよ。俺のせいで響子さんと脇沼氏の仲がこじれて矛先が俺に向けられれば、ジ・エンドは確実だ。

 響子さんがらみで脇沼氏から抹殺される俺、きわめて簡単な構図のでき上がり。ありえそうな未来に言葉が詰まって、俺は戦慄した。


「響子の着替えを覗いたら殺す」

「しっ、死んでも覗きませんっす!」

「あら、わたしの着替えは死んでも覗きたくないんだ……うっ、うっ……東吾さぁん!」

「波多野、響子を泣かせた罪は重いぞ」


 脇沼氏の地を這う声に、俺と五十嵐先輩は恐々した。俺なんてもう、目から涙が溢れ出そう。


「な、なんちゃって……だよ、東吾さん! あぁぁ、祐介くんが泣いちゃった! ごめんなさい……さ、わたし達も準備しよ、東吾さん!」


 脇沼氏と響子さんに弄られて、俺の残りライフが少なくなってきた。二人から解放してくれたころには身体がふらふらになったんだけど、どうしよう。


「……ははっ、これくらいで許してやる。それからお前も着替えて来いよ。着替えたらカウンター席で待っとけ」


 た、助かった。

 あの深紅色の瞳で真正面から睨み付けられたら、生きた心地がまったくしない。


 身体の硬直が解けて、額から汗を流していたことを知ると背筋が寒くなり慌てて個室へ入る。与えられた服を見つめ、今になってぶり返す。若干の震え――俺は、生きてるのにゾンビになった気持ちになった。





****





「まさか社会人になってから制服を着ることになろうとはね……まさに生き恥……」

「先輩似合ってるっすよ」


 鏡の前でポーズを取っている五十嵐先輩に声を掛けると、コホンと咳払いされる。


「ありがと。波多野くんは……まんまのイメージだわ」

「それどーいう意味っすかね……あっ、脇沼氏と響子さんも着替えが済んだみたいっすよ」


 個室から出てきた五十嵐先輩のイメージはまさに学級委員長だ。上下ともにぴったりのようで、眼鏡や前髪のピン止めが様になっている。お局さまのようにいつも光らせていた眼光は、今ではかわいらしいものになっていた。アップしていた髪型を三つ編みにしたせいもあるかもしれない。


 俺と五十嵐先輩のコスプレを評論していると、二階からはしゃぐ声が聞こえてききた。しばらく待っていると、美男美女のカップルが手を取り合っているのが見える。

 

 脇沼氏が響子さんをエスコートして階段をゆっくりと下りてきた。メイド服も可愛いかったのに制服姿も超可愛い。それに響子さんのニーハイソックスが眩しすぎる。目が釘つけにならないようにと、丸ごとイケメンな脇沼氏のほうにビデオを構えるのに必死だった。 


「お待たせ~。あ、ダブル裕ちゃん、制服似合ってる! わたしの目に狂いは無かったね」

「え? この制服、響子さんが?」


 五十嵐先輩が眼鏡をくいっと上げて驚いていた。


「男の子ゾンビくんから借りてきちゃった。あ、ちゃんと洗濯してあるからね!」

「へ……」


 なにからなにまで規格外。

 俺と五十嵐先輩の乗ってきたワゴン車に乗って、聖ミケランジェロまで向かうことにした。







****





 ワゴン車の運転を脇沼氏に任せるなんてと恐縮していたが、道案内も兼ねて任せろなんて言われたのでつい甘えてしまう。響子さんは相変わらずニコニコしてて、ビデオ撮るなら今しかないと思った。


 幸い、助手席には五十嵐先輩が座っているから、後ろの座席にいる俺と響子さんのことを把握できないだろうと会話に夢中になってたら、脇沼氏からただならぬ威圧感が放たれた。

 自己紹介だけでもというと、響子さんが快く受け入れてくれる。なんて良い人だ、と思ってたら前からフォークが飛んできた。あの人は後ろに目が付いてるのか。マジ怖い。


「東吾さん、運転に集中しないと危ないじゃない!」

「悪い、響子に虫がたかってたから」

「虫ぃ~? 俺が虫っすか! 違うっすよ」

「そのうち手元が狂うからな。祐介、覚悟しとけ」


 では何か。今までのは正確だったの?

 手元が狂うと逆にジャストミートなの?

 俺が歯をガチガチ鳴らしていると、響子さんが頭を撫でてくれた。


「ドンマイ。東吾さんは祐介くんのこと信頼してくれてるって」

「は、はは……そうだといいっすけど……」


 聖ミケランジェロ学園に着くと、俺はあることに気づく。崩れていた瓦礫やガラス破片が片付いているのだ。ゾンビ襲来で崩壊していたのはどこも一緒なのに、普通に綺麗な建造物で驚いた。


「日本はどこも復興していると聞くけれど、ここは早いのね。噴水まで流れてる……あ、波多野くん撮ってる?」

「バッチリすよ」

「まずはどこから撮ろうかしら……こんなに広いと迷うわね」

「東吾さん、何か撮ってほしいとこでもあるの?」

「柳原んとこへ行こう。授業してるはずだ」

「1-1だね。うん、行こう、さ、ダブル裕ちゃんも!」


 ぽかぽか陽気に包まれて、ワゴン車から降りた俺達は1-1クラスを見つけて入った。驚いた。ゾンビ生徒達が大人しく授業を受けている。


「波多野くん……」

「は、はい……すごい、みんなが大人しく座っているなんて!」


 体がボロボロの生徒達が多くて、見ていられない。どうしてこいつら、新薬を飲まないのか不思議でしょうがないんだ。


「あれ、東吾くんに響子ちゃん」

「よぅ。久しぶり、柳原」

「お久しぶりです、柳原さん」


 懐かしい話に花が咲き、柳原という男は授業を中断して中庭に来てくれた。ざっと掻い摘んで話をすると、身を乗り出して聞いてくれる。味方は多いにこしたことはない。この人にも協力してもらえればスクープへの近道となる。


「へぇ、スクープを!」

「えぇ、明宝テレビのボスがスクープを撮れってうるさくて」


 五十嵐先輩、柳原さんと喋ってると嬉しそうだ。もしかして恋の予感とか。俺は味方する、うん。


「テレビ関係者じゃしょうがないよね。ふぅん、ゾンビ特集かぁ……」


 脇沼氏にちらりと視線を向けて相槌を打つ二人に、俺と五十嵐先輩は蚊帳の外みたいな気持ちになってしまった。この人と脇沼氏、それと響子さんたちの間に何があったのだろう。俺はとても気になった。

 

「この学園に面白いのってあったかなぁ」

「柳原、畑はどうなってる」

「ゴーヤにきゅうり、トマトなんかも豊作だね。見てくかい?」

「「ぜひとも」」

「ははは、いいよ、見ていきなよ。そうそう、尚吾くんも張り切って畑を耕してるから」

「えぇ……あいつはいいよ「尚吾くんが! さぁ、東吾さん行くわよ!」えぇ~~、俺は尚吾に会いたくない」


 ぐずる脇沼氏を、響子さんがずるずると引きずり歩いていくのに茫然し、柳原さんと目が合うとパチリとウインクしてくれた。


「あの、尚吾くんて……?」

「東吾くんと響子さんの息子さんだよ。小学一年生。聖ミケランジェロの初等部だな」

「え?? あの、よく聞こえませんでした。誰と、誰の息子さんですって??」

「だから、東吾くんと響子ちゃんの息子さんだって!」

「「えぇぇぇ~~!」」


 響子さんがすでに子持ち?

 これが一番のスクープじゃね?と、先輩が興奮していたのを俺は返事するので精いっぱいだった。 



******


 学園の建物から少し離れたその場所に、広大な畑が広がっていた。トマトもゴーヤもたくさん育っている。それらをゾンビ達がたどたどしくも収穫していた。麦わら帽子を被った一人のゾンビ生徒に、脇沼氏が話しかける。


「尚吾はどこにいる?」

「あーー」

「田んぼの方にいるって。さぁ、行こうか」

「ありがと、またね」

「あー、あーう」


 脇沼氏がゾンビ達の統率者ということを忘れていた。響子さんも、どちらかというと脇沼氏寄り。ぺこりとお辞儀をして、ゾンビもそれを真似る。その拍子に麦わら帽子がズレ落ちた。癇癪でも起こすかなと思いきやそうでもなく。響子さんが帽子を拾うと、あーと呻く。これが彼らの普通とか、俺達の想像をかるく凌駕してくれる。

 ボスの喜ぶゾンビ特集とやらが得られそうだ。俺と五十嵐先輩はゾンビの横をビクビクしながら通りすぎると、ゾンビが不思議そうな顔をした。マジかよ。


「チュンチュンッ!」

「あ、あれはメルちゃんかな?」

 

 俺達の上空をせわしなく旋回している小雀が、響子さんの肩に飛び乗った。


「メルちゃん、おはよ」

「チュンチュン!」

「また来た……お前は来なくて良いのに……いででっ!」

「東吾さん、メルちゃんを虐めないでよ」

「こいつは俺の響子を奪う宿敵なんだ。くそ、覚えてろよ」

「チュンチュン♪」


 しばらく歩くと、田んぼの堀に水がサラサラと流れているのが見える。とても澄んでいて綺麗だ。都会の、しかも金持ち学園でこんな場所が見れるなんて驚きだ。

 俺と五十嵐先輩がザリガニやアメンボを眺めていると、遠くの方からエンジン音が聴こえてきた。稲刈り機を操作して、こちらに向かってくる男の子に響子さんが駆け出して抱きついている。


「尚吾くん!」

「わっ、響子ちゃん?」

「そうだよ、もう、また大きくなったね」


 ほっぺたにスリスリして、響子さんはとても嬉しそうだ。それを満更でもない様子で受け止めている男の子が、響子さんのほっぺにキスをしている。 


「うん! すぐに響子ちゃんを追い越すからね」

「響子ちゃんて……昔はママって、言ってくれてたのに」

「響子ちゃんは、響子ちゃんだよ……」


 日本人特有の黒髪がサラサラしてて、響子さんを見つめる柔らかい目元が脇沼氏にそっくり。瞳の色素はどことなく赤色で、どこからどう見てもミニマムな脇沼氏だ。その男の子の頭をワシャワシャかき乱すのが――


「お母さんだろ。何色気づいてんだ」

「父さん! ……むぅ、色気づいてなんか……あっ、そうだ! 久しぶりに肩車してよ」


 この年の男の子って、父親が大好きなんだよなぁ。俺も昔は父さん父さんって言ってたっけ。まだ信じられないけど、ほのぼのしているところを見ると親子だなってわかる。

 

「しょうがない奴だな。ほら」


 脇沼氏が上体を低くして、尚吾くんを手招きする。

 両肩に足を乗せて、難なく立ち上がった。


「わ……あ! いつもの景色がこんなに高い! ボクも、父さんみたいに背が高くなるかなぁ?」

「当たり前だろ、俺の子なんだから。な、響子」

「余計なとこまで似なくていいんだからね。そのまま素直な尚吾くんに育つんだよ」

「えへへ」「そりゃないだろ、響子~~」



 風車が回るガランゴロンという音を聞きながら、聖ミケランジェロから町を一望できる場所までのんびり歩く。大きな岩の上に尚吾くんを降ろして、座り込んだ脇沼氏の膝の上に尚吾くんが腰を下ろす。その隣に響子さんが座ると小さな手が握りしめた。

 大人らしいところを見せても、まだまだ甘えたい盛りなんだなと俺と五十嵐先輩が見つめる。彼らの邪魔をしてはいけないと、少し黙っておくことにした。



 ゴトン、ゴトトン、と遠くの方で列車が通る。

 どこまでも続く線路を見つめ、脇沼氏が口を開いた。


「まだ戻ってこないのか」


 涼しい風が吹き、俺達の頬を撫でる。 

 

「ボクはまだここで学ぶことがいっぱいある。柳原先生も友達も、ここにいるもん。ボクが見ててあげないと」

「そうか。お前の家は俺達の場所でもある。いつでも帰ってこいよ」

「うん! わかってるよ。ボクは父さんと響子ちゃんの自慢の息子だもんね!」


 にしし、と笑う尚吾くんに脇沼氏がつられて笑った。


「言うようになったな。あぁ、尚吾は俺と響子の自慢の息子だよ」



 俺は、自然とビデオの電源を切っていた。



「ちょっと、波多野くん?」

「これは普通の親子会話っすよ」

「そうね……」

「親子水入らずの会話……今だけそっとしておきたいっす」


 母の手料理も、親父のたまに煩いあの声も、すべてが塵となり果てた。反抗したりして受け止めてくれる人はもう居ない、ゾンビとなることさえ無理だったあの頃にはもう戻れない。


(頭部を撃ち抜かれたすからね――……)


 尚吾くんだけじゃない、他の人たちだって、言いたいことはたくさん話しておくべきだ。後悔だけが胸にしこりとなって切り付ける。そして思う。どうして今なのだ、どうしてもっと早くにゾンビ達を手懐けてくれなかったのかと。

 脇沼氏に希望を託す者や批判する者に、決定的となる瞬間を収めなければ視聴者は納得しないだろう。答えはここで見つけねば。


 

 

 三人仲良く座っている脇沼親子が昔の俺と重なり、彼らの笑い声が耳にいつまでも心地よく残った。

 



 

 




***





「明宝テレビ?」

「そっす。俺と五十嵐先輩は、ゾンビ特集を組むために脇沼氏と響子さんを訪ねてきたすよ。まだ何を撮ろうかは、悩み中す」


 脇沼親子のしんみりとしたタイムが終わり、空気を読んだ俺と五十嵐先輩の自己紹介を兼ねて、ここまで来た経緯を話した。


「ん~、祐介兄ちゃんと祐子姉ちゃんの見たいものかぁ。ゾンビが普通に歩いてるとこじゃダメなの?」

「それはもう撮り収めたっすよ。あとは、視聴者やボスをあっと言わせるような特大スクープすね。目玉的な何かがあれば良いかなと思うすけど。ねぇ先輩?」

「決め手になるものが欲しいの。でもまだ何も……」


 五十嵐先輩が頭を悩ませているとき、尚吾くんが提案してくれた。

 

「そうだ、今日は泊まっていけば? 余ってる部屋ならたくさんあるし」

「良いのかしら? お邪魔じゃない?」


 脇沼氏をちらりと見つめている。

 最終的には彼の判断が必要なのだと、五十嵐先輩は悟っているのだろう。


「構わない。来客用の個室があるはずだ。そこを使ってもらおうか」

「と、東吾さん、ベッドメイクとかしてないよ。部屋も散らかってるんじゃ?」

「どうする、ダブル裕ちゃん?」


 脇沼氏に尋ねられ、俺と五十嵐先輩は泊まらせてもらうことに。




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