メイドゾンビーズ
藤堂ヒナタ率いるウイルス研究チームらによって、ウイルス撃退の特効薬がとうとう完成した。協力者たる東吾と響子の関係者に、いの一番に使ってもらえたらと彼らからの勧めもあって薬を頓服してもらう。
薬入りの紙袋を手渡されたときの彼らを見て、東吾と響子に衝撃が走る。研究チームの皆が髪がボサボサな上に無精髭、白衣はよれよれで、身だしなみがゾンビと変わらないくらいに薄汚れている。
目の下に深いくまを付けて憔悴していたのだから、こちらが体調を心配するくらいであった。本当なら東吾は怒る算段でいるはずだったのに、良い意味で予想を裏切られることになろうとは露ほどにも思わなかった。
前チームリーダーの藤堂雪吹が人を人とも思わぬ冷酷な人間だったため、研究チームの皆がそうだと東吾は決めつけていた。自分はまだしも響子までモルモットに見られていたらと思うと、どうやって難癖つけててやろうかと思っていただけに拍子抜けしてしまったのである。
“――薬、ありがたく使わせてもらう。その……薬の代償は要らないのか”
研究員の一人が首を振る。
君たち二人あっての新薬完成なので、使うも留めるも君たち次第だと言われた。
“あんた達は、藤堂雪吹の仲間じゃ……”
“前リーダーの雪吹のやり方には、俺たちもついていけなかったんだよ、その点、ヒナタなら命をゆだねられる。俺たちは、誇りを持って仕事をしたってな”
“そうか――、すまない、そしてありがとう”
“薬、効くと良いな。じゃぁ、俺達しばらく休むわ”
怒る気力が失せた東吾は、響子を連れて帰宅する。
メイドゾンビーズを呼び出せば、うつろな瞳と目が合った。なんだ、統率者。お肉くれるなら早くくれ、と催促されているようでもある。
こめかみを抑えながら東吾は自分を抑える。花蓮と真弓に今までのいきさつを話し、薬を使用してもいいか聞くと意外な答えが返ってきた。
「「要らない?」」
素っ頓狂な声がハモッてしまう。
東吾と響子は顔を見合わせ、ゾンビ二人に再び向き合った。
「あー……」
「真弓ちゃんもなの? お薬飲まないと、人間に戻れないんだよ」
再び唸られた言葉の意味を、東吾は理解した。
「しばらく“ゾンビ”を堪能したいとか……あのなぁ、お前たちの体組織が腐って壊れないように操作してるの、誰だと思ってる」
「あー……」
「“統率者”の俺が外からウイルス達を抑えて腐敗するのを防いでるんだぞ、うまく作用してるからって馴染まれて永遠にゾンビのままでもいいのか」
コクリ、とバイトゾンビーズは頷く。
その様子を見ていた東吾の眉間に、だんだんと皺が寄ってきた。ただならぬ雰囲気を感じて、花蓮と真弓が怖気づく。身体をぶるぶる震わせて、ゾンビでも泣きそうだ。
「勉強しなくていい、働かなくてもいい世界が良いわけないだろう、ほら、薬を飲んで――」
「待って、東吾さん」
「響子?」
怒りMAXに到達しそうな勢いの東吾をなだめ、その広い背中を押しながらゾンビカフェにある窓際の席に着いた。もちろん、東吾の膝の上に響子をちゃっかり座らせるのを忘れない。
「響子は甘い、俺は――」
「ねぇ、東吾さん、統率者になる前の記憶って覚えてる?」
「あ、あぁ。でも何で」
「ガラスで仕切られていたときの東吾さんに、ピアノの音を聴かせたときの反応を思い出しちゃったの」
ポーンと一音弾くと、物珍しそうにこちらをのぞき込む警官ゾンビな東吾に、響子はそしらぬ顔して弾いていた。あのとき実験室から出れなくて適当に弾いた猫ふんじゃったが、東吾お気に入りの曲となっている。
「東吾さんがピアノに釘付けでさ。自分の記憶にないものを見聞きするのが新鮮だったんだよね」
「響子に関連するものが全部気になってただけな気もするけどな……でも猫ふんじゃったは面白かった……」
くすくす笑う響子の顎をゆっくり撫でて、東吾は響子に口づけした。
「私だって、東吾さんに読んでもらった絵本がとっても大好きだったんだよ」
「絵本絵本って言ってたよな、響子はお姫様が出てくる物語が好きだったんじゃないか」
「東吾さんがくれるお菓子も大好きだった。でもエッチは嫌いだったかな。痛かったんだから」
それを聞いた東吾が頭をボリボリと掻いて、ぽそりと呟いた。無理やり身体を奪ったりしてゴメン、と響子の唇にキスをする。
「いーよ、東吾さんは私のこと大好きだったんでしょ? 許してあげる。なんせ言葉を忘れた私に、東吾さんが必死に教えてくれていたもの。あのとき、本当に嬉しかった……」
「響子……?」
うつむいた響子は、東吾に真正面から視線をぶつけてきた。
目にはうっすらと滴がたまり、今にも溢れ出そうだ。
それを掬い舐め取りたいと東吾は必死で理性を押し殺す。
「東吾さん、私達は知ることに喜びを覚えるんだよ。花蓮ちゃんや真弓ちゃんだって、勉強が嫌いなわけじゃないと思う――ほら……」
人間相手に四苦八苦して、注文を受け取りレジ対応まで必死にこなしているではないか。彼女たちは自分の世界を必死に昇華しようと足掻いているに過ぎないのではと、響子はそこに思い至ったらしい。
東吾も思うところがあるのか、しばし無言となり山の頂きにある学園を眺める。都市をも軽く凌駕する金持ち学園、聖ミケランジェロ。そこには若かりし東吾も通っていたと聞く。理事長の息子でもある東吾は、あの学園の一室に自分の部屋を設けていたのだ。
「あの子たちは聖ミケランジェロ学園の生徒だったよな……」
「花蓮ちゃんも真弓ちゃんも、お金持ちの娘さんだもんね。ゾンビにならなかったら一生かかわることのない職種だったんだと思う」
可愛いうさぎさんのエプロンを着て、おしゃれはもちろん身だしなみも清潔にして。そこは女の子だからだろうか、余念がないと響子は言う。
「響子……」
「私達を認めてとは言わない。でも私や花蓮ちゃん、真弓ちゃんを否定しないで」
これが響子の本音か――
東吾は胸が締め付けられる思いがした。
「響子! 俺は響子を一度でも出来損ないだなんて思っちゃいないんだからな! 頼むから、自分を卑下しないでくれ――俺は、響子をいつまでたっても救えやしない、間抜けな統率者じゃないか……」
「ち、違うよ、東吾さんだけは違う……! 東吾さんは強くて賢くて、いつでも何でもへっちゃらで……何でもできる統率者じゃない!」
どちらも一概に違うと言われて、東吾の頭に血が上った。愛しているこの気持ちも否定されているような感覚に陥り、どう言葉を紡げばいいのか一瞬わからなくなる。
テーブルの上にあった水の入ったガラスを握り割ってしまい、手に怪我を負う。響子がびくりと身体を震わせながらも、そっと両手で包み込んでくれた。このぬくもりを求めて東吾はいつだって、響子だけを追い求めてきたのに――
「……何でもできる東吾さんなんかに、私の気持ちは分からないよ……」
響子の切ない泣き声が胸を打つ。
根底にあるものは根強く、いつまでたっても響子の心から剥がれてくれやしない。こんなにも愛してるのに壁一枚隔てているように感じているのは、気のせいなんかではなかった。
だが今、言葉を交じわせてやっとわかったことがある。違いがあるにせよ、お互いのネガティブなところを認めなければ前にも進めないと認識できるようになった。
こんなにも近くにいるのに遠くて掴めない。
いや、今度こそ響子を守ってみせる。
自分に嘘をつくつもりなど到底皆無で、誓いは自らの心臓に深く刻みつけていた。
「……わかった、花蓮と真弓の意見を尊重しつつ聞いていこう。もしかすると、不意に人間に戻りたいって言うかもしれないしな」
東吾は響子のやわらかい手のひらをしっかりと握りしめて囁く。幼子をなだめるように、できるだけ穏やかに、落ち着いた声音で言うと響子の目じりが和らいだ。
「うん、うん! 東吾さんありがとう!」
「今夜はサービスしてくれ」
「東吾さんのエロゾンビ!」
二人の様子を恐々と眺めていた花蓮と真弓に、東吾が話しかけて和解した。
東吾が妥協するかたちとなって、薬の使用を待ってもらうことになる。