第一部 ゾンビカフェ
ゾンビとは強い飢餓感を持つ、生ける屍のことである。
「肉を食べさせ続けると人間は襲わない。ただ、ゾンビにも僅かな知性を窺い知れる。意に反しない人間側の、理不尽な要求を求められたとき、知性あるゾンビはどうでるか、俺には測りかねないけれど。な、響子」
長身の男がインタビューに答え、次いで隣にいる彼女のおでこに口づけた。このラブラブ具合を茶の間に流しても良いものかと女性記者は悩む。あまり場にそぐわなかったりすると、ディレクターに叱られるかもしれない。
片頭痛がするがここは我慢だ、ゾンビの事を知り尽くし、統率しているこの男がつらつらと喋り返してくれるのは珍しいことなのだ。隣にいる可愛い彼女がいれば、機嫌を損ねることもないだろうと判断してのことである。方向は間違えてはいないはずと、痛む胃を抑えながらマイクを響子へと向けた。
「偏見もいいとこですよ。最近のゾンビも進んでますからね~。あ、おひとついかがですか。ラテアートですよ。東吾さんが作ってくれました。遠くにおられれる取材陣の方々もどうですか。見た目も可愛い小雀のメルちゃんの絵柄が描かれて可愛いですよ、ねぇ、メルちゃん」
「チュンチュン!」
プリンプリンと、尾羽を振る。
自分が一番可愛いのだと、こて、と小首を傾けて愛想を振りまいているかのよう。
東吾と響子は当たり前の風景を見ているが、女性記者には追い付けないらしい。人に懐くことのないスズメが、響子の肩に止まって尾羽をリズミカルに振り乱しているのだ。小雀に可愛いと連呼する響子に、とてもじゃないがテレビ記者達は奇異とした瞳を向けてしまう。ただ、ここで変に意識して機嫌を損ねられても困る。女性記者は意を決して馬鹿正直に答えた。
「あの、タダで貰うわけには……」
おずおずと上ずった声が出てしまい、取材陣達を驚かせてしまった――しまった、仮にも自分は場数を踏んだ記者なのだ。出始めの小娘でもあるまいし、目の前にいる可愛いだけが取り柄の女性に後れを取るなんて。響子の隣から放たれる、東吾からの畏怖堂々とした視線に動揺を隠せなかった。
「ふふ、ギブアンドテイクですから遠慮なさらずに」
それでも、響子が可愛い声で話しかけてくれるから微妙な空気が緩和される。これは、助かったというべきか――
「私達に、金銭以外の物を求めると?」
長年の勘というやつだ。
この男だけは怒らせてはならない。
できるだけ温和にインタビューしないとと、心に釘を打ち始めた。
「そうですね。たとえば、ゾンビが人を襲わないところをテレビで流してもらえると助かります」
マイクとは反対の手でマグカップを受け取り、女性は目を瞬かせる。
「は、はぁ……ですが、ゾンビは人間を襲いますよね? でも、どうしてここ周辺にいるゾンビ達は襲ってこないんでしょうか」
響子の肩にのっけた小雀が、チュンチュンと頬を寄せて羽毛を異様に膨らませていた。マスコミの彼らを警戒していると、安易に分からせるためである。
「東吾さんがいるから大丈夫です。ですから、力任せに駆逐なんてしないでくださいね」
「……響子の手が痛むだろう、やめてくれ」
伸ばされたマイクを響子が湾曲させると、ノイズがブオン――と響き渡る。女性記者が身体を硬直させて震えていると、東吾が優しく制してくれた。
響子の手を慈しむように口づける様は、童話にでてくる王子さまのようだ。火照った顔を見せないようにと、響子は顔を背けてしまった。
ハイスペックイケメンだが何かがオカシイ。
東吾の頭へと飛んできた小雀が、セットされたサラサラの髪の毛をついばんでいる。笑顔でありながら犬猿さを隠さない長身の男と小雀のやり取りに、女性記者は突っ込みたい気持ちを押し込めざるをえなかった。
「――駆逐なんて無体なことをしでかしてきた矢先には、貧弱な俺が、正当防衛でやり返すからそのつもりで。なぁ、メル」
「チュンチュン!」
「東吾さん、メルちゃんに酷いことしないでよ。おいで、メルちゃん」
「チュンチュン♪」
電信柱に拳を埋めると支柱が斜めに傾き、テレビ取材陣が茫然と眺めているのを全国中継で流してくれた。紅葉の彩りが始まった季節、今はゾンビがもてはやされる時代に突入である。
ゾンビカフェ ~IFバージョン~
夕方以降に割引シールで半額だった1kg500円の焼肉をまとめて10パックお買い上げして一つ頷く。これで今日の晩御飯は大丈夫だ。
お会計をしたあと、駐車場を歩く響子は横付けしてきたアルファロメオを見て苦笑いした。運転席から顔を覗かせた東吾が、響子の帰りを今か今かと待ちわびていたからである。
「カフェで待っててって言ったのに」
助手席に座りシートベルトを閉めると、横から軽くキスされた。
「響子が男にナンパされてるんじゃないかって思うと、俺は気が気じゃないんだ」
「スーパー行ってるだけなのにされるわけないでしょ。東吾さんのバカ」
響子の太ももを撫でる東吾の手のひらをぎゅうっと捻る。痛そうだが幸せそうな東吾の横顔に、胸が少しだけあたたかく感じる響子だった。
「あー、あー」
「イチゴのパフェと、紅茶のセットお持ちしました」
「あ、ありがとうございます……きゃあっ」
女性客のスカートにスプーンが落ちる。
ゾンビバイトの花蓮ちゃんが覚束ない手で拾うと、屈託のない笑顔を見せた。目玉がポロリと落ちたけど気にしない。響子が急いで押し戻してやると、頭を下げてくれる。
「あー、うー」
「花蓮ちゃん、さすがですね。では、ごゆっくりどうぞ」
女性客が歯をガタガタと鳴らせて身体を硬直させていると、後ろから東吾さんがやってきた。
「何かお困りのことはございませんか?」
極上のイケメンスマイルで花が咲く。
ギャルソン仕立ての装いをした東吾に女性客達は心臓を撃ち抜かれたようだ。無駄にイケメンな奴めとそっぽを向いて、花蓮と一緒に入店者を招き入れる。
「おらおらっ、ゾンビは墓に行けよ」
「そーだそーだ、金なんていらねーだろ」
「あー……」
ゾンビの真弓ちゃんが突き飛ばされたので、響子が庇い前に出る。
「お客様、店内での暴力事、または無銭飲食は困ります。お引き取りください」
「何だ、人間もいるじゃねーか。ねぇちゃん、こんな腐った場所で働くより、俺達と良いことしない?」
「しません」
「お高くとまりやがって……」
エプロンの上から胸を触られたので、リーゼント男の腕を捻りあげると奇声を上げている。
「いでえええっ! てめぇ、離せよ」
「おいこらてめぇ、調子こいてんじゃねーぞ!」
スキンヘッドの巨体が拳を上げてきた。
それを、手のひらでやんわりと受ける止める人物が一人。
「東吾さん……!」
「俺の響子に触るんじゃねぇ、殺されたいのか」
「ツトム、助けてくれぇっ! こいつ、力が強すぎる……! 俺の手が、いてぇえっ!」
「ゴウタを離せやこの野郎! これでも食らいやがれ!」
リーゼント頭がナイフで刺してきた。刃は深くめり込んでいる。
それを見て女性客らの悲鳴が響き渡った。
しかし東吾にケガは無し。
銀のお盆で刃を防いだことを見せつけると、相手を足で蹴りつけた。リーゼント頭が床にひっくり返った状態で硬直している。
「ツ、ツ、ツトムゥ……! ば、化け物かてめぇっ! ぐぎゃああぁぁぁっ!」
拳の骨の軋む音がしてスキンヘッドの男が泣き喚き、ともに床へと転ばせると、それぞれ二人を見下ろして東吾が言い放つ。
「うちのゾンビ共にメシとして食われたくなかったら去れ」
「ひいいぃぃっ!」
「迷惑料で壱万円置いていけ。腰ぎんちゃくのてめーもな」
「はいいっ!」
ゾンビカフェには様々なお客様がやってくる。
こうした迷惑なお客様にも、東吾さん始め、わたしは丁寧に対応させていただきます。