━━━第一章・深き緑の隠れ里━━━ 7
「あたいの事はオバサンじゃなくて、お姉様と呼びなっ! いいかい?」
彼女は四十を超えているらしい。いくらなんでも、お姉様と呼べるような年齢ではない。
「えっ……?」
戸惑うキサに、ずずいっと更に凄んでくるお多満。トラウマになりそう。
「次の返事はハイ。それ以外、口にしちゃだめ……、分かったかい?」
しばらく気圧されて口をパクパクさせてたキサは、
「……ひゃいっ!」
やっとの思いで返事を吐き出した。まるでヘビに睨まれたカエルである。
「よしよし……、素直でイイ子だねぇ。きっと、良いお嫁さんになるよぉ」
満面の笑みで、キサの頭を撫でるお多満。
「じゃあ、クソじじいのとこへ行っといで。呼ばれてんでしょ?」
「うん、ありがとっ、オバ……じゃなくてお姉様っ」
一瞬の殺気を、確かに感じた。すたこらと逃げるように駆け出すキサ。
緑の天井と呼ばれる、隠れ里を上空から隠している植物が、幾重にも複雑に絡み合って覆っている為、昼間でも薄暗い。そんな中、枯れ木を倒して束ねただけの小さな橋を注意して渡り、生活用水にもなっている小川を辿って、さらに奥へ。
里人は、圧倒的に[もののけ]が多い。途中、何匹もの彼らとすれ違うが、大別して二種類に分かれる。
どちらかの耳に、赤い宝石のピアスがあるか否か。
これは、[もののけ]にとっても、そして人間にとっても、重要な意味合いを持つ。赤い宝石は相方となった人間の血液が固まったもので、<もののふ>になれる証。それを朝廷が公認した時に[もののけ]の耳に付けられる。以後、人間の協力者という事で狩られる心配は無い。逆を言うと、このピアスをしてないキサのような[もののけ]は、危険な存在として常に付け狙われるのだ。
「あたしも早く、あんな耳飾りしたいよ……」
心に決めた人は、もういる。でも、ゴールはあまりにも遠い気がして──。
キサの呟きをかき消すように、豪快に落ちる水しぶきと音が、さわやかに身体を通り過ぎる。
いつの間にか、隠れ里の一番奥にあたる初段ノ滝に差し掛かっていた。
落差はニ十メートルほどで水のカーテンのような滝である。滝壺に虹が立つよう、里人の手によって工夫されており、隠れ里のシンボルに相応しい景観であった。
次に、滝のずっと横に階段が作られている。それは途中で二股になっており、一方は、資金源の一つであるワサビ園と、あまり近づきたくない不気味な祠に続く上流へ。もう片方は、隠れ里をぐるっと回って入り口付近の崖まで続く。
息も絶え絶え──重い足取りで階段を踏みしめるキサ。心臓破りの石段とも呼ばれるこれを、毎日すいすい登っていける里人が、正直信じられない。
(もう、なんでこんな階段作ったのよぅ……)
続いて、隠れ里の入り口付近。切り立った崖を刳り貫いて作られたスペースに小さな神社があり、そこへ向かうキサをいくつもの鳥居が出迎える。もちろんそれらは、宮大工の手による朱塗りの立派な建造物では無く、適当な木材で体裁だけ取り繕ったお粗末なモノであった。
(あーっ、ついたーっ、もうだめ……っ、一歩も動けないよぅ)
やっとこさ。最後の鳥居をくぐった所で精も根も尽き果てたキサが、ひざに手を置きながら荒い息をたてていたその時。
背後からカサリと落ち葉を踏む音が聞こえ──。




