━━━第五章・敵地潜入━━━ 13
ホッとしていた空吉は不意にしゃがみ込む。背筋に悪寒──いや、背後からすさまじい殺気がふくれあがったのだ。
「うひゃおわああぁぁ」
でたらめな悲鳴を上げて狼狽えながら、一刻も早く体勢を整えて走ろうと、もがく空吉。
大木が横一文字に切断され、ギギィと音を立てて倒れてゆく。
「うぬ、これを避けるとは……大したものだ」
シャランと、闇に濡れた刃が錫杖に収まった。切れ味の鋭い、見事な仕込み杖である。
木陰に溶け込んだ黒頭巾から、凍てつく視線が突き刺さる。
「だが、惜しい。生きていれば良い<もののふ>になれたものを……」
空吉は、これほど間近に死を感じた事が無い。股間がほっこらと温かくなる。あまりの恐怖に小便を漏らしてしまったのだ。
それでも、とにかく逃げる。逃げて逃げまくる。恐怖よりも、チュウ太の生存本能が勝ったのか。<もののふ>韋駄天は、炎の弾丸走者となって火花を撒き散らしながら森を突っ走った。
まさに生死の土壇場で起きた奇跡。韋駄天火急走である。
(オイラの走りに追いつける奴なんて……誰もいないはずっスよ?)
迫り来る死から逃げるように、生への扉を求めて、ただひたすら走り続ける。身体から飛び散る火花は生命の証。心臓が潰れてもかまわない。
ハートが燃え続ける限り、どこまでも──。
「無益な鬼ごっこは……、ここで終いだ」
その声に、空吉の表情が凍り付いた。
すぐさま金縛りにあったかのように身体が硬直するが、疾走の勢いは消えた訳では無い。
体勢を崩した彼は、為す術もなく宙を飛んだ。
「なんでっスかああああああぁぁぁ」
草原に頭から突っ伏した空吉。
生命が燃え盛るようにまとわりついてた炎が、フッと音もなく消えた。だんだん力が抜けると共に、心は絶望の淵へ落ちてゆく。
(ありえないっスよ、こんなの反則っス……)
シャラン。
またもや不気味な錫杖の音が、すぐ後ろで鳴り響くと同時に──さっきと同じ金縛りが発生した。振り向きざまに固まってしまったので、空吉は変な体勢になっている。
「某から逃げられる者など、そうはいまい。影に潜っていれば、相手がどんなに早かろうと意味はないのだからな」
空吉の影から幽霊の如く、静かに姿を現す影法師。
傍らには抜き身の錫杖が、地面に突き刺さっていた。
「それに……こうして影に刃を突き立てれば、大抵の相手は身動きが取れない」
前者は影潜り、後者は影縫い。
影法師は淡々とした口調で己の能力を明かす。
(冥土の土産に種明かしっスか……、さっさとひと思いに殺るっスよ)
空吉は──目を閉じて全身の力を抜いた。
「最後に……一つだけ質問だ。お主は、里人か否か?」
このようなパターンでは、シラを切るのがスパイの王道だろう。最後の最後まで口を割らず、潔く死んでゆく。だが──空吉はまだ若かった。やり残した事もいっぱいあった。死んでまでカッコ良く見栄張っても、誰も見てくれない。影法師と対峙して、こうした死に臨んで──自分の本心にやっと気付いた。
「そ……そうっス……、そうっスよぉ……。何でもしゃべるっス……、だから命だけは……」
涙をぼろぼろ流しながら言葉を紡いだ空吉だったが、最後まで続かなかった。影法師が彼の首筋に一撃を加えたからだ。
ただし、錫杖の鞘で──。
「……里人はことごとく生け捕りにせよ。との、将軍様のお達しでござるからな」
しかし、空吉が持っていた重要な情報は、このような理由で隠れ里に届かなかったのである。
それが──天下最大の危機を招こうとは、影法師は夢にも思わなかった。
サブキャラ対決、ついに決着。




