━━━第五章・敵地潜入━━━ 10
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草木も眠る丑三つ時──という言葉がある。分かりやすく表せば、午前二時から二時半までを指す。そんな比喩がある時刻にも関わらず、今日に限ってここは騒然としていた。
鎮西地方最大の都市である鶴城。そのあちこちで、武装した兵士が慌ただしく行き交い、時たま陣太鼓やホラ貝が鳴り響く。
鎮西将軍の評 利光が、約一年ぶりに陣触れを出したのだ。ちなみに、出陣命令の事である。
「とても、まずいっスね……」
双七郎達が鎮西衛門督の公邸に潜入した頃から、見回りの兵をさりげなく遠ざけていた空吉。一番下っ端でも鎮西兵衛志という官職を持つ彼だからこそ、可能な仕事であった。そうやって各々《おのおの》が適材適所で切り抜けた結果、何とかキサの救出に成功したのである。
しかし、公邸に火を放ったのがまずかったのか、蜂の巣をつついたかのような大騒ぎに発展してしまい、現在の状況へと至る。
「鎮西将軍・評 利光か……、やっぱ只者じゃないっスねぇ」
そう、鮮やかな手際でテキパキと事を収めたのが利光である。河童隊を呼び寄せて速やかに公邸を鎮火し、続いて放火犯とその逃走先まで割り出した。つまり、この陣触れは双七郎達の隠れ里をターゲットに出されたものであり──空吉は、他人事のように呟いている場合ではないのだが、
「さてっと、本業に移るっスか……」
元々、空吉の任務はスパイである。あくまでも客観的な視点が求められ、時には自身の事さえも道具として割り切らなければならない。一切の私情を捨て、どこまでもクールに。
彼は、しれっと──本格的に敵情視察を開始した。
「あれは天狗兵……という事は、空襲も考えられるっスねぇ」
大空を席巻する<もののふ>として有名な天狗は、ほぼ全員が正五位以上の官位を持っており、朝廷の様々なポジションで優遇されている。空を飛ぶ事は、それだけで絶大なアドバンテージを持ち、しかも制空権に関して他種の追随を許さない。
一般的なイメージとして修験者姿の天狗が挙げられるが、それは本家本元の実力ある大天狗達に許された格好らしい。鎮西将軍に従うここの天狗兵は、藍染めの直垂に腹当という簡素な武装である。背中から突き出ている二つの羽根は灰色っぽいので、おそらく夜目の利く梟天狗あたりか。彼らは、烏天狗と並ぶ下っ端天狗の代表格である。
「あいつら木の棒なんか腰にぶら下げて……。ははぁん、なるほど……火の付いた松明を下へ投げ込む気っスね」
隠れ里を覆い隠す緑の天井は、植物が幾重にも複雑に絡み合ってできている。上空から火が落ちてきたらひとたまりも無い。瞬く間に火の海と化すだろう。
「敵さんもなかなか、やるっスねぇ……」
うんうんと、感心したように一人うなずく空吉。まるで他人事である。
「あとの顔ぶれはだいたい……正五位から上の奴らっスか」
地上部隊は、空吉より一つ上の役職に該当する<もののふ>達で構成されていた。
それぞれが鎮西兵衛尉の官職を持つ部隊長クラスの精鋭で、双七郎の師匠である稲薙 道就と同等の実力者が、ざっと三十人ほど集まっている。
「諸君、よくぞ来てくれた……」
馬上にて彼らの顔を見回した利光から、厳かに声が発せられた。萎烏帽子から漏れる黒髪は冷たき夜風に揺れ、白い狩衣が三日月に鋭く映える。
「目的は……予の伴侶である雪音を、この手に取り戻す事だ。故に、里人はことごとく生け捕りにせよ」
衝撃のトップシークレットが、今明かされた。
さすがに皆が、動揺を隠せないでいる。鎮西将軍自らの出陣が一年間無かったのも、そのような理由があったのかと、ざわめきが波紋の如く広がっていった。
「まじっスか……?」
空吉も耳を疑った。まさか、彼の相方が潜んでいるとは──いや、有り得ない。何かの間違いだろう。天下に名高き<もののふ>である冬将軍は、雪女と合体して成り立つ。そんな[もののけ]、隠れ里には──。
「…………お雪さん? それは無いっスよねぇ……はははっ」
乾いた笑い──疑念を振り払おうと首を振る空吉。その間にも利光の演説は続く。
「此度の戦は困難を極める……だが、諸君らは見事に遂げるであろう!」
直後、ざわめきが歓声に変わった。攻撃を司る鎮西兵衛府に所属の精鋭達──誰もが自信に満ちた表情だ。
ついに空吉視点になってしまいました。
ブレ過ぎですねorz




