━━━第四章・月下に揺らいで━━━ 3
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透き通る秋虫の大合唱が、九露湖の大瀑布と呼ばれる豪快な滝の音に乗せて、さわやかに鼓膜を騒がせ続けている。夜の帳が下りた湖畔、月の光に照らし出されたのは四つの人影。
評 光房によって、双七郎は大怪我を負い、キサがさらわれてしまった後の事である。
「……キサは、しばらく殺されないんだな?」
湖面に映し出された三日月が、絶え間無く揺らいでいるのを眺めながら、双七郎は問うた。
「仕込むって言っとったから、そうやろな…………今の所は」
腕組みしながら、切り株に腰を下ろす猿宝斎が、目を閉じたまま答える。
深手は無かったものの、全身に切り傷を負って気を失った双七郎を、この九露湖のほとりまで運んできたのは彼である。
その道中、無惨な姿に変わり果てたマリの姿を見たという。光房が、逃亡するのに足手まといになった相方の彼女を、躊躇いもなく斬り捨てたのであろう。
いずれはキサも、そのようになるとの確信を含んで、猿宝斎は今の所と付け加えたのだ。
「仕込むって……、何をするん……ですか?」
おずおずと消え入るような声で、お雪は尋ねる。
双七郎の傷を癒したのは彼女であった。雪女という[もののけ]は、冷気を吹き付けて生命を奪う事で有名なのだが、それとは正反対の能力を持っているのはあまり知られていない。お雪曰く、冷気を吹き付けた時に敵が凍えてしまうのは、体温そのものを奪い取ったのが原因らしい。そして、吸った体温を癒しの力として他者に分け与える事もできるそうだ。ちなみに、これらの体温とは生命力に近いニュアンスである。
周りの木々を見渡すと、お雪の能力について納得がいくだろう。近くに生えていた木だけが、すっかり落葉しているのだ。つまり、双七郎の傷を治した生命力は、元々それらの木から吸い取ったのである。
「ヤツが仕込むって言ったら、アレしか無いっス!」
隠れ里とこの場所を何度も往復して、さすがに疲れている様子の空吉が、忌々しげに歯ぎしりしながら言い捨てた。下っ端ながら鎮西府の役人でありスパイの彼は、ここにいる誰よりも敵情に詳しい。
空吉──韋駄天と呼ばれる<もののふ>は、持てる能力を全開にしてめざましい活躍を見せた。
そう、長老の判断でお雪を連れてきたのも、若竹色の新しい直垂を双七郎が着ていられるのも、彼の脚力を抜きにしては語れない。おかげで双七郎は、一命を取り留めたのだから。
仕込む……、意味深。




