━━━第一章・深き緑の隠れ里━━━ 3
「<もののふ>と戦えるのは、<もののふ>だけなのじゃ……」
双七郎を諭す師匠の顔は、とても穏やかで、悲壮の決意に満ちていた。
バサラとキサの兄妹、そして双七郎は孤児だった。そんな三人を引き取ったのが師匠である。血のつながりこそ無いものの、かけがえのない親なのだ。このままむざむざと──。
「でもよ……、オレだって……」
たとえ何の力になれなくても、師匠と共に戦いたい。見殺しなどまっぴらだ。
「まぁ、聞け……っ。聞くのじゃあ!」
師匠の目つきが変わった。双七郎は釘付けになる。
「この鎮西の守り神たる白露様を討つ事なぞ、大間違いじゃ! いずれ天朝様も気付いて下さる……いや、気付かさなければならん! 双七郎、お前がそれをやり遂げるのじゃ!」
天朝様とは、この天下の頂点に立つ皇尊の別称である。まさに雲の上──途方も無さすぎて想像つかないし、できる訳がない。不可能な事を託されても困る。
「よいな……。この先何があろうとも、キサと二人で白露様をお守りするのじゃ」
そう──キサは今頃、住処で大人しくしているはず。なにせ、興奮したクマも一瞬で眠りこけるという師匠特製の薬を飲まされ、さらに縄でグルグル巻きにされているのだ。いくら強いとは言え、キサは女の子。こんな戦に参加させる訳にはいかなかった。
「なんでだよっ! やっぱ納得できねぇー……がはっ」
それでも不満を露わにする双七郎のうなじに、ドスッと強い衝撃が走った。いつの間に背後に回り込んだのか、バサラの姿が見え──視界が真っ黒に、意識が無くなってゆく。
「バカ野郎には、何言っても分かんねぇだろうよ。時間のムダだっつーの」
手刀を打ち込んで双七郎を気絶させたバサラは、またもや手首を振ってワザとらしく痛がっている。全身の力を失って前へ倒れ込む愛弟子を受け止めた師匠が、
「……ったく、乱暴な奴じゃのぅ……。空吉はおるか?」
やれやれと肩をすくめながら、人を呼ぶ。
「はいっス! お呼びっスか?」
その指名に応えたのは、いわゆる飛脚スタイルの青年。ひょろっとした体つきの、なかなかのハンサムである。
「お主の脚力を見込んで頼みがあるのじゃ」
「お任せ下さいっス!」
空吉は、韋駄天と呼ばれる<もののふ>。一度走り出したら誰にも追いつけないという。ぐったりとした双七郎を抱える師匠を見た瞬間、彼はこれからやるべき事を即座に察した。
「頼んだぞ……」
双七郎の身体を受け取り、猛スピードで離れてゆく空吉。彼らを見送った師匠は、
「では、参ろうかの……」
キッと、射抜くような鋭い視線で敵の総大将を睨み付ける。
その言葉が終わった直後、バサラは右腕をぶんぶん振り回して気合いを入れると、突如として全身が激しく燃え上がった。
「うっしゃあ! 俺達の力、思い知らせてやろうぜぇ!」
続いて、胸の前で両の拳をガツンとぶつけたバサラは、師匠へ向かってダッシュ。二人の身体が激突し、炎が更に膨れあがる。
「ぬぅおおおおおおぉぉぉ」
ピークに達した炎は気合いの音声と共に四散し、消滅。
師匠の纏う煤竹色に唐草文様がちりばめられた直垂はそのままに、侍烏帽子を乗せた白髪が熱風に荒れて、その色を灼熱の赤へと変じた。そして、金色に輝く大きなキツネの尻尾が背中を彩る。
ただし、バサラの姿はどこにも無い。忽然と消えていた。
「<もののふ>・紅蓮翁、一騎打ちにいざ参らん!」
そう──。
<もののふ>とは、[もののけ]が人に取り憑き合体する事によって、大幅なパワーアップを遂げた猛者達の総称である。師匠のように、キツネと人間の場合は〝狐火使い〟のカテゴリーに分類される。あと、紅蓮翁という<もののふ>の字は、いわばコンビ名と同じで自由に名乗れるのだ。
質実剛健を印象づける拵えの大太刀を、師匠はゆっくりと抜き放った。これから挑むのは、勝ち目のほとんど無い戦。だが、世の間違いを正す為に、断じて退くわけにはいかない。この身はここで滅ぼうとも、後を継ぐ者さえ無事ならば喜んで礎となろう。
「双七郎……、キサ……、あとは頼んだぞ」
一回目の過去シーンはここで終わります。