━━━第二章・荒ぶる湖畔のスシ屋台━━━ 3
「ぶはあっ、なにこれえええええええっ」
キサの絶叫が辺りにこだまする。
「うほっ、叫ぶほどウマイでっしゃろ? そりゃあワテの鮨は天下一品やさかい……って、何してまんねん!」
自慢の鮨をペッペと吐き出してるキサを目の当たりにして、ツッコみを入れるオヤジ。
「うっさい、これフナじゃないっ! こんなん食えた物じゃないわよっ!」
「あんさん、鮒鮨知らんのかいなぁ?」
鮒鮨とは熟れ鮨の一種で、フナに御飯を詰めて一年ほど塩漬けにした物である。御飯を除いて魚だけを食べるのが一般的のようだ。ただ、酸味と臭気が強いが為に、好き嫌いは極端に別れる。
されど、オヤジの調理した物は刺身による握り鮨。鮒鮨本来の製法ではない。
「なによそれ、聞いた事ないわよっ」
「京で流行ってる、立派な鮨やねんで」
キサも双七郎もこの鎮西地方で生まれ育った。京はもちろん、それ以外の地方へ行った事すら無いのだ。京の近郊で名物になっているらしい鮒鮨の知識など、持ってる訳がなかった。
「もぉ泥臭いっ、じゃりじゃりするっ」
竹筒に入った水を口へ流し込み、ガラガラとうがいするキサ。
フナを代表とした淡水魚の刺身を食べる習慣や文化は、ここ鎮西地方でも確かにある。ただし、泥や臭みを除く為の水洗いを念入りにするのが普通だ。
「もぉいこ!」
そう言った直後、双七郎の左手をいきなり掴んだキサは、一気に走り去ろうとする──が。
「ちょい待てやぁ、食い逃げかい!」
案の定、オヤジに呼び止められた。しかし、心外とばかりにキサも口をとがらせる。
「ちょっとぉ、あんなんでゼニ取ろうっての? ざけんじゃないわよっ」
「ワテの鮨食っといて何ゆうてまんねん」
「だから吐き出したじゃないのよっ」
尻尾の毛を逆立てて興奮するキサに対し、オヤジは二本の包丁を手に取った。このままでは、キツネうどんに調理され──いや、とんでもない事になってしまう。
「……いくらだ?」
「双ちゃん、ゼニなんか払う事ないわよっ」
「六文でんな」
いろいろ喚いてるキサを無視して、巾着袋から銅貨六枚を取り出してテーブルに置く双七郎。彼女の言う事はもっともだが、食べた物に対してお金を払わない訳にもいかない。
「まいどおおきに!」
オヤジはすかさず銅貨を手に取り、ニカッと白い歯を光らせる。
「さて、いくか……」
双七郎は意を決して暖簾をくぐり、まだ不満げにぶーぶー言ってるキサを引っ張ろうとしたその時、またしてもオヤジに呼び止められる。
「このまま帰したとあっちゃあ、鮨屋の名折れでおます。せめてオニギリでも食っていきなはれ。もちろん、タダでいいでっせ!」
「今度は大丈夫でしょうねぇ、また泥臭かったら承知しないわよ?」
キサのお腹がぐぅと鳴った。やはり猜疑心より食欲が勝っているのだろう。そう言いつつも大人しく腰掛けてる。
「ただのオニギリやで、泥なんか混じるかいな」
ムッとした表情でほかほか御飯をひとつかみしたオヤジは、唇を噛みしめながら語るように言葉を紡ぎ出す。
「ほんまはなぁ、この湖の魚は……、そのまま刺身にした方が美味いんや。ワテの一番気に入ってるとこやで、ここは……」
「あんなじゃりじゃりしてるのが、どこが美味いのよっ」
それに対してキサは、噛みつくような口調で反論する。
「せやけどなぁ……、白露様がお亡くなりになったと聞いてからやで、この湖がおかしゅうなったんは……。一月前には、川からドス黒いもんが流れてきよったし……」
その言葉は、双七郎の胸にぐさりと突き刺さった。
そう──。
師匠の願いもむなしく、鎮西地方の守り神は討たれてしまったのだ。
憎き仇である評 利光の手によって。