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○7

 庭園での茶会も、何も面白いことは無い。

 庭を包む花々も緑も死んだようにどんよりしていた、新作のハーブティーも枯草の汁としか思わなかった。

 義兄とはもうまともに口を利くこともなく、目を合わせることさえない日々が続いていた。

 メイアの精神状態はハリネズミ同然だった。


 不意に人々のざわめきのトーンが上がったことに気付いて顔を上げると、派手なドレスと黒髪が見えた。

 醜聞の中核と、それに近い二人が顔を合わせたことを、周りは面白がっているようだった。

 メイアは無気力ながらも立ち上がり、彼女のもとへ歩いていった。

「オーデリカ様。この度は、私の愚兄が多大なご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 そう静かに言いながら、深々と頭を下げる。

 目の前の女性は数秒の沈黙ののち、「顔をあげなさい」とメイアに冷たい声で命じた。

 メイアがオーデリカの言葉に従い顔を上げると、彼女は手に持っていた扇をパタンと閉じた。

「……本っ当に、あんたたち義兄妹はどこまで私をコケにすれば気が済むのよ!?」

 甲高い声が響いたかと思うと、メイアの顔に衝撃と痛みが走った。

 反射的に瞑った眼を開け、肩を怒らせて自分を睨んでいる女性を見る。

 彼女の手に、閉じた扇がしっかりと握られているのを見て、メイアは理解した。

 自分は骨が金属でできている扇で殴られたのだと。

 そして、義兄の傷も同じようにして出来たものなのだということを。

 びりびりと痛む目尻の辺りに手を当てると、少し出血しているようだった。指先に赤いものが付いている。

 それでも特に何の反応も見せないメイアをどう思ったのか、オーデリカは再び扇を振り上げる。

「メイア!!」

 突然、庇うようにメイアの体は抱き寄せられ、オーデリカの扇はただ空を切った。

「……お、お義兄様?」

 どうして彼がここへいるのだろう。

 そんな疑問のままに、腕に抱かれたままメイアは義兄を見上げるが、彼はメイアの方を見てはいなかった。

 駆けつけて息を切らした状態のまま、睨み据えるような強い視線を元婚約者へ送っている。

 オーデリカもまた、義兄に対し険しい顔をしていた。

「私の愚妹が無礼を働き大変申し訳ありません。ですが人の目も多いですから、どうかこの場はこれ以上はご容赦ください」

 氷のような声でそう言うと、義兄は背を向けてメイアの手を取ってオーデリカから引き離すように歩き出した。

 メイアはまだ訳も分からず、義兄に引かれるままについていくだけだった。


 救急箱と部屋を借り、義兄は手ずから傷の手当てをしてくれた。

「しみる?」

「はい」

 消毒薬が目に入らないよう片目を閉じた状態でメイアは答えた。

「我慢」

 言いながら、義兄は優しい手つきでガーゼを止めてくれた。

「ありがとうございます」

 手当してもらった場所に触れる。さらさらとしたガーゼの手触りが心地よかった。

「どういたしまして」

 義兄は救急箱を片し、この家の使用人に手渡した。

 その横顔をメイアは見上げる。

 義兄の傷はもうほとんど治り、目立たなくなっていた。

「帰ろう。今回のことは、本当にすまない。……馬車の中で、ちゃんと説明するから」

 そう言われ、メイアは大人しく彼に従って茶会を後にした。



「俺が、貴女とは結婚できないって言ったんだ。オーデリカ様に」

 義兄は頬杖をつき、物憂げな瞳でそう言った。

 メイアはそんな義兄を見つめていた。

「どうしてですか?」

「どうしてだろう……たぶん、彼女のことが本当に好きなわけではなかったからだと思う。いつか好きになるかもしれないと思っていたけれど、それも無理だなってふと分かった。どうしたって彼女の夫にはなれないと思った」

 義兄はオーデリカに惚れていたわけではなかった。

 そうなると、やはりランメルト伯爵家のために無理をしていたようだった。

「オーデリカは孤児の俺を見下していたし嫌っていた。それでも、いや、それだからこそなのか……俺に拒否されたことに相当プライドを傷つけられたようだった。それで俺もあの扇でやられたんだ」

 彼女がメイアの謝罪に対して怒ったのも、ふられたあげくに相手方に謝られたことが癇に障ったのかもしれない。

「そうでしたか」

 それならば、確かに婚約解消は義兄の一方的なものであり、彼女に非が無いというのも分かる。

 義兄が彼女を妻にすることに対しそれほどの拒否反応を示したことは少し意外だが、どうしても無理だという人は誰にだって一人や二人いるだろう。

 メイアはむしろ安心していた。

 それほどまでに合わないと思っていた人と、義兄が結婚することにならなくてよかった。

 オーデリカも今は腹を立てているが、彼女なら他にもいい縁談がいくつもあるだろう。

 ランメルト伯爵家としては今回の婚約解消はそれなりの痛手だが、義兄とその妻が望まない結婚によって苦渋の日々を送るよりはずっといいとメイアには思えた。

「でも、君を傷つけたことは許せない」

 義兄は硬い声で言った。

「今回のことは俺が悪いし、俺のことをどう言おうが扇で殴ろうが構わないけれど、君はこの問題とは関係ない。それを彼女は……」

 そこで義兄の言葉は途切れ、彼は眉間に皺を寄せた。

 どうやら義兄はかなり怒っているらしかった。

 そのせいか、ついこの間までの卑屈な姿勢も影を潜めている。

 今目の前にいるのは、確かにランメルト伯爵家次期当主であり、メイアの義兄だった。

 メイアはオーデリカに感謝したいくらいである。

「私のことはいいんです」

「良くない。君は歴としたランメルト伯爵令嬢だ」

「お義兄様も歴としたランメルト伯爵家次期当主ではありませんか。それに、これ以上ことを荒立てたくないんです」

 メイアの言葉に義兄は悔しそうに拳を握っていたが、やがて「分かった」とその拳を緩めた。

「それよりも、どうしてお義兄様も茶会にいらしていたのですか? タウンハウスに引っ込んでいると言っていたのに」

 目を細めてメイアが問うと、義兄は少し狼狽えた。

「すまない。やっぱり、心配だったんだ……オーデリカが出席する可能性があると気付いて、君を連れ戻そうと走ってきた」

「お節介です」

「すまない……」

 義兄のしゅんとした様子に、メイアは微笑した。

「でも、駆けつけて下さったとき……すごく嬉しかったです。助けて下さってありがとうございました」

「大したことじゃない。一度目は間に合わなかったし。それに、君を守るのが俺の役目だ」

 メイアは彼のことで守られるどころかさんざん傷付いてきたのだが、それでも微笑のまま頷いて見せた。

 義兄と再びこうして話せる。

 それがとても嬉しかった。



 メイアは下を向いたまま庭をうろうろしていた。

 探しているのはもちろん義兄に買ってもらったサファイアの指輪である。

 感情に任せて投げ捨ててしまったことを、心から後悔していた。今となっては半泣きである。

 自業自得だった。

 風に飛ばされるようなものでもないと思うのだが、見つからない。

 庭師に聞いても見ていないという。

 結局見つからなくて、メイアは幾日もの間、同じような場所を何十周もぐるぐると彷徨い歩いた。


 指輪が見つからない。

 カラスか何かが持って行ってしまったのかもしれない。

 メイアはしょんぼりとしたままソファに寝転がっていた。

 ノックのあとに入ってきたアルザスは、そんな義妹の様子を見てため息をついた。

「メイア、ソファでごろ寝なんかするものじゃない。お行儀が悪い」

「自分の部屋でどのように過ごそうが私の自由です」

「それはそうだが、ものには程度と限度がある。嫁に行ったら、そんな理屈は通用しない」

 どうして突然メイアの結婚を意識したようなことを言い出すのかと思って体を起こすと、兄は手に紙の束を持っていた。

 嫌な予感がして逃げようとすると、手首を掴まれる。

「なんで逃げる」

「嫌な感じがするからです」

「何もお前が嫌がることはしない。ただそろそろ嫁ぎ先を真剣に考えたらどうかと思って資料を持ってきただけだ」

 嫌な予感的中である。

 メイアが渋面を作ると、義兄は笑った。

「年頃の娘が、いつまでもふらふらと遊んでいるものじゃない。それとも、もう自分で見つけたのか? ……いつか言っていた男とか」

「え? いや、別にいませんけど……もう少しふらふら遊びます」

 メイアは掴まれた手をぐぐぐと引っ張ってみるのだが、義兄は一向に放す気配が無い。

「別に、縁談即婚約即結婚というわけじゃない。俺とオーデリカ様だってそうだったし、最悪解消だってできるんだからそこまで身構えて考えなくていい。ただ、将来の見通しくらい立てておいた方が後が楽だぞ」

「いいです。いらないです」

 なおもメイアは抵抗した。

 何が悲しくて好きな男に別の男を勧められなければいけないのだ。

 何の罰だそれは。

 メイアの義兄に対する罪は数え切れないくらいだが。

「いいから座りなさい」

 宥めるようにそう言われ、着席を促すように腰に手を回される。

 こんなのはずるいと思いながら、メイアは渋々義兄の隣に腰かけた。


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