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○12

 体に触られ、メイアはぱちりと目を開けた。

「あ、すまない……。おはよう」

 部屋は明るく、義兄はメイアを見下ろしていた。

「持ち上げるぞ」

 そう宣言され、背中と膝の裏に手を通され、メイアは何のことか分からないまま義兄に横むきに抱きあげられた。

「起こしたくなかったんだけれど……すまない。寝ていていいよ」

 義兄は肘で器用に部屋の扉を開け、メイアを抱きあげたまま外に出た。

「何を……どこへ……」

 ぼんやりしたままメイアが問うと、義兄は階下の方を示した。

 集合住宅の下には、ランメルト伯爵家の馬車が停まっていた。

 使用人も数人頭を下げて二人を待っている。

 メイアは状況がよく分からなかった。


 横抱きのまま馬車に運び込まれ、義兄の膝の上に座らされる。

 メイアの両足には包帯が巻かれていた。

「……この馬車は? お義兄様が呼んだのですか?」

「いいや、この辺をうろうろしていたらしい。君を探して」

 そう答えられても、メイアにはぴんと来ない。

 義兄はそんなメイアの様子を見て、説明してくれた。


 メイアが義兄を探すと言って家を出たあと、父は使用人に後を追わせていたらしい。

 いつ娘が音を上げてもいいように、帰りのための馬車まで準備させておいた状態で。

 けれど昨日の昼ごろ人ごみの中でメイアを見失ってしまい、見張り役の使用人たちは大慌てで探していたのだった。

 そこで偶然アルザスを見つけたらしかった。

 アルザスは使用人と共に家に戻り、使用人が持って来ていた救急箱でメイアの足の手当てをした。

 そしてメイアを馬車へ運び込もうとしたところで、メイアが目覚めたということだそうだ。


 ふうん、としか言いようのない、大したことのない話だった。

 ずっとつけ回されていたことを思えば、泳がされていたかのように感じられて気分は良くないが、もうどうでも良かった。

 メイアは義兄の膝の上に座り、べったりと彼に抱き付いていた。

「メイア、起きるんだったら、ビスケットがあるからそれを食べな」

 言われて缶を差し出されたが、メイアは首を横に振った。

「お腹空いてないです」

「……でも、食べなきゃ駄目だ。こんなに……こんなに、痩せてやつれてしまっているんだから」

 義兄はメイアの背を撫でながら言った。

 改めて彼の顔を見上げると、その目元はやや赤い。

 メイアは昨日泥のように眠っていたので何も記憶が残っていないが、彼は泣いていたらしかった。

 今もこのままではメイアを撫でたまま泣き出してしまいそうなので、メイアはビスケットを一つ取った。

 口の中の水分が少ないので頬張ることはせず、さくさくと少しずつ食べていく。

 小麦の香りが鼻孔を抜けた。

 こくりと喉を鳴らして飲み込むと、じわりと体が目を覚ます。

 空腹だったせいか、そのビスケットは五臓六腑に染み渡るほどおいしかった。

 さくさくさくとビスケットを齧るメイアの頭を、義兄はそっと撫でてくれた。


 八枚ほどビスケットを食べ、メイアの食事は終わった。

 その頃にはもういつもの調子が出てきていた。

「メイア」

 義兄に呼ばれ、彼の方を見る。

「結婚したい。君と」

 突然のプロポーズに、メイアの心臓が止まりかけた。


「な、な、なにを」

 完全なる不意打ちであり、メイアは喜ぶよりまず狼狽した。

 けれど、アルザスは大して気にした様子も無く言葉を重ねてくる。

「孤児であり、君の義理の兄である俺がこんなことを言うのはどうかしているというのは分かっている。でも、君と結婚したい。ずっと君のことが好きだった」

 アルザスにいっそう強く抱きしめられ、メイアは赤面した。

 それでも、自分も義兄の背に回した手にぎゅっと力を込める。

「メイア……」

「私も、お義兄様が好きです。できるのなら、結婚したいと思います」

「ああ。頑張ろう」

「もう、一人で勝手に消えないでくださいね」

「うん。ごめん」

「お義兄様」

「何?」

「愛しています」

「……ああ。俺も、君を愛している」

 そうしてしばらく、二人は抱き合っていた。


「そうだ、君に持っていてほしいものがあるんだ」

 そう言って、義兄は上着のポケットを探った。

 何かと思いメイアが見ていると、彼が取り出したのは蒼い石のはまった指輪だった。

「あ……!」

 メイアは気付き、彼の膝の上から逃げようとする。

 それを許さず、義兄は苦笑してメイアをまた抱き寄せた。

「も、申し訳ありません……私、それを窓から投げ捨ててしまって……」

 サーッと顔から血の気が引く。

 申し訳なくてどうしようもなく、メイアはおろおろしていた。

「知っているよ。拾ったから」

 義兄に切なそうな微笑と共にそう言われてしまうと、本当にいたたまれない。

 自分の軽率な行為でどんなに彼を傷つけてしまっただろうと思うと、義兄の顔を見るのも怖かった。

「もう二度と、君を失望させて悲しませてしまわないように。もう一度だけこれを受け取ってほしい」

「はい……本当に、すみませんでした」

 受け取ろうと手を伸ばすと、その手を取られ、銀色の輪を指先にあてがわれた。

「婚約指輪を用意するまでの、その約束の証として。嵌めてもいい?」

 メイアの左手の薬指の先が、銀の輪をくぐっている。

 メイアはただ頷くことしかできなかった。

「ありがとう」

 義兄はそう言って、指輪が薬指の付け根まですっと下りてきた。

 彼の手が、メイアの指にはまったサファイアの指輪を撫でる。

 メイアはその手をぎゅっと握った。



 幸福なことこの上ないが、いつまでもこのふわふわした心地に浸っているわけにもいかない。

 義兄とメイアが結婚するためには、両親を説得し、二人の了解を得る必要がある。

「帰ったら、君は部屋で休んだ方がいい。君には栄養と休養が必要だ。俺は義父上を説得する」

 そう言ったアルザスに、メイアは首を横に振った。

「私も行きます。お父様は私に甘いので、お義兄様お一人よりいいと思います」

「でも……」

「行きます」

 言い張ると、これはもう曲げる気が無いということが伝わったのか、義兄は微苦笑と共に「わかった」と言ってくれた。

「問題は、どうやって説得するのかだけど……」

「昨晩私とお義兄様が体を重ねたことにしましょう」

 義妹の即答とその内容に義兄は相当驚いたらしく、分かりやすく狼狽えた。

 しかし密着して座っているので彼に逃げ場はない。

「な、何を、なんで」

「『もう体を繋げてしまったから、子どもが出来ている可能性もあるし、きちんと責任をとりたい』と言えばお父様とて『そんなことは許さん』とは言えないでしょう。本当に繋がったのか怪しまれる可能性はありますが、いくらお父様でも私が同席しているところでその辺りの突っ込んだ話はできないはずです。証拠を出せとも言えませんし」

「……」

 義兄は顔を青くして絶句している。

 そんなに驚かれるようなことを言っただろうか。無い知恵を絞って頑張ってみたのだが。

「ただ、そうなるとお義兄様が一発二発殴られるかもしれません。もちろん、私はできる限りそれを阻止しますが。そうですね……テーブルを挟んで向かい合って座るなら、お父様とお義兄様は対角線になるように座った方がいいですね。私がお父様の真正面に座ります。……聞いてます?」

「あ、ああ。もちろん」

 義兄は慌てたように繰り返し頷いた。本当にちゃんと聞いていたのだろうか。

「私の考えはこんな程度ですが、お義兄様はどうお考えですか」

「メイアのその案がいいと思うよ。うん……一番、上手くいくと思う。俺は別に、君と結婚できるなら殴られるくらいなんてことはないし」

「分かりました。では、決定で」

「ああ」

 そうして作戦会議は終了した。

 頭を使ったせいか、少し疲れた。

 メイアが義兄に頭を預けると、彼は再び背中を撫でてくれた。

 馬車の揺れと心地よい温もりを感じながら、メイアはもうひと眠りしようと目蓋を閉じた。



 義兄はメイアに歩かせたくないらしい。

 屋敷に着くと、乗ったときと同じようにメイアを横抱きにして馬車から降り、そのまま玄関へ入っていった。

「お帰りなさいませ。お二人とも、ご無事で何よりです」

 そう使用人が口々に声を掛けてくれる。

 二人が帰ってきたとなれば父がすぐ出てくるかと思ったが、姿は見えなかった。

 メイアは女中に風呂の用意を頼んだ。

 義兄はメイアを抱きあげたまま階段を上ってメイアの部屋に入ると、長椅子の上にそっと義妹の体を横たえた。

「風呂に入るのはいいけど、足は濡らさないように」

「はい」

「君が入っている間、俺は義父上を探してくるよ」

「いいですけど、一人で話を始めないで下さいね」

「ああ。君がいないと上手くいかない可能性がある作戦だしね」

 そう言って義兄はメイアの頭を撫で、部屋から立ち去ろうとする。

「お義兄様」

 メイアが呼ぶと、足を止めて振り向いた。

「どうした?」

「キスをしてくださいませんか」

 言ってみると、義兄は眉間に皺を寄せてほのかに顔を赤らめた。

「……」

 難しい顔のまま、何も言わずに身を屈め、彼は目を閉じてメイアにちゅっと口づけた。

 そして顔を赤くしたまま、無言で部屋を出て行く。

 ねだっておきながら気恥ずかしくて、メイアは顔を両手で覆った。




 風呂から上がると、義兄が部屋で待っていた。

「義父上は……折檻されているらしい」

「……折檻?」

 その言葉を聞き、メイアは首を傾げた。

 当然のことであるが父はランメルト伯爵家の当主であり、この家では誰かに罰せられるような立場の人間ではない。

 いや。

 そこでメイアは思い直す。

 この家には一人だけ、実質的に父より強い立場の者がいる。

 父が誰かに折檻されるとしたら、それはあの人以外にありえない。

「お母様、ですか?」

「ああ」

 義兄は頷いた。

「ご病気は……」

「いくらか調子が良いらしい。めでたいことだね」

「そうですね。……」

 メイアの母は産まれつき体が弱く、妊娠の可能性は限りなく低いと医者に言われていたそうだ。

 けれど運よくメイアを妊娠し、そして無事出産した。

 ただ、その妊娠出産による体への負荷は相当だったようで、出産以後は寝台の上で過ごす時間が格段に増えたらしい。

 だから、いつもはこの屋敷の一番見晴らしのいい部屋の寝台の上で休んでいる。

 その母が、具体的な活動をするほど元気があるというのはとても喜ばしいことだ。

 ただ、二人の結婚を両親に了解してもらうことを考えれば、少しばかりタイミングが悪いと言えた。

 父より母の方が手強いのである。

 正直、メイアは父より母の方が恐い。

 父も真剣に怒るとかなり怖いが、そんな父を笑顔で黙らせる母はもっと怖かった。

 なぜ父が母に折檻されているのかは知らないが、それは知らないままで良い気がする。

 知らない方が良い気がする。

 とにかく、二人が直接説得する相手は父ではなく母になった。

「作戦変更ですね」

 メイアが言うと、義兄は頷いた。

「義母上に下手な嘘は通じない。直球で行くしかない」

「それで駄目だと言われたらどうしますか?」

「認めてもらえるまで粘るしかないな」

 そう言って義兄は立ち上がる。

「足はどう?」

「痛いですけど……まあ、大丈夫です」

 義兄のエスコートを受けながら、メイアは自室を後にした。


 義兄は、大事な話があるから部屋で待っていてほしいと母に言ってくれたらしい。

 二人が母の待つ部屋へ入ると、母は嬉しそうににこにこして二人を出迎えた。

 促されるまま、長椅子に並んで座る

「ご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」

 義兄が頭を下げたのに気付き、メイアもぺこりと後に続いた。

「いいのよ、頭を上げなさい。アルザスが叱られて追い出されたと聞いたときはもうびっくりして、あの人を呼び出して話を聞くと、ろくに本人たちから事情も聞いてないくせに罰して追い出したっていうからその杜撰さにびっくりして、あの人にはちょっと怒っちゃったけど、貴方たちに対しては怒っていないわ。むしろ、酷い目に遭わせてしまってごめんなさい。あの人、予想外の出来事に極端に弱いから、動揺してまともな判断ができなくなってしまったみたい」

 母は少し笑って、優雅な仕草で紅茶を一口飲んだ。

「それで、『大事なお話』というのは何かしら」

 尋ねられ、膝の上に置かれた義兄の拳に力が入るのが分かった。

 メイアは手を伸ばし、義兄を励ますようにその拳をそっと包んだ。

「メイアと結婚させて下さい」

「なぜ」

「愛しているからです」

 義兄が断言すると、母は首を傾げた。

 包んだ握りこぶしから、彼の緊張が伝わってくる。

 メイアもメイアで、彼の告白に感動する余裕も無いほど緊張していた。

「なるほどねえ。それでわざとあの人を怒らせて、逃げたの?」

「……はい」

「そして、捕まってしまったの」

「そうです。だから、もう逃げないと決めました。自分の気持ちからも、メイアからも」

「そう。……」

 母はほうと息を吐き、二人から視線を外してしばらく黙っていた。

 その後で、また二人の方を見た。

「アルザス」

「はい」

「メイアはちょっとへそ曲がりでわがままだけど、それでもいいの?」

「はい」

 義兄が力強く頷く。母は今度はメイアの方を見た。

「メイア」

「はい」

「アルザスは生真面目な代わりに臆病だけれど、それでもいいのね?」

「はい、かまいません」

「そう」

 母は優しく微笑んで頷いた。

「なら、おめでとう」

「義母上、それは……」

 義兄が言うと、母は再び頷いた。

「いいでしょう。二人の結婚を認めます」

 メイアはぱっと義兄の方を見た。

 アルザスもメイアの方を向く。

「お義兄様!」

 胸に湧き起こる喜びもそのままに、メイアは義兄に思い切り抱き付いた。

 勢いあまって彼は後ろに倒れ込む。

 それでも、義兄もメイアをしっかりと抱きしめてくれた。

「メイア、良かった! ありがとうございます、義母上」

「ええ。ああでも、貴方たちが結婚するとなると、私たちとアルザスは一旦法的な縁を切らないとね。その辺りのことはお父様に助言をもらいながら、なるべく自分たちでなんとかしなさい」

「はい!」

 二人の声がそろう。

 メイアとアルザスは起き上がり、もう一度母に礼を言って深く頭を下げてから退室した。

 手を繋いでメイアの自室に戻る。

 辺りは光に満ちていた。



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