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●11

 アルザスは彼女の体を寝台に寝かせ、自分もその隣に入って布団を掛けた。

 抱きあげた体は驚くほど軽くて、心もとない。

 アルザスは手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でた。

 髪はさらさらしているけれど、艶が減った感じがする。

 寝顔はとても疲れた様子で痛々しい。

 自分がランメルト伯爵家を追い出されてから、一月半が経っている。

 その間、ずっと探してくれていたのだろうか。

 なんて無茶なことをするのだろう。

 こんな深夜まで、女の子が一人でふらふら出歩くなんて危ない。

 ここは屋敷周辺ほどには治安も良くないのに。

 アルザスは義妹の細い体をそっと抱き寄せた。

 見つかるのかどうかさえ分からない義兄を探して、こうして見つけ出してくれた。

 こんなことになっても、まだ「お義兄様」と呼んでくれた。

 それを自分は、知らないふりをして逃げてしまった。

 それでも彼女は追いかけて来た。

「くそ……」

 こんなところで泣くなんて偽善者だ。浅ましい。

 そう思い、アルザスは目元を指で拭う。

 メイアの体を抱く腕に力を込めた。

 無かったことにはできない。今日までの日々も、何もかも。

 義妹にここまでさせたのだ。きちんと向き合い、受け止めなければ。

 メイアを愛している。

 誰に反対されても、彼女と一緒になりたいと思う。

 そのためには、もう逃げてはいられない。

 彼女の想いに応えなければ。


 ランメルト伯爵家の長男として、メイアと過ごしてきた日々は必ずしも楽しい思い出ばかりではない。

 辛いこともあったし、切なく苦しいこともあった。

 全てを捨てれば楽になれると思ったし、それはきっと間違ってはいなかった。

 はたして全てを捨てるなんてことは実際に可能なのかという問題はあるけれど、自分は家を出て、名前を捨て、ここで一からやり直そうとした。

 ここでは自分の産まれに劣等感を持つことも無い。将来担うものに対してプレッシャーを感じることも無い。

 義理の妹に焦がれて心臓が押しつぶされそうになることは無くなりはしなかったが、彼女が傍にいるときよりはましだった。

 それはとても気が楽で。

 どれくらい仕事を続けようかといったことはよく考えていなかったけれど、このままここで生活していくのも悪くないと思っていた。

 けれどもメイアに捕まって、あの日々に帰らないわけにはいかなくなった。

 劣等感とプレッシャーに苛まれ、産まれを嘲笑され、自分を律する日々に戻らなければいけない。

 それは自分にとって嘆くべきことであるかもしれないのに、アルザスはひどく安心していた。

 涙はそのせいでもあるのかもしれない。

 憂鬱なことは多い。楽しいことより多いと思う。

 この先もきっとずっとそうだろう。もしかしたら、帰らなければよかったと思う日が来るのかもしれない。

 それでも、それもまたアルザスがアルザスとして生きている証なのである。


 メイアは確かに、俺を救ってくれた。




 朝日の眩しさに目を覚ます。

 薄いカーテンを開けながら、陽光とはこんなに美しかったろうかと思った。

 振り向くと、メイアは寝台の上で熟睡している。

 起こしてしまっては可哀想だから、カーテンを閉めた。

 アルザスが朝の支度をしても、メイアはぴくりとも動かず疲れた顔で眠っている。

 これから自分はレストランのオーナーに話をして急な辞職を受け入れてもらわなければいけない。

 メイアが起きたときに部屋に自分一人だと知ったら不安がるだろうかとも考えたが、泥のように眠っていてすぐには起きそうもないのでそのままそっとしておくことにした。

 メイアの額に口づけを落とし、アルザスは部屋を出て行った。



 多少渋られはしたものの、辞めることは了解してくれた。昨日までの給料も払ってくれた。

 メイアは起きているだろうか。

 アルザスは自然と駆け足になった。

 曲がり角を突っ切ろうとしたところで、同じように駆けて来た人にぶつかりかける。

 危ういところで避けて、アルザスは速度を緩めて簡潔に謝罪した。

 向こうの人も頭を下げ、そして上げたところで彼は目を見張った。

「アルザス様っ!?」

「……ああ、君は」

 見慣れない私服姿だったから、誰だか判別するのに時間が掛かってしまった。

 その若い男性は、ランメルト伯爵家の使用人の一人だ。

 どうしてここへ、とアルザスが問うより早く、彼は縋るようにアルザスの両腕を掴んだ。

「アルザス様、メイアお嬢様を見ていらっしゃいませんか!? まだこの街にいるはずなんです!」

 泣きださんばかりの勢いで聞かれ、アルザスは驚きながらも頷いた。

「あ、ああ。見た。昨日俺の部屋へ来て、今は寝ていると思う」

「本当ですか!? ああ、良かった……ありがとうございます」

 そう言うと彼は崩れ落ちるように膝を折り、今度こそ泣き出したようだった。そういえばこの青年はかなり泣き虫だったとアルザスは思い出した。

 往来があるからと彼の腕を掴んで立たせ、アルザスはどうしてメイアを探していたのか彼に尋ねた。

 そして、メイアが自分を探して屋敷を飛び出したこと、義父が娘を心配して使用人に後を追わせていたこと、使用人たちは昨日彼女を見失って駆けずり回って探していたことなどを知った。

「本当に、ご無事でよかった……」

 使用人はハンカチで目元を押さえながらそう繰り返す。

 メイアが危険にさらされたことを思えば、尾行を命じられたというのに見失うとは何事だと文句を言いたくなるが、そもそもメイアが屋敷を飛び出す原因を作ったのは自分なので何も言えない。

「義兄妹ともども、多大な迷惑をかけてしまってすまなかった」

 アルザスがそう謝罪すると、青年は首を横に振った。

「とんでもないことです。お二人がご無事で本当に安心いたしました。あれ……アルザス様、お戻りいただけるんですか?」

 言い方から察したらしい。アルザスは首を縦に振った。

「ああ。メイアと一緒に帰る」

「そうですか! メイア様はさぞお喜びになられると思います。我々使用人どもも大変嬉しゅうございます」

 若い使用人は心底嬉しそうに笑った。

 本当にこの使用人はお人好しで、こんな自分の帰りを喜んでくれる人もいるのだなと思い、アルザスは苦笑した。

 二人で寮に着いたところで、使用人ははたと立ち止まった。

「あ! わたくしは他の者にメイア様のご無事と居場所を伝えなければなりません。もちろん、アルザス様のことも。安堵のあまり忘れていました。すぐに馬車も呼んでまいります」

「ああ、頼む」

 脱兎のごとく駆け出した使用人の背を見送り、アルザスは外付けの階段を上って自分の部屋に向かった。


 昨晩は暗く、今朝は布団を掛けていたから気付かなかったが、メイアの足は酷い靴擦れで出血さえしていた。

 それを見たときアルザスは息を呑んだ。

 幸い使用人たちが救急箱も持って来てくれていたので、それを借りてアルザスは傷の手当てをした。

 起こしてしまわないようにそっと傷薬を塗って、丁寧に慎重に包帯を巻いていく。

 手当が済むと、アルザスは必要な荷物を馬車に積み、最後にメイアを抱きあげた。


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