8,
長いです。
7,8,9と誤字脱字を修正しました。内容に変更はあまり無いです。
冷静になれと、ロアは自分に言い聞かせた。ぐるぐると眩暈がする。急に与えられた様々な情報に戸惑っていた。
パズルのピースのように、まだ空白があるものの、あれこれが埋まっていく。
心を落ち着けようと深呼吸した。
(私を騙しても何の得もないから、宰相様が言ったことは、客観的事実。確かに、サラムおじさんとの会話にも覚えがある)
ということは、疑うべきは自分なのだろう。鍵もきっと自分で持っている。
思い返せば、サラムの件や母の薬の件以外にも、おかしいなと思うことは多々あった。少しのズレ、微かな違和感、特に気にしなければそのまま流しても問題はない事柄。
例えば、時折街で知らない人とすれ違ったとき、面識の無い人物に「お前っ!」と喧嘩を売られそうになったが、ロアがきょとんと不思議そうな顔をして何の反応もしないと、相手も「あれ?」と困惑して「何でもない」と去っていくことが数回あった。
柄も悪そうだったが、恐らく彼らが反乱組織の会合に参加していた人物なのだろう。
他にも薬代が支払わずに残っているのに、母の薬はどこからか用立てられていた。馴染みの薬屋に聞けば、材料だけ買って調合は知り合いに頼んでいるから安く仕上がっているんだろうと、自分でそう言っていたじゃないかと笑われた。
母には知り合いのお医者様が直接、母用に調合していると話したらしい。正直、覚えていない。怖くて、知り合いの医者たちには何も聞けなかった。
本当は時々、記憶が曖昧なのを知っていた。けれども全て酒場での仕事後、夜中以降のことで、疲れて寝ているからだと思い込んできた。
ブラウスの袖、ワンピースの裾に破れた跡があってもどこかで引っ掻けたのだろう、外套が汚れていても変な路地を通ったのだろう、靴が片方なくても大きかったからふらふら歩いて帰ってどこかに落としてきたのだろうと、些細な違和感を見ないようにしてきた。
そうしなければ━━。
「━━私、夢遊病者だったの!?」
青ざめてロアが呟くと、「はあっ!?」と後ろの騎士たちや、壇上の高貴な面々から素っ頓狂な声が上がった。
だか今のロアにそんな反応を気にしている余裕はない。
「どうしよう…病院行き? いや、それじゃ余計な出費。お母さんを心配させるだけ。働かないと生活費が……。それにまだ働いていても特に実害はないし、このまま様子を見てからでも━━」
「ロア、少し落ち着け。その可能性も捨てきれなく、不安もわかる。とりあえず今は、それはおいておけ」
ルース王太子が慌てたように、思考を遮った。
ロアが我に返って、自分のいる場所を思い出した顔になる。
「そうですね。失礼しました。今は、民の現状を知っていたのに、知らないふりして私を騙してくれたことですね!」
「えっ? そこに戻るのか!?」
今度はルースを始め、他の面々が当惑した。
「大方私から民衆の本音を聞き出したかったのでしょうけど、現状を知っていて何も対応していないのはどういうことでしょう‼ まさか貴族に意見できないのですか? それとも内政よりも対外の交渉の方が重要だということでしょうか!?」
脈絡の無い突然の話題変換に戸惑ったのは、皆一緒だった。一人を除いて。
「数多ある反乱組織の動向を調べ上げて、私個人のこともストーカーも真っ青の詳細ぶりに、近所の会話から何から筒抜けのこれでもかと言わんばかりの綿密な報告とプライベートの無さっぷり! 疑いがあるだけでそこまでするかと誰もが非難しそうな徹底ぶりに、はっきり言ってトラウマやら人間不振になりそうな勢いで気持ち悪いを通り越して、ど変態怖いです。着替えやらお風呂やらも隠密の方は覗いていたのでしょうか? そんな指示を出した、何よりそこまで事細かに報告する主人の倫理観やら人間性を疑いたくなります‼」
両腕をさすりながら、ロアが潜入操作していた後方の騎士たちや衛兵に、冷たくもゴミくず鬼畜非道を見るような目を向ける。
血の気を失った男たちがぶんぶんと頭を横に振って、そんなことしてない無実だと訴えた。
憧れの視線を集めた騎士たちには、不審な変質者を見る目は相当堪えたらしく、ロアの目が壇上に移ると、がっくりと項垂れた。
そして倫理観や人間性を疑われるど変態を見るような目を向けられた壇上の四人も、顔色を紙のように真っ白にした。何だかこのまま儚くいけそうだ。いや、確実にこの事が世間に知れ渡れば、社会的に死ぬ。
その四人の中で、回答の視線が集まって貧乏くじを引いたのは王太子だった。
遠い目をして、仕事だが変態主人の汚名を着せかけたこの報告を寄越した奴を今すぐ殴ってやりたい気分に駈られる。
「……覗きは心配ない。さすがにそんな変態がいたら責任をもってこちらで処分しておこう。そうだよな、直接の上司のカイン? 綿密な監視の指示を出していたクリス?」
矛先を向けられた幼馴染みが、びくりと肩をそびやかし、狼狽した。報告だけ受けた王太子とは違い、直接関わりがある二人がぎこちなく視線を合わせて、静かに首を縦に振った。
ここ数年で政に関わり、どんどこ沈みゆく悪化の一途を辿っていた国外との関係や腐敗した内政を水際で食い止め、少しずつ浮上させている有能と称される三人の様子に、ケネディ大将軍は生暖かい目で見守った。
「とりあえず、安心しました。そしてそんな綿密な監視を計画する宰相様が、王家のお膝元で起こっている悪事を把握できていないはずがありませんよね。よく従い、詳細に調べる隠密の上司たる魔法騎士団長がそんな悪事を見逃すはずがありませんよね」
優秀な宰相と、鬼と評される魔法騎士団長が、魂が抜けかけの遠い目を宙にさ迷わせて、曖昧に頷いた。
さすがに不憫になった王太子が、助け船を出した。
「試すような真似をしたことは謝る。それと未だに何も手を打てていないことにも。すぐに気づければ良かったが、情けないことに漸く気づいたのは半月前なんだ。そして思っていたよりも根が深く、枝葉が広がっていた。あと少しで末端まで全て把握し、全部引きずり出して完全に駆除することが出来る。もう少しだけ待っていてほしい」
僅かに自嘲し、それもすぐに抑え込んで真摯に詫びた王太子に、ロアは首肯した。
「責任をもって全部駆除していただけると聞き、そちらもとりあえず、安心致しました」
ふと、気づいた。
後ろめたさもあって、いつの間にかこちらの動きを話してしまっていた。本当に後少しで片付くから問題がないと言えばないが、民衆のために確実に言質を取られた。
その上で、どこまでの発言や態度が彼女に許されるかを測られた気がした。
宰相も気づいたのか、小さく苦笑し、楽しそうに口許に弧を描く。
ロアが混乱していたのも動揺していたのも事実だろう。まだ整理できていないから、与えられた情報から答えのすり合わせ作業をした、そんな風に見えた。
まだ動揺が収まっていないのをおくびにも出さないロアを見て、ルースはそっと微笑みを浮かべた。
***
ルース王太子が控えている騎士たちを一瞥すると、心得たように彼らが退室し、衛兵二人は壁際に戻った。
ルースはまだ惑乱している少女を改めて見た。
始めは慣れない場所に戸惑い、居心地悪そうにしていた。早く帰りたいという考えが透けて見えているくらいに。
その為、さっさと済ませようと聞かれたことには、何でも嘘偽りなく話す。
話してみれば、意外に色々な情報を持っていた。酒場での雑談の噂話というが、数あるなかで真実の情報を取捨選択し、そこから推察して、冷静に国内外の現状や自分のおかれている状況も把握している。
生の民衆の声が知りたくて聞けば、厳しいことを言われた。それでも恐らく、もっと無礼な言葉や話も聞いているのに、その事については話そうとしなかった。さすがにこの場所でどこまで言っていいものか悩んでいるようだった。
眼差しと同じく、言葉も真っ直ぐで、媚びることも必要以上に怯えることもなく、やや失礼なことを目や態度や口で語っていた。
それでも民衆のために訴えて、どうにかしてほしいと真面目に案じていた。
少しからかうつもりで、知らなかったふりをすれば、表情にも声にも出していなかったが、はっきりと落胆の色を瞳に映した。
大将軍が頑固者のわからず屋を演じれば、少し心配になるくらいにあっさり騙され、態度が硬化した。
反乱組織とか関係のある件について。
呼び出されたロアは勘違いをしていた。組織の誰かといつの間にか接触していたと。それも間違いではないが、まさか自身が直接関わりがあったとは予想すらしていないようだった。
彼女自身、自分のことについて知らないのではと思っていたが、全く何もまだ知らないようだった。
国の存続で、にっちもさっちもいかないくらいに追い込まれていた。どうにか一斉に崩壊するのを食い止めたが、自分たちでは現状維持に戻すまでが精一杯で、その先に進むには圧倒的に時間も人手も足りなかった。
解っているのは残り僅かな時間と、国全体で抱えるべき問題を魔法師長という圧倒的な存在一人に今まで全て押し付け背負わせていたこと。そのツケがこうして自分たちにまで回ってきただけのこと。
これまでの先祖たち為政者が、誰もが現状に満足し、何とかなると漠然と思っていたことが問題の原因だった。
一度、魔法師長が空位になったときに何が起こりかけたか、今後も起こり得ることだと解って然るべきなのに、誰も対策を話し合わずに、どうにかなって権勢を取り戻したことに安堵ばかりで、耳目を向けなかった。
魔法師長がいなくてもどうにか出来る国の基盤作りと外交主体に舵取りするべきだったのに、今日までずるずる来てしまった。
学園を卒業したばかりの自分たちを邪険にしていたにも関わらず、お手上げに近い状態になった今では国王代理のルースと宰相に任せっきりだ。その割には自分の利益だけは確保しようと躍起になる貴族たち。
もうここまでかとうんざりしていた。
そんな風にじわじわと絶望と不甲斐なさと無力さに蝕まれていた半月前、学友であり、部下になった友から城下の役人のことを知らされ、そして、彼女のことも教えられた。
ただの街娘。
いや、城に料理人と侍女として仕えていた両親を持つ平凡な娘。
詳しいことは言えないと言っていた。ただもしかしたら、使える駒になるかもしれないと。
学友は、それだけ教えて特別任務の続きに戻っていった。
その助言に従い、調べてみたが何も出てこない。普通の娘でしかなかった。
珍しいことは四属性の魔法を使える可能性があることと、六歳の時に旅人が三ヶ月ほど滞在し、勉強を見ていたということくらいだった。
けれども魔力は少なく、大した力は使えない。王家の血をひくルースやクリスの方がまだ魔法が使える。
それでは旅人かと調べると、助言をくれた学友と繋がった。旅人が滞在している間、学友もその人物を師として時折面倒をみて貰っていたようだった。
そしてその師が、平民の学友と王候貴族の自分たちが知り合うきっかけとなった人物だった。
その後は学友を呼び戻し、三人で詰め寄ると洗いざらい全て吐かせた。
師匠にバレたら俺が半殺しになるくらい怒られると嘆いていたが、無視した。それが二日前。
それからすぐに慌てて彼女を確保に向かった。
学友の話では、反乱組織の会合に顔を出し、潰している強い女魔法師を引き込めないかと、どこも欲しがっていて、反乱組織をまとめあげた一大組織レイヴンが既に魔法師に何度か接触したらしい。
何とか食い止めてはいるが、昼の彼女の素性に気付いた者もいて、狙われる可能性があると。
それで急遽、召喚状で呼び出した。
お疲れ様でした。ここまで読んでいただきありがとうございます。