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一旗揚げましょう?  作者: 早雪
34/38

34, 2 - ⑧

だいぶお待たせしてすみません。

久しぶりで違和感があったらすみません。

誤字脱字、おかしな文章は、後で修正すると思いますが、内容に変更はありません。

楽しんでいただけたら幸いです。




「うあぁぁぁぁぁぁ…」

ドボォォン!


「ひぃぃぃぃぃぃ……っ」

ドボォォンッ!!


うっすら雪が積もった深い森の中で、薄氷浮かぶ人工の溜め池に盛大に水飛沫が上がった。

ジェナスは凍てつく空気の中、その様子を少し離れたところで、外的要因の寒さとはまた違った別の寒気で顔面を蒼白にしながら、震えを押さえ込んでいた。


護衛対象のロアもいるので、しっかり辺りを警戒しつつ、それでもこんな恐ろしい場所に踏み込む勇者はいないだろうと、姉弟子を囲んで生き生きしている女性の集団から目を逸らした。

そのついでに、現実からも目を背けて、本日も貰ったロアお手製の焼き菓子を口に入れながら青空を見上げ、自分の吐く白い息が消えていく様をぼんやりと見ていた。


(久々の快晴だな━)


季節はすっかり冬。新年を迎えてからもうひと月になる。

派手な水飛沫からも男たちの悲鳴からも意識を逸らして、ジェナスは食べ終わったガレットの袋をしまう。別のポケットから今日貰ったばかりの袋を出してマドレーヌに手をつけ、思わず微笑をこぼした。


(相変わらず、腕はいいんだよな。性格は壊滅的に酷くて、悪魔か魔王かって感じだけど)


半年以上前に、珍しく気にかける師の命令で通い始めた、姉弟子のロアの切り盛りする菓子店。

はっきり言って、幼い頃から何度も薬やら毒を盛られてきたせいで、国でも三指に入る大豪商の後取りのジェナスは食に興味がなかった。更に言うなら、甘い物も苦手ではないが特別好きでもなかった。それでも接点を持つために店に通い、味を知っておいて聞かれたら感想を言えるようにしておこうと、その日に買ったクッキーを試しに一つ、口に放り込んだ。

なんてことはない、ごく普通のクッキー。

飾りもなくデザインも平凡な丸形や四角のプレーンクッキーだったのに、気がつくと一袋を平らげていた。


(単純に旨かったんだよな。そして姉弟子だし、調べてみても絶対に変な食材は使わないし、物価が高騰したのに別の材料で美味しく作ろうと連日徹夜でも奮闘してたから、あの店の食べ物は安心して食べられた)


そうして買い込んで、仕事や移動の合間に食べていた。すっかり気に入ったのだ。

それが余るなんて勿体なかったから、処分する物をまとめて買い取ってはジェナスが消費していた。どうせご近所にお裾分けしたり、ロアが自分の食事にしてご飯代を浮かせたり、孤児院に配ったりしているのだから、買い取っても問題はなかっただろう。

甘いものばかりではなく、野菜を使って栄養を考えたキッシュやミートパイ、砂糖を使わない野菜ケーキも必ず作っていたから健康面でも問題ない。恐らく、余り物を買ってくれるジェナスに対する気遣いだったのだろうが、ロアは恩着せがましく言ったことは一度もなかった。今でもこっそり買いに行ったり、部下に買わせたりしている。

思えば、あの朝のお喋りの時間も肩の力を程よく抜ける一時ひとときだった。コーヒーを飲みながら、他愛もない話をして束の間、気を休め、一日の仕事に向かったものだ。


(それが今は………)


ジェナスは悲鳴が消される水柱が上がった人工溜め池の淵に、琥珀の目を向けた。また一人、身なりのいい青年が冷たい真冬の人工池に、容赦なくロアに蹴飛ばされた。

たたらを踏み、池の淵で何とか踏み留まろうとした青年だが、ロアの周囲にいたお仕着せを着た若い女性たちに押し出され、絶叫と共にまた水飛沫と水面を割る落下音が辺りに響く。

そしてその女性たちに、嫌がる次の実刑者が引きずられて池の淵に立たされた。青ざめる貴族の青年が喚いた。


「こんなことをしてただで済むと思ってんのか!? 人殺し!! 冷血女! 絶対に緑色の血だろ!?」


それに長い空色の髪を下ろした少女━━寒そうな男たちとは対照的に厚地の紺のドレスに黒いローブを纏って防寒着を着込んだ少女が、蔑む海色の双眸で見やって平然と「それが何か?」と返す。

訴え虚しく、再度あがる悲鳴と水飛沫。今突き落としたのは、行儀見習いで城が預かっている下位の男爵ご令嬢だった。

ジェナスはかじかむ手に息を吹きかけて、こんな事になった原因を思い返した。


━━遡ること三日前。

すっかり大陸の各国が雪に閉ざされ、大きな一本の街道以外は大々的な交流が閉ざされたファウス国。その王都に残った貴族向けに、ささやかな新年の祝賀会が城で開かれた。

そこで酒に飲まれたアホバカな青年貴族たち六名が、下位のご令嬢メイドを狙って粉をかけてきた。それも強引に。かなり無理やりに。身分故に逆らえない、親も文句をつけられないと知った上での行動。城で━━王と王妃の下で預かっているというのに。

命令して、城の休憩室に各自、時間を指定してメイドたちを呼び出して━━ロアが襲撃にあった。勿論、返り討ちにして捕まえて現在に至るのだが。


捕縛された六人は元々酒の席でも、お酒で気が大きくなったのか、セクハラしたり、下位の貴族をバカにして絡んだり、大声で下卑た話をしたりとマナーが悪辣だった。

これまでにもメイドにちょっかいをかけたり、虐めたり、苦情が上がり始めていたので、王家が舐められ、威信が落ちる前に風紀を取り締まれたのは行幸だ。

特に新国王のルースになってからの若い貴族の素行の悪さは、彼が貴族たちを御せずにバカにされていると周りに思われる。それが公になる前に正せ、他の貴族たちの気を引き締めるきっかけにもなった。見せしめにも。


「ジェナス、終わったからアレ、一応回収しておいて」


復讐が済んでハイタッチを交わすメイドたちを置いて、ジェナスの近くに雪を踏んで歩いてきたロアが声をかけた。

ジェナスは逃避していた現実に戻って、控えていた部下に軽く片手をあげて合図を送る。すかさず騎士に扮した部下たちが反応し、死にたくないと自力で寒中水泳をして、人工溜め池の階段のある上り口に集まった青年貴族六人を捕らえた。

軟弱な青年たちはガクガクぶるぶる震えて唇は紫、顔は青白いが、生きている。それもそのはず。氷が浮かぶ、凍死、或いは心臓麻痺等のショック死を予感させる冷たい池だが、ロアはそうならないよう青年たちに、感覚を曖昧にし、死なないよう治癒の魔法を事前にかけていた。

それでこの凍てつく寒さの中、極寒の池で寒中水泳をしても、彼らはまだ生きている。表情と驕っていた精神は、すっかり死んでしまったようだが。


(生かすためにわざわざ魔法を使って、そこまで本気でやるから恐ろしい……。確実に城で仕事するようになってから、過激さが増してるよな)


ジェナスは、きっちり青年貴族六人を締め上げた魔法師長を一瞥した。魔法師長の苛烈さはすっかり有名で、情け容赦の無さから最近では、一部の例外以外は他国も含めてほぼ誰も、結婚相手や恋人にとはのぞまえなくなった。

それとは逆に、メイドたちや話を聞いた一部の一般女性たちからは人気が高い。上位貴族に逆らえない彼女たちの身代わりを務め、襲われる振りをして相手を追い詰めて、助けてくれたから。お陰でロアが少し襲われたが、無事に解決した。

ただ、その件を知ったルースが恐ろしかった。


「無事に断罪は終わったようだな」


ひょっこり騎士に化けて現れた国王に、ロアとジェナスが驚く。完全防備したルースは頭に帽子を目深まぶかに被って蜂蜜色の髪を隠し、襟を立てて口元を覆っているため、一見してこの国で一番高貴な人物とは分かりにくい。メイドたちも騎士が増えたと思うくらいで、気づいてもいない。

ロアが満足して興奮に頬を染めるメイドたちを見やり、目の前のルースをちらりと見て嘆息した。


「陛下、護衛も伴わずに気軽に来ないで下さいませ」

「気になったのだから、仕方ない。仕事は済ませてきたから心配するな。それに魔法師長が望んで行ったことでも、最終的にこの件に許可を出したのは私だ。なら、コレを見届ける義務があるだろう?」

「見物しに来たと聞こえるのは何ででしょうねぇ。終わっていて残念そうな顔をしないでください」


ロアは苦笑した。

何だかんだ言いつつも、結局ロアが許すのを知っているから、この主はたちが悪い。ジェナスも周囲も、この扱いの差にはすっかり慣れた。そのせいか、魔法師長を御せるのは王族のみと噂が広まり、国を見事に建て直した手腕もあって、貴族と国民から王家は尊敬を集めた。

ロアは昨日ぶりに会ういつも通りの王に、内心でほっと胸を撫で下ろした。昨日は少し驚いて焦ったから━━。



***



二日前の朝。

新年の祝賀会の一件は、通常の仕事に加え、年末年始の決算や催事の式典や挨拶やらで多忙のルースの耳にすぐ入り、頭を痛くさせた。きっとルースは責任を感じて胸を痛めるだろうから、ロアは内々で片付けて事後報告にしようとしていたのに、ジェナスがうっかり話してしまったのだ。ロアがメイドたちの代わりに襲われたことまで。


それを聞いたルースの動きは早かった。

兵が間違えて貴族の牢屋ではなく、一般の罪人のいる空間で、同じ牢内ではなくても鉄格子を挟んで隣り合う牢に入れた。そこで彼らは悪臭と寒さを苛まれ、貴族というだけで散々罵詈雑言を浴びせられて、脅され追い詰められた。

今日ここに連れ出された彼らは助かったと表情を輝かせたものの、幾つか出された刑から一つ選んで、これから極寒の池に蹴落とされて寒中水泳と聞いて、精神もドン底に突き落とされた。それでも魔法師長のロアに恨み言と罵倒を口にしていたが、当の本人は馬耳東風。全く堪えなかった。


彼らが手違いで牢に入った事を知らないルースは、それから仕事を片付けて何とか時間を作ったらしく、こっそりと昨日、これまでの地方視察の報告と今後の視察予定をカイン魔法騎士団長と話していたロアを訪ねてきた。

笑顔で「急ぎでロアに確認事項がある」と連れ去り、ロアは空いてる部屋に押し込まれた。それから部屋に入ってルースが結界を張ると、祝賀会の日にどんなことをされたか、ロアは笑顔で問い詰められた。


「こんな所に二人でいたら、クリス宰相やカイン、ジェナスに怪しまれますよ。勝手にあの三人がイイ仲だと誤解しますよ」


言外に、周りが煩くなり、ルシン国との同盟話があって外交の都合上まだ妃候補を定めていない件に支障をきたし、心が手に入らない外堀から埋めるのがルースのやり方かとロアが脅せば、彼はにっこり笑った。


「疑ってはいても三人共、俺がロアを好きだとは、ましてや惚れてるとは考えていないだろ。はっきり言ったのは、ロアにだけだからな。それにあの三人も、ロアに城に留まって欲しい、有能と認識していても、恋人や結婚相手としてはもう見ていない。一部を除いて他の貴族たちもな。魔法師長として、上に立つ者としては認めているのに」


上手くやったものだと、ルースが感心した。

周りどころか当人たちも気づいていないのに、見透かしているルースにロアが内心で舌を巻く。同時に、壁際に追い詰められている現状に、何でもなさそうに振る舞って微笑んでいても、胸中は焦っていた。

最近の彼は、ロアに好意を隠さなくなったから余計に。


「近くにいるお前の手腕に感心し、尊敬して興味を持ち、少しでも好意を寄せていた三人に、徹底して冷たくあたり、幻滅させるような酷い扱いをして、自分に女として目を向けないように仕向けていただろ。その一方で仕事はきっちりこなし、三人のフォローもしてやった。だから、周りもあいつらも頼もしい魔法師長と認識していても、女性としては見ていない。他の貴族や大臣たち然り」

「お優しいですね、陛下は。実際に私は非情で非道で、噂通りの残酷な冷血女ですよ。陛下だって願い下げでしょう」

「いや、そうやって演技できて、自分を認めさせて上手く誘導させた事を含めて、好ましいと思っている」


ロアはぐっと眉根を寄せて、目の前の秀麗な顔を正面から見つめた。


「そうやってからかうの止めてくれます?」

「これでも自重しているだろ。こんな話をするのは二人の時だけだ。それとも、ところ嫌わず口説いていいのか?」

「それは止めて下さい」


余裕綽々の態度で悠然と口端を上げたルースに、質が悪いとロアは僅かに眉を顰めた。見破られた事が悔しい。これ以上何を言っても空々しくなるだけなので、言い訳の言葉は重ねないが。

そして騙されない主を嬉しく思い、改めて尊敬の念を抱いた。


王たるルースは、意のままに国と国民を誘導できる。例えば、魔法師長を王妃にと宣言すれば、もしくは好意の片鱗でも周知させれば、周りがそのように動くだろう。

そうならないようロアに配慮して、周りが勝手に動かないよう、はっきりと分かる好意を口にするのも、態度を示すのも、二人の時だけだ。それも、聞こえないよう見えないよう結界を張って。


ルースは逃げていいと約束してくれた通り、ロアに逃げ道を潰さずに残してくれている。命令すればすぐにロアが差し出されるが、それではロアが幻滅して逃げ、心が手に入らないと分かっているから慎重だ。その誠実さに大切に思われていると、実感している。


「それで、何があった? 何をされた?」


にっこりと威圧感のある笑顔で再度問い詰められたロアは、ここで負けるのは悔しいと笑顔で睨めっこ対決をして粘り、時間の無くなったルースに粘り勝ちした。



***



無事に池から上がって順番に拘束される青年貴族を見やり、ロアは微かに表情を険しくした。ジェナスからロアの作ったお菓子を貰って食べている王を残し、ロアは二人から離れた。

メイドたちを暗い表情で憎々しげに見る拘束されていない三人の男たち。すぐ両手首に手枷を嵌められる。その彼ら三人が頷きあった瞬間、池の水が氾濫してメイドたちを飲み込もうとした。


ルースとジェナスが瞠目し、すぐに魔法を展開するが二人とも間に合わないと頭の片隅で思った。それでも発動を止めはしない。硬直して動けないメイドたちが水のあぎとに呑み込まれ━━唐突に、全ての水が動きを止めた。

メイドたちの傍らには、魔法師長クーデリカの姿をしたロア。一喝する。


「何をしている! 逃げたその三人を捕らえなさい」


混乱して呆然としていた騎士に扮した隠密たちが、はっと我に返った。手枷を嵌めたばかりの三人を視界に捕らえると、あっという間に追いつき、雪の積もった地面に倒して拘束した。

その三人の足下はよく見ると凍っていた。それもすぐに溶けて、池の水も先ほど水面が荒れたのが嘘のように、落ち着いている。

メイドたちを宥めるロアを見ながら、ジェナスは誇らしげに姉弟子を見て、感嘆した。


「スゲー。さすがは魔法師長クーデリカってところか。咄嗟に交代して、あの大技にあんなに早く魔法を展開させて、魔法のコントロールを奪って収めるとはな。しかも同時に逃げた三人の足を凍らせるなんて、器用だよな」

「………違う」

「は? 何が?」


ジェナスが当惑したように、隣の主を見た。ルースは考えるような顔で、暫く自分の思考に没頭していたが、返答を待って大人しくしているジェナスに、ぽそりと返した。


「クーデリカに入れ替わっていない。さっきの魔法を使ったのはロアだ」

「………は? え、あ……アレか。クーデリカから魔力だけ借りてロアが魔法を使ったって事だよな。瞬時にそこまで出来るくらいに成長しているとはやるな」

「………ジェナス、後で話がある」


感心するジェナスをよそに、ルースは少し難しい顔で言えば、友人兼信頼する部下は神妙な顔で一つ頷いた。

二人は完全に拘束されて、動けなくなった六人の男たちに近づいたロアに視線を向けた。逃げた三人には新しい予備の手枷が嵌められている。


「全く、往生際が悪過ぎる。寒中水泳を選んだのは自分達でしょうに。それが嫌なら最初からバカな事をしなければよかっただけ。何で大人しく反省して謝罪しないかな」

「うるせー。っていうか、お前がしゃしゃり出てこなかったら全て上手くいってたんだ!」

「そうだ! 何でこんな些末な事に魔法師長が出てくるんだよ!」

「お前だってわかっていれば、手を出さなかったのに!」

「あ、バカだ…」


ロアを罵った逃亡が失敗した三人に、ジェナスが呟いて哀れみ、頭を振った。ほぼ毎日護衛として見守ってきた弟弟子は、ロアの恐ろしさをよく知っていた。目が笑っていない嫌な微笑から、さっと目を逸らす。


「後で君たちが選ばなかった羞恥プレイコースも、おまけに付けておこう」


魔法師長の一言に、青年たちがピタリと口を噤んだ。目を剥いて、空気を求めるようにパクパクと口を開閉する。絶望したように弱々しく反論する。


「なっ」

「ふざけんな」

「冗談…」

「ふざけてないし、冗談でもない。反省しないなら、社会的に抹殺して生き恥を晒してみようか」


イイ笑顔で言い切ったロアに、六人が重苦しい沈黙を返した。ジェナスは分かりたくない彼らの気持ちが、よくわかった。

逃げた三人が着けていた手枷を弄りながら、ロアが厳しい顔つきになる。


「魔力封印の効果が切れている…。魔力増加に、枷の部分も簡単に外れる……これじゃあ拘束なんて出来ないよね。━━ここは三人もいれば牢に繋げるから、至急、拘束具の備品を管理をしている人物と、これを用意した牢屋番、納品した業者を確保。これに触れる機会があった者全員を洗い出して、徹底的に調べろ。黙秘するなら、私が記憶を引きずり出す」


軍事の一切合切を預かる魔法師長としての命令に、騎士に扮した隠密が敬礼と共に散開した。

「悪女」「鬼」「人でなし」「鬼畜だ」とぼそぼそ呟いていた青年貴族六人が引っ立てられ、混乱が落ち着いたメイドたちも仕事に戻っていった。

残されたロアたちも、執務に戻るべく城に向かって歩き出す。ほんの少し、男たちに同情したジェナスが、思わずロアに問いかけた。


「…ロア、あいつらに他にどんな嫌がらせの提案をしたんだ? めっちゃ精神をヤられてたが」

「可愛い提案だよ。自分は変態ですとか、色情魔ですとか、強姦魔ですとか、名前と書かれた看板を首から下げて、ボロ服着て手枷されたまま街を歩かされる。もしくはそれらの看板を下げて、広場ではりつけにされて放置。どちらにも危険な物を弾く結界はあるけど、街の人たちが好きに石でも何でも投げてよし。その絵を新聞の一面にして配布。他はスパンと去勢。後は」

「━━もういい。それ以上は止めてくれ」


ジェナスが蒼白な顔で、力なく首を横に振った。心なしか、ルースも今にも倒れそうだ。根っからの貴族として平民を見下し、甘やかされて育った彼らにはさぞかし屈辱だろう。


「あなたは本当に敵に回すと恐ろしいですね」

「何つーえげつない嫌がらせを思い付くんだよ」


クリスとカインが合流して、ジェナスが周囲が見聞き出来ないよう結界を張った。二人の視線にもロアはどこ吹く風だ。


「嫌ならやらなければよかっただけでしょ。まんまと引っ掛かった間抜けが悪い」


悪びれなく告げて歩き出したロアを追いながら、クリスとカインが顔を見合わせ、ジェナスが頬を引き吊らせた。


「まさかとは思ったが、ハニートラップか!?」


ロアが不敵に微笑む。それをジェナスを始め、クリスとカインは悪魔の微笑と呼んでいた。三人が怖くて聞けずにルースを見た。察した主が説明を求めると、ロアが口を開いた。


先程、ドボンと極寒の池に落とした奴等に仕掛けた罠。

魔法師長を慕うメイドたちに協力してもらい、誰もいない時と所では仄かに気があるように見せ、誰かいる前では本気で「嫌です! お止めください!!」と切羽詰まって言うメイド。

勿論、ロアも本来の黒髪のメイドになって接触を図り、振る舞った。それにまんまと乗せられた奴等は、嫌よ嫌よも好きの内、そういうプレイと勝手に勘違いして興奮してのめり込み、自分を好きと思い込んでいるメイドの誘いに呼び出され、あっさり罠にかかって、魔法師長を襲ってはぶちのめされ、断罪された。


「……彼らが言っていた合意の上とか、嵌められたという証言は全て真実だったわけですか」

「半分はね。協力してくれたけど、本気で嫌がっていたのは全員だよ。辞めていった子や泣き寝入りした友達のために、我慢して引き受けてくれたの。まぁ、私にムカつく喧嘩を売ってきたから高値で買ってあげただけ」


罠にかかった彼らの証言に引っ掛かり、記憶を調べる事になったとしても、記憶を探る魔法を使えるのは魔法師長だけ。当然そうなったら、ロアはそんな事実はなかったと言う。他の魔法師が行ったとしても、彼らはロアの統制下なので、ある種の完全犯罪が成り立つ。

そこで更に、うら若くか弱いメイドに扮したロアが、涙ながらに訴えれば相手の立場が悪くなるだけだろう。

男性陣全員がゾッとした。

ジェナスが姉弟子ながら恐ろしいと、震える。


「ハニートラップとか……お前、隠密の方が向いてるんじゃねぇか」

「お灸を据えただけだよ」


常々、彼らの素行には問題があり、泣き寝入りするメイドたちや城を辞めていく平民の官吏が後を絶たなかった。

でも誰も理由を言わない。それを知ったのは、ロアが王太后付きのメイドに扮していた偶然から。だから、一計を案じた。

ジェナスが戸惑うクリスとカインの気持ちを代弁するように、呟いた。


「悪女だな……」


恐ろしいと青ざめる三人を無視して、泰然とした魔法師長を困ったような顔に慈愛の眼差しで、王が見た。昨日、よくやったと感謝してくれた苦笑するルースと目が合い、ロアは少し安堵した。

誰にも理解されずに、非道と言われて離れていかれても仕方ないと覚悟していた。でもそれに惑わされず、気づいてくれた彼が仕える王でよかったと思う。


ジェナスたちの言う通り、そうやって悪女だと、冷徹さや非道さをアピールする魔法師長の噂は、ロア自身が積極的にファウス国と他国にも流していた。数々のむごい噂話を聞いた他国は、ルースの即位式典の締めの夜会で、魔法師長が直接、各国の王と話した際の脅しを本気と取った。だから、ルシン国は本格的に雪が降る前に、同盟の打診してきた。王女とルースの婚姻話もつけて。


更に昨年の冬の間、ようやく国民にも認知されてきた魔法騎士たちを国境や地方に派遣し、悪政を正し、気さくに民と交流させて魔法騎士の知名度、好感度を上げた。ちらほら王都にも頼りになると噂が聞こえてきている。


ついでに魔法師長が病気で動けないとの噂を流して、表舞台から半月以上姿を消した。その間ロアは、通常の仕事をカインに割り振って任せつつ、ある魔道具研究に没頭していたのだが、噂を真実と取ったイオニス帝国が年の瀬に、まだ完全に雪に閉ざされていないサヘルの国境から攻めてきた。それをカインが指揮して魔法騎士団が撃退。

国民には信頼と安心、魔法騎士が頼りになると実感させ、カインの会議での発言力も増して、他国には魔法騎士団が十分強くて厄介だと印象づけた。魔法師長がいなくても魔法騎士団がいれば攻めるのは困難で、防衛は安心して任せられると。

サヘル国にもイオニス帝国にもきっちり抗議して、賠償を求めた。サヘル国からは正式な謝罪と賠償の同意を貰ったが、イオニス帝国とは話し合いが難航し、雪が溶けてから本格的な交渉となりそうだ。

それが上手くいったのもロアとジェナスの師であるアルスマ・カルマンの情報提供と操作があってこそだ。



***



その日の夜も、ロアはきっかり真夜中に、毎日の恒例となった師匠からの連絡を受けていた。

お風呂に入って寝巻き姿のロアはベッドに座って、今日も起こった出来事、近況を話した。手に持った指輪型の通信機から、アルスマの艶のある笑声が響く。


『あっははははは! それはバカな彼らもさぞ懲りた事だろうね。他の好色な貴族たちにも、いい牽制になったと思うよ。それで手枷に細工した下手人は捕まえたのかい?』

「はい。無事に。ルートも判明して、潰しました。ちょっかいをかけていたのはイオニス帝国ですね。恐らくリュシエント帝ではなく、宰相のクアドルの息がかかった者だと思われます」

『成る程ね。分かったよ。ぼくの方でも調べてみよう。こちらも順調に帝国の内部と接触したよ。やっぱり、皇帝派と宰相派で別れていて、この頃は大人しくして反発を回避していた皇帝派の勢いが去年から増したね。……きみに会った事が起因しているのかもしれないよ』

「そうですか。それで内部から崩壊させられそうですか?」

『可能だと思うよ。皇帝派がくみしやすく、都合がいいだろう。宰相派は積極的にファウス国を潰したいようだから。断られたとはいえ、皇帝が去年のパーティーできみに求婚して、それが成立したら恒久平和を誓った事が面白くなかったらしい。徐々に対立化が表立ってきているよ。政務でも意見の食い違いが目立ち、表面化して城内の空気が痛いくらいだよ。年末の襲撃も宰相の指示らしいね』

「引き続き、情報収集と証拠集めをお願いします」

『分かっているよ。雪融けの頃には、ある程度片付けておきたいからね。少し忙しくなるから連絡の時間はまちまちになるけれど、必ずするから応えてよ?』

「はい。師匠は応えるまで煩くしつこいですからね。ストーカー並みに」

『きみは相変わらず、容赦なくぼくの心を抉るね!?』

「師匠は段々その扱いが癖になって、悦び始めていると。変態ですね」

『きみは師匠ぼくをどういう風に見ているんだい!? これだけ尽くしてもその仕打ち! 本当に変わらないね!?』

「安心してください。今後も変わらないです」

『嬉しくないよ!?』

「師匠、眠いのでもう寝ますね」

『自由だね!? 全く……分かったよ。お休み、ロア。また明日ね』

「母も私も元気ですよ。大丈夫です……お休みなさい。師匠」


ロアは微かに笑んで、話を終えると指輪に通したチェーンを首から下げて、服の中に隠した。



***



イオニス帝国帝都の隠れ宿で、アルスマは小さく笑った。

話していた指輪の円形の台座に、通信の魔法陣が細かく彫られた指輪を指に嵌め直す。


それから急ぎでつい先程、もう一人の弟子から届いたばかりの手紙をサイドテーブルに置いて、嘆息した。

弟子からの定期報告の他に、ファウス国王ルースからの手紙もあった。その内容に、嘆息と共に微笑を浮かべた。


ルースと会ったのは、ロアやジェナスと会う前。

旅に出る際に、賢者の一族と王族のみが知る通路から、王に会った時に同席していた。王からは次の守護者だと紹介された。滅びゆくだけの一族に次もあったものかとひねくれたことを当時は思ったが。


それからは国の出入国の際に、王に挨拶に行くと見かけるくらいで、特に接点はなかった。

きっかけは王に挨拶した帰り。木陰でたくさんの本を広げて勉強していた十歳の王子に、気紛れに話しかけて会話した事だった。


わからないとあちこちの本を見ては首を捻るルースを傍で眺めながら、ふと質問したのだ。

「賢者の一族なのに、庇護して貰うばかりで、この国に力も知恵も貸さない滅びゆくだけのぼくたちを、きみも王様も責めずによく好きにさせておくね」と。

三国から攻撃を受けているのに、王妃も前線に出て命を危険に晒して戦っているのに。


ルースは「約束だから当然だ」とはっきり告げた。それどころか、これまで秘してきた賢者の一族が表舞台に立てば、手に入れようと余計な争いが勃発し、戦禍が拡大する可能性を示唆した。

話してみて、王族なのに誠実で真っ直ぐでれていない彼にほんの少し興味が沸いた。


それからは会うと少し会話するようになった。

ルースが悩んで質問すれば、ヒントを与えて自分で調べられるように手助けするくらいには、気に入っていた。

王から執務を徐々に受け継いで、たまに手紙をやり取りし、情報をさりげなく渡すくらいには。ある意味、三人目の弟子。時系列的にはアルスマの最初の弟子かもしれない。


「皆、成長するのが早いな」


立派に王を務める弟子に短く手紙の返答を書くと、アルスマはそれを魔法で転送した。それから灯りを消して、明日に備えて休息をとるため、ベッドに潜り込んだ。




━━それを最後に、三人の弟子たちは師との連絡が途絶えた。

雪と寒さが増し、新年が明けて、ひと月が経とうとしていた。





すっかりお待たせしてすみませんでした。

お待ちいただいた方はありがとうございます。

残り三話か四話で完結する予定です。年内の完結を目指して頑張りますので、お付き合い下さると嬉しく思います。


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