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一旗揚げましょう?  作者: 早雪
33/38

33, 2 - ⑦

二万字越えました。長いです。


誤字脱字修正しました。内容に変更はありません。

「ジェナス、護衛チェンジで」

「呼び出したと思ったらいきなりなんだよ!?」


ファウス国新国王の即位式典が無事に終わり、各国の代表たちが去ってから三日が過ぎた。

日々、寒さは増し、イオニス帝国の国境沿いやそこにある連峰では初雪が観測された。今も王都の空は灰色がかった白墨の色だ。

これから徐々に冬が本格的に訪れる。城下や城でもその準備に追われ始めた。


諸々の残務処理をようやく終えたロアは、山のようにあった書類や実験器具やらが片付いた魔法師長の執務室を見て大きく伸びをした。

そして、久しぶりに魔法師長の仕事から解放され、呼びつけた護衛のジェナスに護衛の任務を少し別の人と変わるよう告げると、彼に意味がわからんと返された。


「大体、そう簡単に変更できると思うなよ。こんな急に誰が引き受けてくれるってんだ? 代わりの護衛の手配と都合を確認するから少し待てよ」

「あ、大丈夫。この城でメイドの仕事するだけだから。むしろメイドに護衛がいたら変。怪しまれるでしょ」

「それでもだ。そういう場合は隠密の護衛が適任だな。でも俺は嫌だと」

「うん」

「うん、じゃねぇ。こっちの仕事の負担も考えろや」

「それならジェナスも私が四六時中あなたといる苦痛を考えて」

「……言うに事欠いてお前…」


真面目な顔で返答したロアに、ジェナスががっくりと項垂れた。そこでロアがふと何か思い付いたように、楽しげにジェナスを見てきた。嫌な予感がしたジェナスはサッと目を逸らす。


「代わりの護衛がすぐにいなくて、そんなに私の側にいたいのなら、ジェナスがメイドに変装して一緒に行動してもいーよ」

「絶対にイヤだ!」


やっぱりロクでもない提案をしてきたと、ジェナスは強く拒否した。確かに変装はあちこちに潜入する都合上、得意だ。それでもわざわざ女装したいとは思わない。そもそも体格的にも問題があり、扮するのは難しいだろう。わかっていて笑うつもりで提案するのだから、この姉弟子は質が悪い。

ジェナスは吐息した。


「どうせお前の事だから、すでに別の護衛見つけて手配してあんだろ」

「まぁね。エリーに頼んであるから、大丈夫。ジェナスは好きに休んでいいよ。彼女たちのところに行ってもいいし」

「行かねーよ! 後、今は誰とも付き合ってねぇ!」

「どうでもいいけど、変な行動は控えるように。もし陛下の評判を落とすような事をしでかしたら……わかってるよね?」

「こぇえー! 本気で脅すなよ!?」

「本気で脅さなくちゃ意味ないでしょ」

「お前は、本っっっ当にっ! 陛下の事ばかりだな!! そんなに大好きなのかよ!? もう付き合えばいいだろ」

「は? ナニ言ってんの?」


真顔の平坦な声で、蔑む眼差しを返されたジェナスの心がぼっきり折れた。そんな下らない事を言って申し訳ございませんと、土下座して前言を取り消したくなる程、生命の危機を明確に感じた。


「陛下は即位したばかりで、少しの悪評も大きく広げられて、瑕疵になりやすいデリケートな時期ってわかってる? 解らないのなら宰相たちと一緒に修行に行かせるけど」

「下らない事を言って申し訳ございません!」


本気の生命の危機に、ジェナスは誇りも何もなく土下座した。コレは本気でアカンやつやと、ロアを伺うと淑女にあるまじき舌打ちをされた。相当ストレスがたまっているようだ。


「どいつもこいつも最近その話題でしつこいんだよね。私が男で忠誠を誓っていたら、こんなに騒ぎ立てないくせに。女だとすぐにそういう目で見てくるから面倒くさい」

「………」


ジェナスは余計な事は言わないように口を噤んだ。

ロアはすぐに何でもなかったような顔で、一応ルースたちにこれからメイド業務に勤しむことを伝えるようジェナスに命じた。了解した弟弟子に、銀の指輪を放る。

ジェナスが慌てて掴んで、首を傾げた。掌には何の変哲もない銀の指輪。問われる前にロアが説明する。


「師匠が作ってくれた変装指輪。それを嵌めた人は魔法師長クーデリカの外見を被り、周りからクーデリカと認識されるから、私がいない間に誰かが来たら、ジェナスがそれをつけて私として対応するように。私にベッタリだったからある程度、私の仕草はわかっているでしょ。一応女装の訓練も受けていただろうし」

「……それって、貴族や令嬢の面倒くさい来訪があったら、お前のふりして対応しろって事だよな?」

「大丈夫。これまでとつい先日の即位式典で、多くの令嬢と子息が犯罪者として厳しく処分された件があったでしょ。それで私に近寄る人はかなり減ったから。むしろ恐怖の対象として腫れ物に触るような扱いだね」


ああ、とジェナスが納得する。

可愛いげのないロアは堪えた様子もなく、見るからに全く気にしていないが、クーデリカはロアを巻き込んだと落ち込んでいた。

そしてリュシカと再会して以来、時々はロアと話すようだが、相変わらず塞ぎこんで自分の殻に閉じ籠ったままらしい。ダーウィンも心配していた。

ジェナスは今クーデリカの事を考えても仕方ないと意識を切り変え、それよりも気になった指輪を注視する。やりとりをしているとは思っていたが、やはり師匠のアルスマとこっそり繋がっていた。

ロアもロアでジェナスが驚かないので、やはり師との繋がりを予想していたかと読み取る。


「ついでに明日は例の野営特訓へ早朝出発だからって、宰相と騎士団長に伝えておいて」


「マジだったのか…」と遠い目をして呟くジェナス。ロアは仕方ないと頷く。二人はあの夜会で全然有益な情報を何一つ掴んでこなかったのだ。どれもロアが既に把握している話ばかり。一つだけ興味を惹かれたのは、絶世の美貌の旅人がイオニス帝国に向けてサヘル国王都を発ったという噂。おそらく、師匠のアルスマだろう。彼がどこにいるかは毎晩の通信で知ることが出来るので、大した情報でもないが。


「ジェナスも野営特訓に行きたいの?」とロアが気遣うと、蒼白な顔で勢いよく首を横に振られた。

ロアは少し残念に思いながら、ジェナスを部屋から追い出す。

その後、ロアはさっさとメイド服に着替えて、本来の街娘の容姿でカレンティーナ付きのメイド、ロア・ノーウェンに戻った。


予定通りの時刻と場所でエリーと合流したロアは、早速ある目的の為に、場内を掃除するメイドたちや食堂の調理場、針子の仕事場や城内をくまなく歩いて、新しい噂や情報を仕入れつつ、それとなく例の噂を、エリーと手分けしてそっとばらまいた。


『クリス宰相とカイン魔法騎士団長は実はお互いを思い合っているため、長年恋人も婚約者もいない』と。


それを隠す為にちょこちょこ付き合う人はいても、長くは続かないのではないか。

およそ、不自然なくらい二人は仲がいい。親密だ。

事情があって婚約者を選ばれていない陛下はともかく、何故あんなにいい物件がどうして未だに残っていて、これまで婚約者もいないのか。女性と遊んでいる話は全く聞かないどころか、女っけが無さすぎる。

━━と、いうようなことを、人が集まる中で紛れて、或いは廊下を通りかかる貴族や使用人に姿を見せずに声で会話を聞かせて、呟いて拡散した。

ロアだとばれないように顔を隠したり、その時々で髪型を変えたり、髪色や容姿をほんの少し変化させながら、あちこちで噂の元となる疑惑の種をばらまいた。


そうすると、「言われてみればそうよね…」「そう言えばこの前、お二人が仲良く話ながら歩いているところを見たわ」「わたしもよく見かけるわ」「わたしもよ。陛下がいないところで二人きりの姿を…普段見たことのない笑顔でいるところを」「確かに滅多に笑わない方なのに、お二人の時は…」

疑惑が勝手にどんどん膨らんでいく様を見届け、極めつけにロアが、「誰にも言わないで欲しいんだけど、実は私見ちゃったの。二人が人気のない場所で抱き合っている姿を。やたらと親密そうで綺麗な絵のようだったけど、何だか怖くてその場をそっと離れたのよ」とひっそり嘘の噂を言えば、「そう言えばわたしもこの前…」と話が繋がっていく。

面白いくらいに広まっていく内緒話を、ロアは各メイドたちが知る疑惑の話を聞きながら、せっせと働いた。

こうして目論み通り、二人への疑惑はあっという間に噂が噂を呼んで憶測が広がり、幼馴染みの男色の恋人二人とそれを偏見なく見守るお優しい新国王、という話でまとまっていった。



***



ロアが広めた噂を、ルースはすぐに耳にしていた。特に害はないようなので放っておくことにして、当の本人たちが気づいているか確認すると、幼馴染み二人は気づいていなかった。

それよりも明日から四泊五日で決行される野営特訓に備えて、忙しそうだった。


各国の代表が去った後には、それぞれ三国から農業や街道整備の新技術や開発された商品への取り扱いや共同研究の申し入れ、こんな商品を作って欲しいという要望、依頼が寄せられた。

魔法師長を引き合いに出した和平条約や、王本人ではなく側近の名を使った同盟の打診、新国王ルースと魔法師長クーデリカへの結婚の申し込みが殺到していた。


それらをすぐに会議にかけて話し合うこと二日。議題全てに結論を出し、それを書面にまとめて発送。

急遽決められた野営特訓に参加する為、クリスとカインは自分自身を鍛える時間を作りつつ通常業務をこなし、夜会でロアに指摘された事柄にも特訓に参加する前にある程度片付けておこうと精力的に動いていた。


クリスは大臣たちの動きを把握して牽制。側近に息子や親族を揃えて固めようとした申請書を却下して、密かに監視をつけながら自分の手の者を各部署や重鎮の新しい側近として手配、紛れ込ませて見張るようにした。

カインは苦手な魔法研究にも取り組み、議会でも発言して騎士の訓練をより一層厳しくして扱き、自分に不満を持つ輩を炙り出しては模擬試合で指名して叩きのめして実力を知らしめた。

二人とも自分の領分を少しずつ掌握してきている。その事にルースはほっとした。こればかりはルースが手を貸しては意味がない。


そんな激務をこなして、不在にする間の引き継ぎを済ませて二人は相当、疲労が溜まっているようだ。二人が共に訓練し、野営特訓の話をしているところを目撃した貴族も使用人も、複雑そうな顔で見て見ぬふりをしているというのに。

いつも様々な視線を向けられて良くも悪くも目立っていた弊害か、二人は視線に気づいても特に気にしていない。

そしてそのまま野営特訓に参加して、城を空けてしまった。




彼らが城を出て三日。

噂の広まり様はとどまるところを知らない。最近では城下でもこの噂が面白おかしく囁かれているらしい。その一方で城の中でも外でも、偏見の目で見られる幼馴染み二人を庇っていたと株が上がり、生暖かい視線でルースを見てくる者も多かった。

明後日、疲れて帰ってくる二人はこの状況をどうにか出来るか不安になった。ロアに今回の噂を流すことを事前に教えられていたにも拘わらず、特別対策をとっていない。ただ二人の補佐が否定して回るという焼け石に水の状況。

クリスとカインには厳しく、ルースには男色疑惑どころか懐深く優しい評価と視線の集まるこの状況はもちろん、裏で糸を引く人物がいるからだ。


黒幕のロアは毎日早朝に、実家の店で販売用のお菓子を作っては城に戻ってメイドの仕事をしたり、すっかり体調がよくなった母クレアの薬を作って渡しては、他にも色々な試薬を研究する魔法師長をしたり、家に戻って街娘として店の手伝いをしたりと、一人で三役をこなしている。

城下の噂も彼女が上手く操っているから、広まっているのはまだ王都の一部に留まっていた。

メイドのエリーや隠密のハルカス、ケネディ大将軍を護衛にしていると聞くが、常に一緒ではないらしい。

なので、仕事が片付いた夕方。夕食を軽めに手早く済ませたルースは護衛しがてら、魔法騎士に変装して会いに行き、すっかり辺りが暗くなった城壁近い庭の片隅で、城を脱け出そうとしているロアに遭遇した。


「えっ!? 陛下?」


見つかって目を丸くするロアに、ルースは頭痛を堪えながら息を吐き出した。呆れ顔でじっと見つめると、ロアはばつが悪そうに目を逸らして笑顔を作った。


「お前はまた…何をやってるんだよ」

「……ちょっと脱け出して街に行こうかな~なんて」

「護衛もつけずに?」

「街娘の私に護衛がいたらおかしいでしょう」


ルースは厚手の生地に質素で地味な色合いのワンピース、その上に外套姿というロアの格好を見て、それは確かにと頷いた。

おそらく仕事も兼ねているが、未だに落ち込んだままのクーデリカに気分転換させるのが目的だろう。

眠るように深く自分の殻に閉じ籠ったままの革命の皇女。最初の頃に比べて、魔法を使用する度、日が過ぎゆくにつれて姿を顕す頻度が確実に減っていた。


「街に行くんだな。護衛としてついてく」

「えっ?」

「どうして驚く。お前が言ったんだろ。俺も護衛としてこき使うって。騎士の制服だけど外套で隠れるし、街の人は普段関わりのない騎士の制服を知らないだろ。ロアに付き合って街に行くのも初めてじゃないし」

「そうですけど…」


ロアが思案する。

以前は王太子だったが、今は国王陛下だ。護衛もつけずに国王を連れ出しても大丈夫だろうか。街の治安は以前よりも遥かによくなり、ルース自身強い。いざとなればロアも魔法を使える。

ロアはちらりと、蜂蜜色の髪に空色の瞳の整った容姿のルースを横目に見た。


「変装しましょう、陛下。それじゃ目立ちます。魔法で髪と目の色だけ違う色に見えるようにします。はっちゃけた派手な色か陰気な暗い色、どちらがいいですか?」

「何でその二択になった」

「何となくです。他意はありません」


ルースが吐息して、本来の姿に戻っているロアを見つめた。


「それじゃ、髪も目も黒にしてくれ。俺の好きな色だからな」

「……そうですか。暗い色がいいなんて変わってますね」


ロアが少し目線を外して、頷いた。要望に応えて、ルースの外見を黒髪黒目に見えるように魔法をかけた。ルースがロアの正面に立ってからかうように不敵に微笑む。


「お前と同じ色だな。だから好きな色の一つだ。これでお揃いだろ」


ロアが軽く目を瞠って、息を飲んだ。お揃いになった艶のある漆黒の髪と、黒曜石のような双眸を正面から見て、硬直する。

寒さの為、元より頬は紅潮していた。辺りは月と星の光が届くほど薄暗い。その事に安堵していると。


「同じ色なら、街で親戚だと誤魔化しやすいからな」

「………そうですね。その方が色々と勘ぐられなくて便利です。遥々地方から訪ねてきた父方の遠い親戚ということにしましょう」

「どうした、ロア?」


ニヤリと笑うルース。揶揄する王にロアは非難がましい目を向けた。


「随分と楽しそうですね…。からかうのはやめて下さい。というか、そういうことが出来るならどっかのご令嬢にでも使ってくださいよ。王都の貴族にはなかなか居なさそうなので、地方の令嬢にまで妃候補調査の手を伸ばしてるんですから」


ロアは嘆息して、城の結界を強化する際にこっそり作った抜け道を開いた。城壁が長方形のドアになり、音もなくスライドして闇が広がる外の世界が顔をのぞかせた。

振り返ると、ロアの言葉を聞いたルースが顔を顰めていた。


「……俺それ初めて聞いたんだけど」

「内緒で進めているそうですよ。私には筒抜けですが。というか、わざとらしく知らせてきてますが」

「そうか。後で進捗状況でも聞いてみるか」

「……脅しに行くと聞こえるのは何ででしょうねぇ」

「気のせいだな」


ロアが苦笑して、先に外に出た。暗いと感じて「陛下」とルースに手を差し出すと、「ふつう逆だろ」と笑いながら手が重なった。


「それと『陛下』はおかしいだろ。名前で呼べ」

「そうでしたね。ルーさん」

「……その呼び方は」

「何か?」

「まぁ、いいか」


抜け道を元に戻して、二人は気配を消して城門近くを通り過ぎ、城下へと繰り出した。

冬でも賑わう大通りを見て回り、数件の店に入ったり、買い食いをして、居酒屋に足を運んだ。

以前ロアが勤務していた店だけあって彼女を知っている者は多く、あちこちで情報を集めては、ロアも話題という名の広めて欲しい噂を喋り、たまに主張をぶつけては話や意見を誘導して思い通りの方向へ向かわせた。

その手腕を見守りながら、流石だなとルースは感心した。

その調子で気がつけば、既に夜半過ぎ。有意義に楽しく過ごした二人は、城へこっそり戻った。



***



その日は朝からちらちらと風花が舞っていた。積もらずに消えゆく白は、昼前には止んで久方ぶりの青空をのぞかせた。薄い青の空に、雲に覆われて日差しを大分柔らげた太陽が、鎮座していた。


そんな日の午後、クリスとカインが野営特訓から戻ってきた。

半死半生というよりも死にかけたと形容した方が合うだろう。

かつて城で、女性たちがこぞって頬を染めて黄色い歓声を上げ、同姓の男であっても強い憧れと羨望を一身に集めた二人の面影は今やない。

一言で表すならズタボロ。

頬は痩せこけて眼窩は落ち窪み、全体的にやつれて薄汚れていた。以前の輝かしさは微塵もなかった。


出迎えたジェナスも一瞬、誰だかわからなかった。それほど友人二人は変わり果てていた。その姿だけで今回の野営特訓の過酷さと、彼らを襲った艱難辛苦が窺えた。

現に二人と特訓に参加し、共に帰って来た同行者たちはクリスとカイン以上に死にかけている。

打ち身切り傷擦り傷は当たり前。そこに火傷、凍傷、深く大きな切り傷や刺し傷が加わった屈強な魔法騎士、衛兵、軍関係者たちはの服は、血が染み込んで辛うじて布がある状態だ。この寒空の下、よくぞ戻って来られたと思う。

恐怖していると、城に着いて安心したのか、全員の体が倒れ込むように揺れて、湿気を含んだ大地に前のめりになった。

次々と野営特訓の参加者たちが、土煙をあげて地面に沈んでいく様は、大人でも怯えてしまうほど異常だった。


すぐに薬室の人々が呼ばれる。が、そこに丁度よく、用事があって遅れていた魔法師長が姿を現した。

中庭に倒れて動かない死にかけの面々を見て、光魔法を行使する。暖かな光がその場を包み込むように輝き、賊にでも遭って命からがら逃げ出してきたようなボロ雑巾の連中の傷が、見事に消えた。時間が経ちすぎた傷跡は完璧には消えず、多少残ったがあの瀕死の状態と比べれば大したことではないだろう。


「起きなさい」


魔法師長の凛とした声が響き渡ると、倒れ込んだクリス、カインを含めた野営特訓の参加者たちが、夢から覚めたように目を開いて体を起こした。全員が、ローブを纏った魔法師長に注目する。


「よく戻りました。本日は休んで鋭気を養い、明日からは通常業務に戻るように。自分の明日の勤務を確認してから休むようにしなさい。各自、報告書は一週間以内に提出。では、解散」


パン、と手を叩いた音が空気を揺らすと、全員が素早く立ち上がって敬礼した。きびきびと行動して素早く散る野営特訓の参加者たち。残ったのは唖然とするクリスとカイン。

その二人の空気と表情が、一変した。

冷たい怒りと嗜虐心、恨みを無表情の下に隠すが、目がギラついて空気も物騒だ。二人が互いの視線を合わせて頷くと、立ち上がって胸元を覗かせる着崩れた姿で魔法師長を取り囲んだ。

城の窓際から様子を伺っていたメイドたちや去りかけていた騎士たち、警備についている衛兵や、城を訪れていた貴族たちの好奇の視線が三人に集まった。


「お久しぶりですね。野営特訓に参加してからというもの、あなたにお会いしたくて仕方なかった」


影のある疲れた美貌でクリスが色気駄々漏れで甘く微笑むと、その憂い顔の微笑にあちこちでため息が零れた。クリスがロアを正面から抱き締めると、あちこちから悲鳴が上がる。野太い悲鳴は、クリスが睨んで黙らせていた。


「本当に、こんなに強く誰かに会いたいと願ったのは初めてだ。ようやく会えて、こんなに心が躍り胸が高鳴るとはな」


カインがクーデリカの容姿に見せているロアに、背後から腕を伸ばして抱き締め、彼女の頬に手を当てて自分の顔を見るように促し笑いかける。滅多に笑わない鉄面皮の珍しい表情に周囲が興奮し、またもや悲鳴が上がった。

熱のこもった二人の視線に晒されたロアは、冷えきった目に無表情。


その様子を見て益々磨きがかかった二人の美しさに、ジェナスはげんなりしていた。

傍目には愛しい人との再会を喜ぶ見目麗しい将来有望な青年二人と、その二人に愛を乞われる、突然現れたにも関わらず誰もが有能と認める魔法師長の図だ。

ただジェナスには、今にも殺しあいが始まりそうな殺伐とした冷気が漂っているようにしか見えない。体の震えが止まらなかった。冷や汗もびっしょりだ。


「あなたに会えなかった分、今日はずっと側において片時も離したくないですね。いいえ、一晩中と言わずに明日も明後日も」


クリスが僅かに体を離してロアの頬に口づけた。先程よりも大きな悲鳴が上がって、卒倒した者も何人かいた。他にも赤面して、見てはいけなものを目の当たりにしたように、ちらちらと窺っている。それでも魔法師長の表情筋は微動だにしない。冷えきった眼差しだ。


「本当にな。自分も離したくない。クリス、今回は譲ってもらおうか。お前は明日以降を一緒に過ごせ」


カインが後ろから抱き締めたまま、ロアの頭のてっぺんに口づけた。歓声と絶叫が上がり、悲鳴とため息が零れた。それでも魔法師長は能面のまま。

ジェナスは震えと寒気が止まらない。

クーデリカが自分の殻に閉じ籠っていなければ、今頃魔法で血祭りにあげられていたかもしれない。

そのまま二人は魔法師長の取り合いを演じて、ロアを連れてその場を去っていった。

ジェナスの側を通った時に、「セクハラ、変態、滅殺」とロアがポソリと感情のない声で告げたのが聞こえた気がした。ジェナスは目を逸らして聞かなかったことにした。ついでに取り合いを演じていた青年二人が一瞬、動きを止めたような気がしたが、それも気づかなかったふりをした。



***



その部屋はさながら極寒の地だった。

壁一面の本棚は埃がたまり、数ヶ所本が抜けているところがある。

元は綺麗に整理整頓されていたであろう机回りは、主が不在の間に書類と書籍が乱雑に積み上げられ、机には乗り切らなかった紙の山が床にも応接ソファーやテーブルの上にもうずたかく積まれていた。それでもまだ人が入るには充分な面積があり、足の踏み場もある。


クリスの執務室に連行されたロアは、書類が蓄積された空間から少し離れ、二人の青年と対峙していた。

窓から日の光が差し込んでいるにもかかわらず、それが錯覚だと思えそうな程、部屋の空気は寒い。

ロアが凍りついた表情で、冷えきった眼差しで、両腕を組みながら口を開いた。


「━━それで?」


氷点下の声音。たった三文字に込められた威圧感が半端なかった。

ロアの護衛がてら見守っていたジェナスは、ぶるりと震えた。

対峙する二人に変化が見られなかったのは、さすがと言えるだろう。ただ僅かにピクリとクリスの眉やカインの肩が動いたのをジェナスは見逃さなかった。

クリスとカインは笑顔で応対する。


「それで、とは? わたしたちは(この恨みを晴らす為に)あなたに会いたくて会いたくて仕方なかっただけですよ」

「ああ。どれ程恋い焦がれて(復讐できる)再会を待ちわびたのか、あんたにはわからないだろうな」

「あなたに会いたい(復讐したい)一心で、ここまで特訓を頑張って無事に帰還したのですから」

「本当にな。特訓中に積もりに積もったこの思い(恨みのたけ)をあんたに受け取って貰いたくてしょうがなかった」


端から聞けば熱烈な愛の告白。なのに、副音声が聞こえるのは幻聴じゃないと、ジェナスは肝を冷やした。万一の時は任務に従い、ロアを守らなければ。

二人の恨む気持ちもわからなくはないが、切実に大変な思いをした苦労もわかるが、この雰囲気は駄目だ。

まさに一触即発。

ビリビリとした空気が肌に刺さる。


その時、廊下へと繋がる扉の外から慌ただしい気配がした。

起こっている事態を予測したジェナスが嘆息すると、ロアたちも後をつけて様子を伺っていたメイドたちがいたことに気づいていたようで、扉を注視していた。

慌ただしい気配が遠ざかると。

その扉が開かれた。

姿を見せたのは、四人が仕えるルース・パラキア・ファウス国王陛下。

ルースは宰相の執務室にいる四人を見て、口端を吊り上げた。


「随分と愉快な事になっているな?」


扉が閉じられると、ジェナスはすかさず風魔法で結界を張り、ルースが野次馬を追い払ってくれたが念のために、会話の声が外に漏れないようにした。


「まさか俺への帰還報告より先に、魔法師長の熱烈な取り合い話を聞かされるとは思ってもみなかったぞ」


衣服が整っていない二人の幼馴染みにルースがにっこり笑いかけ、クリスとカインは先程までの不穏な気配を一変させた。

ジェナスは流れが変わったことに、胸中でほっと安堵する。まるでこうなることを予想していたように、丁度いいタイミングだった。


クリスとカインは、形式が大事な城において王を蔑ろにした行為に、二人が国王を軽んじたと取られかねない不敬に、ようやく冷静になって己を省みたようだ。失態を犯したことに顔色が悪くなる。

その幼馴染みの有り様に、ルースが嘆息してこれまで二人が向けられた事のないやや醒めきった呆れた眼差しになる。

二人が恥じ入るように、顔を俯かせた。


「……ロアに感謝しろよ。お前たちが戻った時点で先に、俺のところにその報告と挨拶に来ていた。二人が疲れているのでまた後程、改めて挨拶に伺うからと。実際に全員の疲労困憊の様子は大臣や重鎮たちも聞き知っていたし、今回の野営特訓の責任者たる魔法師長が先に報告をしていたから、お咎めもなくお前たちと俺の面子も保たれた」


クリスとカインが驚いたようにロアを見やった。

ハルカスを護衛につけて王の元に赴いていた為に、野営特訓の参加者の前に姿を見せるのが遅れたことを知っていたジェナスは、甘さが抜けてまともな顔つきになったと感じた二人の抜け具合に、その主のルースに少し同情した。

それだけ二人が本気でロアに怒り心頭だったとはいえ、感情に左右されて臣下の勤めを果たさなかったことに、さぞがっかりしただろう。

ロアはクリスとカインを守るというよりも、主人のルースの面子を守る為に行動したにすぎない。

今頃ハルカスからこの報告を聞いたカレンティーナが、後でクリスとカインに指導するに違いない。それでも二人は、次は同じ失態をしないから大丈夫だろうとも思った。


「……申し訳ございません、陛下。わたしの落ち度です。クーデリカ魔法師長、ご配慮ありがとうございます」

「面目次第もございません。クーデリカ、ありがとう。助かった」


二人が素直に謝罪するが、それでも不満げだ。納得がいかないと目が口ほどにものを言っている。

そしてロアも、静かに怒っていた。何においても二人が一番に心を砕いて、気にかけるべき存在を軽んじたことに。いつまでも幼馴染み感覚のままで、忠誠を捧げていると口先ばかりの態度に気づいていない現状に。

挑発するように嘲笑する。


「満身創痍ながらも無事の帰還、まぁ、オメデトウ。見たところ、噂通りの展開にならずに貞操を守れたようで」


ロアが皮肉った。それは鎮静化とはいかずとも、抑えようとした二人の激情を煽った。クリスとカインが親の仇を見るように憎々しげに睨むが、ロアは鼻で嗤った。


「あんた、卑怯だろ。あんな薬使わせたりして…っ」

「卑怯? 何言ってんの。ちゃんと事前に言っていたでしょ。何を持っていってもいいけど、但し全て自己責任で使用するようにって。そして裏切り者がいる訓練も想定して動くよう何度も通達した。それで警戒と注意を怠ったのは自分たちでしょ」


カインがぐっと口を閉ざして、目付きを鋭くした。クリスが冷んやりと艶やかに微笑んでロアと対峙する。


「それでも、あからさまにわたしたちに明確な敵意と劣情を持った者を集めていたでしょう?」

「すぐにそうと気づける人たちばかりだから、対処も簡単だったでしょ。そして好意を上手く使えば味方になったかもしれないし、絶対に裏切らない忠誠を誓う手駒を獲得できた。有能と言われるのなら、そのくらい計算して動いて欲しかったけど?」


魔法師長の痛烈な切り返しに、ジェナスは打ちのめされる二人の友人を見た。

二人の気持ちもわかる。それと同時にルースとロアの気持ちもジェナスにはわかってしまった。ルースとロアは二人がもっと成長することを望んでいる。


「男色家の噂対策も、いまいち対処できてなかった」

「それは」

「さっきの魔法師長の取り合いで払拭できたと思っているのなら大間違いだよ」


反論しようとするクリスに、ロアがすかさず言葉を被せた。言おうとしたことを先に言われたクリスとカインが目を丸くした。不思議そうな二人にルースが吐息した。


「噂が広まっているのが城内だけとは限らないだろ。ここには一般の民も出入りし、働いている者たちが多くいる」

「まさか…」

「城下でも…」


唖然とするクリスとカインの視線を受けたロアは、冷たく微笑んだ。


「噂が広まるのがどこかとは限定してないし、この城だけとも言った覚えはないよ」


二人が血の気を引かせて、盛大に頬を引き吊らせた。冷静な仮面をかなぐり捨て、声をあげてロアに詰め寄る。


「嘘でしょう!? それではわたしたちは民にも男好きと誤解されているんですか!?」

「マジかよ!? 冗談じゃねぇぞ、おい!? 」

「それが嫌なら、今からでもどこで噂がされているのか調べて対策を練れば?」


ロアは冷徹に言い切った。二人が絶望に顔色を染めていく。そこに追い討ちがかけられた。


「そうそう、ちなみに先程の魔法師長取り合い演技も、元の噂にひっくり返せるけど?」


やってあげようか? と、試すような声がした。落ち込む二人を見て、ロアはとても楽しそうだ。恐らくルースを傷つけた報復をかねて、鍛えるつもりだろう。

クリスとカインは、それぞれどうしたものかと考え込む。やがて、クリスが顔をあげて真っ直ぐにロアを見た。真正面に立って向かい合う。


「こうなったら最後の手段ですね」

「どうするの?」

「━━ロア、わたしと結婚してください」


ロア以外の全員が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。クリスが色気全開で、妖しく紫の瞳を煌めかせる。目を逸らさせないというように、ロアの頬を両手で挟んで自分の方へと向けさせていた。だがロアに動揺は見られず、淡々と正面にある人間離れした美麗な顔を観察していた。


「ふーん、なるほどね?」

「ロア、やはりあなたはとてもいいですね。ぜひわたしの側で生涯を共にしてください」

「それなら確かに城でも街でも、噂はすぐに鎮まるか」

「一生あなただけを見つめて離さないと誓います。ですから、わたしだけのものになってください」

「まぁ、いい判断か」

「真剣ですよ。わたしの全てをあなたに捧げますから。必ず幸せにします。だから、わたしを選んでください」


切なげなクリスの美貌と至近距離で対面し続けているのに、愛の言葉を口にして見つめ合っているのに、ロアには緊張も恥じらいも何もなかった。

そんな反応をする女性を初めて見たジェナスとカインは、ロアに面妖な目を向けている。

甘い雰囲気を出したクリスは外野を気にせず、紫の目を蕩けさせてロアだけを瞳に写していた。徐々にロアの顔に自分のそれを近づけている。すぐにでも口づけ出来そうな距離。普通の女性ならうっとり顔でぽーっと頬を染めて、目を閉じそうな状況下。


「━━それでどんな愛の言葉を聞かせてくれるんですか?」

「「「え?」」」


迫るクリスの端整な顔にも平然としたロア。

吐息がかかる距離で色香を漂わせるクリスを、冷えきった眼差しで迎え撃つ。

黒い目には驚き当惑するクリス。そのクリスと似たような顔で困惑するジェナスとカイン。ルースは俯いて口許を手で覆い隠し、肩を震わせていた。


「私に公衆の面前で、これでもかというくらい愛の言葉を囁いてくれるんですよね、宰相?」

「……公衆の面前?」


目を逸らさず冷たい視線で、クリスを捉えている黒曜石のような双眸。それに写る間の抜けた自身の顔を見ながら、クリスは呆けたように繰り返した。


「その方が噂が広まるのを待つより、色々準備して婚約を発表するより、確実に手っ取り早くホモの噂は消えますよ」

「………」

「それで私を落とす言葉を言えたら、後で破棄しますが、あなたに利用されて婚約くらいはして、噂の払拭に一役買いましょう」

「……落とす言葉」

「随分と譲歩しているでしょう? 但し、そう簡単に私は落とされませんよ。だから言葉を巧みに駆使して肯定の返事しか出来ないよう逃げ道を潰して私を追い込み、周りで聞いている方々をドン引きさせて妙なちょっかいを出す気も失せるくらい情熱的に、全身全霊で私を口説き落としてください」

「……ドン引きさせるほど全身全霊で」

「百戦錬磨の色男なら簡単でしょう? きっと聞いた人が参考にしようとしますね。どんな言葉を使って落としてくれるのか楽しみです」


どんどんハードルを上げられて、顔色をなくす色男の宰相。さっきまでの愛の告白は無効で、不十分らしい。

ロアの瞳は徹頭徹尾冷えきったままで、薄く笑っているのが怖かった。


「そんな公開羞恥プレイをしても私を落とせるとは限りませんし、駄目なようならその場できっちりきっぱり振りますが」

「………ひでぇ。どっちに転んでも公開処刑でダメージを負うのはクリスだけかよ」


ジェナスが思わず本音をポツリと漏らす。気が遠くなるクリスにロアは淡如たんじょなまま告げた。


「先程、衆人環視の前であれだけ恥ずかしい振る舞いを二人でしておいて、今さら公開処刑もナニもありますか。せいぜい私を協力者に引き込めるように頑張って、誰もが惚れ惚れするような状況でくさくて恥ずかしい愛の言葉を用意してください。それともこのままの状態で今から中庭にでも行きますか?」


過去の自分の振る舞いを思い出したのか、或いは公開羞恥プレイを想像したのか、クリスが現状に我に返り、負けたようにその場に両手両膝をついた。

ロアは最後まで凍りついた表情で、そんな宰相を見下ろした。


「照れるくらいなら始めからしなければいいのに。宰相が駄目なら、騎士団長が代わりにやっても噂は消えるけど?」


ロアが顔面蒼白なカインを横目で見ると、無理だと及び腰で頭を横に振っていた。


「意気地無しが。それなら私に喧嘩を売ってくるな」


ロアが低く忌々しげに呟いた。ロアに負けて、落ち込む二人。ジェナスが二人を同情して見ていたが、ルースは面白くなさそうに僅かに眉間に皺を寄せていた。


「もう用がないならこれで失礼します。二人は溜まりに溜まった仕事をさっさと片付けるように。もし期日に遅れたら『わざと魔法師長の取り合いを演じて二人は付き合っていることを誤魔化し、宰相の執務室に戻るなり二人が早々に魔法師長を部屋から追い出して二人きりになった』とでも噂を流します」


それは止めてと、白い顔で二人がふるふると横に首を振った。ロアはどこ吹く風で二人の様子を無視して、ルースに目を向けた。


「陛下、口さがない者が囀ずって暫く五月蝿いかと思いますが、お気になさらず。それでは、失礼します」


ロアは堂々と退室していった。

ルースは項垂れて自信を喪失する幼馴染み二人を、空色の目を曇らせて悲しげに一瞥し、ジェナスに視線を向けた。王の隠密は静かに首肯した。


「野営特訓、ご苦労様。今日は無理せず休めよ」


それだけ言い残すと、ルースも宰相の執務室を後にした。幼馴染み二人が顔をあげるが、既に王の姿はそこにない。


「なぁクリス、カイン。お前らはどうしたいんだ? ルースの力になりたいのか、それとも邪魔したいのか?」

「それは勿論、力になる為に」


答えるクリスに、ジェナスが真面目に問いかけた。


「━━本当に? それなら何故あいつにあんな辛そうな顔をさせて、重荷を負わせたままで長いこと待たせてるんだ? ……お前らも野営特訓で大変だったろうけど、ルースもロアも大変だったんだぞ。一部のバカ貴族たちが三国の動きが慎重になったからと、魔法師長もいるから大丈夫だと強気になって、他国の令嬢をルースの婚約者候補として試しに、この国に呼んで様子を見てはどうかとか言ってきた。何なら魔法師長にも他国から人質として婿を迎え入れてはどうかとかな。おまけに今さら改革の見直しや、研究費用に財をかけすぎだとか蒸し返して、再検討を要求してきた」

「何ですか、そのアホな発言は」

「どいつだ? ふざけたこと抜かしたバカは」


渋面になった二人に、ジェナスが頭が痛そうに頷いた。


「まぁそいつらはやっぱりというか、他国からの甘言に唆され、金とか欲しがっていた権力とかに目が眩んで、そう提案していたんだけどな。ただでさえ忙しいあの二人に余計な仕事増やしてくれた。でもあの二人も他の協力者も何事もなかったかのようにこなした。改革も順調に進めて先の日程を見通して組んでいる。……なぁ、本気で力になりたいのなら、しっかりルースを支えてやれよ。ロアはずっと側にはいられないんだぜ?」


戸惑う二人にジェナスは吐息した。


「お前らは簡単に結婚して側に置けばいいとか言ってるけどな、魔法師長としての立場を利用して平民のロアが王妃になったとしても、革命の皇女の魂が消えたらロアは魔法師長の実力はなくなるんだ。王妃に力がないのに、それを知らない民たちは何かあった時は任せればいいと当然思うし、力がないとバレたらあっさり王妃に相応しくないと掌を返すだろうな」

「賢者の弟子なら」とクリス。ジェナスが重々しく頷くが、「有用性はあるけど、それは誰もが納得する理由か?」と返す。それにカインが答えた。

「それでもあいつのした功績がある」

「あるけど、それを説明して納得するか? 仮に今、クーデリカやウィンを見せて期間限定で魔法師長してます、でも力が消えますって言ったら、全員利用するだけ利用してポイだろ。それでもクリスや大臣たちみたいに残しておきたいって意見も出てくるだろうが、圧倒的大多数を納得させる理由にはならねぇ。難しいんだよ。まさかあいつに愛人やれっては言わないだろ?」

「……」

「……どこかで養子にして」

「血筋がどうのって影でうるせぇだろ。他国にも示しがつかないとか言って側室どまりが関の山だ。結局は少しの瑕疵も王妃にあるのが気に入らねぇってなる。今でさえ窮屈で嫌そうなのに、あいつが耐えられるとは思えねぇ。どこかである日、プツンと切れて報復に走っても俺は驚かねぇな」

「「………」」


二人は沈黙を返した。確かにと、内心でジェナスの意見に納得してしまう。


「……それなら、公爵家で貰おうなんて思うなよ、クリス? お前、あいつを御せる自信あんの?」

「……」

「あいつがここに留まってんのは、クーデリカとの約束があるからだ。改革が終わったら約束も果たされたとして、二年たたずに城を去りそうだな。ついでに好き勝手やらないのは、陛下に忠誠を誓っているからだろ。その忠誠も期間限定だし」

「……よくわかってんな、ジェナス」

「さすが弟弟子、ということですか」

「違ぇ。あいつの護衛で四六時中いれば、嫌でもわかるようになる。て言うか、危機察知能力を磨かないと嫌でも実験台とか、犠牲になる……」

「「……ああ」」


クリスとカインは妙に納得してしまった。隠密としてはその能力が上がるのはいいことなのだろうが、その場が何とも言えない沈黙に包まれた。



***



ロアが魔法師長の執務室に戻ると、後ろ手で扉を閉めてほっと息を吐いた。気が抜けたからか変化の魔法が解けた。格好だけはローブを着込んだ魔法師長だが、黒髪黒目のいつもの平凡な自分の姿に戻る。

四、五歩、足を動かして、力が抜けたようにその場にしゃがみこむ。深く息を吐き出してうずくまった。

心を落ち着かせようとしていると、ノック音がした。ロアが答えられないでいる内に、扉を開けてルースが入室する。

扉を閉めて、空色の目が小さくしゃがみこむロアに向けられた。

ロアは少し顔をあげてルースを確認し、条件反射の如く立ち上がって背を伸ばす。その顔色は非常に珍しいことにほんのり赤く染まっていた。


「へ、陛下、いかがなさいましたか?」


ロアの目線がさまよい、ルースの表情はやや不機嫌になる。

暫し沈黙が落ち、ロアが根負けしたように赤いと自覚する顔を両手で挟み、隠すようにしゃがんだ。

ルースが面白くないというように吐息する。


「珍しく緊張して照れていたロアが気になって、追ってきた」


バレていたと、ロアの頬に赤みが増す。正面で腰を落として向き合うルースをチラリと見上げて、ロアは目線を床に落とした。


「………………クリスにドキドキしたか?」

「は?」


ロアが奇妙なものを見るように、ルースを少し見上げた。膝を払って立ち上がったルースは、頬を押さえるロアの両手を掴んで引っ張りあげる。勢いよく立ち上がる事になったロアがよろけ、それをルースが抱き止めた。見上げると、すぐ目の前に綺麗な王の顔。

空色の目には驚くロアが写り込んでいた。

驚き呆けたように見ていたが、我に返ったロアは慌てて離れようとした。それなのに、ルースの左手が腰に回っていて下がれない。それならと顔を逸らそうとしたが、もう片方の手をまだ赤みの残る頬に当てられ、精悍な顔に目を向けさせられた。


「こんな風にクリスに近づかれて意識した? だから照れてたのか?」

「はぁ? そんなわけないでしょ」


ロアはおぞましい事を聞いたように、顔を顰めた。そんな解釈は不本意と全面に押し出すと、ある程度予想していたルースがほっとしていた。


「それならどうして緊張して照れていたんだ?」

「それは……」


言い淀むロアをルースがじっと見つめてきて、言葉の続きを待つ。言いたくないと口を閉ざして意思表示したロアが、目線だけは合わせまいと逸らした。その状態で沈黙すること二十数秒。

沈黙に耐えきれず、先に降参したのはロアだった。


「……話すから、離して下さい」

「また照れてる。もしかして、この状況に照れていたとか?」


ロアが僅かに息を呑んで沈黙したのを、至近距離から様子を見ていたルースが気づかないわけがなかった。

図星かと窺うような空色の目に、じわじわと目元の赤みが増したロアは徐々に不貞腐れたような顔になっていく。その変化をルースが面白そうに見ていた。それに気づいたロアはバレたなら抵抗は無駄と、観念したように嘆息して、黒い目で睨みあげた。


「仕方ないでしょ、慣れてないんだから。かといってあそこで動揺したら絶対に、あの三人にからかわれて遊ばれるのは目に見えてる。それなのに、どうして気づくかなぁ」


バレた羞恥に頬を染めた顔で不機嫌に責めると、それを見たルースが笑った。結局、ばか正直に話してくれた。

ムッとしたロアが離れようとしたので「ごめん、悪かった」と、あやすように背中を撫でて抱き締めた。

それでも気分を害したロアの様子に変わりないが、理由を知られた恥ずかしさが混ざっているので全然怖くなかった。

むしろ年相応の反応が可愛らしい。


普段の落ち着きぶりや、魔法師長としての有能さからつい忘れられがちだが、ロアも年頃の女性なのだ。師匠のアルスマで美形に耐性はあっても、異性と親密に付き合うといった経験はないのだろう。

アルスマは師匠という印象が強く、年も一回り離れているので異性としてあまり意識してないようだった。ロアの中で恋愛の対象でなかったこともあり、手を握られようが側にいようが、反応は淡々としていた。


(ということは、クリスやカインは年が近いのもあるけど、そういう対象だった……?)


ふいに気づいて笑いを止めたルースが、大人しく腕の中に閉じ込められているロアに視線を向けた。そんな複雑な心境に気づくことなく、ロアは頬を染めたままで、ルースに気づかれた事を悔がっていた。


「何ですか? 悪かったですね、慣れてなくて。本当なら殴ってさっさと離れたかったんですけど、あの体勢と状況で殴れるのは腹部とか胴体で、殴って前屈みになった拍子にうっかり口に当たるのも嫌だったんで我慢してたんですよ。あの至近距離じゃ魔法使うのも危険かなと耐えて……本当に忌々しい…!」

「え、ああ、うん」


勢いに押されて、ルースはポンポンと背中を叩いて宥める。


「解放してほしいのに、その素振りを見せるのは逆効果。あの状況で自然と離れさせるには、追い詰められた感じの宰相に我に返って貰うのが一番だからと冷静に徹していましたが、いつあの均衡が崩れたらと冷や汗をかいて緊張して、自分の置かれた状況も何でこうなったと冷静に考えると恥ずかしさで悶絶しそうなのを堪えて、あの場面に至った宰相を張り倒したいのを我慢してたんです!!」

「そうか、うん、お疲れ。頑張ったな」


淡々と捲し立てられて、落ち着けと頭を撫でると、ロアは未だに機嫌は直らないものの黙った。「この恨み後で絶対晴らしてやる」と呟いたのが怖かったので、さすがに二人に同情したルースが「お手柔らかにな」と吐息した。


ロアの言葉から察するに、どうやら端から見たあの状況の自分を想像して、恥ずかしくて照れていたらしい。他に、もしかしたら面と向かって言われたクリスの求婚の言葉に、少しはときめいていた可能性もある。が、ルースはそれはないか、と即座に自分で否定した。

あの時、二人の間にあったのはお互いへの苛立ちだ。クリスは城下まで噂が広がっていると知り、八つ当たりのように求婚。ロアもロアで二人の行動と自分を巻き込んだ事に怒っていた。

それでふと思い出す。

苛立ちもあったのだろうが、ルースの心も察して代わりに怒ってくれたことを。


「代わりに怒ってくれてありがとうな」


頭を撫でると、ロアが目線を上げた。バッチリ目が合う。

ロアの言った通り、改まって今の顔が近い状況を鑑みると照れて、ルースはちょっと困った。ロアも取り澄ましているが、頬が紅潮している。


「いえ、私だって腹が立っていましたから。それに譲歩したのに結局その通りにはなりませんでしたし。人前で散々見せつけるように取り合いの演技しておいて今更、このヘタレ、と呆れましたけど」

「相変わらず容赦ないな。でも言われてみれば……確か、頭と右頬にキスされたんだったか?」

「いい迷惑でした。あの時は、前後で二人に挟まれて逃げ場がなくて困っている内にやられたので…。抱きつかれてのコンボに驚いている内に、宰相の執務室に連行されて、この変態たちをどうやってドン底に突き落としてやろうかと思わず考えました」


ロアが憤懣やる方なしといった様子で苦い顔になる。ルースは丁度、自分が手を当てて固定していたロアの頬を掌と親指の腹で少し強めにこすった。


「ああ、それもあってあの状況で思い出して余計に照れていたのか。それなら、馴れれば次からは固まることもないか?」

「え?」


顔を上げたロアの頬に、ルースが口づけた。柔らかくふれあう感触。ロアが目を丸くしてぽかんと口を開けていたが、構わずに頭の頂きにも口づけた。


「なっ、何するんですか!?」


思いっきり動揺したロアが、真っ赤になってルースから離れようと躍起になる。ルースは機嫌よく笑った。最近は遠慮しなくなったと、我ながら思う。その変化にロアも気づいている。


「そうだな、遠慮するのは止めようかと思ったんだ。どうせなら情に訴えて縛り付けた方が、離れられなくなるだろうし。随分と懐いてくれたと思うんだ」

「………仰っている意味がよくわかりません」

「気づいているけど、そういうことにしとくんだな。わかった。別にそれは構わない。ただ、覚悟しておいてくれれば今はそれでいいんだ。時間はまだあるからな」

「…………ではその空いている時間に、お見合いを詰め込むよう大臣たちや宰相に伝えておきます」

「ははっ。当日、俺に逃げられないように、上手く話を進められるといいな」


楽しそうな鬼ごっこと隠れんぼになりそうだと軽やかに笑うルースを、ロアが呆れ困ったように見上げて嘆息した。


「他人事のように言わないでください、陛下。あなたは確かに上手く誘導したと相手に錯覚させて、宰相と騎士団長にお見合いを押し付けて逃げ出しそうですけど、そうは問屋が卸しませんからね」

「お前になら大人しく捕まるぞ、ロア?」

「意味がわかりません。そんな事を仰るなんてきっと疲れているのですね。執務も程々にしてお休みになられてはいかがです?」


淡々といつも通りのロア。だが、ルースには照れているのがわかった。

あまりしつこくするのも駄目なのだが、ルースは未だに逃げずに大人しく捕まっているロアに満足した。

今はまだこの城にとどまってくれるのだろう。その事に深く感謝する。


「ロアも休めよ。くれぐれも無理はするな。それと思い詰めないように。ロアは自由で、縛っている枷はないから。好きにしていいからな」


頭を撫でて、離れた。腕の中にいた彼女を解放する。

留まってくれたら嬉しいが、それはロアの意思であってほしい。側にいてほしいとは思っても、無理強いをする気はなかった。


「とりあえず、クリスやカイン程、嫌われてないようでよかった。お前も何とも無さそうだし。邪魔したな」


ルースが部屋を去り、残されたロアは赤面する顔を両手で覆った。大きく息を吐き出して、頭を切り替えようと努力するが、どうにもそわそわざわざわ落ち着かない。


「とりあえず、腹が立ったからあの二人の噂をもっと酷くして、忙しくさせ……」


ルースの「程々にな」という困った顔が思い浮かぶ。ロアは眉間に皺を寄せて小さく呻き、吐息した。仕方ないので今回はあまり苛めないようにしようと、放っておくことにした。

早くあの二人がルースの負担を減らしてくれるようになるといい。ロアはいつまでも、この城に居られるわけではないから。

それでも、ルースたちが本気になってロアをここに留めようとしたら、ギリギリ逃げられるかどうかといった難しいところ。最も簡単に捕まえられる方法は、ルースがロアに命令する事だ。忠誠を誓っているロアは、彼の命令に従わざるを得ない。


側に、と望みながらそれは決して口にしない。それどころか、逃げられる、自由だと解放してくれていた。

優しすぎると思う。だから、主が心配になる。

居心地がよくて、離れがたく思ってしまうほどに。

あの二人よりも厄介なのは彼だなと苦笑して、ロアは書類が山となる執務机の席について、今日の仕事を終わらせるべく書類に手を伸ばした。




お疲れ様でした。

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