31, 2 - ⑤
来週は多忙につき、お休みします。m(__)m
2万字越えました…。(^^;
今回が1番長いです。時間がある時に、もしくは小分けにしてお読みください。
2回に分けようかとも思ったのですが、ここまでで1話と決めていたのでこのまま投稿します。
来週休みの分とでも思って、寛大な心で読み流して下さい。
ロアが会場に戻ると、少しだけ会場の人数が減っている気がしたが、まだまだ宴の熱気は冷めていなかった。
ただ、異様な緊張感が会場を支配しており、ロアは首を傾げつつ、ルースの傍らに立った。
「陛下、ただいま戻りました。お気遣い感謝いたします」
「少しは良くなったな。それなら、予定通りに締め括りを頼む」
「畏まりました」
ロアはすっと後方に下がり、クリスとカインの間におさまった。風で防音の結界を張り、正面の会場を向いたままロアが話しかける。
「ようやく戻ったんですね。二人で同時に陛下のお側を離れるとか何を考えておいでですか? 勿論、長く情報収集していた分の成果はあったのですよね?」
「……申し訳ございません。浅はかな真似を致しました」
「悪かった。陛下の護衛をしてくれて助かった」
「謝罪よりも仕事で返してください。サヘル王に言われました。宰相たちは陛下と不仲なのかと。本当にジェナス並みにはげろと思いました」
「おい! なんだよその俺の扱いは!」
青ざめる二人に喚くジェナス。ロアは気にせず冷たい声音で淡々と返した。
「ジェナスうるさい。護衛、ご苦労様。この二人より今はあなたの方がまだマシだと認識しているところだよ」
「いや、それ誉めてないよな」
「今までで一番いい評価だよ」
「なんか俺、虚しくなってきた!」
ジェナスが笑顔で落ち込んでいるのを無視して、ロアはクリスとカインを冷ややかに一瞥した。
「そんなことより、お二人とも後でじっくり話を聞きますからね。場合によってはエリーとティーナおば様込みでじっくり再教育ですから」
「「えっ!?」」
「表情が崩れてます。やるならしっかり笑顔を保って演技してください。それと魔法師長の権限で弛んだお二人には、野営も兼ねた特訓に一週間参加して貰います」
二人が青ざめ、ジェナスが「本気だったのかよ…」と恐ろしいものを見る目でロアを一瞥した。
ルースが口を開く。
「サヘル王とはどうだった?」
「まぁそれなりに。こちらも強く脅しておきました。考えておくそうですが、今回の視察で気になった商品は改めて取引したいそうなので、書面にまとめるそうです」
「そうか。二人きりで何もされなかったか?」
澄んだ空色の目と目が合い、ロアはふっと笑った。ソファーに押し倒された事を話す気はなかった。かといって嘘を話すこともない。
「わたくしが相手ですよ? 求婚されたので、サヘル王の女性関係を暴いたら可愛くないと言われましたね。ついでに陛下にサヘル国の姫をどうかと言われたので、多少問題あっても王妃教育はこちらでしますのでくれるなら貰いますと返したら、取り下げられました。サヘル王は姫が大切みたいです。わたくしの事を恐ろしい魔法師長がいるから、今後はよく考えると仰っていました」
「わかった。色々突っ込みたいけど、それは後にする」
ルースがため息混じりに告げた。
ロアが隣に並び立つ面々に目を向けると、クリスが顔面を引き吊らせ、カインが頭を痛そうに押さえていた。ジェナスに至っては悟りでも開いたように、達観した表情で魂をどこかに飛ばしていた。
これはこれで通常運転だとロアは気にせず会場を見て、僅かに瞠目した。それと同時に納得する。戻ってきてから感じていた変な空気はこれが原因かと。
ダンスフロアでは氷の皇帝と呼ばれるイオニス帝国皇帝が、会場の視線をさらい、巧みな躍りを披露していた。
白銀の髪にアイスブルーの鋭い双眸。雪のように白い肌。涼しげな超然とした佇まい。さながら氷雪の精のようだ。
三十歳手前だが、氷のような硬質な美貌は健在で、相変わらず独身を貫いているらしい。
約五年前に帝位につき、それからはファウス国への対応が攻めの姿勢から少しちょっかいをかけては様子見に変わった。
先帝の時代は、攻めて攻めてガンガン攻めまくれ! というような風潮だったから、助かったと言えばそうだが。
「あの方も結婚どころか側室も子供もいませんね」
クリスの言葉に、ロアはふと思い出す。二人に釘を刺しておかなければいけないことがあった。
「そういえば宰相、魔法騎士団長。お二人はわたくしの名前を出して縁談を断られているそうで、わたくしに皺寄せと厄介事が舞い込んできているのですが、どう責任とってくれるんですか。大勢の前で派手に愛の言葉でも聞かせてくれるんですか? それともバッサリ振られたいですか。もううんざりしてるんですけど。色ボケ貴族には、あなたを巡っての殿下と側近方の四角関係ですかなんて言われて気持ち悪かったです。この精神的苦痛と令嬢たちの嫌がらせとわたくしの時間を無駄に使わせた事に対する謝罪として何をしてくれますか?」
うふふと口許に手を当てて、上品に微笑むロア。対する二人はどんどん顔色を失っていく。ジェナスがごくりと生唾をのんで、恐る恐る好奇心をのぞかせながら、問うた。
「ちなみにロア、そのバカと令嬢たちには…」
「しっかりきっちりお返ししましたが何か?」
「ですよねー」
ジェナスが乾いた笑みを浮かべた。ロアはいい笑顔を向けると、クリスとカインが怯えた。寒気を感じたようで、クリスはぶるりと体を震わせ、カインは腕を擦っていた。
「わたくしとしては、お二人がとっとと結婚するか婚約者でも作ればいいのにと思っていますが。そしてこれ以上迷惑かけられたくないので、少しだけそのお手伝いをして差し上げましょう」
「あまり聞きたくないのですが、どのように手伝いを?」
憂い顔も色気ダダ漏れで悩ましげなクリスに問われて、ロアはふふっと軽やかに笑うと、爆弾を投下した。
「あなた方がお互いを思い合っている事にしようかと。これなら誰にも迷惑をかけませんし、縁談も断りやすいでしょう。それらしく話を広めてあげます」
「嫌ですよ!?」
「断る!!」
「うるさい。ほざくな。散々迷惑かけといて、他人に尻拭いさせて、自分で解決できない腑抜け野郎共が」
淡々と話す声と口調は同じだが、今までの二人に対する言葉遣いとは明らかに異なっていた。強気に断った二人も、即座に口を噤んだ。驚いて言葉が出なかっただけでもあるが。
ジェナスもびっくりしていたが、すぐに困惑に変わった。
「ロ、ロアさん? 何でいきなりキャラ変えたのお前。その言葉遣いは俺への態度とほぼ同じだぞ? 一応、地位ある貴族のこいつらにはそれなりに相手してたはずだろ」
「まぁね。でも敬うに値しないし、今の私の方が地位は上だし、丁寧にするのもバカらしいからやめた。それなりに力を示したら、無視するのやめて丁寧に相手するよ。だって今の二人はジェナス以下だし」
はっきり告げられた二人は、目に見えて落ち込んだ。ジェナスはなんとも言えない微妙な表情になり、主人であるルースを見た。泰然と玉座に座る姿は、我関せずを決め込んでいるようだ。
「もしかしてロアが襲われかけたのも、クリスとカインのせいでもあるのか? 陛下の近くにいて、この二人も側にいるから」
「たぶんそれもある」
「何ですか、その話は!? 聞いてませんよ?」
「襲われたってこの城でか!?」
「うるさい。知らないのは二人が陛下のお側を離れていたからで自業自得でしょ」
痛いところを容赦なく抉られた二人は、撃沈した。憐れになったジェナスが簡潔に出来事を話すと、自分たちに原因の一端があると知った二人が自己嫌悪で落ち込む。
「ホモの噂が嫌だったら、さっさと婚約でも結婚でもするように。もしくは、ガンガン女性たちとの浮き名を流せば、やっぱり誰かが僻んで流したただの噂、で済んで誰も本気で取り合わないでしょ。全く、陛下は国の都合のせいだからともかく、何で二人まで婚約者の一人や二人もいないんだか」
「二人いるのはおかしいですよ」
「浮き名を流せって無理だろ」
クリスとカインの抗議をロアは、鼻であしらった。
「散々あれだけの女性たちを侍らせ、相手にしておいて何を今さら。些細な問題でしょ。情報収集とはいえ、演技出来たんだから後は適当に落とせばいいだけ。複数の相手が嫌なら、茶番に付き合ってくれる女優を探すか、隣に立つ一人を見つけなさい」
「……豪快に話をまとめたな」
ジェナスが呆気にとられた。二人からはどんよりとした空気が漂い、面倒、疲れるといった表情が雄弁に内心を現していた。
ルースはやり込められている幼馴染みが珍しいのか、楽しげに笑っている。
「それが嫌なら、噂通りにでも振る舞えば、あーらフシギ、ホモでもいい女性と部下の男たちがそっと寄ってくるだけで、後は距離をとられて静かに過ごせる。縁談も激減、周りは快適に過ごせて仕事も捗る」
「周りが快適に過ごせるがお前の本音だろ」
「当然でしょ、ジェナス。毎回嫌がらせや面会で相手にする時間の無駄をどうしてくれるの。それで仕事が押して私の貴重な睡眠時間が減っていくんだよ。そもそも二人の縁談避けを引き受けてないし、仕事の範囲外」
「……もしかしなくても、お前ってこの二人嫌い?」
「え、むしろどこを好意的に解釈すればいいの? 変態ストーカーの監視つけられて、強引に城に連行されて、仕事では迷惑しかかけられてないのに。一応、貴族だし対応は他人行儀に敬語だけど」
何を今さらと素で目を丸くして驚くロアに、予想はしていたが改めてはっきり言われた二人が少しだけ衝撃を受けていた。
「…とりあえずそれは置いとくとして、すぐに都合のいい女性を見つけるのは難しいでしょう」
「それならホモ疑惑を受け入れるか、ハーレムでも作って侍らせたら?」
「……前者は嫌です」
「自分も断固拒否する」
「なら頑張ってプレイボーイを演じる。ただし程々に。爛れた側近として陛下の評判を落としたら、私が粛清するので」
「自分で提案して追い詰めといて、この身勝手さ。お前って鬼畜だな」
「失礼な。これまで我慢してきたのに、それでも自分たちでどうにか出来なかったのが悪い」
「………本当にルースと俺たちの扱いに差がありすぎじゃねぇ」
ジェナスが呆れるが、ロアは動揺もせず、気にもとめていなかった。
「その立場に見合った責務を果たすなら、それ相応に扱うよ。実際にセオおじさまや大臣たちにはそうでしょ。たとえ城に残って自分の側近になれとか煩くても、縁談持ってきて鬱陶しくても邪険にはしてない。国を思って優秀に仕事をこなして、領地経営もしっかりしていて民の人望もあるから」
「えっ!? 側近!? それにあなたに縁談を!?」
寝耳に水のクリスが瞠目した。黙りこみ、何やら脳をフル稼働させている。
「宰相の差し金じゃなかったんだ。ご自分の息子とか、親族とか手当たり次第に薦められたけど断ったよ。最近ではご子息たちを側近として近くに配置して無理くり私と会わせようと画策しているようだけど」
「そんなことまで…あの狸共。そうして内務に、優秀とはいえ大臣の駒が増えるのはあまり好ましくありませんね」
「どれ程、甘く見られてあしらわれているかわかった?」
「ええ、とてもよく」
「ちなみに令嬢を通して軍関係の上層部に接触して、魔法師長にも自分を売り込んで魔法騎士団長を追い落とそうとしている部下の存在……その様子だと知らなかったか。安心して胡座をかいていると引きずり下ろされるよ」
「何でそんなことを」
「少しはまともに書類仕事もするようになったとはいえ、今の地位にある実力を示してないからじゃない。親の威光と陛下の幼馴染みでいる立場だと思ってる騎士は十数人はいるね。ていうか自分の騎士団の把握もできてないの?」
「ぐぅっ!」
「言っておくけど、これ以上無能を晒すようなら向上心があって、苦手な魔法も努力して人望もある彼に代えても私は問題ないと思っているから。軍に関する事は陛下にも一任して貰っているし」
「……わかってる。まとめあげる」
「………何だかんだ言いつつ、結局は助言してるよな。俺にはないのに」
ジェナスが少しだけ不満そうに言うと、ロアが目を瞬かせて呆れた。
「拗ねない。言わなくてもあなたは、周りが見えてるから大丈夫。バカやったら容赦なく扱き下ろすけど。助言も活かせないようならいよいよ終わりだと思うし、陛下がこの二人を側にと望む限りは、仕方ないでしょ」
「ふ~ん。陛下が、ねぇ」
「当然ですわ。わたくしは我が君に忠誠を誓っておりますもの。我が君が望むことで無いほうがいいもの以外は、その通りにします。不必要なものと判断したなら、嫌われようが処分させていただきますけれど」
「わかってる。その辺は魔法師長を信頼してる」
「勿体ないお言葉ですわ」
ロアがルースの視線に促され、正面を見て何かに気づいたように、表情を引き締めた。
「今回の式典が終わり次第、早速あの噂を流しますからそのつもりで。対策でも立てておけば被害は最小で済むでしょう。事前に教えて差し上げたのですから、きちんとしてくださいね」
副音声でしっかりやれよと聞こえたのは空耳じゃないと、ジェナスは思った。
「ちなみに複数の女性とうまく付き合う方法でしたらジェナスに習うのが適任でしょう」
「「「はっ?」」」
予想外の言葉に三人がポカンと口を開けた。
「ジェナスみたいに相手にする女性、全員を満足させて円満にいさかいがないようにして、ハーレムでも築けばよろしいのではという提案です。ジェナスは師匠の教えか、その辺のさじ加減が上手ですので見習うといいですよ。━━個人的にはそんなふざけた男くたばればいいと思っていますが」
「さっきからお前の俺への扱いが酷すぎる! 一体何だと思ってるんだよ!」
「都合のいい駒……下僕? 姉弟子の扱いとしては普通でしょ」
「だいぶ違う!」
ジェナスが喚くが、ロアはどこ吹く風だ。そこにルースから声がかかる。
「楽しい会話はそろそろ終わりにして、気を引き締めろ。クーデリカ、お前なら会場に足を踏み入れた時から気づいていただろう?」
「勿論ですわ。氷とは名ばかりで、焼け焦げそうな程に強い熱烈な視線をいただいておりましたもの。ダンスの時も陛下のお側にいる時も」
ロアが風魔法の結界を解いて微笑んで返すと、ジェナスたちも正面の会場を見て、僅かに息を呑んだ。
氷の皇帝ことイオニス帝国皇帝が、真っ直ぐにこちらに向かって来ていた。氷の鋭い双眸は、玉座を見ているようでしっかりその後ろのロアを捉えている。
会場からも興味津々と、視線が突き刺さる。
濃紺の詰め襟軍服に金糸と肩飾りをあしらった華やかな衣装がよく似合っている。男は堂々とルースの前に立った。
空色と氷の色、よく似た色合いなのに全然違う瞳の視線がぶつかった。
「ご即位、心よりお慶び申し上げます。先代もご壮健そうで何よりですね。また遅ればせながら、魔法師長の就任もお祝い申し上げます」
「ご丁寧に痛み入ります。この度は足を運んでいただき感謝申し上げます。イオニス帝も楽しめているとよろしいのですが」
「十分、楽しませていただきました」
「それならよかった。ダンスも花を添えていただいたようで素晴らしかったです」
笑顔で交わされる王同士の会話。それを後ろで控えながら、四人は微笑みを浮かべていた。
イオニス皇帝リュシエントの視線が、魔法師長に向けられる。
「ルース王、よろしければ今宵の目出度い席に魔法師長と踊り、花を添えたく思うのですが、許可をいただけますか?」
「勿論、構いません。クーデリカもいいだろう?」
「我が君の願いとあれば異論はございませんわ」
ロアがにっこりと微笑む。差し出されたイオニス皇帝リュシエントの手を取って、フロアへと下りた。手を取られながら、ロアは懐かしい感覚を味わっていた。
ダンスフロアを歩いていると、穴が全身に空きそうなほど、視線が突き刺さる。注目が痛かったが、ロアはこれが最終ラウンド! と、気合いを入れた。
向かい合い、お互いに挨拶をして手を取り合う。
曲に合わせて、動き出した。
(きっと視線での攻撃魔法とかあったら、私は欠片も残らないほどに焼き尽くされてそう)
巧みなリードに合わせながら、ロアは上の空でそんな事を考えていた。ここまでで既に疲労困憊だった。
それなのにこの至近距離で、灼熱の眼差しでロアをじっくり飽きることなく見るのはやめてほしかった。
視線に力があったら、確実に死ねるなと物騒な事を思う。何より気まずくて居たたまれない。
盛大にため息を心の中で吐いて、ロアはこのままでは埒が明かないと決心する。こちらが気にして避けるのはバカらしい。鍛えられた鉄壁の淑女の微笑みでガードすべく、ロアは正面からリュシエントと向き合った。
氷の視線と目が合う。食い入るほど熱心に見ていた目が不意に逸らされた。その意外な反応にロアは当惑した。思わずじっくり観察すると、雪のように白い肌の目元が照れたように色づいていた。その内、頬もほんのりと淡く染まる。
同時にロアの頬も引き吊り始めた。
(え、これってもしかしなくても、恋に恥じらう乙女みたいなこの反応は……好意を持たれている?)
瞬間に思ったのは、面倒臭いの一言だった。頭も心も表情も冷めて、早くダンスを終わらせたくなった。
チラチラとロアの様子を窺って、頬を染めてそわそわされるのも気持ち悪い。美形だからまだ耐えられるが、三十近い大の男がやっても可愛くない。係りたくないの一言に尽きる。
それでも、ロアは鉄壁の笑顔で耐えた。
(ナニ考えてるんだろう。怖すぎる……)
会話もなくこのまま終わってもいいやと、ロアは本気で思っていたが、そうはならなかった。視線の熱が更に上がった気がして、ロアはげんなりした。
「その髪に目の色と容姿、お前は本当にクーデリカ・オルシュタイン・ノーザルスか? この時代に新しく生まれ変わったのか?」
切実さを滲ませて発せられた問い掛け。
引っ掛かりを覚えつつも、ロアは微笑んで曖昧にはぐらかす。
「確かにわたくしは、クーデリカ・オルシュタインですわ」
「本当にクーデリカなのか? それなら何故、またこんな役割をしている? ……無理矢理やらされているのか? 辛いと師のカルマンに泣きつき、もう死にたいと絶望していたのに」
「━━っ?」
ロアは驚いて息を呑んだ。それも一瞬ですぐに取り繕ったが、リュシエント帝は見逃さなかった。それほど具に、まるで面影をなぞるようにじっくりと、見つめられていた。
きっと周りも異様な程の熱視線に気づいているだろう。
最初は攻略難関な魔法師長を相手にしているだけと思うだろうが、慈しむような眼差しに訝る者も出てくるはずだ。
「わたくしは望んで忠誠を誓い、我が君にお仕えしているのです。嫌ならばとうにこの城から去っていますわ」
「……そうか。お前がボロボロと泣いて辛くないのならいい」
ロアはまじまじと皇帝の顔を見つめた。ちらりと見かけた時から既視感を感じていた。熱視線を認識した時から、誰かに似ているような気がしていたが、思い出せない。もしどこかで会っていれば、自分と一緒に見て記憶を共有しているはずの親友なら知っているはずと、眠らせた内にいるクーデリカを今度は起こした。
『ん~、よく寝たわ。でもまだ一時間にも満たないのねって━━ハァア!? サヘル王と二人きりで押し倒されたってナニよ!! あ、でも何もなかったのね。良かった~って、怯えてるんじゃないの……。待っていてロア、ちょっとあの色ボケ男に制裁を与えてくるから』
ロアが特に記憶にブロックをかけなかったため、彼女が眠っていた間に体験したロアの記憶を把握したクーデリカは、目覚めたばかりなのに、慌てたり憤慨したり、青ざめたりと忙しい。
(クー、落ち着いてサヘル王とは終わって今は目の前のこの人!)
『えーと、イオニス皇帝……って、争いの元凶じゃないの!? 何でそんな奴とダンスをって、わかったわ。』
またもやロアと記憶を共有して理解したクーデリカは、じっと間近の皇帝の美貌を見つめた。
(ねぇ、どうかな。どこかで見た事ある気がするんだけど、思い出せなくて。たぶんだけどね、クーの記憶で見かけたような…)
『わたくしも見た事がある気がするわ。誰に似ているのかしら…?』
(似ている…?)
『ええ、そうよ。こうしてわたくしと護衛のダーウィンは師匠のセイロン・カルマンのお陰で魂だけで留まって、分の悪い賭けだけれど器を見つけたら、その器を阻害する事なく入れるようになる魔法を使ったわ。セイロン以外にこの魔法を使える人物に心当たりはないもの。当代のカルマンであるアルスマも言っていたでしょう。これは一度きりの魔法だって。本来なら許されない禁忌に入る類いの魔法で、セイロンもそれを解っていたから後世には一切残っていないって』
確かに言っていた。だから期待してクーデリカが力を使い果たしてもまたどうにかできるとか勘違いしないようにと、釘を刺されたのだ。同じ事をしても今度は上手くいくとは限らず、魂が消滅するからと。まぁロアの為なら研究して、その魔法を作って完成させてロアにかけてあげてもいいけどと言われて、丁重にお断りしたが。
(もうどこにも残っていないから、作り上げるしかない……)
それではセイロンはどうやって作った?
ロアは自分の考えに没頭する。彼は他に比べれば優秀ではあったが、アルスマ程、魔法に長けてはいなかった。魔法の研究も確か弟と共同だったはずだ。
「クーデリカ、辛くなったらオレのところに来い。魔法師長としてじゃない、普通の子として好きに過ごさせるから。もう戦わなくていい、追い詰められなくていい、お前の力を利用する奴らからオレが守ってやれる。もう傷ついて泣く必要はないから」
ロアとクーデリカが同調したように息を呑んだ。思い出すのは遥か昔の、クーデリカの記憶。
『クーデリカ、この村に残れ。ここで普通にこれまで通り過ごせばいい。兄貴だってそう思ってる。ここにいればオレたち…オレが守ってやれる。辛いんだろう? もう傷ついて泣く必要はないから』
そう、旅立つクーデリカに言葉をくれたのは━━。
「リュシカ……」
無意識に唇が動いていた。氷の皇帝が目を見開いて、嬉しそうに雪が溶けたような暖かな笑みを浮かべた。その様子を見ていた周囲がざわつくが、ロアの耳には入らない。
氷の瞳には呆然としているクーデリカの顔が映っていた。
「やっぱり、クーなんだな。本当に兄貴の魔法が成功してこうして巡り会えるなんて運命みたいだ」
無邪気に少年ように笑う姿が、遠い過去の少年の姿と重なる。
クーデリカが激しく動揺していた。それがロアに強く伝わってくる。ロアもロアで頭の中がこんがらがりそうで、考えが上手くまとまらない。
『ロア、ごめんなさい。わたくしもう無理。限界だわ。ちょっと寝て、感情を落ち着けて整理したいから━━後を任せてもいいかしら。お願い、どんな結果になってもあなたの思うままにして構わないから』
動揺するクーデリカの妥協案を、ロアは承諾した。するとクーデリカはあっさりと自分の内に閉じ籠った。ロアとは意識が完全に乖離する。
本当なら、ロアも逃げられるのなら今すぐに逃げ出したかった。酷く混乱している。でも、魔法師長として逃げるわけにはいかない。彼が争いの原因であれば尚更、無関係ではいられない。
今のロアは、新ファウス国王ルース・パラキア・ファウス陛下に忠誠を誓った魔法師長のクーデリカ・オルシュタインなのだから。
ロアは深呼吸して惑乱する心と頭を落ち着かせ、慕う眼差しを向ける年上の皇帝を挑むように強く見据え、無理に表情筋を動かして微笑んだ。
***
間違いなく会場の視線を全てさらって釘付けにする一組のダンスを、ジェナスは少しハラハラしながら見守っていた。
あの強かな姉弟子なら大丈夫だとわかっているのに、不安が拭えない。それはあの皇帝を目にした時から、違和感としてジェナスの内に残っているものと似ていた。
ちらりとルースを見れば、王らしく余裕のある泰然とした様子でダンスフロアの光景を眺めている。とても内心の激情を押し隠して、演技しているとは誰も思うまい。
ジェナスも隣の二人も見事に騙されかけた。そして感心して頼もしく思うと同時に、少しだけ悲しくなった。
もうこの友人は、素直に感情を吐き出せなかった。それが出来ない立場であり、誰も代わりになれない背負った重い責任。それを本人が一番よく知っている。
だからロアは彼に寄り添う忠誠を捧げ、きちんと役割を果たそうとするルースに、心を砕くのかもしれない。
ジェナスは国で唯一つの至高の席に座る友人に掛ける言葉も、ましてや茶化してからかう言葉も持たなかった。
会場がざわつく。
それに意識を戻されて、ジェナスがフロアを見ると、氷の皇帝が熱い眼差しを魔法師長に向けて、甘く微笑んでいた。━━その眼差しをかつて見た事がある気がした。妙に落ち着かない気分になる。
「あの皇帝は何を考えてんだ」
ジェナスが風魔法で防音の結界を張る中で、カインの眉をひそめた呟きに、同意するようにクリスが首肯した。
「我が国を落とすのに厄介な魔法師長を口説き落とそうというのでしょうかね。口説いて帝国に嫁として連れ帰れば、あの国に敵うものはいなくなりますから。魔法師長はまだこの国の防衛の要ですし」
「だがロアはたぶん大丈夫だろう」
「そう、思いたいですが、何だか様子がおかしくありませんか?」
クリスの言葉にカインが会場の二人に目を向けた。ジェナスは警鐘が鳴った気がして、じっと皇帝リュシエントを見つめた。同時に内にいるダーウィンが、激しく内側の扉を叩いている気がした。
ジェナスは普段、記憶や見たものを共有させてはいるが、ダーウィンを内の頑丈な扉に鍵をかけて仕舞うようにして、表に出さないようにしている。長年の付き合いでそんな事はしないとわかってはいるが、知らない間に体を乗っ取られたらと不安が尽きないからだ。
時々は外に出させるが、それでももし自分が消えたらと考えてしまう。それを知っているからか、彼も何も言わずに大人しくしていた。その筈なのに、先程から騒がしい気がする。
「━━ジェナス、もしくはダーウィン。お前たちあの皇帝に見覚えはないか?」
静かだがよく聞こえた声に、ジェナスはルースに目を向ける。こんな時でも穏やかな笑みを保っていた。
「……わからない。知っている気がするけど、どこか違う気がして思い出せない」
「ダーウィンはどうだ?」
「……何でそんな事を聞くんだ?」
「ロアとクーデリカが動揺したからだ。だから、お前とダーウィンも知っている可能性を考えた」
「…………はっ? え、陛下、ロアとクーデリカの区別がつくのか?」
側近の微笑の仮面が剥がれて、間抜けな顔で間抜けな質問をした。ルースが何を今さらと言う顔で頷く。
「解りやすいだろう。どちらが表に出ているかなんて。言っておくが、お前だってそうだぞ」
「え?」
「お前かダーウィンか簡単にわかる。お前がダーウィンの振りをしても、逆にダーウィンがお前の振りをしたとしても、きっとわかるぞ」
当然の事のようにあまりにきっぱり断言されて、ジェナスは唖然とした。ついでに理解すると動揺して、赤くなりそうな目元を顔を俯ける事で隠した。
何だかダーウィンが表に出ている間に、自分が消えるんじゃないかと妄想じみた事を考えていた事が、急に吹っ切れて馬鹿馬鹿しくなる。
ジェナスは厳重に施錠した扉を消して、ダーウィンと久し振りに内側で相対した。
『ようやく、か。でも良かった。これで伝えられる』
「悪かった。それで聞きたいんだが」
『わかっている。あの皇帝だろう。お前も過去の記憶で見た事があるぞ。その時からだいぶ年を取って成長しているが、あれは間違いない。━━リュシカ・カルマン。姫様とオレの師匠であるセイロン・カルマンの弟だ』
「はぁっ!? え、何で……まさかあいつも俺たちと同じなのか…?」
『それは知らん。だが、あの姫様を慕い、見つめる顔と視線はあいつと同じだ。賢者の村に身を寄せていたが、外の世界が騒がしくなり、国の噂を聞いた姫様は真実を確かめに一度村を出た』
それはジェナスもダーウィンの記憶を夢で体験して知っていた。二人は旅に出て、そこで革命が起きている事、既にクーデリカの家族が処刑された事を知って、心ない言葉もかけられた。
『色々あって、落ち着いて考える為にも村に帰り、そこで悩んで考えて、ここまで酷く国と民を混乱に陥れたのは皇族の責任と、革命を決意をした。まだ自分の利益を追求して国を省みない重鎮たちは責任を皇族に押し付けて処刑した事で、のさばっていたからな』
「思い出した。それで村を出ていく時に引き止めたのが、リュシカか。村に居た時からクーデリカに好意を持っていたけど、クーデリカは……あ、いや、えと、何でもない」
ジェナスがしまったと口を閉ざすと、ダーウィンは苦笑した。
『気にするな。気づいていた。姫様が師匠のセイロンを本人が気づかずに思っていた事は。師は姫様の世界を広げて導いてくれた人だから、わかっていたんだ。……あいつが何かしようとするならオレが力を貸して止める。今は動揺した姫様は引っ込んでいて、ロア様に対応を任せているようだから大丈夫だとは思うが、陛下には伝えておけ』
「わかった。陛下に報告しておく」
ジェナスは会話を切り上げて、じりじりと玉座で動く事も叶わず、焦りも隠して王を務める友人に、知り得た情報を話した。
***
「クーデリカ。提案なんだが、オレの国に来ないか? もしオレの国に来るのなら、この国と恒久和平条約を結んでもいい」
ある程度会話を楽しみ、クーデリカだとは決定的に認めずにせっせと情報を集める為にロアは会話を誘導し、すっかり素直に色々話してくれたリュシエント皇帝。
その彼のいきなりの話に、ロアは驚きつつも笑顔で曖昧に困ったように笑った。魅力的な申し出だが、簡単には飛び付けない。
「素晴らしいお話をありがとうございます。我が君にもご相談してよく吟味してから、ご返答させていただきますわ」
「お前に決定権はないのか。元はお前の国だろう」
「誤解なさらないでくださいませ、リュシエント陛下。わたくしは一介の魔法師長でございます。すべては我が君の仰せのままに、お心のままに従う所存です」
ロアはにっこりと微笑んで、親しげな様子の皇帝を煙に巻く。どこか不満そうに眉をひそめているが、ロアは笑顔のまま。だが、はっきりと言っておかなければならない。
「それと陛下、わたくしはこの国の魔法師長です。あなたに親しげに名を呼ばれる理由に心当たりはございませんし、公共のマナーでは初対面の女性にそのような態度をとられるのは、陛下自身の品位を疑われますので、お止めになったほうがよろしいかと」
ロアの立ち位置はあくまでファウス国の魔法師長であり、ルース国王に忠誠を誓っているのだから。
「クーデリカ? 急にどうした?」
「リュシエント皇帝陛下、確かにわたくしはクーデリカ・オルシュタインですが、あなたのよく知るクーデリカではございません」
「え? だが、先程オレの名を呼んだじゃないか」
「聞き間違いでしょう。わたくしはクーデリカ・オルシュタイン・ノーザルスではございませんから」
リュシエント帝が訝るようにじっとロアを見つめた。それから暫く黙考して、何かに気づいたように口を開く。
「………そういえばクーデリカは何故すぐに姿を表さなかったんだ? 確か黒髪に黒目の若い女が、反乱組織の集会に参加して強い魔法を使っていたと報告で記憶しているが、それとは同一人物か?」
(報告、ねぇ。つまり、反乱組織を誘導していたゲルダからの情報の受け取り手だと認めるわけか。まぁまだ言い逃れができる範囲の言葉だけど)
そんな事を思いつつ、ロアは完璧な笑顔を返した。知りたい情報は貰い、ダンスの時間も後残り僅かだ。
「その噂ならばわたくしも聞き及んでおります。少しお待ちくださいね……ああ、いましたわ。あちらで料理の皿を下げている黒髪のメイド。彼女が件の勘違いされて反乱組織から狙われた憐れな娘です」
ロアの言葉にリュシエント帝はそちらに目を向けて、何やら納得したように頷いた。
「国境でもまだ小競り合いが続く中で、皇帝陛下からの和平の申し込みはとても嬉しく思います」
「忘れるなよ。お前がオレの側に来るのならだ」
「ふふ、熱烈なお言葉ですね。それであなたはわたくしを側においてどうされたいのでしょう? 普通に暮らす? ここでも支障はございませんし、こちらの国の方が親しみ深く暮らしやすいですわ。守ってくださる? 自分の身は自分で守れますので大丈夫です。勘違いしないで下さいませ。わたくしは、望んでここにいるのです」
やんわりとだが、はっきり告げられた拒絶に、リュシエント帝が動揺した。
「わたくしは今も昔も一人ではございませんし、寂しくもございません」
「クーデリカ」
「どちらのクーデリカをお呼びですか? 五百年前の革命の皇女でしょうか? それともこの国の魔法師長のわたくしですか?」
「………」
「過去と今は違いますよ、リュシエント陛下」
甘くだらけきった表情だったリュシエント帝が、ようやくイオニス帝国皇帝の顔になる。
「…お前は何者だ? クーデリカの容姿で、クーデリカを知るように話すお前は」
「その答えはご自分で出されるべきでしょう。ただこれだけははっきりと申し上げられます」
「…何だ?」
「あなたがこの国に害をなすのなら、わたくしの敵ですわ」
「━━っ?」
「あなたが和平を望んでくださるのなら、わたくしは敵でも味方でもなく、友好国の友人くらいにはなれるかもしれませんが」
ロアは言葉を切り、じっとリュシエントを見上げた。
「陛下、あなたは争い事が好きですか? わたくしは嫌いです。大嫌いです。あなたも嫌いだといいのですが……どうか、わたくしの大嫌いな争いを避けてくれる事を祈ってやみません」
「……」
イオニス皇帝は儚げな魔法師長の微笑を見つめていた。二人はその後は何も話さなかった。
もうすぐ、曲が終わる。
ロアが離れようとすると、皇帝はそのまま握っていた手を繋いだまま、跪いた。
突然の出来事に、会場が目を丸くしてざわめく。
「クーデリカ」
「ご丁寧に礼を尽くして下さり、ありがとうございます。陛下」
ロアはにっこり笑って皇帝の言葉を遮り、出鼻をくじいた。
「陛下のダンスもとても素晴らしかったですわ。とても有意義な一時が過ごせました。その上、条件次第では恒久和平条約を結んでくださるなんて、この目出度い席に相応しいこれ以上ない祝辞ですわね」
ロアの言葉が朗々と会場の隅々まで響き渡り、会場が一層騒がしくなった。
「我が君にもご相談して、ご返答いたしますのでお時間下さいませ」
「………やってくれたな」
微笑むロアに、リュシエントの笑顔が引き吊った。それがどこか興味深く楽しげなものに変わる。
「……ああ、改めて書面にて条件を記して、正式に申し込もう」
艶然と氷の微笑みを溶ろかして、ロアの手に手袋越しに口づけた。女性たちの悲喜こもごもの声があちこちで上がり、中には気絶する婦人もいた。
ロアはさっと己の手を引き抜くと、パンと両の掌を合わせた。
「だいぶ夜も更けて参りましたし、そろそろ宴も終わりに近づいて参りましたね。名残惜しいですがわたくしはこれにて退席させていただきますので、最後に、ここに居合わせた皆様に祝福を差し上げたいと思います」
この茶番を終わらせようと終いにかかる。玉座のルースを窺うと、微かに頷き返してくれた。
ロアは気を引き締めた。
「我が君の存在が、この国と他国との関係をあまねく照らす太陽のようになる事を願いまして、この夜に太陽を出現させましょう」
魔法師長がパンパンと手を叩くと会場の壁などの明かりはそのままに、会場の天井だけが消え去り、初冬の夜空が広がった。僅かに欠けた月と満天の星空がよく見える。
わっ、と会場が騒がしくなり、人々がざわめいた。
ロアは闇魔法で会場を半円形に覆うと、一瞬暗闇が空間を支配したが、次の瞬間には眩い光が空に浮かんでいた。
その強烈な光は昼間のように世界を照らし、夜会の会場に隣接している広い庭園の緑も、太陽の下で見ているかのような錯覚に陥るほどだった。正に昼夜が逆転していた。
世界や時間軸をひっくり返されたような感覚に、会場の人々はただただ唖然として、言葉がなかった。改めて目の当たりにした魔法師長の実力に感動、戦慄、畏敬と、様々な感情が人々の胸中に去来した。
当然、世界が変わったわけでも時間がおかしくなったわけでもない。天井に透過の魔法をかけ、この会場の建物だけを闇魔法で覆い、その中で太陽のような光を生み出したに過ぎなかった。
王都も範囲内に巻き込む事が可能だが、寝ている住民や城で働いている者たちを、天変地異と驚かすのは忍びないので、この会場のみにしていた。
大規模な闇魔法と光魔法だけでも相当な実力だが、これが幻覚魔法の類いでも、この大陸で、もしかしたら魔法が失われつつあるこの世界において、特異な事であるのは間違いなかった。━━魔法師長の異質さを見せつけるには十分過ぎる程に。
呆気に取られている観客を前に光は徐々に弱まり、再び月と満天の星空が見えると、会場から感嘆のため息がこぼれた。
満天の星空と月に虹がかかっている。
古来より幸運の象徴とされているものの、話には聞いていても見た事がない者が殆どだ。それを目にする事が出来た。話題としては上々で、忘れられない夜会になったのは間違いないだろう。
今後どのような素晴らしい夜会が開催されても、誰もがファウス新国王ルースの夜会を引き合いに出す。
「やってくれる」
いつの間にか傍らにいた皇帝が、笑って呟いた。
ロアは満足のいく出来映えに気分を良くしていて、会心の笑みを浮かべた。
「どうせなら楽しい事のために、盛大に魔法を使った方がよろしいでしょう?」
虚を衝かれた顔でリュシエントが氷の目を瞬かせ、この場の誰もに畏れを抱かせた魔法師長の子供のように得意げな様子に、堪えきれずに笑い出す。
明るい笑声が響くと、会場からも次々と拍手と歓声が上がった。
ロアは仕上げとばかりに、暖かなそよ風を会場全体に吹かせた。ダンスフロアに浮かんでいた色とりどりの光球と光の蝶と鳥が満天の星空に羽ばたき、月虹に光の架け橋を作った。
あまりに美しすぎる幻想的な光景に、会場中が夢見心地でうっとりと見惚れた。暫し静かにその光景を堪能していると、パンパンと、手を打ち鳴らす音がした。
ふっと、夢から覚めるように、目の前にあった光景が消えて、元の会場に戻った。会場の客人たちは、現実に舞い戻ったように目を擦り、会場をキョロキョロと見渡す。
そこに魔法師長の声が、柔らかくすっと会場に広がる。
「楽しんでいただけたでしょうか。今宵が皆様にとって素敵な夜となる事を願っています」
会場の視線が、まるで舞台挨拶のように優雅に淑女の礼をとった魔法師長に集まった。
(これでこの茶番もようやく終わる)
ロアは無事に見世物が終わったと、安堵した。くるりと会場から玉座のルースに向き直る。
「申し訳ございません、我が君。遅れて来たにも関わらず、退席するご無礼をお許しください。最後まで居たかったのですが、わたくしはこれにて失礼させていただきます」
「許す。忙しい中、よく来てくれた。今後もよろしく頼む」
「恐悦至極にございます。より一層、精進いたしますわ」
ロアは完璧な礼で、応えた。それから再び会場に向き直る。
「それでは皆様、今宵の盛大な宴を、夢のような一時をまだまだお楽しみくださいませ」
ロアは微笑んで一礼すると、パチンと指を鳴らした。
止まっていた音楽が旋律を奏でる。同時に光の音符が会場に広がり、人々が自分の側に飛んできた音符をまじまじと見ていると音符が弾け、光を降らせて消えた。その間に、ロアはそっと会場を後にした。
一先ずロアの出番は終わった。
茶番の舞台を降りたロアは、胸を撫で下ろした。後はないとは思うが賊の侵入や、何か問題が起きていないかの報告確認をして、これまで通り要人たちの警護と通常業務もこなせば、明日には全員がこの城から去っていくので、この多忙を極めた日々も終わる。後は事後処理と残務整理をこなすだけだ。
そしてここ数ヵ月の成果も出るだろう。やるだけの事はやった。この一冬で備えて、各方面の出方を待って対処を決める。
ロアは気を引き締め直した。
ルース主催の夜会で、このファウス国で、彼の不名誉となる事がないように最後まで気を抜かずに取り計らわなければ。
少しでも瑕疵があれば、ルースにケチをつける材料になり、彼の沽券に関わるのだから。
待機している魔法師と魔法騎士の部下たちの元へ歩き出そうとして、ロアは後ろから腕を掴まれた。振り返ると、白銀の髪に氷の目を持つ美貌の皇帝が、すっかり氷の溶けた笑みを向けてきた。
「少し話がしたい。付き合え、ファウス国の魔法師長」
「あら皇帝陛下、夜会はもうよろしいのですか?」
「ああ。わかっているだろう、オレの目的は元々お前だったと」
「まぁ。光栄ですわ。ですが、陛下は我が君を祝す為にご出席下さったのではございませんか?」
「祝辞は述べた。最低限の義務は果たし、退席の挨拶もしてきたから問題ない」
逃がさないというように、掴む手に力がこもった。ロアは顔には出さずに、面倒臭いのに捕まったなと胸の内でため息を吐いた。逃げても追いかけ回されそうだと腹を決める。
やんわりと腕を掴む手を離させた。
「ところで陛下、護衛や側近の方はどうなさいました? この城にいらっしゃられた時から思っておりましたが、他と比べて随分と少人数ですね。我が国としては助かりましたが、よろしいのですか?」
今もここにはロアとリュシエントしかいない。人払いしたのもあるのだろうが、それにしても少ない。
リュシエントが唇を歪め、自嘲するような表情を見せた。
「皇帝だが実権全てを握っているとは限らない。クーの親兄弟よりはかなりマシだけどな」
「…要人を一人で歩かせるわけには参りません。警備責任者として、お部屋までお送りいたします」
「ああ、それで構わない」
不本意ながら共に歩き出す。
きっと今頃、会場は皇帝が魔法師長を追いかけて行ったと騒がしいだろう。ルースも心配しているかもしれない。せめてもう少し時間を置いてから退席してほしかった。
だが成り行きとはいえ、こうなってしまったからには、がっつり何かしらの情報を貰わなければ。
何とかやる気を出そうと鼓舞した。
リュシエントが何やら考え込みながらも、早足のロアについて来ているので、そのまま距離を稼いだ。部屋の割り振りを思い出して十分以内には到着すると目算する。
ふと、視線を感じて斜め後方に目を向けると、じっと氷色の目が見つめていた。形のよい薄い唇が開かれる。
「お前はクーデリカを知っているが、クーデリカではないな。オレと同じ生まれ変わりか?」
「何を仰られているのかわたくしには解りかねます」
少し困った顔で微笑み返せば、氷の皇帝は鼻で嗤った。
「もう芝居は終わっただろう。その仮面も外せ。ただのお前で構わない。言葉遣いも好きにしろ」
「寛大なご配慮ありがとうございます。お言葉に甘えまして、このままのわたくしでお相手させていただきますわ」
にっこり笑えば、皇帝が面白くなさそうな顔になったが、ロアは気にしない。どんどん歩いて、部屋を目指す。客室まで残り半分の距離だ。
「クーデリカ。お前は今、幸せか?」
「ええ、勿論ですわ。陛下は違いますの?」
「……よくわからん。すべき最低限の義務は果たしているが、特に楽しい事も興味のある事も趣味も何もないな。魔法もあまり使えないから、以前ほど熱心に何かしようとも思わない。前は育った環境や兄貴の影響が大きかったからな」
「左様でございますか」
一応、神妙な表情で相槌を打てば、不意にリュシエントが思い出したように告げた。
「悪い、前言撤回だ。今は興味がある事も楽しい事もあった。お前だよ、魔法師長のクーデリカ。存在が面白いし、気になる。だから側においてみたくなった。もっと話したいし、お前が側にいるだけで日常が面白くなりそうだ」
「過分なお言葉ありがとうございます。身に余る光栄ですが、遠慮させていただきますわ」
普通の令嬢たちならあっさり陥落しそうな甘い微笑みを、ロアは鉄壁の笑顔でもって跳ね返した。
「本気だ。恒久和平の条件に加えようと決めているくらいに」
「陛下でも冗談を仰られるのですね」
回廊を左に曲がると、イオニス皇帝の部屋の扉が見えた。部屋の前には衛兵が佇立している。
あと二十メートル、とロアが内心で拳をぐっと掲げかけた時、またもや手を引かれて、曲がるのを阻止された。
***
衛兵の前に彼女が姿を現すのを止めて、リュシエントはまだこの時間を終わらせたくないと思った。まだ話したりない。聞きたい事があった。
「過去と今は違うとお前は言ったな。どういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ。陛下とお話しさせていただいて、今この時を生きているのに、陛下は過去の事ばかりを気にかけ、わたくしにお話なさいました。わたくしに過去を求められても困ってしまいます。わたくしは今ここに確かにいるのですから」
「………。リュシカではなく、リュシエントとして今と向き合い、もし和平条約を結んだら友人になれると言ったな」
「確約は出来かねますが」
「……。友人になって、オレが助けを求めたら、お前は力を貸してくれるのか?」
「時と場合によっては」
「本心を見せず、言質を取らせずにのらりくらりとかわす。クーには出来なかった事だ。やはりお前はクーデリカじゃないんだな。それなのに、決して嘘となる事は言わずに、曖昧に流す。その馬鹿正直な真っ直ぐさはそっくりなのに」
「申し訳ございません。仰っている意味がよくわかりませんわ」
にっこりと微笑む魔法師長。全てを覆い隠してしまう綺麗な笑顔。それが、リュシエントには面白くなかった。
この世界で、過去とクーデリカの事を考えて今まで過ごしてきたリュシエントに、今へと目を向けさせ興味を抱かせた存在。
気になっているのに、彼女は何も教えてくれない。探っても綺麗にかわされ、魔法師長のクーデリカの笑顔で上手に人目に触れないようにしてしまう。
何か本音を引き出して、芝居をしていない素の彼女を見てみたい。舞台から引っ張り出して、本当の彼女に触れて、知りたかった。だから、その演技を崩そうと思った。
「……過去に囚われていたオレが、クーの魂が目覚め出てくる条件を逆手にとって、四国のバランスを崩して、この国を危機に陥れていたと言ったら、どうす━━っ!?」
「━━陛下、冗談も程々になさいませ。あなたの口から出る言葉一つが、どれだけの重みと影響力があるか、わからないわけではございませんでしょう? ましてや、それをこの国の魔法師長たるわたくしに告げる事の意味もおわかりでしょう?」
笑っているが、海色の目には彼女の心意が如実に表れていた。
一度は見逃すが次はない。そう言われたのが解った。
もしかしたら、クーデリカに執着していたリュシカと知られた時点で、予想していたのかもしれない。その怒りを抑えていたのに、リュシエントが地雷を踏んだ。
この世界で生きてきて、初めて気圧された。とてもじゃないが生きた心地がしなかった。解放された今、どっと冷や汗が身体中から吹き出す。彼女の仮面が剥がれかけたが、危うく命も失いかけた。
心臓が早鐘のように鳴っている。魔法師長の相手はリュシエントには、荷が勝ちすぎていると思い知らされた。
深呼吸して、言葉を選ぶ。
「……以後、気を付けよう。そして約束しよう。過去の事は変えられないが、今後イオニスの皇帝のオレは余計な手出しはしない。静観するとしよう。恒久和平の条件に変更はないがな。邪険に扱われて蔑ろにされたら、いつでもオレの側に来るといい」
少しの嫌がらせは大目にみてもらうことにした。
***
イオニス皇帝リュシエントは静観するが、他の者たちがどう動くかは制限しないし、好きにさせる。そして和平の条件は変わりなく、ロアが皇帝の側にいる事。
ロアは内心で苦々しく思ったが、これも敵に回るよりはマシかと思い直す。
(それに帝国も一枚岩ではないようだし)
「我が君には違う事なく伝えておきますわ。それでは、部屋も近いですし、わたくしはここで失礼させていただきます。お休みなさいませ、陛下。よい夢を」
「ああ、ここまで付き添いご苦労だった。━━またな、クーデリカ魔法師長どの」
リュシエントが角を曲がって、 衛兵が守る扉の前に移動していく。それを見届けて、一人で姿を見せたイオニス帝国皇帝に焦る衛兵には、風魔法で魔法師長がここまで警護してきた事を伝えておく。それを聞いた彼らが、安堵したのがわかった。
リュシエントが部屋に入るのを確認してから、ロアは来た道を戻る。時間が押してしまった。
多少の仕事はクリスとカインに迷惑分として押し付けるとして、仲間外れは可哀想だからジェナスにも与えてあげようと思った。三人に分けたら、今押していた時間に余裕が出来た。
そういえば、先王セオルドとその妻カレンティーナに顔を見せてやってほしいと言われていたと思い出す。
息子の晴れ舞台を邪魔したくなかったのだろう。それと同時に自分達に割く警護と意識の負担を軽くしようと考えてくれたのだと思う。
このまま二人の挨拶に向かおうと決めると、こちらに駆けてくる人影を見つけ、思考の世界から戻ったロアが驚いた。
「……ルース…、陛下、どうされたのですか…?」
「………私がいつまでもあの場に居たら、客人たちが無礼講で心から騒いで楽しめないから退場してきた。三国の王も全員自室に戻ったからな。時間をおいて来たから変に勘ぐられる心配もないし、後はあいつらに任せてきた」
「それは何とも……不安ですね」
正直なロアにルースが苦笑した。
「お前は大丈夫か、クーデリカ? イオニス皇帝に捕まっていたのだろう?」
「ええ、大丈夫です。護衛も側近もいないので、部屋までお送りしたところですわ。とりあえず、無事に対面も交渉も終わりました」
芝居は完了した、そう告げると、ルースから僅かな緊張がほどけた。柔らかな笑顔を向けられ、肩に力が入っていたロアもほっとした。
それから思い出したように、風魔法で結界を張り会話が周囲に聞こえないようにする。二人が連れだって歩き出す。
「ご苦労様、ロア。これから仕事に戻るのか?」
「陛下もお疲れ様です。そう思っていたのですが、余計な時間を使ったので、宰相たちに仕事を振るところです。それで時間が空いたので、セオおじさまとティーナおばさまにご挨拶に伺おうかとしていました」
「そうか。二人ともやきもきしてそうだな」
「そうですね。陛下は仕事に戻られますか? 送って行きますよ?」
「いや、後でで大丈夫だ。ロアが心配だったのと、話を聞きたかっただけだから」
「…そうですか」
ロアは努めて平常心で頷き返す。彼の心配は後見人としてだと言い聞かせた。最近のルースの不意打ちは心臓に悪いと思いながら。
「お前にばかり負担をかけたな。でも助かった。ありがとう、ロア。クーデリカにもそう伝えてくれ。動揺していたが、二人とも落ち着いたか?」
何気なく言われた言葉に、ロアは素で目を丸くした。完璧とは言わないが、周囲には隠せていたと思ったのに。思わずルースをまじまじと見てしまう。
やはりルースには自分とクーデリカの見分けがつくんだなと、妙に納得がいってしまった。同時に、嬉しくも思う。
頬がだらけて緩みそうになるのを堪えて、ロアは安心させるように微笑んだ。
「クーデリカは眠っていますが、大丈夫です。ご心配をお掛けしました。つきましては陛下、おじさま方へのご挨拶後、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「もとからそのつもりだ。ジェナスとダーウィンから少しだけ話は聞いた」
リュシエント帝についての事情を把握していると教えられて、ロアはまたもや驚かされる。きっとロアたちの様子から察したのだろう。改めて、聡い主に敬意を抱く。
「では、ご挨拶後にお付き合い下さいませ」
「わかった」
二人の話題は尽きる事なく、笑顔を保ったまま王族の住まいである奥の宮へと向かった。
駄文に長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
本当はロアたちの会話を削ったり、色々コンパクトにまとめればよかったのですが、そのまま残しました。
何となくこんな話にして、ここまでで1話にしてまとめようと決めて、行き当たりばったりで書いているので、長さが掴めなくなります。
ここまで読むの、お疲れ様でした。




