30, 2 - ④
一万字越えました。
わりと越えている話があったり、それに近い字数で長いことが多々ありますが、お付き合いくださると嬉しいです。
さて、第二ラウンドの始まりである。
ロアはローテーブルを挟んで向かい合ったソファーに座り、すっかり寛いだ雰囲気を醸し出す、人のよさそうな男━━商業国家サヘル国国王と相対していた。
ルシン国王と違い、程よく引き締まった体躯に焼けた健康的な肌。常に笑って見える穏やかな表情。それなのに隙はなく、お互いに緊張感が高まっている空気を感じた。
穏やかな茶色の目と合い、同時ににこっと微笑み合う。その場に第三者がいたら、激しく散った火花が見えたかもしれない。
ロアの中で戦いの鐘が鳴った気がした。
***
ルシン国王との直接対決を終えてルースの側に戻ると、彼は労るような空色の目を向けてくれた。それが嬉しくてロアは少し目元を和ませた。詰めていた息をゆるゆると吐き出す。
ついでに側に控えていた魔法騎士に扮する護衛の弟弟子を一瞥して、彼とは反対側の玉座の右斜め後方に控える。風魔法で結界を張った。
「謝らなくていいよ。それより仕事は済んだの?」
先に切り出され、変装している顔でジェナスが苦笑した。
「ああ、無事に滞りなく。そちらこそ交渉はどうだった? 親密に踊っていたようだったが」
「さぁ、まだわからないよ。それとダンスだから親密に見えるのは普通でしょ」
「よく耐えたな。嫌そうだったのに。ていうか、少しは王様を敬って労ってやれよ」
「あのスケベじじいを、敬い労る義務を感じない。セクハラしたり、胸元を見られたり…殴らずに耐えただけマシだと思って。歩けないようにもっとヒールで踏んでおけばよかった」
舌打ちしそうに語られた内容に、ジェナスが笑顔を引き吊らせ、ルースが楽しそうに微笑んだ。
「そんなことしてたのかよ。おっそろしい女だな、お前。でもセクハラか…」
ジェナスがじっと横目で着飾ったクーデリカの姿を見つめた。
「何か? 馬子にも衣装とでも言いたいの?」
「いや、普通に似合ってる。ただその体型や胸はクーデリカの姿を映したものか、お前自身のものかどっちなのか疑問に思っただけだ」
「変態。スケベ。はげろ。どこ見てナニ考えてんのセクハラ野郎」
ロアは笑顔を保ったまま、冷ややかな声でジェナスを攻撃した。
「ロア、セクハラ分と護衛怠った分、ジェナスを罰していいぞ。ちなみに母上の鍛練と五ヶ月タダ働きにさせる事は決定だ」
「えっ!? ちょ、陛下、期間が増えてる! それと爽やかな笑顔で俺にだけ殺気向けるのやめて」
「どうしようかな。でもペナルティはセクハラ分だけでいいよ。護衛の件は私にも落ち度があるからね」
ジェナスが助かったと息を吐き出す。
「それにしても交渉役なんて災難だったな。まぁでもうまくいきそうでよかったけど」
「まだわからないって言ったでしょ。結果は早くて雪が降る前に、遅くても雪融けにはわかるよ。でも敵対する意思がなくなるように存分に脅しておいた」
「うわぁ、えげつねぇ。けどそれなら大丈夫だろ。お前の脅しは天下一品だからな」
頷くジェナスにロアは不穏な笑顔でポソリと呟いた。
「……セクハラ男に喧嘩売られた? はげればいいのに」
「それならロア、罰として剃ってやったらいいんじゃないか?」
「いや、ナニ言ってんだよ!? 余計な提案すんなルース! ロアもひらめいたような顔をするな」
「陛下、とても魅力的な提案ではありますが、剃っても生えてくるので。出来れば今から毛根を滅してはげてほしいんです。それでキメ顔したら盛大に笑ってあげたいなと思っています」
「怖っ! イイ笑顔でナニ言ってんだよ!? マジでやめろ」
ジェナスが笑顔で青ざめた。ルースが納得したように頷く。それからちらりとロアを見て、僅かに眉をひそめた。
「ロア、お前疲れてるんじゃないか? 用意してある休憩室で少し休んでくるといい」
「えっ! 体調崩していたのか?」
「ジェナスうるさい。陛下、わたくしなら大丈夫です」
クーデリカからも心配されるが、ロアは大丈夫と内心で答えてそれでも気にする彼女を軽く眠らせた。ロアがこの体の主導権を握っていて、クーデリカより意識も制御力も強いからこそできる事だ。もちろん、目覚めさせる事も。
毅然と答えるロアに、ルースが吐息した。
「心配ない。お前が来るまで元々ここに一人でいたんだ。会場には護衛と隠密もいるし、今はジェナスもいる。だから俺の護衛は一旦ジェナスに任せて休め━━命令だ」
ロアがむぅ、と眉間に皺を寄せた。納得がいかないと目で訴えている。
「予定より魔法を使って維持してるからな。ようやくお前が内のクーデリカから魔力だけ預かって、魔法を使えるようになったところを無理させたんだ。その上、連日の激務で疲れているのにダンスや交渉までさせた」
「……咄嗟の時はクーじゃないとすぐに使えなくて、入れ代わりましたけどね」
クーデリカがロアの体を操れば魔法もマナーや振る舞い、ダンスも完璧だったが、彼女の魂の消耗を防ぐ為、ロアが対応できる範囲はこなせるように時間を割いて学んだ。
交渉事はロアが適任という事もあったが、 クーデリカを表に出して魔法師長を演じる二人の違いに気づかれたら厄介という理由もあった。
だから、クーデリカから魔力だけを借りてロアが使えないかと訓練して、ロアの状態でも大規模魔法を使えるまでになった。
時々は息抜きと称して街に抜け出しては、クーデリカに体を自由に使わせているらしいが、クーデリカも自分の決めた事やロアを巻き込んだ事をわかっているからか多少は窮屈でも文句は言わなかった。
命令でも、まだ去ろうとしないロアにルースが苦笑した。心配してくれるのは素直に嬉しい。
「ジェナスに挽回の機会くらい与えてやれ」
「…わかりました」
不承不承ロアが、首肯した。ジェナスがほっと安堵しつつ、首を捻る。視線を会場に向けた。
「ところでその二人はどこに━━ダンスか。情報収集してんのか。だからって二人で陛下ほっぽっていくとかねぇだろ。ロアが来る前から席はずしてまだ戻ってこないとか何やってんだよ、あいつら。護衛はカイン、交渉はクリスの仕事だろうに」
ジェナスが難しい顔をして、ダンスフロアで令嬢たちを相手にしている友人二人を見やった。そんな彼をロアが意外そうに一瞬だけ横目で見た。
「ジェナスがまともな事を言ってる。明日から雪になるのはやめてほしいんだけど」
「お前は俺に失礼だ。二人は人気があって戻りたくとも戻ってこられないのか。でも、あしらい方は慣れてるはずだろ。………ああ、お前たちだけの姿を見せつけて、周りに印象づける為に戻ってこないとか?」
ジェナスがロアとルースをちらりと見ると、二人はその可能性に気づいていたらしい。片や涼しい顔で、片や苦虫を噛み潰した顔をしていた。呻くようにロアが口を開く。
「……それにしたって限度があるとは思うけどね。そもそも陛下と親密な印象を与えたいのなら、魔法師長の名を出して自分達の縁談を断っていたとかふざけてるでしょ。これでまともな情報を何一つ持ち帰らなかったら、当然どうなるかくらい覚悟しているよね」
「まぁ、やりすぎではあるな。流石に側を離れ過ぎだ。端から見たら私を避けているという不仲な印象を与えかねない。隙を見せると同時に、私が誰より近い側近の人心を掌握出来てないと無能を晒している事になる」
「……あの二人って時々、優秀なのかバカなのか紙一重だよな」
ロアとルースの意見に、ジェナスはダンスを終えて談笑する宰相と魔法騎士団長に呆れた目を向けた。さっきからどんどん右隣にいるロアの空気が下降している。
疲労と色々押し付けられた事に苛立っているのもあるのだろうが、ルースの最後の一言で更に悪化していた。
とりあえずジェナスは、心の中で二人に合掌した。今後が気になったので怖いもの知りたさで、姉弟子に問いかける。
「ちなみにロア、あの二人がロクな情報を持ってこなかったら、どんな嫌がらせを仕掛けるつもりだ?」
「あの二人がお互いを思い合っている噂を流すのは決定として、今のところは二人の熱狂的なファンと二泊三日で過酷な訓練をかねた野営にでも行かせようかなって」
「熱狂的なファン?」
ジェナスが寒気に腕を擦りながら、にっこり微笑むロアを見てゾッとした。
「持ち物検査はしないから、たとえファンが媚薬とか色々持っていって何があっても自己責任。二人が強くても、手練れの男たちに一服盛られて攻められたらどうなるかは本人次第。仮にも宰相と魔法騎士団長が無様な醜態を晒すわけにはいかないと死ぬ気で頑張るでしょ。あ、ついでに二人に強く恨みを持つ人も参加させようか━━参加したいのならジェナスも加えてあげるけど」
「謹んで遠慮します!!」
絶対に二人を見守り助ける方ではなく、二人と逃げ回る方に加えられる。本能で危機を察知していた。ついでに、ロアが休んでいる最中にルースの警護を怠った場合の警告を兼ねている事も理解していた。知らずため息がこぼれた。
「それにしても、料理に一服盛るのは絶対にやらないんじゃなかったのか?」
「私はやらない。ついでに私の目の届く範囲でそんな事があるのは許せないし、私の作った物に何か仕掛けたりするのは許さないけど、私が知覚しない範囲で、私の大切な人以外に何があってもどうしようもない事ってあるよね」
「鬼だな、お前。知ってたけど」
「私の仕事と苦労を増やすだけのバカに同情はないかな。これ以上失態を演ずるようなら、鍛える為に二泊三日どころか一週間くらい城を追い出すけど。戻ってきたらみっちり溜まった仕事はやらせるし問題ないでしょ」
「……きっと一回りも二回りも成長するだろうな」
ジェナスは慈愛の眼差しで友人二人を見て、今聞いた自分本位なロアの話をそっと胸の内にしまい、何も聞かなかった事にした。
「陛下はそれでいいのか?」
「鍛練や個人を鍛える事は、魔法師長の裁量に任せているからな。俺も少し疲れたし」
「そうかよ。ところでロア、熱狂的なファンと恨みを持つ人間情報はどこから手に入れたんだ? 師匠用の嫌がらせのリストもそうだけど、一体どうやって? まさかのブラフか?」
「ジェナスが試したいのなら、リストの人物を連れてこようか。魔法師長の私が呼び出せばすぐ来てくれるし、今すぐ風魔法であなたを彼らのところに転移させる事も出来るよ」
「疑ってすみませんでした!」
「少し試してみたかったのに残念。……実はブラフだから」
「掛け値なしに本気だったな。実験台にはならねぇぞ」
ジェナスは断固拒否した。残念そうなロアに戦慄するが、本人は気を取り直して付け加えた。
「それなりに情報を集められてこれ以上迷惑かけないのなら、リストの人物をあの二人に引き会わせて、その人物の対応を任せるくらいにしておこう」
「ひでぇ」
ジェナスが震えた。ルースが二人を見て、告げる。
「ロア、今の内に休まないとまた始まるぞ━━来たな」
そんな事を話していると、歩いてくる男が目に入った。気安い様子で歩いて来るのは褐色の肌の男。商人の国と言われるサヘル国王だった。
「ルース新国王陛下、この度は誠におめでとうございます。実に素晴らしい宴席で、さすがファウス国と感心しきりでございました。この夜会のように御身の御代が明るく発展する事を願い、簡潔ではありますが心よりの祝辞とさせていただきます」
「先見の明があると言われるあなたにそのような祝辞をもらえて光栄です、サヘル国王。まだ至らぬ若輩者の身ではありますが、国家一団となってより一層、力を尽くす所存です。その為にも貴国とは今後も良い付き合いを頼みたいですね」
ルースが微笑むと、サヘル国王も人好きのする笑顔を浮かべた。
「我が国で良ければ喜んで。この度、久方ぶりに貴国を案内していただき、胸が高鳴りました。是非またこの国を見て回りたく存じます。今回見せていただいた中で気になる物もございまして、一晩悩みましたが、やはりこの機会を逃すのは得策ではないので交渉の席を設けて貰いたいと思うのですが、どうでしょうか?」
「サヘル国王からそのような言葉をいただけるとは恐縮です。すぐに場を設けられますが、どうなさいますか?」
ルースの言葉に、サヘル国王は「問題ありませんので、よろしくお願いいたします」と返した。ついでに後方に控える魔法師長を一瞥して、「魔道具でも商品として取り扱いたい物や説明をお願いしたい物があるのですが」と付け加えられ、ルースは微笑んだ。
「陛下、畏れ多くはございますが、わたくしで良ければご説明させていただきます」
ロアの申し出にルースが首肯した。
「では魔法師長に任せよう。控えの間を使うといい。サヘル国王もそちらで構いませんか?」
「ええ、ご配慮感謝します。ああ、護衛は大丈夫です。この滞在中も安心して過ごせましたし、何よりも貴国の魔法師長どのが一緒であれば安全でしょう」
信用しているようで全てを丸投げして、何かあればファウス国のみが責任を問われる状況だが、ロアはルースに笑ってみせた。
「では貴国の方々にはこちらから伝えておきましょう。クーデリカ、サヘル王の案内を。すぐに飲み物を持っていかせる」
「畏まりました、我が君」
別室対応が決まった時点で、ジェナスが少し離れた壁に控えていた側近に手配していた。側近が去り、ジェナスが戻ってくる。
それを待ってから、クーデリカはルースに一礼して、サヘル王と共に宴会場を離れた。
***
そうして案内した控えの間で、ロアはサヘル国王と早速商談に入っていた。扉の外には衛兵とお茶を持ってきてくれたエリーがいて、呼べばすぐに応えてくれる。
サヘル国王が興味を持った品々や設備、作業や学門について大事なところはぼかしつつ、質問に分かりやすく答えていく。
質問が一段落したところで、ロアはエリーが淹れてくれたお茶を口につけて、ほっと息を吐いた。腕をあげたと味わい感心していると、正面から強い視線を感じた。
「クーデリカ・オルシュタイン・ノーザルス殿下、あなた自身と取引がしたいと申し上げたら、受けていただけますか?」
「陛下、わたくしは魔法師長のクーデリカ・オルシュタインですわ。亡国の皇女ではございません。ですが、話くらいでしたらお伺い致しましょう」
ロアの微笑にサヘル国王が、苦笑した。席を立ってローテーブルを回り込み、跪いてロアの手を握ると、熱のこもった茶色の瞳で口を開く。
「あなたが欲しい」
ロアは困ったように微笑んだ。サヘル国王が観察しても、動揺の色はどこにも見られなかった。
「お恥ずかしいお話ですが、この短時間で年甲斐もなく一目惚れしました。お話ししてみて更に好ましく思いました。幸いにも王妃の座は空位。是非、我が国にいらしてくださいませんか?」
「あらまぁ、熱烈ですね」
「それはもう! あなたの魅力にすっかりやられましたから」
「お上手ですね。それで一体どれだけの女性を落としてきたのかしら? 二桁ほどでしたら関係した女性を把握しておりますが、恐らくそれ以上でしょう。一番最近ではとある商家の未亡人を寵愛していたと聞き及んでおります。わたくしがそんな安い取引に応じると思われるなんて心外ですわ」
ロアはにっこり微笑んで、一瞬硬直したサヘル国王を冷厳な眼差しで観察した。
三人の側室や寵姫を知られているとは思っていたが、まさか関係を持った女性をほぼ全て把握されているとは思っていなかった国王は内心でゾッとし、背筋に冷や汗をかいた。
恐らく側近でもそこまでは知らないだろう。どうやって情報が集められたのか不思議で仕方がない。
「ご自分で潰された大商人の若い娘を、身分を隠して娼館で買うとは随分と鬼畜の所業ですね」
「ははっ、そこまでご存知か」
人好きのする穏やかな仮面を脱ぎ捨てて、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がり、ロアの体をソファーに押し倒す。
(これが本性。ここからが取引の本番ね)
この状況でも平淡なロアに、サヘル国王が訝しげな顔になる。
「早くおどきください。あなたは商談に来たのではないのですか? わたくし一人と交渉もできずに、このような手段を取るとはそれでも王ですか? ルシン国王の方がまだ交渉相手としては上等でした」
挑発して笑うと、サヘル国王の表情が引き吊った。そっと大きな手でロアの頬を撫で、顔を近づける。
「オレは商人だ。欲しいものは手段を問わずに手に入れる」
「これであなたの手に入るものは何ですか?」
「━━は?」
「わたくしの不愉快と我が君の不興、サヘル国との開戦、国が蹂躙されて財を全て奪われ、あなたの処刑と荒れ果てた亡国としての未来でしょうか」
ロアは深淵のように深い海色の目で、飲み込むようにじっと国王を見つめた。サヘル国王が喉元に刃を突きつけられたように身を起こし、ごくりと固唾を飲んだ。
「……なぜこちらが敗戦することで話が進んでいる? この場であなたが亡くなれば未来はわからない」
「あなたがここでお亡くなりになる未来は考えもしないのですね」
言われて初めて気づいていたらしい。サヘル国王が目を見開いた。ふわりと体が浮いて、気づくと元のソファーに座っていた。正面には変わらず、魔法師長が座している。
「別にあなたの国が亡くなっても支障はありません。街道をこの街のように整備して、商隊の流通をよくするのは我が国でも十分可能ですし、売り込みも新商品開発も別に貴国を頼らずとも出来ますから。独自の流通経路があってもあなたの国が亡くなれば関係ありませんし、食料の類いは直接ルシン国とやり取りすれば問題はないでしょう。━━それで、何の取引のお話でしたか?」
「は、強気だな。オレの国を相手に無傷で済むと思うか? 大陸が混乱に陥るだろう」
「戦争になれば多少混乱するのは変わりありません。無傷とはいかないでしょうが、あなたの国に比べれば軽微の被害で済むでしょう。一番に混乱するのは武器の材料や食料をサヘル国から大量に輸出入しているイオニス帝国かもしれませんね」
「………」
「その恨みは守られた我が国に向くのか、それとも喧嘩を吹っ掛けて自滅した蹂躙しやすい貴国か。どちらから奪うのが楽でしょうね」
「お前が一人で全てを相手取り、どうにかできると?」
「お忘れかもしれませんが、ノーザルス帝国の時代より魔法師長とはそういう存在でした。万の軍勢とも一人で渡り合い、殲滅した歴史もございます」
どんな言葉にも状況にも、彼女は揺らがなかった。
「お優しい王がそれを許すと?」
「わたくしに一任してくださっておりますので」
「……うちの姫をこの国に嫁がせたら、どうなるだろうな」
「どうもしませんが? 陛下が二十二歳の頃に側妃様が出産なされたサーシャ姫ですか。二十歳と我が君との年齢も近いですね。ですが嫁いだからには、この国の者。どのように振る舞うかで陛下の寵愛も回りの態度も変わるでしょう。我が君は女に堕落するほど暗愚な王ではございませんので、何も問題ございません」
「………お前、顔は悪くないのに可愛くないな」
「左様でございますか。それでサヘル国の掌中の玉を我が君にくださるので?」
やるといったら貰う気満々の魔法師長に、サヘル国王の顔が盛大に強ばった。一度ファウス国から縁談を申し込まれたのに辛辣に断っておいて、やっぱりやるとなったら心象はあまりよくないだろう。
ルースならそれでも優しく接するだろうが、サヘル国王に似て自由奔放に、特に色恋には開放的で高価な物が大好きな娘はこの国に歓迎されるだろうか。
「いや、娘はこの国の水には合わないだろう」
「合うように教育する事も可能かと」
「遠慮する!」
その場合はこの魔法師長が容赦なくやりそうだか、遠慮した。可愛い娘をこの魔法師長に預ける気にはならない。
「意外にもサヘル国王陛下は姫を大切にしていらっしゃるのですね」
弱みを握られた。サヘル国王の頭にはそんな言葉が脳裏に浮かんだ。どんな言葉も跳ね返って、自分と国へのダメージとなっている。そのわりに、向こうには少しの瑕疵も無いように見える。情報を引き出すどころか奪われているような錯覚に陥っていた。
娘と同じかそれ以下の年齢に見える若い女。
それがどうしようもなく恐ろしい化け物に見えて仕方がない。
魔法師長と二人になった時は、こちらの思惑通りだとチョロいと余裕だったのに、いつの間にか追い詰められている気がした。
「魔性の女か、恐ろしいな。まるで丸呑みにでもされる気分だ」
「まぁ、随分な仰りようですね。ですが食べる方にも好みがございましょう。美食家であれば余計に口うるさいかもしれませんよ」
たおやかな淑女の微笑みで流す。
「それに先ほどは大丈夫と申しましたが、やはりこれまでの培われた商人たちの経験と手腕には遠く及びませんので、是非とも販売促進や取り扱いも一流の方に扱っていただくのは喜ばしいことだと思っております。我が君としても技術を独占して、この国だけ発展すればいいとは考えておりませんので」
「新国王は優しく良識のある人物なのだな」
暗に敵対すれば最新の技術も商品も扱わせないと脅しが含まれている事に気づき、厄介なのは魔法師長のクーデリカだと認識が出来ていく。
その様子にロアは内心で満足していた。注目を浴びて脅せば脅すほど、重要なのは魔法師長をどう排除するかに思考が至る。
実際の国の要は間違いなく、ここまでの改革を推し進め、援助して発展させたルースやクリスたちなのだが、クーデリカの印象の方がどの国でも強い。そこに非凡である事、警戒すべき厄介者である事が加われば、間違いなく狙われるのはクーデリカ。もとい、ロアだ。そうしてその分、ルースたちが安全で順調にこの国の悪しき体制を変えていける。
魔法師長を引き受けた時に、改革が済むまでの二年と言われた。ロアは変革の手助けも仕事の一つと認識していた。
「国に持ち帰っていただき、是非よく協議していただければと思います。どのような結論でも、魔法師長としてわたくしのすることは変わりありませんので」
サヘル国王が大きく息を吐いた。降参というように軽く両手をあげる。
「肝に命じておこう。恐ろしい魔法師長がいるということを」
ロアは微笑む。
「ああ、取り扱いたい商品や街道の整備技術については改めて交渉させてくれ。こちらでも書面化しておく」
「畏まりました。我が君や宰相には伝えておきます」
「宰相はお前と陛下とは仲が悪いのか?」
ふと思い付いたようにサヘル国王が問う。ロアは不思議そうにその質問に首を傾げた。
「そのように見えましたか?」
「いや、もしかしたらと思っただけだが」
「ふふ、我が国の宰相は、わたくしと陛下を二人で目立たせたかったようなのです。もしかしたら不仲に見える事も計画の内かもしれませんね」
「計画的ではないのだな」
「はい。後で擦り合わせればいいので。個人の裁量に任されております。全ては我が君が手綱を握っておりますから」
「好きにやるだけやれってか。寛大な王様だな」
ロアは微笑んで流しつつ、後で宰相をどう教育してやろうかと考えた。ルースの言った通りの事を指摘された。あのアホ宰相と胸中で罵る。
それでもサヘル国王は誤魔化されてくれたので良かったが。
暫くサヘル王と話してから、去っていく彼を見送り、ロアは疲れたとソファーに体を沈めた。
先ほどの事を思い出し、カタカタと体が震え始める。ロアは体を起こして、ソファーから離れると一人掛けの椅子に座り、踞った。
更に気分が悪くなるのを堪えて、目を閉じる。寝ているクーデリカから無理矢理力を引き出して風魔法を使ったので、負担が大きかった。
暫くそうして休んでいると、ノック音がした。返事をすると、エリーが入室してくる。
「陛下からの伝言です。ご苦労だった。もう暫く休んで体調がよくなったら戻るように。落ち着かないようならもう部屋で休んでも構わない。宰相たちも戻ってきて、二人の王相手に交渉してくれたお陰で首尾は上々だ。無理はするな、とのことでした」
「……ありがとう、エリー。暫くしたら戻りますと伝えてくれる? それと宰相様と魔法騎士団長を少し再教育しようと思うからその際はエリーにも手伝って欲しいんだけど」
「また何かやらかしたんですか。勿論です! 全くカイン様も少しは落ち着いて下さったらいいのに! さっきもたくさんのご令嬢に言い寄られて」
「ね。そして魔法師長の名前を出して断るのもやめてほしい」
「……またそんなことを。しっかり再教育しましょう!」
「うん。もう少しで終わるから。エリーも忙しいところごめんね。ありがとう」
エリーは「大丈夫です」と返して、退室した。
それを見送って、ロアは深く息を吐き出す。
「………無理するなって、戻ってこなくてもいいって、甘すぎだよ。あんな魔法くらいじゃまだまだ警戒させるには弱いってわかっているのに」
ロアは深呼吸して、サヘル王との話をまとめて整理した。
(それにしても、ようやく戻ったんだあの二人。どんな情報を掴んできたのかな。下らない話ばかりだったら、本当に締めよう)
最近では別の方向で宰相と魔法騎士団長に遠慮がなくなってきたなと思い、まぁいいかで流した。
軽く太腿を叩いて立ち上がる。震えは既に止み、休んだお陰で顔色もよくなった。
後はこの宴会を盛大に閉めるだけだ。もしかしたらその前に、最後のラウンドが幕を開けるかもしれないが、その時はその時だ。
ロアは気合いを入れて、魔法師長のクーデリカの仮面を被り、休憩室を後にした。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。