28, 2 - ②
7/31、誤字脱字の修正しました。内容に変更はありません。
まるで物語のような、煌めく世界が広がっていた。
頭上には煌煌と輝く豪奢なシャンデリアが、会場を余すことなく照らしていた。
色とりどりの女性のドレスや男性の盛装。彼らが身に纏う貴金属がシャンデリアの光を受けて、より光る。
会場の各所に設けられた食事は、近くに寄れば誘うような香りについ足を向けたくなり、完璧に盛り付けられた料理たちは一種の芸術品のようだった。
談笑する華やかな老若男女。奏でられる旋律。
だが、ダンスフロアで踊る者は誰もいない。
それはこの夜会の主役が、会場の最奥、フロアより数段高い位置にある玉座で、まだ招待客の挨拶を受けていて、ようやく人の波が途絶えたところだからだ。
そこに程近い扉に控えていた召し使いが、とある人物の来訪を告げる。瞬間、会場のざわめきが一瞬の沈黙をもたらした。
その扉が開けられると、和やかな会場中から視線が一斉に集められた。
もどかしい程にゆっくり開かれる扉。
その先に立つ、空色の髪を綺麗に結い上げた女性。
繊細なレースがあしらわれた群青色のドレス。彼女の立場を表す黒のローブを纏い、海色の瞳が会場に向けられる。
滑るように優雅に一歩が踏み出され、そこで会場の詰めたような停滞していた空気が動き出した。
女性━━魔法師長のクーデリカ・オルシュタインは、注目を一身に受けながら、背筋を伸ばして堂々と進んでいく。
向かう先には玉座に座る新王陛下。
彼女は端正な所作で王の御前に立ち、挨拶した。
***
扉の先の世界に足を踏み入れたクーデリカ━━ロアは、ゆっくりと会場に海色の双眸を巡らせた。
ある女性たちの一角で視線が留まり、その集団に向けて微笑みを向けると、滑るように歩きだす。向かうは主たる新王陛下の御前。
誰もが道を譲るように下がり、玉座までの道が出来上がる。そこを歩ききり、ロアはスカートをつまんで腰を落とした。
会場の耳目が自然と集中した。
「陛下、遅れてしまい大変申し訳ございません。支度に時間がかかってしまいました。また、ご即位、誠におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。陛下の御代が明るく穏やかでよきものになるよう、微力ながらわたくしも尽力させていただきます。━━祝福と忠誠を我が君に」
「許す。忙しい中、よく来てくれた」
瞬間、会場が少しざわついた。
王と魔法師長の視線が合い、お互いに微笑み合う。
「時にクーデリカ、私に忠誠を捧げてくれた魔法師長どのに頼みがあるのだが」
「何でございましょう」
「一曲付き合え」
「光栄にございます」
玉座を離れたルース王が差し出した手に、ロアは綺麗に笑って手を重ねた。
会場中から視線が刺さった。
一番多いのは嫉妬。次に好奇心、好色、値踏み、興味関心と悪意、その他、実に様々な目が向けられていた。
二人は気にした風もなくお互いを見つめて微笑み、ダンスフロアで向かい合った。誰もが注目する中、繊細な旋律が奏でられ、二人が寄り添い、ぴったりと息の合ったダンスを披露した。
「随分と遅かったな」
「申し訳ございません。少々足止めをくらいまして」
察したルースがじっとロアを見て、極上の微笑を浮かべた。
風魔法で二人の会話が聞こえない周囲は、美麗な笑顔に女性たちが黄色い声をあげ、一部の者は勝手に親密な関係と思い込み、また他の者はお似合いだと温かく見守っていた。
ロアは珍しく本気で機嫌の悪い陛下をまじまじと見て、心配させて悪かったなと反省した。それと同時に少しだけ心がほっこりした。
自然と口元が微笑を作り、二人が仲睦まじく笑い合っている姿を周囲に見せつけた。
「詳しく話せ、ロ…クーデリカ」
「畏まりました。ですが、そんなに不機嫌にならないでください。笑顔を崩すのもなしです」
「……わかった」
少し落ち着いたルースを見て、ロアはこれなら大丈夫かなと感心した。お色気宰相や無気力ポーカーフェイスの魔法騎士団長よりも、演技が上手なのは間違いなくルースだと思う。
最初に会った時もさることながら、普段はわりと素でいるのに何かのスイッチが入ったように、一度王族や陛下の仮面を被ると最後までそれが外れる事はない。見事なくらいに綺麗に被っているので、近しい者以外は気づいていないだろう。
後はもう演じなくていいと、自己判断した時はすぐに仮面が外されるが、笑い上戸の宰相や脳筋で驚きが表情に出やすい魔法騎士団長よりも交渉に向いている。だから、簡単な交渉は宰相や文官に任せても、重要な時は自らが出ていた。
「陛下、あちらの一角におられるケバケバし…ハデな…道化のように人目をひく愉快なご一行は、確か我が国の上位貴族のご令嬢でしたよね?」
「………ああ。一応言っておくが、オブラートに包めてないからな。聞かれたら相手が怒るぞ」
注意があまり意味をなさずに、スルーして話を促すのが正しいロア対応とこれまでの経験から学んでいるが、ルースは苦言を呈して話の続きを求めた。
「それで、あの令嬢たちが何かしたのか?」
「陛下たちの名を騙り、メイドに案内された部屋で五人の貴族らしき男たちが待ち構えてました」
「━━!!」
表情は笑顔、だがロアはいつもの淡然とした口調と声で何て事無さそうに話を続けた。
「手を伸ばして触れようとしてきたので、クーがぶちギレて床に沈めました。後は魔法騎士に任せて急いでこちらに来たのですが、少々遅れてしまいました。クーの力を使った事、遅れてご迷惑をお掛けしました事、申し訳ございません」
「……何もなかったんだな?」
「クーのお陰で」
ルースが笑顔のまま「よかった。ありがとう、クーデリカ」と安堵の息を吐いて、守るようにぎゅっと繋がれた手を強く握り、腰に回した手でさらに抱き寄せて密着した。
「ジェナスは何を……『闇』部隊への定時連絡と指示か」
「はい。この事を知っているのは我が国の限られた人間のみですから、誰があの方たちに漏らしたのか、すぐにわかるでしょう。貴族らしき男たちからも、あの女性たちの名前を聞き出しました。それに会場にきた私を見て、ご令嬢たちが分かりやすく驚いて睨んできましたから」
隠密はこの城に二つの班がある。
一つ目の普通の隠密は、元王妃━━現王太后妃の計らいで今までは魔法騎士団長カインが預かって指示していた。それはクーデリカが魔法師長になった後も変わらない。
「変態のご主人様になる気は更々ないから」と宣言して、カインに押し付けたままだ。もちろん報告は受けとるが、今後も考えてカインに任せておいた。ゆくゆくは魔法師長の仕事を少しずつ回して、カインに色々やらせて覚えさせていこうと考えていた。
もう一つはルース個人だったり、王家に仕える隠密。そちらは『闇』部隊としてジェナスが隊長で王と国の為だけに動かしている。時々協力し合うこともあるが、難しい任務は多くが『闇』部隊で担っている。その存在を知っているのは国の中枢だけ。
その隙を狙われた。
「仕事が早いと言うか、男たちを脅したのか」
「勝手に震えて話してくれたんです。下衆の根性なしが」
「物凄く怒っているのはわかった。……悪かったな、迷惑をかけた」
「こういう囮も私の仕事の内と思うことにします」
ルースがふっと微苦笑した。
実際に、ロアのお陰で何とか今日にこぎつけられた。
城の結界のお陰で、間者も暗殺者も殆ど見つけられて少なくなった。叛心と害意ある貴族たちも見つけて処分できた。
魔法師長にちょっかいをかけてきたバカ貴族たちも処罰できて、だいぶ国を蝕んでいた害虫を駆除できた。
そして取り潰した家の溜め込んでいた財産や罰金で国庫も回復し、様々な学門への研究費や、重税をしいた民の負担と臨時の税を減らし、武器や防具も新しい物を揃えて、国の豊かさを見せつけられた。
増えすぎた貴族たちも減り、土地も一時王族預かりとなったので悪政を排除して、良識ある貴族や国境で武勲をあげた者への褒美として渡すことが出来た。
魔法師長がいる事の安堵と、生活水準が向上し安定した事で貴族も民も王家への感謝と忠誠を強め、民同士の結束がよくなり、それも国力底上げへと繋がった。
一方で老害が去り、若いまっとうな貴族たちが国政に出てきたが、バカをした若い貴族たちは労働者に落とされた者もいて、没落した。それはルースの婚約者候補のご令嬢たちの家も例外なく。
「嫉妬するなとは言わないが、それを表に出さずに己を律する事ができなければ王妃には向いてない。どんどん候補者が減っていくな」
「嬉しそうですね、陛下」
「そりゃ仕事に当てられる時間が増えたからな」
「……。陛下、最近の令嬢たちの様子をご存知ですか? 目ぼしい年頃の令嬢たちがやらかして修道院送りか、普通に他所の貴族に嫁いで王妃候補が減る中で、陛下を諦めて宰相様や魔法騎士団長といった将来有望な方に嫁ごうとする方が急速に増えております」
「……王妃の仕事が大変で、未だに誰が選ばれるか候補者もわからず結婚するかも怪しい王なら、王家に血の近いクリスが次の王になるかもしれないし、嫁き後れになる前に優良物件確保か」
「ご名答です。ついでに魔法師長とあなたの仲を疑う者もいて、諦めるか私に嫌がらせして返り討ちにあうかになってますから━━って笑い事じゃないんですよ。早くいい人見つけないと、貴族でも歳の離れた少女と婚約する事になって影で師匠みたいにロリコン変態と言われますよ」
ロアが真剣に抗議すると、「それは嫌だな」とルースが楽しげに笑った。
ルースとの会話にもだいぶ遠慮がなくなったとお互いに思う。
「それでは聡明な魔法師長どのに尋ねようか。王妃にふさわしい人物に心当たりは?」
「━━政治や戦術ならともかく、恋愛事はわたくしの管轄ではないのでお答えしかねます」
「ほらな、見つからないだろう。因みに婚姻の管轄である大臣たちや宰相はお前を推してくるけどな」
「忠誠を捧げると宣言しましたので、あなたとの恋仲という周囲の下衆の勘繰りの誤解は解きましたよ。他国への牽制にもなったでしょう。わたくしが他の国に味方をする事はないと」
「それで今後もお互いに届く縁談を断り続ける事になるんだな。そう言えばクリスとカインが縁談避けに魔法師長の名を使ってるらしいな。それで大抵は退いていくそうだ」
「……あの野郎共」
ロアが冷たい笑顔を作った。
「そうですか。最近嫌がらせがまた増えたと思ったら、あの二人のせいでしたか。それでは早く嫁を決めてあげるか、男色と女装癖の噂でも流して縁談を減らすかしてあげますか」
「笑顔が怖いぞ、クーデリカ。それと前半はともかく、そんな側近は嫌だから。一緒にいる俺も巻き込まれかねないから辞めてくれ」
ロアは内心で舌打ちするが、ルースへの影響を考えて思いとどまった。けれどお返しは忘れない。仕事を押し付けて、男色家であり、女装癖があると噂として流す分には━━あくまで密やかな噂で二人がお互いに思い合っている男色家と流す分にはルースへの被害はないだろう。
意識の内側で黙って話を聞いていたクーデリカも、この時は『賛成!!』とロアの意見を後押ししてきた。ついでに例のご令嬢たちにも仕返しを奨めてくるが、この大事な日にルースやクリスの名を騙った以上は公式な処罰があるので、放っておく事にする。今頃、ここまでついてきた彼女たちの誰かの侍女が、ロアを案内したメイドとして魔法騎士に拘束されているだろう。
「クーデリカ、笑顔が怖い。報復は程々にしておいてくれ。せめて仕事ができる状態で頼むな」
「心得ております。ついでに言うと、わたくしよりもあちらのご令嬢方の方が怖いですよ」
「何がだ? お前がいるのに、未だにここに残って厚顔無恥を晒している面の皮の厚さか?」
「……陛下、相当機嫌が悪いですね。確かに陛下や宰相様の名を騙って呼び出すなんて不敬罪覚悟の頭の足りていない大物だとは思いますが」
ロアがちらりとルース越しに令嬢たちを見やると、般若かと思うほど恐ろしい鬼女たちがいた。反転してルースと顔が会う時はにこやかな令嬢たちがいる。凄い変化だと感心しつつ、他の客たちへも意識を向けて、何事もないか確認していた。
「この後はどうする?」
「ここに残り情報収集と言いたかったのですが、予想以上に囲まれて大変な事になりそうなので止める事にします。忠臣らしく陛下の側に控えるとしますよ。それでも私に用がある方は堂々とあなたの前に現れて話しかけてくるでしょうから。警戒する人物がだいぶ絞れますね。陛下はどうなさいます? 一応ご令嬢たちと踊りますか?」
「嫌味だな。疲れるだけだからしない。ファーストダンスの責任を果たせば、あとは誰でも踊りたい放題だ。魔法師長どのが護衛しやすいように、玉座で大人しくしておく」
「ではそのように。今後の予定も当初と変わらずにこの茶番を締め括ってお開きでよろしいですか?」
「ああ、任せる」
短いが、信頼がこもった言葉。ロアは嬉しくなるが、いつも通りに微笑んだ。
「それにしても二ヶ月でよくこれだけ上手に踊れるな。踊りやすい」
「ありがとうございます。ですがこれは、陛下のリードが素晴らしいお陰ですわ」
「対応と言葉遣いも完璧。流石だな。母上たちも褒めていた」
「光栄ですわ。そう言えば、王太后様たちはどちらに?」
「邪魔になってはいけないからと、体が本調子ではないとさっさと退席した。お前に会いたがっていたから、後で顔でも見せてやってくれ」
「はい」
「クリスとカインも感心していたな」
「うまく化けたとか馬子にも衣装ですか?」
「いや、熱心によく魔法師長をこなしていると。振る舞いとマナーも短期間で完璧。これなら王妃教育もすぐに覚えてこなせそうだって」
「………今、悪寒が」
「自分で自分の首を絞めてどうする。まぁ助かってはいるが」
「そうですか。陛下の助けになっているならいいです」
「……可愛いこと言うのも程々にな」
「は…い? えーと、ところでそのお二人は?」
話題転換したロアにルースが笑いつつ、視線である場所を示した。
「あそこの人だかりにいるだろう。情報収集で側を離れたとたんにああなった。無事を祈っている」
「祈るだけで助けには行かないんですね」
「俺……私はあの場所で挨拶を受けていたからな」
「役立たずな護衛騎士と肝心な時にいない宰相ですね。後で精神をごりごり攻撃するとします」
「許す。鍛えてやってくれ」
「陛下の望みとあらば」
二人がいい笑顔で、微笑み合った。
もうすぐ曲が終わる。
大体の敵意ある視線は把握した。強い興味の視線も。
ロアは空色の目を見つめて、互いに微笑むと離れた。盛大な拍手をもらうが、ロアは腰を落としたまま。予定通りにルースが「どうした?」と問う。
「わたくしから一つこの場を盛り上げるために魔法を使用してもよろしいですか?」
「それも一興か。許す」
ざわめいた周囲が、興味津々に注目した。誰も彼もが直に見てみたかったのだ。魔法師長の実力を。
ロアは一礼して、会場に向き直る。
「陛下の御代に祝福があらんことを」
胸前で重ね合わせた手を広げると、そこから柔らかな光が放たれた。
色とりどりの光は花と蝶、小鳥を形作り、空中に浮かんでくるくると踊るように回っている。会場中を鮮やかに彩り、幻想的な光景に客たちが簡単の息を漏らした。
「それでは皆様、夢のような一時をお楽しみくださいませ」
ロアが優雅に一礼すると、玉座に戻る陛下に従い、後についていく。
ダンスフロアには美しい光景の中で、踊る貴族たちが集まり楽しんでいた。
それをやや高い壇上から見下ろし、ロアとルースは訪問者を待ち構えた。
無難に自国の貴族が挨拶にきては、娘をルースに薦めて一曲いかがですかと誘うが、ルースがやんわり断る。またロアにもぜひ踊りましょうとお誘いがあったが、陛下の護衛もかねておりますのでと丁重に断った。
壇上からは踊るクリスやカインの姿も見られた。
二人に情報収集を任せて会場全体を見渡しながら、時折会話に参加しつつロアは警戒を怠らなかった。
風魔法で魔法騎士や行動を共にしている衛兵たちと連絡を取り合い、何事もないか確認し合う。
そしてそこに、一人目の重要人物が現れた。
ルースとロアの前に現れたのは農業国家ルシン国の王とその従者。国防を預かる兵士長。
国王は好好爺然としたふっくらとした男性。兵士長は頬から顎にかけて鋭い傷跡が残る静かな男だった。
この国王はダンス中のロアに強い興味の視線を送っていたが、兵士長は敵意に似た観察の目を向けていた。
師匠アルスマの情報では、三国の中で一番取り込みやすそうな国だった。野心もなく、おっとりのんびりした国民性。
くれるなら土地が欲しいと軍事国家イオニス帝国の呼び掛けにのっただけ。民は収穫に忙しく、争いには興味が無さそうだった。それよりは水不足と日照りで収穫が困難になる現状に、頭を悩ませていた。それ故に、複数の水源を持ち、気候のよいファウス国の土地が貰えるならと一部の為政者たちがイオニスに追随したのだ。
これまでのルシン国との国境の小競り合いは実に小規模で、イオニス帝国にやれと言われて少し攻めるが、すぐにやめて話し合いで穏便に解決するといった状態だ。
そんな彼らが今回視察で興味関心を強く示したのはやはり、灌漑設備と品種改良した農作物の種だった。
実ににこやかにルースに挨拶を終えたルシン王と兵士長の視線が、ロアに向けられる。
「素晴らしいダンスでしたな。わしも久しぶりに若い頃を思い出して踊りたくなりました。━━魔法師長どの。ぜひ一曲いかがですかな?」
ロアはにっこり微笑んでルースに目で許可を求めると、王は鷹揚に頷いた。
許可を貰ったロアは「喜んで」とルシン王の手を取り、ダンスフロアに降り立つ。会場の意識が注目したを感じた。
幻想的な光景の中で、ロアはルシン王と踊り始める。
━━まずは一人目が釣れた。
このまま釣り上げられるかは魔法師長のクーデリカ次第。じっと見つめてくる薄茶色の双眸を海色の目で見返し、微笑んでみせた。
ロアの中で闘いの鐘が鳴った。




