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一旗揚げましょう?  作者: 早雪
27/38

27, 第二部 ①

7/19、7/21、誤字脱字等を修正しました。内容に変更はありません

静かな回廊を滑るように、一人の女性が歩いていた。

絨毯でも音を殺しきれずに、ヒールの音が小さく鳴り響く。

初冬も近いとあって人気のない廊下は肌寒く、窓は外の寒さと中の熱気の違いもあって、うっすらと曇っている。


秋である白の季節の終わりも間近。あと二日もすれば、冬の黒の季節になり、本格的な冬がすぐに来る。

ファウス国ではひと月前に新しく、クーデリカ・オルシュタインが空位だった魔法師長の座につき、衆人環視の中で王都リンゼルに見事な結界を張り巡らせた。実演で試しに魔法師が特大の業火球をぶつけると、結界に吸収されて消滅した。

魔法師長曰く、「攻撃された分だけ力を吸収して強力になっていくもの。魔法だけではなく、傭兵団が斬りかかって攻めてきても通さない」らしい。そんな話が速やかに国内外あちこちで広まり、それをきっかけに三国との国境で起こっていた小競り合いは一先ず収束した。


それからひと月。

各国から要人を集めたルース・パラキア・ファウス王太子殿下の戴冠式も即位式も無事に昨日終わり、新国王が立った。

本日はそれを締め括る盛大な夜会が催されている。

その夜会が終われば、次の日からは本格的な冬が来る前に、客人たちは帰途につく者が殆どだ。


各国の要人揃い踏みのその会場の扉前に立つと、長い空色の髪に海色の瞳を持つ女性━━魔法師長のクーデリカ・オルシュタインは、深呼吸した。


自分の姿におかしな点がないか最終確認する。

着用しているのは繊細なレースが上品にあしらわれた群青色のドレス。破れた箇所も乱れた場所もない。揃いで作られた手袋も大丈夫。それから襟ぐりの開いたドレスの上半身を隠すように羽織られた黒のローブもほつれも皺も依れたところもない。

回廊の窓に映る自分を見ても、髪も化粧も崩れていない。ほっとした。


すぐに緩めかけた表情を引き締めて、目の前の豪奢な扉を真っ直ぐ見つめた。


━━さぁ、ここからが戦場だ。


笑顔の仮面を被り、毒花と毒蛇の中を優雅に歩いて、新王陛下を守りつつ、十二分に存在感を発揮してこの茶番を派手に終わらせる。


さしあたっては、先程自分に仕掛けてきた者たちをどうするか。クーデリカは扉の両側に控えている騎士に、にっこりと微笑んだ。

遅れていたが、姿を見せたクーデリカに騎士たちが安堵の表情を浮かべた。

視線で扉を開けますよ、と問われて、クーデリカは軽く顎を引いた。目の前でゆっくり扉が開かれていく。

煌びやかな会場の光が差し込んでくる。

それを見ながら、魔法師長になると決めてからの怒濤のこの二ヶ月半を思い出し、大変だったと思いを馳せた。



***



ロアとクーデリカが魔法師長に就くと決まってから、城は慌ただしくなることはなく、むしろロアの忙しさが増えた。

表向きは新しい女官として仕事をしつつ、魔法師長の役目を王妃から引き継ぎ、魔法師たちの研究と訓練を見守り助言しながら、振る舞いとマナー、ダンスと国同士のやり取りと現状を勉強する日々。


そんな中での朗報は、師であるアルスマ・カルマンが特別製の解毒薬を何本か作り、セオルド国王の呪いも毒の後遺症も解決し、母クレアの薬もたくさん作って、快方に向かった事だ。

今では母が父の残した菓子店『ヘンゼル』にロアに代わり切り盛りしている。料理全般がダメな母の代わりにロアが店の販売用菓子を作り、店は母に任せていた。


その師が旅だったのが、二ヶ月と少し前。

そろそろ追い出すかと、最終確認の内々の打ち合わせが終わってルースやクリス、カイン、ジェナスと回廊を歩きながら考えていたら、自ら旅装をして旅立ちの挨拶に来た。


「色々と落ち着いてもう大丈夫そうだし、きみたち母子の側を離れたくないと居座る前にそろそろ旅に戻ろうと思って」

「そうですか。よろしくお願いいたします」


相変わらず淡々と頭を下げた空色・・の長い髪をまとめているロアに、美麗なアルスマが少し不満げな顔になる。


「それだけ? もう少し別れを惜しんでくれてもいいと思うんだけど」

「私もそろそろ蹴飛ばしてでも追い出さなきゃなと思っていたので、駄々をこねられなくてよかったです」

「……何だかやる気が無くなってきたよ。やっぱり行きたくないなぁ。この国にいてもぼくが情報を集めるから━━って、それナニ?」


打ち合わせの資料の中からロアが取り出した一枚の紙。びっしりと名前と住所らしき文字が書き連ねてある。アルスマの表情が嫌な予感に強ばった。


「肉食系豪遊マダムと男色の豪遊ジジイのリストです。旅立つのが嫌なら、この中の」

「━━ぼくに任せて! 可愛い弟子のために頑張るよ」


みなまで言わせずにアルスマが、張りきりだした。ルースたちが憐憫れんびんの眼差しを送り、ロアが嘆息する。


「最初から素直にそう言ってください」

「何で本気でそんなの用意してんのかな、ぼくの弟子は!」

「師匠がごねた時の為です。あと全力で嫌がらせする為です」

「予想してたけど! 本当に弟子がぼくに酷すぎる!!」


嘆くアルスマにロアの表情は何ら動きを見せない。ただ面倒臭いものを見ている目で傍観していた。

会議室から少し離れているとはいえ、人目につく廊下。ロアはちらりと後方と前方を見て、近くの部屋に嘆く師を連れ込む。そこに共にいた四人もついてきた。


「安心してください、師匠。もちろん師匠への嫌がらせ以外にも使いみちがあります」

「えっ、ナニに使うんだい?」

「保険として、宰相様が母の護衛を疎かにした時と、魔法騎士団長が面倒だと仕事をサボって私に迷惑をかけた時と、ジェナスがからかってきて護衛だからと側にいて鬱陶しくなった時用です」

「「「っ!!!?」」」


名前を挙げられた、自分には関係ないと見物していた三人の表情が面白いくらいに変化した。ルースの表情も若干引き吊る。仲間が増えたからか、目に見えて嬉しそうなのはアルスマだった。

ジェナスが抗議する。


「って、待てよ! 護衛だから近くにいるのは当然だろ!? それを鬱陶しいからって酷くね!?」

「そんなに付きまとって変態ストーカーと呼ばれたいの?」

「何でそうなる!?」

「簡単な話でしょ。私が三日は近くにいるなと言ったら、その間は自分の本来の仕事をしていればいいだけ」

「いやいやいや、だから俺の仕事がお前の護衛だろ?」

「その間はエリーか誰か別の人に頼むからいいの。殿下だって宰相様だって魔法騎士団長もいるんだから」

「…………お前、コキ使う気満々だな。それも殿下もって…」


疲れたようにジェナスが項垂れる。ロアは淡白なままだ。


「毎日同じ顔を見るのは飽きるし疲れるでしょ。もう全力ではげろって念じるしかないじゃない」

「俺に失礼だ!! あと念じるな!」

「これはジェナスの為でもあるし、私の気遣いだよ。ジェナスだって私の側に一日中いて、疲れるでしょ。私なら絶対あなたに嫌がらせと無茶ぶりして憂さ晴ら…気をまぎらわせようとするから、さすがに悪いかなって」

「感動させかけておいて落とすな。絶対悪いと思ってねぇだろ? むしろ俺ばかりに構うのに飽きてくるだけだろ」

「腐っても弟弟子。よくわかったね」

「少しはオブラートに包んでほしかった!」

「それなら可愛くないバカ弟子、ぼくと仕事交換しようか」

「それは遠慮します!」


師と弟弟子が言い争うのをロアは放っておいて、自分の中にあるもう一つの魂━━同居人のクーデリカの意識を探る。話し合いに参加するやる気を見せていたのに、途中から随分と静かだった。それもすぐにに落ちた。なんてことはない。話し合いに飽きて寝ていた。


「あの、ロア? 冗談ですよね? わたしにまでそのリストは適用しませんよね?」

「あんた本気じゃないだろ? そもそも自分は真剣に訓練をしているし、迷惑なんてかけてないはずだ」


クリスとカインの主張に、ロアは能面のような何の感情もない顔を向けた。


「母の護衛、母が自由にしてきていいと許可を出したからといって職務中に街でナンパしているのはどうかと思うんですよ。魔法騎士団長も訓練を頑張っているのはわかるんですが、机仕事を頑張って欲しいかなって。もう既に期日を過ぎた書類がいまだに私の元に届いていないのはどういうことなんでしょうね?」


ひんやり漂う空気に主張した二人が震えた。静かに怒るロアを宥めるように、ルースが肩を叩く。


「お前たちが悪い。ロアも今回は見逃してやってくれ」


ルースの仲裁に、ロアは冷たい視線を二人に浴びせた。二人が素直に頭を下げて謝罪する。


「三度目はありませんよ。『きちんとした護衛をつける』と約束したにも拘わらず、ど変態ストーカー隠密をつけて、次はナンパする職務放棄男。魔法師長の任に専念して欲しいから、母の護衛をしっかりすると自ら申し出たのは宰相様でしたよね?」

「……面目ありません」

「ティーナおばさまが知っている可能性を考えて、母に謝罪しといてください。母の口添えがあれば少しは怒りも収まるでしょう。因みに私は一切庇いませんから」


クリスが震えた。ロアの助言に礼を述べて、肩を落とす。ついで視線を向けられたカインがびくりと反応する。


「私が引き継いで二週間。その間に五回も催促しましたよ。それなのにまだやってないとか大概にしてくださいね。報告書、くれぐれも忘れないように。部下も嘆いてましたよ。次にやらかしたら、魔法騎士全員の前で女装でもさせますから」

「なっ!?」

「本気です。エリーとティーナおばさまにも協力してもらって美人さんに仕上げますから。それで一日過ごしてもらいます。騎士は上の命令に従うんでしたよね。軍務を任されているのは魔法師長ということをまさか、忘れてはいませんよね?」


新設された魔法騎士団はあくまで魔法師長の管轄。魔法師と魔法騎士で指揮や訓練は別だが、統括するのは魔法師長だった。

ロアが不在の時は、暫定で魔法も強く武芸も秀でた王妃が統べていて、カインたちはその下についていた。

カインがぐっと悔しそうな顔になる。それでも迷惑をかけたと素直に頭を下げた。


「わかった。すまない、次からはきちんとする」

「小娘に従うのが嫌なら積極的に会議に出席して発言して、魔法騎士の立場を磐石ばんじゃくにする事です。二年後、魔法師長を廃止した時に中心になるのはあなたなんです。あなたが魔法師と魔法騎士を率いて、民を安心させるかなめになるんです。苦手だからと魔法研究もサボらないでください。そんな意識では誰も認めませんし、殿下や宰相様が築こうとしたものが崩れるだけで、邪魔にしかなりません」


辛辣だが的を射た言葉にぐうの音も出なかった。いつも涼しい顔をしていたカインが、真剣に受け止めている。

誰も言わなかった厳しい言葉に、面倒から逃げていた幼馴染みがようやく現実に目を向け始めた様子を見て、クリスが感心した。彼を奮起させ、現実に意識を差し向けたロアをそっと一瞥する。


「そんなに落ち込むなよ、カイン。ロアが魔法師どもに出した条件よりは少しマシだ」


言い争っていたジェナスが友人を慰める。不思議そうに問う眼差しを向けるカイン。ジェナスが遠い目になった。


「上司が歩く理不尽と称される王妃様じゃなくなったと、喜んでいた魔法師たちとの顔合わせの時に、時々王妃様に視察に来てもらって前よりだらけていると判断されたら、全員女装して好きな異性の前で告白させるって鬼畜発言したからな。女性魔法師も男装させてやらせるらしい。訓練も王妃様よりも厳しめだ。研究も大事だが、いざという時に体力なくて動けなかったら魔法師の任務ができねえって」


クリスが吹き出して笑い、カインが少しだけマシだったと複雑な表情になる。ルースが困ったように笑い、アルスマは別にいいんじゃないと肩をすくめた。


「でもそれでロアは大丈夫なのか? 不満を持たれたり、ぎくしゃくしたりとか」

「大丈夫ですよ、殿下。こいつがそんな事に堪えるわけねぇって。不満がある奴は全員で試合申し込んで、完膚なきまでに叩きのめされてた。今はこいつに一泡ふかせてやるって熱心に魔法研究に取り組んでは、ダメ出しされて助言を受け入れて突進する日々だ。大半は大人しく信者みたいに喜んで従ってる」

「………それは大丈夫なのか?」

「大丈夫だろ。一部の兵士たちも厳しく命令されたいって慕ってるし、突っ掛かる奴らも認めさせたら付き合って貰えるとか妄想抱いて頑張ってるし」

「いや、それ大丈夫じゃないだろ」とルースが突っ込む。アルスマも厳しい顔でぎゅっとジェナスの首に手をかけた。


「このバカ弟子がっ! そんな変態どもの排除と抹殺が護衛のきみの役目なのに、ナニを呑気に放置してるんだい?」

「本人が気にせず相手にもしてないだろ、お師匠」


ジェナスが師から逃れると、矛先がロアに向いた。


「ロア! きみもきみだよ!? もしわざとだらけて、そいつらがきみに求婚してきたらどうするんだい?」

「女装癖のある変態はお断りします」

「自分でさせといてその言いぐさ! きみらしいけど、逆上して複数で襲いかかってきたらどうするつもり?」

「ジェナスを生け贄に逃げますよ」

「ふざけんな! 確かに護衛の仕事だけど!」

「それは当然だからいいとして、さすがに魔法師複数人をバカ弟子一人では無理じゃないかな」

「おい師匠!」

「でも陛下と王妃様が、私に何かしたらその人の人生終らせるって脅してたんで大丈夫じゃないですかね。魔法師長と知って寄ってきた貴族たちも、牽制されてましたよ。護衛にケネディ大将軍もいると知って、軍関係はほぼ黙りました。それに魔法師長は王族に忠誠を誓っているから、誰の味方にもならないと告げましたし。………でもやっぱり、年齢不詳の性別不明で演じるべきでしたかね」


ロアが考えるように吐息した。

空色の長い髪に海色の目。今のロアは、クーデリカの容姿の色を以前の魔法の応用版で自分に映し、他者にそう見せていた。


年齢不詳、性別不明の魔法師長クーデリカ・オルシュタイン。

その設定でいくはずだった。

けれども、宰相クリスをはじめとする国王、王妃、師匠にもそれは難しく、現状、今ですら大変な日程なのに、男性らしい振る舞いとマナー、ダンス等を学ぶのは無理があり、咄嗟の時にどうしてもロアやクーデリカ自身の仕草が出てしまう可能性が高い。

説得されて、ロアも確かにと納得した。

それで、今の魔法師長クーデリカ・オルシュタインができた。

年齢ははぐらかしているが、性別は女で姿も隠すことなく見せていた。そうなれば、当然というか、魔法師長の力を宛にしたい輩からの誘いがしつこい。


「ですから、殿下かわたしかカインか誰かの婚約者という設定を付け加えれば良かったんですよ」


クリスが「今からでも可能ですよ」とすすめてくる。ロアは半眼で睨んだ。ため息を吐いて甘言を無視する。

そうしたら最後、逃げられない。クリスはロアをこの城に留まらせようと、誰かと本気で結婚させる可能性が高い。

時々、値踏みするように向けられる視線は知っていた。


ロアはそんなの御免だ。二年間は利用されるが、その後は確約しかねる。それにこの三人と一緒にいるだけで会った貴族の令嬢たちから口撃・・される。嫌がらせも届いた。

それらの嫉妬は全部お門違いなのでまるっと無視したが、煩わしい。ルースたちに報告はしていないが、ロアは疲れたように息を吐いた。


「遠慮します。二年だけの約束ですから」

「そうだよ。もしロアとクレアさんに何かしようとしたら、ぼくは全力で大事なきみの国と王様を滅ぼすから。肝に命じておくんだね、宰相」


冷徹な眼差しをアルスマがクリスに向ける。それから我関せずなその主に視線を移した。


「殿下は…そんな心配無さそうだね。あの王さまも王妃もそんな事はしないだろうし」

「ですが、ロアの意思でここに留まるのなら話は別でしょう」

「それはそうだけど、きみにその魅力があるとは思えない」


苦し紛れのクリスに、彼以上の美貌で鼻で嗤うアルスマ。火花散る中、ロアは壁時計を見て「書類が届く時間」と呟いた。


「それじゃ、私はこれで」

「って、お前が原因のこの状況を放置かよ!」

「何言ってるの、ジェナス。私が放置されてるんだよ。私の意思が介在しない勝手な言い分なら、言うだけただでしょ。好きに言わせておけばいいよ」

「え、そういうもんか。それでいいのか?」


ざっくり切られた二人は虚しくなって、互いに視線を外した。


「まぁ、言質は頂きましたし」と呟く宰相に、アルスマが嘲笑する。「落とせるものなら落としてみればいいよ。無理だろうけどね」


「ほら、よく見てジェナス。当人無視して話が弾んでる」

「確かに。お前が放置されてるな」

「バカ弟子、近い。ロアに近づくな。近づかないで守るように。それと傷一つつけたらそれ以上の傷をぼくがつけるから」

「へいへい」


ジェナスがロアの側からそっと離れた。アルスマがロアの正面に立つ。


「ロア、くれぐれも気を付けるように。何かあったらすぐに連絡するんだよ」

「はい。師匠もしっかり情報流してくださいね」

「………うん、頑張るよ。それとロア、その姿はムカつくから魔法解いていつもの姿に戻って」


ロアは素直に魔法を解いた。腰まであった空色の髪が胸元までの黒髪に。海色の目が黒曜石のような漆黒の瞳に。容姿も皇女から街娘に変化した。

本来の姿を見て、アルスマがほっと安堵したように心からの笑みを向けた。


「でも、心配だよ」

「師匠、とっとと行って下さい。私も暇じゃないんです」


アルスマが膝をついて、顔を覆った。「旅立つ師に対して酷すぎる」とジェナスが呟く。ロアが嘆息した。


「師匠、いいんですか。こうしてお仕事が遅れていく間にも、母は一人で店番ですよ。役立たずの護衛が居ても、私が側にいないんですよ。そうしている間に」

「クレアさんに言い寄るバカがいないとも限らない」

「そういうことです。この問題から解放されない限り、近くには行けないんですよ」

「そうだね。バカな三国が落ち着かないときみも城を離れられないか━━うん、やる気出てきた。頑張ってくるよ」


アルスマが立ち上がる。

「お師匠がコロコロ掌で転がされている」と嘆くジェナスをロアは黙殺した。


「ところでロア、ぼくが戻ってきたら」

「いいですよ。母とお出迎えしますから、事前に連絡くださいね。母には師匠が私の為に頑張ってくれたと伝えておきます。ついでに泊めてあげます。師匠の好きな鶏肉の香草焼きも作ってあげましょう。━━女性のストーカー連れてきたら、即刻叩き出しますが」

「大丈夫。そんな目障りなの連れ帰らないから」

「そうですか。それでは、師匠も気を付けて」

「うん、行ってくるよ」


ロアがふっと口元を綻ばせた。


「はい、行ってらっしゃい」


アルスマも花のように笑う。ロアの耳元で嬉しそうに甘く囁いて、体を離す。それから窓を開けると、そのまま跳び出した。

唖然とする面々の中で、ロアは開いた窓を閉じて、本来の姿から魔法師長の姿に戻る。

次の仕事に戻る為、ロアは部屋を後にした。


その夜から、ルースたちにも内緒でアルスマから無事かと確認の連絡が毎日届くが、知るのはロアとクーデリカのみである。




その後、アルスマからの情報で、軍事国家イオニス帝国が密かに今までの小競り合いではなく、大規模な攻撃を仕掛けようとしていると情報が入った。

師が旅立ってから二週間、ロアたちが魔法師長を引き受けてから、一ヶ月の事だった。


中秋の今、仕掛けられては戦端が開かれる可能性が高い。

それではまだまだ色々と準備が整っていないファウス国には、かなりの痛手になる。何より、ルースの即位がぶち壊される。

民も不安から、暴動に発展する可能性が高い。


緊急会議が開かれる中、ロアは魔法師長として意見を求められた。むしろ、魔法師長が表に出て行って戦って潰して欲しい、実力を見せて欲しいと期待の目が向けられていた。


ロアはちらりとルースを一瞥すると、彼は静かに首を横に振った。行くな、そう言ってくれたのがわかった。ロアは表情には出さずに、ほっとした。


あの約束を交わした日から、ルースが時々時間を作っては一人でロアの元を訪ねてくれる。細やかに気遣って、ロアの弱音や愚痴を聞いて、慰めてくれるのだ。


最初は遠慮していたロアだったが、奇襲というか、毎回、ロアが一人でいてぼんやりと気を少し緩めている時に現れるのだ。それから約束を引き合いに出され、後見人だからしっかり心身ともに見守るのも役目と言われ、怒らせたりしては、感情と本音をうまく引き出されて、結局は話を聞いて貰った。


ルースはロアに自由に決めていいと言った。

ロアがどんなに無茶をしても、ルース自身がいいと思ったら賛同して、間違っていたら意見を言ってくれた。失敗すればフォローして、うまくいかずに蔑ろに扱われても、黙って話に耳を傾けてくれた。


その一方でロアもルースに意見を求められた時は、真剣に答えた。愚痴も聞いて、最近ではお互いに積極的に言い寄ってくるのが多くて困ると、愚痴大会になった。

けれどどちらも、婚約者のフリをしようとは口にしなかった。


たまに、ルースやクリス、カインとの関係を聞かれることがある。その時は魔法師長として、忠誠を誓った相手、戦友として政策を舵取りする仲間と無難に返す。

巻き込まれてこうなったただけとは、言えない。ここに留まると決めたのは自分自身だから。


会議でロア━━魔法師長のクーデリカに視線が集中していた。

いざという時の覚悟は決めてあった。けれどもそれは今ではない。ロアは精一杯、自分の手が汚れない方法を模索して、実現させようと足掻くだけだ。


『そうよね。わたくしもあなたに賛成よ、ロア。魔法師長がいるからって急に強気になって、つい最近まで怯えていたバカ貴族どもの意見に従う必要はないわ』


クーデリカの声に、ロアは微かに口元を綻ばせた。

予定が狂ったが仕方ない。少しの誤差だ。

王と殿下を見つめて、魔法師長は意見を述べた。


「三国ではようやく私の存在が噂になっているようですね。恐らく、今回の大規模な攻撃の目的は、噂でしか知らない魔法師長の私を引っ張り出す事かと思います。ですので、殿下の即位と合わせて行う予定だった私のお披露目を早めましょう」

「早めてどうする? この問題は解決するのか?」


困惑にざわめきかけた場を、ルースが一言発して鎮めた。


「はい。大々的に広めましょう。民も噂でしか知りませんから、私の存在を示すことで安心してもらい、魔法師長の実力を見せます。この事はすぐに魔法師長の存在が気になっている三国にも広まるはず。慎重な彼らは警戒して短絡的に攻撃を仕掛ける真似はしないでしょう。殿下の戴冠式に出席して、魔法師長を見極めようとすると思います。そしてもし万が一、仕掛けてきた時は、お望み通り私が出ます」


今度は歓喜に場が騒々しくなる。この場にいる大半が未だに魔法師長の実力を直に見ていない。だが、噂でその功績は耳にしていた。城の結界を強化したので、どんな魔法攻撃も通さない事、王族とこの国に害意がある者は、結界内に入ると著しく気分を悪くして体調を崩す事、特に何か仕掛けようとすれば強制的に眠りにつく事。


実際に毒を盛ろうとした刺客は、料理の前で毒の入った容器を手にしたまま寝ていた。王を害そうとした暗殺者は、部屋に侵入する前に意識を失っていた。


一度捕らえて、魔法師長が自分の結界魔法にかかった者か体調不良か確認すると、黒だった。すぐにそのまま拷問、或いは自白剤で情報を吐かせては手引きした者も捕らえられ、城の内部は随分スッキリした。


また新しい魔法や、道具の開発も随分と進み、試作段階にまでこぎつけていると報告されている。それが事実とわかっているから、誰もが半信半疑ではあるが魔法師長と認めてはいた。


方針が決まり、急いで魔法師長のお披露目準備が急ピッチで進められた。大々的に民衆にも話が伝わり、二週間の内には国内全土に広まった。国境を越えて話が伝わった頃、魔法師長のお披露目が行われた。


一目見ようと民衆が王都リンゼルに押し寄せ、そこでロアは王都に大規模な結界を張ってみせた。数人の魔法師が空に浮かんで姿を群衆に晒しながら、炎やら雷やらを放つが、それらは全て結界に阻まれ、消え去った。宙に浮かんだ剣や斧や槍が結界にぶつかっても、結界が阻んで通さなかった。


その日、ファウス国の王都は歓喜に包まれた。ようやく自分たちを守ってくれる存在が現れたと。魔法で王都の空に花が咲き、それが降り注ぐと、より一層民が興奮する。こんなに凄い魔法師長なら安泰だと。


それからは少しずつ流通が増え、国全体で民が明るくなった。

魔法師長のお披露目の話は、瞬く間に国外にも広がった。

国外で動いていたアルスマや、ファウス国の諜報員のお陰でもあるが、話が広まると国境の小競り合いも下火になり、大規模な攻撃の話も聞かなくなった。


それから一ヶ月。

無事に戴冠式が終わり、ルースに王位が移譲された。

多くの者が魔法師長に接触しようと面会を求めてきたが、忙しさを理由に断り、夜会で姿を見せると伝えた。


食事に毒を盛ろうとした輩や、爆発騒ぎを起こそうとした者、どの要人を狙ったのか暗殺者もいた。

起こる問題を魔法師長と魔法騎士で未然に防ぎ、魔法騎士の訓練風景を視察させたり、魔道具を見せたり、最先端の発展した医術、品種改良した農作物の苗、活気溢れる整理された街並み、そういったものを存分に見せつけた。


整備された街の様子や魔道具や日常生活品に商業国家サヘル国が興味を示し、品種改良された作物には農業大国のルシン国が食いついた。イオニス帝国も新しい魔法研究や魔法騎士に注目していた。


滞りなく日程を消化し、そして最後の締めくくりである夜会。

ロアはルースたちが呼んでいると見かけないメイドの案内で部屋に入ると、閉じ込められた。


そこで待ち受けていたのは、ルースたちではなく見知らぬ貴族らしき身なりの男たち五人。全員がニヤつきながら、魔法師長に手を伸ばしてきて、クーデリカが怒った。


選手交代とロアは体を友人に明け渡し、クーデリカは風魔法でロアの回りから男たちを吹き飛ばして、風の圧力で床に押さえつけた。

裏方で指揮を執るため、ロアの側を少し離れたジェナスのいない隙をついた出来事だったが、事なきを得た。


「わたくしに手を出すということは、命が要らないと解釈しました。その覚悟でここで待ち受けていたのでしょう?」


口の端を上げて冷ややかに笑って見せれば、男たちは青ざめて震えていた。首謀者の名前を聞けば、あっさりと国内の令嬢たちの名前を出した。


クーデリカは容赦なく、男たちの回りの酸素を奪って昏倒させると、「ごめんなさい」とロアに謝罪してきた。

自分が魔法師長になるよう巻き込んだから、こんな目に遭わせたと後悔の念が伝わってきた。


それを宥めて、ロアは風魔法で呼んだ魔法騎士に男たちを任せて、急いで会場に向かった。



***



ロアは、開かれる扉を見つめていた。


━━さぁこれからが本当の戦場だ。


開かれた扉の先に広がる煌びやかな世界。

堂々と胸を張ったロアは、様々な種類の視線を一身に受けながら、足を踏み出した。



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