26, 小話
ルースとの誓約から二日後。
反乱組織レイヴン襲撃の後始末、今後の方針、その諸々に対する準備、対応が大方決定した。
ルースの即位式兼戴冠式の件と、クーデリカ・オルシュタインの魔法師長任命の件を国内外に大々的に知らせる準備も整え、根回しや裏工作も済んで、王妃つきの女官としてロアの名前もこっそり加わった。
昨日、カレンティーナ王妃も無事に帰城し、セオルド王やルースたちからこれまでの事情を全て聞いたようだ。
嫌々ながら師を伴って母の見舞いをしていたら、嵐のように王妃がやって来てそのまま抱きつかれて驚いた。夫婦のそっくりな行動にロアは少し呆れ、追ってきたルースにはすまなさそうにされ、王がずるいと喚いていた。それに王妃が反論し、何やかやと賑々しくなり、ロアは豪華な美女に抱きつかれてされるがままでいた。
取り敢えず、セオルド王が順調に回復しているようで安心し、口にはしなかったが、腐ってもさすが師匠とその知識にだけ尊敬の念を抱いた。
突然の騒々しさに母は驚いていたが、楽しそうに微笑んでいたのでロアも何も言わなかった。
久しぶりに会った友人に、母クレアも王妃もごく自然に昔の城内の事、今の城の事、誰が辞めてどうなったか、まだ誰がいるから後で挨拶にこさせるといった話に花を咲かせた。
そのままの流れで王妃が「最近は物騒だからか若い女官がもう三人も辞めて実家に帰って困っているのよね。若い人手が不足していて」とため息を吐き、ふいにロアを見て表情を輝かせて抱きつくと「良ければロアを女官にしてもいいかしら?」と勧誘してきた。
ロアはそういう流れかと察して「でも私には畏れ多いです」と殊勝にやんわり辞退すると、クリス宰相が吹き出しかけ、カイン魔法騎士団長が奇妙な者を見る目をしたので、視線で黙らせた。
ついでに急遽この舞台を用意した王妃も「そうなったら素敵じゃないかしら、クリス? どう思う、カイン?」と笑顔で牽制した。副音声で「このわたくしの舞台を壊したら、ただじゃおかないわ」と聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
水を向けられた二人は、首振り人形のように引き吊った笑顔で肯定した。
「二人も是非にと賛成してくれているし、わたくしもロアが側に居てくれたら心強いわ。毎日じゃなくても、夜だけでもいいの。ちょうど不寝番として隣室に控える者たちも人手がなくて、体が辛いと言っていたから━━頼めないかしら、ロア? クレアもお願い!」
これにはさすがの母も悩んだが「娘が望むなら」とロアを見て許可を出した。後はそれはもう熱心に王と王妃に乞われ、ロアが引き受けた。
それからは友人同士で話があるからと、再び話の花が咲き始めたので、一同は部屋を後にした。
人気のない廊下を歩いていると、何やら真剣な顔で考えていたアルスマがふと顔をあげた。因みにアルスマは元々城の魔法師で休職していたが、弟子のロアを守るために魔法師として復職して城にいると、クレアには説明した。
恐縮する母に真面目な顔で「可愛い弟子を守るのは当然です。騒ぎは治まりましたが念のため、もう暫くロアとあなたの護衛をしますのでご心配なく」と、素敵な笑顔で手を握ろうとしたので、すかさずロアが叩き落とした。
笑顔を直視したクレアも王妃も赤面する事も見惚れる事もなく、「ありがとうございます」とにこにこ笑って母がお礼を述べた。
むしろアルスマの方がぽーっと見惚れて、照れていた。
「ロア、決めたよ。きみがいない間はぼくがクレアさんを守りながら、お店を」
「何か言いましたか、師匠?」
にっこり、ロアが笑う。
「…。きみがいない間はぼくがクレアさんを守りながら、お店を」
「ごめんなさい、師匠。よく聞こえません。それで何ですか?」
にこにこ、にっこり。
開いた目はゴミ虫を見るもので、アルスマの顔色が悪くなる。最終的に「ごめん、何でもないよ」と肩を落として告げる師に、ロアは「そうですか」と頷く。
話を聞いていたセオルド、ルース、クリス、カインは(あ、負けた…)と胸中で思うに留めた。
落ち込む師をロアが追撃する。
「師匠。まさかとは思いますが、私がいない間に母とお店に立って、回りから固めてその内、夫になろうとか考えてませんよね? 物凄く久しぶりに会っても何とも思われていないのは明らかでしたよ。それに師匠が母の側にいるなら、私は心配で魔法師長の任務に支障をきたすやもしれせん」
言葉の刃でサクッと師匠を刺しつつ、後半の脅しの内容にクリスとカインがぎょっとした。それは困るとクリスが慌ててアルスマの説得にかかる。
「クレアなら心配いりません。こちらで護衛を手配します」
「えっ? まさかまたあのど変態隠密をつけるのですか? それなら益々、仕事に集中出来なくなりそうですね」
「ぼくも心配でうっかり護衛についたそれを殺したくなるかも」
「そこで蒸し返して、タッグを組むんですか! きちんとした護衛をつけますよ!」
クリスが頭が痛いと、顔をしかめた。
ロアはのほほんと微笑んで「それなら大丈夫ですかね。何かあったら『きちんとした護衛をつけた』宰相様が責任を取ってくださるそうですし、師匠も安心しましたよね?」
クリスが目を剥いた。口を開きかけては閉じ、深く嘆息した。カインが慰めるように肩を叩く。
「母は大丈夫そうで安心しましたし、これで師匠も何の問題もなく旅立てますよね。良かったですね、師匠。母の眼中になかった傷心の師匠を慰めてくれるいい方が、きっと他国にいますよ。『可愛い弟子を守るのは当然』と母に仰ってくださいましたから、その為にもちろん他国でお仕事頑張って来てくださるんですよね。そんな師匠でしたら私もほんの少し尊敬しますし、母にも伝えたくなるかもしれません」
絶望したような死んだ目になったアルスマだが、最後の言葉に少し浮上した。そこに現れたジェナスが、衝撃を受けたように落ち込む。
「お師匠、掌でコロコロ転がされないでください。こんなお師匠をまさか見ることになるなんて…。あんなに沢山の美女を侍らせて、自由自在にいうことをきかせていたのに……」
「命令を守れなかったバカ弟子に何を言われても、どうでもいいよ。お気に入りの子になら、たまには転がされるのも楽しいからね」
「そうですか。因みに先程のジェナスの言葉でほんの少し奇跡的に上がりかけた師匠の株が、大暴落しましたけど転がされるのが楽しい師匠は気にしませんよね」
「ちょっと待って、ロア。それは辞めて欲しいかな。今すぐ嘘をついた役立たずのバカ弟子を始末するから、さっきのは聞かなかったことにしようか」
「ひでぇ! ロア、兄弟弟子のピンチだ! 大人げない師匠から助けろ」
「ロアが助けるわけないだろう。きみを助けるくらいなら、ぼくの味方になるに決まっているよ」
自信満々に言い切るアルスマにロアはイラっとしたが、無視した。ジェナスがムッとして張り合っている。バカらしくなったロアは先に行こうとして、右手を師に、左手を兄弟弟子に掴まれた。そして面倒な問いをかけられた。
「二人が崖から落ちそうです。どちらか一人しか助けられません。あなたはどちらを助けますか?」
「どっちも放ってお」
「「それは無しの方向で!!」」
落ち込んでいたクリスが面白い見世物だと笑いだし、カインがバカらしいと吐息して、「僕も」と参戦しかけた国王をルースが「これ以上ややこしくして、頭痛のタネを増やさないでください!」と、止めていた。
ロアはルースに賛成だが、アホ師弟がそれを許さなかった。
瞳をギラつかせて、返答を求めてくる。
「ロア、はっきり言ってやるといいよ」
「ああ、遠慮することねぇからな」
答えないと穏便に解放されないと理解したロアは、寝ていたクーデリカが起きて、ワクワクと面白そうに自分たちを観察している事に気づいた。助けを求めて痛めつけていいと生け贄を捧げてみるが、寝たふりをされた。
ロアはするりと両手をほどくと、ため息を一つ。
師弟を交互に見て、口を開いた。
「どちらも蹴落とす」
「えっ?」
「はっ?」
「面倒だから二人仲良く落とします。年齢順で師匠から……あ、でも自力で上がられると困るから、体力のあるジェナスからにした方が……そうすると、師匠に魔法使われるかな。どうしたら二人とも二度と戻ってこられなくできるんだろう」
いつになく真面目に思考するロアに、師弟が青ざめた。クリスとカインの頬が引き吊り、王は賛同するように頷き、ルースは疲れたと吐息した。
「ロア、いざとなったその時は協力するから、今は大臣たちが待つ会議室に急いでくれ」
ルースの言葉に我に返ったロアが、そうだったと後に続く。
大人しくついていくその様子に師弟が目を丸くし、クリスがどこか感心したように頷く。
セオルド王とカインも歩き出し、ジェナスが納得のいかない顔でルースに並んだ。
何かこそこそ話しているが、ロアはロアで内側のクーデリカから「なに、何!? どういうこと!?」とうるさく騒ぎ立てられたので、約束の事は伏せて、忠誠を誓ったことだけ話した。「ふーん」と何だかクーデリカのニヤニヤ笑いが浮かんでムッとしたが、ロアは表情を動かさず、心の内も読ませないよう壁を作った。無反応にクーデリカからつまらないと聞こえてきたので、煩くならずにほっとした。
「下らないこと詮索してないで、お前は何でここに来たのかを話せよ」
「あ、でも、大臣たちが呼んでたってわかってたじゃん」
「減給するか。ついでに暇なら反乱組織にまだ潜伏している隣国の手の者がいないか、洗いざらい探ってこい」
「鬼! 優しい王子の名が廃るぞ!」
「俺はそう名乗った覚えが無いんだが、嫌ならお前も会議に付き合え。他の暗部からの報告書はちゃんとまとめてあげてんだろうな」
「それは大丈夫だ。ケネディ大将軍も集まってるぜ。他にもコルト侯爵と三大臣も待ってる」
「わかった。急ぐぞ」
仕事モードでルースが颯爽と歩き、他の面々も気を引き締めて国のトップ陣が待つ会議室へと向かった。
***
詳細は省いて内々にロアを引き合わせ、魔法師長の承認を取り付けた後は、各自本来の仕事に戻った。
もちろんルースもやることは山積みなので、執務室に戻るなり朝片付けたのにもうたまった書類仕事に精を出す。
出すのだが、会議室から退室する際、予想していた通りにクリスと第二大臣がにんまり笑って何かを画策していたので、今から頭痛がした。
ノック音がして入室を促すと、クリスとカインがジェナスも共に入ってきた。怪訝な顔で迎えると、その後ろから笑顔の王妃━━ルースの母であるカレンティーナがいた。
思わず顔が引き吊りそうになるのを堪えて、にっこりと笑う。
「どうされましたか、母上?」
「久しぶりね、ルース。今、時間はあるかしら?」
「……無くても空けさせるでしょう。ていうか、用件は訓練場ですか」
「察しがいいわね。その洞察力でどうしてこうなると判断がつかなかったのかしら? ロアにちょっかい出して巻き込んで、わたくしのお友だちまで危険な囮をさせて━━まさかただで済むなんて愚かな事を思っていないわよね?」
笑顔の圧力が半端なかった。父とケネディ大将軍の予想通りになった事に、ルースは理不尽だと心の中で呟きつつ、殊勝に頷いた。
「いい覚悟ね。往生際のいい子は好きよ。逃げようとしたこの三人よりは少し優しくしてあげるわ」
歩く理不尽。
きっと王妃に捕まって項垂れている三人はそう思っていることだろう。虚ろな目ですっかり諦観している。
「それでは行きましょうか。四人ともたっぷりしごいて、反省してもらうわよ。最近、鈍っているでしょう。昨日たくさん休んで元気だから、全力で相手するわ」
魔法師の才能があり武芸も修めている王妃は、知るものこそ少ないが、強い。暫定的に今まで魔法師長の代理を務めて、魔法師たちをまとめて管理し、国境の小競り合いを治められるくらいに強い。
ふと、思い付く。
ダンスや振る舞い、魔法師長の仕事の内容など、母が教えてくれる事になっているので、その事について話をしようと思っていたが、母に頼めばクリスたちの企みを阻止するのに使えるかもしれないと考えた。間違いなく、牽制になる。
「あ、母上。その前に一ついいですか。お耳に入れたい事があるので、訓練後にお時間を頂いてもよろしいですか?」
「あら。ええ、構いませんよ。━━ふふっ。それでは、参りましょうか」
ルースたちには地獄への招待状に聞こえたが、王妃はそれは美しく華やかな笑みを浮かべていた。
その日の夜、夜中近くまで訓練場から悲痛な悲鳴が聞こえて、事情を知らない者たちの間では怪談として、暫く噂になった。
次から続編です。




