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「まずは魔法師長の任を受けるに当たってですね、その際の名前はクーデリカ・オルシュタイン。性別、年齢不詳の寡黙で特定の人物と以外関わらない、魔法師長にします。その時の私はローブで顔も体型も隠すようにします。ロアである私とは別人ということにさせてもらいますね」
「クーデリカ・オルシュタインって本気ですか?」
クリス宰相の問いかけに、ロアは頷いた。
「その名が通じる各国の王族は、多少警戒するでしょう。何の冗談の名前かと。少しは牽制になるといいです。ところで殿下、即位式は晩秋でよろしいですか?」
「どうしてそれを…。既に各国には連絡済みですが、まだ陛下と殿下と内々に進めているのに…」
あっさり放たれた質問に、王も宰相も王太子本人も目を丸くした。気にした風もなくロアは淡々と告げる。
「今は初秋、とりあえずまだ戦端が開かれていないのであれば、この冬は持ち越せるでしょう。その前に各国の王族たちを招いて、盛大に即位式を行い、さらに牽制がてら国力、魔法騎士の力を見せつけつつ、腹の探り合いですね。懐柔できるなら少しでも味方にしておきたいでしょうが、現状では難しいですね。こちらに味方した際の利点に目ぼしいものがありませんから。それなら三国でこの国を食い散らかした方が旨味があります。
それでその即位式に、魔法師長のお披露目もぶつけましょう。精々派手に魔法を使って歓迎し、即位を言祝ぎます」
「力を見せつけて、本当に実力ある魔法師長がいることをアピールしつつ、喧嘩を売ってくるなと更に牽制するわけか。当然、大半の関心が魔法師長に向くがいいのか?」
ルース王太子の言葉に、ロアは頷く。
「どうせ逃げられないんです。思いっきり目立って興味を引くことにします。その後はしっかり守って貰うとしますから、宜しくお願いしますね。きっとわんさかと暗殺者か人さらいが押し寄せてきますから。ついでに毒殺、薬漬けにも注意しておいた方がいいですね。
冬の間は三国も力を蓄えつつ、戦いの準備をしているはずなので、こちらも備えるとして。雪が溶けて春が来たら、私はクーと二人で軍事国家のイオニス帝国との国境に向かうとします。他のサヘル国とルシン国には魔法騎士団と実力ある三人の若い魔法師がいましたよね。その二つのグループに任せるとします」
「何故、イオニス帝国との国境に?」
訝しげに口を挟んだのはカイン魔法騎士団長。
ロアはなんて事なさそうに返答する。
「どれだけ牽制しても、相手はまだ半信半疑だからです。きっとこの国の魔法研究を自国の武器と戦闘に使いたいと、一番欲しがっているイオニス帝国は、力にものを言わせて、越境しようとする可能性が高いので。最悪は三国が同時に進軍してくることですね。残念ながら可能性は低くないでしょう。だから、イオニス帝国の方に私たちが行きます。そこで派手にやらかせば黙るでしょう。何とか上手くやりますよ」
ロアはルースを見やり、彼に「他の条件は?」と聞かれて、微笑む。これまでの提案を了承してくれたようだ。
「昼は店でこれまで通り営業したいです。夜なら城で働いても構いませんが、でも毎日も嫌なので臨機応変に。何かあった時は呼んで頂いて構いません。それと魔法研究の報告については私じゃなくクーに一任します。私がこの城に来る理由は、母のツテで働かせて貰えることになったから。配属部署は適当に決めて下さい。その際のフォローはエリーにお願いします。もちろん怪しまれない程度に、私も女官か下女として働くとします」
「それなら母上に仕える女官ということにしよう。あの辺なら口が固くて身元も確かな者たちだし、母が色々と頼んでいる事にしておけば、融通がきく。後は周りが勝手に母個人の隠密と勘違いしてくれるだろうし、母上もロアの為なら喜んで協力する」
「それで結構です。いずれ書面で契約書を交わすとしましょう」
ロアが首肯し、やり取りを黙って見守っていたアルスマに目を向けた。
「これでどうですか、師匠。大まかな今後の具体的方針は決まりましたよ。後はその都度、問題に対応するとします。これで安心して側を離れてくださって問題ないですよ」
「まぁ大体ぼくの予想と同じ事を考えて、それに対しての動きとしてはまぁいいかな」
及第点をくれたのに、アルスマの表情はどこか晴れない。
「ロア、忘れないようにね。きみが決めたことならそれでいいけど、きみはクーデリカの件がなければ普通の成人したばかりの女性だ。本来なら関わってほしくないけど、無理はしないように」
「はい。ご心配していただいてありがとうございます」
アルスマがロアの正面に立ち、不安げに見つめた。
「……やっぱり心配だから、ぼくも側に」
「不要です。師匠がいる方が問題だらけですよ。絶対城で貴族令嬢や女官と問題起こしますよね。場合によっては貴族の方や兵士とも揉めますし、どうせならその顔を有効活用して、弟子のために他国でこれまで通り老若男女から情報収集してきて下さい。人をたらし込んで、情報引き出すの得意でしょう? 他国でなら存分に何股でもかけて、引っ掻き回してきていいですよ」
「………それってぼくが誰かと爛れた関係になってもいいってこと?」
じとりとアルスマが不機嫌にロアの顔を覗き込む。ロアはもちろんと首を縦に振った。
「何か腹が立ったから、きみをつれて旅にでも出ようかな」
「お一人でどうぞ。師匠の世話なんて面倒みきれません。十二年前もそう断ったじゃないですか。そもそも六歳の子供を、いると便利だからと従者がわりにつれていこうとするのもいかがなものかと思いますよ。両親にも怒られていたじゃないですか」
「成人した今なら問題ないよね。きみがいれば変な虫も寄ってこないだろうし」
「嫌です。その場合、もれなく私への被害が尋常じゃないです。子供だったならともかく、今なら間違いなく恋人とか勘違いされるじゃないですか。絶対に嫌です!」
「………そこまで拒絶する?」
「しますよ。余計な命のやり取りで心労が増えるのなんて御免被ります」
「それならぼくと結婚するかい?」
さらりと。脈絡なく言われて、その場の全員が鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
すぐに正気に反って、呆れたのはロアだ。
「お断りします。指輪だけしても虫除けにならないですよ。変態ロリコン」
「……成人した今ならロリコンにならないよね」
「そんなに身の回りの世話役が欲しいなら、美少年でも雇ったらいかがですか? これ以上、ふざけるのなら怒りますよ」
神妙な面持ちになったアルスマが、悩ましげに吐息した。いつの間にか、ロアの右手を手に取っている。引き抜こうとしたが、掌の感触に動かすのをやめた。
「ロア、十二年前は確かにきみがいると虫除けになるし、身の回りの世話は完璧にしてくれるし、物凄く便利で役に立つから、貰っていこうとしたよ。反対されて容赦なくヘンゼルさんとクレアさんに殴られたけど」
「当然の反応ですね。子供を親元から引き剥がすなんて」
「一年に一度くらいなら里帰りするとも言ったけど、だめだった。それならと婚約者として連れていって、成人したら責任をもって嫁として貰うとお願いしたら、更に殴られて追い出されたんだよね」
「本当に非常識のロリコン変態ですね。師匠の美貌に惑わされない良識のある両親で幸いでした」
「本当にね。欲しかったら、大きくなってから求婚しにこいとヘンゼルさんは言ってくれたよ」
「そうですか。お断りします。とっととお帰りください」
「……年頃の娘がその反応はどうかと思うよ?」
「本気じゃないとわかっているのに、どんな反応をしろと?」
ロアが嘆息した。ルースたちは師弟のやり取りにひたすら目を白黒させて、当惑している。
「心配いりません。私は大丈夫ですよ、師匠。あなたで顔のいい人には見慣れて耐性がついてますから、どんな美人だろうと、甲斐性ある貴族だろうと有望株の他国の人間だろうと、誰が甘い言葉で巧みに寄ってきても靡きませんし、ついていきませんから」
アルスマがほっと胸を撫で下ろした。さりげなく、手の甲に口づける。その姿も実に様になっていて、女性なら卒倒しそうだが、ロアは舞い上がりもせず、拳にした右手を嫌そうにシーツで擦って拭いている。
その反応にこれなら絆されることはないと、アルスマが安堵の息を吐いた。
ロアもお遊びは終了と真剣な目を向けた。
「それより、情報収集してくれるんですか、してくれないんですか。どこかの重臣たぶらかして骨抜きにして陥落させて、国家機密を握ってきてくれても構いませんよ」
「………ロア、きみはお披露目までに少し淑女の嗜みを身に付けた方が良さそうだね」
「ご心配なく。性別不詳の設定を守るために、女性でも男性でも完璧に演じきってみせますよ。やるからには手を抜きません。それより、協力してくれるんですか? 他国からの情報があるのとないのとでは違うんでぜひ欲しいんですけど」
じっとロアがアルスマを見つめた。根負けして先に目を逸らしたのはアルスマだった。
「初めて師匠が見つめ合いに負けたとこ見た。ロアって本当に女か」と、愕然としたジェナスが声を震わせていたが、無視した。
アルスマが乗り気じゃないように、難しい顔になる。
「……ぼくに利益がないんだけど」
「師匠、選択肢を四つあげます。
その一、大人しく情報収集する。
その二、邪魔にならないように肉食系マダムの餌食になって大人しくしておく。
その三、邪魔にならないように男色家と楽しく監禁されて冬を過ごす。
その四、母に爛れた遍歴をばらして、私に手を出そうとした変態ロリコンが側に戻ってきたとその他色々とあることないことご近所含めて言いふらす。きっと皆さん私に近寄らせないようにしてくれますね。他国にもロリコン誘拐犯として手配書回しますか。さて、どれが」
「一でお願いします」
「最初から素直にそう言ってください。本当に面倒臭い人ですね」
「……弟子がぼくに辛口過ぎる」
アルスマがガックリ膝をついて、顔を両手で覆った。
「まぁそれで殴るのはやめておいてあげます。だからクーの件も、今回の件も気にしなくていいですよ。私が選んだんです。師匠に責任はありません」
「ロア…」
「でもその無駄に綺麗な顔見ると、以前かけられた迷惑行為を思い出してムカつくので、きっちり馬車馬のように働いて、体で返してくださいね」
「弟子が逞しすぎる。……どうしてこうなっちゃったのかな」
「だらしのないどうしようもない大人が回りにいたからです」
ふと、ロアが落ち込む師を再度見つめた。嫌な予感にアルスマの表情が引き吊る。
「師匠、陛下の呪いを解くことは可能ですか?」
「……さぁ。無理かな」
「解けるんですね。それではよろしくお願いします」
「ロア!」
「解いてくれたら、旅で近くに来たら一日くらいはご飯付きで家に泊めてあげますよ。一日過ぎたら追い出しますけど」
「条件酷くない?」
「嫌ならいいです。師匠は血も涙もない酷い人だって母に言っておきます。ついでに近寄らせません。私も破門にして貰って今後師匠とは縁を切っていないものとして」
「━━わかったよ。解くからやめて」
「そうですか。では、お願いします」
どうぞどうぞ解いてくださいとあっさり掌を返されて、アルスマが嘆く。
「もうヤダ、この弟子。きみくらいだよ、ぼくをころころと手玉にとって上手に転がすのは。稀代の悪女になりそうで将来が不安」
「ご期待に添えるように、せめて小悪魔になれるよう頑張ります」
「やめて! 本当にならないでいいよ!?」
ぐっと小さく拳を握ったロアを、慌てたようにアルスマが止める。
「冗談です。そんなの目指す暇あったら、菓子作ってます」
「……そう、良かったよ」
アルスマが疲れたように嘆息した。「師匠」と呼ばれて、顔をあげる。
「ありがとうございます」
久しぶりに心からの満面の笑顔を向けられて、アルスマの目元が赤くなった。肩を落として呻く。
「……本当にズルいよね」
「師匠は何でそんなに私たち家族がお気に入りなんでしょうね。父に頭撫でられたり、母に誉められると、簡単にいうこと聞いてくれましたよね」
「わかっていてからかうきみもきみだよ、ロア。というか、せめて師匠大好きと言ってくれた方がやる気が違うんだけど」
「残念ながら、正直者なので嘘を言うのはちょっと…」
「居たたまれないから、申し訳なさそうに言うの辞めてくれるかな」
「腹いせに城の女官に手を出して慰めてもらおうとしたら、母の耳に入りますからね。ついでに王妃様もお怒りになりますよ。その時は師匠は死んだものと思うことにしますね」
先に釘を刺されて、アルスマは深く息を吐いた。それから真摯にロアを見て、言葉を口にする。
「ロア、何かあったらすぐにぼくを呼ぶんだよ。きみとクレアさんを連れて逃げるくらい、ぼくは簡単に出来るから。無理して笑ったり、倒れたら怒るからね」
「解りました。約束します」
茶化すことなく、真剣にロアは頷いた。先程アルスマが握った右手。その手の中には小さな魔道具が握らされていた。
恐らく通信魔道具の類いだろう。きっとロアがもうだめだと弱音を吐けば、本当に迎えに来て、母共々守ってくれる。
そこまで考えて、目眩を感じた。限界が近いようだ。頭を押さえてです王たちを見る。
「申し訳ありませんが、疲れました。もう休んでもいいですか? クーも退屈で船漕いでますし」
おとなしいと思ったら、こてんと小さく丸まって座りながら、頭をふらふらさせているクーデリカ。
ロアはそっと声をかけた。
「お休み、クー。明日からよろしくね」
「ん、よろしく…」
ロアが左手に握り込んでいた石を緩めると、少女の映像が消えた。魔力が底をつきかけていたので、ロアもほっとする。
見計らったように、アルスマが告げる。
「その前にロア。やっぱり心配だから、きみに専属護衛が就くことをぼくは望むよ」
「解りました。ジェナス、ウィンに伝えて。あなたが出てきている間は、クーと私の護衛はウィンに一任するって」
「………承知しましたってよ。ていうか、何でウィンに」
「信頼出来るからだよ。師匠、普段はエリーがいますし、クーもいますから。ついでに即位式までに、城の結界をクーと相談して強くしておきます。オプションで悪意あるもの、害そうと考えているものには弾かれる感覚と、悪寒がして気分が悪くなる効果でも付与します」
即断して話を進めるロアに、アルスマはまだ不安そうだ。
「それでもまだ足りない…。ジェナス、今度こそロアたちを守れるかい?」
「師匠、彼は殿下の隠密ですよ。許可なく」
「構わない。それと普段も俺やクリス、カインが側にいれば守るようにするし、ケネディにも頼んでおく」
厚遇の申し出にルースを見ると、柔らかく空色の目を細めた。
「ありがとう、ロア。魔法師長を引き受けてくれて、父上の呪いまでどうにかしてくれて」
ふいにロアも思い出して、慌てて頭を下げた。
「こちらこそです。襲撃があった時、母とエリー、ついでにジェナスも助けてくれてありがとうございました。私まで守って大変でしたのに、お礼が遅くなってすみません」
恐縮するロアに、セオルドが目元を和ませた。
「こちらで巻き込んだんだから当然だよ。僕からもお礼を。ありがとう、ロア。大変なものを背負わせたね」
「それと疲れているところ、長々と悪かったな。明日…もう既に今日か、また詳しく話そう。俺たちに何かあったら、遠慮なく言ってくれ」
ルースのお開きの合図に、ロアは重要なことを思い出した。
「━━それなら最後に一つ。母にはクーの件と魔法師長の件を黙っておいて下さい。私も表向きの理由である通いの女官となったとだけ伝えます」
「わかった。それじゃ」
ルースが席を立つと、王も立ち上がり、全員がぞろぞろと扉に向かった。人がいなくなると、先程までの賑やかさが嘘のように部屋が静まり返っている。
ロアはほっと息を吐いた。
体を横にすると、すぐに眠気がやってくる。
今は何も考えず、寝ることだけに集中して、ロアは深い眠りについた。




