23,
今までで一番長いかもです。
相変わらず、暴走迷走してますが、楽しんでいただけたら幸いです。
クーデリカは呆然とロアを見上げた。
言われたことが耳をすり抜けて、空耳だったかと勘違いしそうだ。周りを見やると、皆がクーデリカと似たような反応をしていた。
「ロア、わたくしの聞き間違いかしら?」
「空耳でも聞き間違いでもないよ。私は断った」
淡々と感情のない声が言葉を紡ぐ。黒々とした目に映るクーデリカが不安そうな顔をしていた。
「どうして? どうして断るの?」
クーデリカが納得のいかない顔で、責めるように問う。
「この国の魔法師のトップよ? 軍でも最上位に位置するくらい偉くて、王族にも意見できるのに?」
「そうだね」
「今みたいな疲れる生活せずに、クレアに薬効の高い薬を買うことができるのよ?」
「そうだね」
「皆があなたに感謝して敬って……お給金も今の倍以上なのに、それなのにどうして断るの!?」
「別にほしくないからだよ。あ、いや、母の薬は欲しいけど、名声も地位も欲しくない。価値観が違うだけだからクーが気にすることじゃないよ」
裏切られた、そんな気分だった。
クーデリカの事情も、どうして魂だけになってもここにいるのか、国を助けようとしている思いも、全てわかっているはずなのに━━友だと思ったロアは、協力しないという。
クーデリカの魂を守って、消えないようにしてくれているのに。力を暴走させたら止めてくれるとまで言ってくれたのに。
「……わたしくしが力を使ったらいなくなるから、一緒にいる時間が減るから気にして反対なの?」
「違うよ。そんなこと言わない。クーの時間だから、クーの好きに使えばいいよ。ただ、それに私が付き合うかは別の話」
クーデリカは頭を強く殴られた気分だった。
裏切られた、そんな思いが益々強くなる。
「クー。勘違いしないで欲しいんだけど、普通ならクーがさっき言ったものを欲しがる人もいると思う。でも要らないって言う人もいると思う。見解の相違だよ。私は要らない。そして私の時間は私が自由に使いたいの。私の望むことのためにね」
「それならロアの欲しい物って何?」
クーデリカにはわからなかった。解っていたはずなのに、今のロアの気持ちも考えもわからない。
「何か別のものを望むのなら、出来うる限りご用意致します。ですから、協力していただけませんか?」
クリスが必死に言い募る。クーデリカに期待の眼差しを向けられ、ロアは少し困った顔で吐息した。
「それは難しいでしょう。私自身が手に入れないと意味のないものです。私の問題ですから」
謎かけのような言葉に、エリーが反応した。以前エリーは聞いたことがある。
「あの、それってもしかしてロア様の夢ですか?」
その言葉にロアは、良くできました、というような会心の笑顔を向けて、顎を引いた。正解と言わんばかりの優しい綺麗な笑顔を向けられたエリーが頬を紅潮させた。
「━━きみの夢は幼い頃から変わってないんだね、ロア」
扉を開けて現れたのは、二人の男性。
一人は、この国の統治者、セオルド。もう一人は襟足の長い白髪に、柔らかな金の目を和ませて微笑む絶世の美貌の持ち主。
ロア以外が呆けたように見惚れている。
何だか十二年前よりも美貌に磨きがかかり、老けた様子がないところにイラッとしつつ、ロアは嘆息して顔を逸らした。
「ちょ、その態度は酷くないかい? 久々に会ったきみの師匠だよ? 感動の再会だろう? 駆け寄って抱きつく…のは、無理そうだね。それならぼくから」
「寄るな、来るな、うざい。気持ち悪い、セクハラ」
「……………本当に相変わらずだね、ロア」
「ナニしに来たんですか? 出来れば二度と、この先一生会わなくても良かったのに。むしろそうしたかった」
「うん、さっきのウジ虫を見るような目も、その冷たい視線も久々だね。ぼくにそんな視線を向けるのはきみくらいだよ。綺麗な顔だとは認めてくれているのに、どうして懐いてくれないのかな。クレアさんもそうだけど、笑顔を向けても、赤くなったこともないよね。子供だからかもと思っていたけど、違うようだし」
心底不思議そうな顔をされ、ロアは嫌そうな目を向けた。師がジェナスを無視して、遠慮なくベッドの側に来て、誰をも魅了する笑顔を向けてくる。
ロアは面倒くさいものを見るように顔をしかめ、師匠であるアルスマから警戒して離れるように体を引いた。
「ほらやっぱり、年頃の娘らしくない反応だよ。不可解だな」
「どうして世の女性全員があなたに靡くと思っているんですか。自惚れも大概にして下さい。どんなに顔がよくても、中身が最低最悪非常識、女誑しの色情狂、甲斐性なしのボンクラ。顔と知識と魔法しか取り柄のない、幼児に迷惑しかかけない男のどこにときめけと? 寝言は寝てからどうぞ。ついでにそのまま永眠してくれても構いません。むしろその方が世のため人のためになるかと」
うんざりしたような顔で、無感情に告げる。照れ隠しや気を引きたい強がりでもなく、切りつけるような鋭い目が本気だと物語っていた。
アルスマの笑顔が引き吊っている。
「……まだ怒っているのかい。クレアさんに求婚したこと、それとも爛れた女性関係で迷惑かけたこと? もしくは旅に出る時にきみを貰っていこうとしたこと? ━━それとも、きみが、きみたち母子が大変だった時に、側にいなくて力になれなかったこと?」
冗談めかしているが、痛みを堪えるような後悔を宿した金目を見て、ロアが嘆息した。
「怯えたように確認するの辞めてくれませんか。三十路過ぎの男がしても可愛くないです。別に怒ってませんよ、思い出してムカついてはきましたが。私が怒っているのは別の事に対してです」
「…やっぱり怒っているんじゃないか」
切なげな表情で、憂いを帯びた金の目が向けられる。見てはいけないものを見たように、赤面したエリーがさっと目を逸らした。男たちはまるで劇の物語を見ているように、今後の展開が読めたようにやや冷めた眼差し。師の後ろに下がり、壁に寄りかかったジェナスは呆れ顔。
セオルドだけがアルスマと反対側のベッド横、ルースの隣に立って後ろからロアを抱き締めるように腹部に手を回し、ベッド際ギリギリ、自分の方へ引き寄せた。
ロアは左手に持った石が落ちて離れないよう、しっかり握り直す。少しクーデリカの像が乱れた。
「いい加減にしろ、アルスマ! ロアが嫌がっているだろう! というか、旅に出る時に貰っていこうとしたってなんだ!?」
「泣く泣く置いていったんだから別にいいでしょう。終わったことだよ。それにロアが嫌がっているのはわかっているけど、ぼくが触りたいからそうするだけ。ていうか、そっちこそ手を離してよ。十二年ぶりの師弟の再会を邪魔しないでくれるかな」
セオルドにずるりと掛布から引きずり出されて、ロアの寝巻きの裾が捲れる。膝より下の素足が出てきたが、セオルドはアルスマを睨み付けていて気づかない。
一方でアルスマは不愉快そうにセオルドを見て、それから成長した弟子の足先から視線を上へと辿り、しみじみと感心したように満面の笑みを浮かべて言った。
「本当に大きく綺麗に成長したね、ロア…っぶぐっ!?」
「寄るな、来るな、触ろうとするな、変態痴漢」
ベッドに乗り、にじり寄ろうとしていた師を、ロアは据わった目で容赦なく足蹴にした。口には触れたくないので、足で相手が見えないように両目と鼻をだけを足裏で潰して、ベッドから落とす。
ついでにその後ろにいたジェナスも睨んでおいた。シーツで足裏を拭きながら足を引き寄せ、素早く捲れた裾を直す。
「どこ見てんの、変態。師匠と同じで一時期とっかえひっかえ女性と遊んでいたお坊ちゃん」
「……見えなかった! つーか見せるな。ていうか、何でそんなこと知ってんだよ。そして陛下がそうしているのはいいのかよ」
ジェナスがロアの胴体に後ろから回された手を、じとりと不機嫌に見やる。そこに起き上がったアルスマが加勢した。
「そうだよ。それなら師であるぼくの方に」
「下心ありの弟子にやらしい目を向ける師の側には近寄りたくないです」
一刀両断した弟子に軽蔑の眼差しを向けられ、落ち込む美麗な男。この師がここまで女性に相手にされず、辛辣にあしらわれるところを初めて目撃したジェナスは、奇妙なものを見るように姉弟子を見た。
「……お前、女だよな?」
「見るな、変態弟子。それ以外に見えるなら、頭を診察してもらうといいよ」
「可愛くねぇ! でも初めて俺よりも雑に扱われる人に会ったのに、それが師匠って…」
「大丈夫だよ、ロア。賢者とは名ばかりの変態は近寄らせないからね」
上機嫌で自分の幼子を抱き寄せるように、更に抱き締める国王。一部始終を隣で見ていた息子が、疲れたように吐息した。同時に嘆息したロアと重なり、思わず頭が痛そうにお互いを見て、辟易したように頷きあった。
「師匠、そんなに弟子に抱きつきたいのなら、後ろに居ますよ」
「ナニを言ってるんだい? 誰にも教えるな、きみたちを守れと命令しておいたにも拘らず、勝手に、それもよりにもよって王族に教えた、可愛くも柔らかくもない男のバカ弟子なんかに抱きつくわけないだろう?」
「爽やかな笑顔で相変わらずだな、あんたも。何でそういうところはそっくりなんだよ!?」
「うるさい。消されないだけマシだと思うんだね。どうせ仲良くなった友達が思い悩んでいるのを見て、つい教えたとかなんだろうけど、言い訳があるのなら聞くだけ聞いてあげるよ。制裁は与えるけど」
「その予想通りの理由だよ! ついでにロアにも自分の情報を売ったって言われた」
「さすがぼくの弟子! そうだよね、どこかの誰かが教えたから今そんなのに捕まってるんだから。十二年前もせっかくぼくが王夫妻に会わないようにして、クーデリカの件も隠していたのに。その溺愛変態王に捕まって。ほら、こっちにおいで」
アルスマが笑顔で両腕を広げた。渡すまいとするように、セオルドが更に自分の方へ引き寄せ、半ばベッドからロアの体が浮いており、彼が手を離せば間違いなくベッド横に尻餅をつきそうだ。
二人の間で火花が散る。
「いい歳したオヤジたちがナニをしているのかしら…?」
クーデリカが苛立ちを露にして、国王と賢者を睨んだ。
「話が全然進まないわ! ナニしに来たのよ、あなたたちは!! そもそもロアはわたくしのものよ!? わたくしに許可なく触らないで!!」
毛が逆立った猫のように、クーデリカが威嚇した。ロアの目から光がなくなり、暗く淀んでいく。
「そうよね、ロア!」
「━━ちょっと黙ってて、クー。これ以上ややこしくしないで。師匠も腕閉じて黙ってください。へいか……セオおじさまも一度離してください。残念そうな顔してもダメです。ティーナおばさまに言いますよ」
解放されたロアがふらつきながらも、ひとりで立つ。それからじどりと肩を震わせてそっぽ向く宰相を睨んだ。
「宰相様も笑いたいのならどうぞ。というか、盛大に笑ってこの空気をさっさとぶち壊して欲しかったです。魔法騎士団長様も面倒だと寝るくらいならそこの変態を捕まえるなりしてください。それなりに強いので手合わせ相手になりますよ。エリーもそこの変態が近寄ってきてら、次からは躊躇わず、遠慮なく攻撃していいからね」
ブハッ、とクリスが盛大に笑いだし、カインの目がアルスマを捉えて爛々と輝く。
エリーが静かにロアの斜め後ろに控えた。疲れたようにロアは息を吐く。
「とりあえず師匠、一発殴ってもいいですか?」
「さっきぼくの顔を足蹴にしたのに!?」
「あー、ロア。もしさっきの見てたら、見た奴全員が顔面蒼白だぞ。師匠の顔は老若男女に総じて受けがいい」
ジェナスの言葉に、ロアが納得いかないと頷いた。
「腹立つけど知ってる。私だけかな、遠慮なく全力で殴るの」
「そうだね。ぼくの幼馴染みでさえ、顔を見慣れているのに少し気を遣うから。後は場合によってはクレアさんとヘンゼルさんには遠慮なく殴られたね。本当にきみたち親子だけだよ」
「それなら殴ってやろうか」
「そこの溺愛変態王も、全力で殺しに来そうだけど」
アルスマが深く息を吐いて、表情を改めた。
「今までのきみたちの会話は、カインの風魔法で聞いてたから知ってるよ。ここ最近のきみのことも大まかにジェナスや陛下から聞いた。ぼくをここに呼び寄せたルース殿下からも今回の作戦の詳細を手紙で読んで知ってる━━悪かったね、ロア。来るのが遅くなった」
深く頭を下げられ、ロアは黙ってそれを見つめた。ちらりと隣のルースを見ると、「ロアの記憶の事を聞こうと思って呼んでいた。ジェナスが何も言えない以上、その師であるアルを呼んだ方が早いから」と教えられる。
ロアは成る程と、ジェナスを見た。彼は恐らくこの師を迎えに行っていて、ここに来るのが遅れたのだろう。
師が真剣な顔で、ロアを見つめてきた。
「きみが殴りたいっていうのは、クーデリカの事を黙っていた件と、こんなにも長く記憶を封じていた件に関してだろう?」
「そうです。クーと出会えた事には感謝します。でもどうして私なんですか?」
「そうだね、ぼくにもわからないかな」
アルスマが困ったように微苦笑した。
「きみだけだったんだよ。クーデリカが反応して魂を受け入れたのは。大陸中の何千万人がこの五百年の間にその石に触れて、波長が合ったのか、選ばれたのはきみだけだった。ジェナスも同じくね。それがなければ、こうして巻き込まれることなく、普通に生活できたのにね」
「……それは、わたくしに喧嘩を売っているのかしら?」
クーデリカがアルスマを睨むが、彼は軽く肩をすくめた。
「さぁね。ただ、きみの我が儘にぼくらは巻き込まれたのは確かだよ。長は大陸中を旅してきみの適合者探し。まぁぼくは旅するの楽しいからよかったけど」
「だからですか? 衝撃の体験で私の自我を守るのと同時に、私の時間を私として過ごせるように。だから私が十八で成人するまで記憶を封じて、自由に過ごせるようにしてくれたんですか」
確信しているような弟子の口ぶりに、アルスマは肯定も否定もせず、口を開いた。
「彼女の境遇には同情するし、感謝もしてるけど、今を生きるぼくらにとって過去の遺物、亡霊だ。それに振り回されるのは違うだろう?」
「あー、師匠。ウィンがめっちゃ怒ってるんですけど」
ジェナスが五月蝿そうに顔をしかめて、訴える。言われた本人はどこ吹く風だ。
「事実だろう。はっきり言ってクーデリカ、ぼくはきみよりロアの方が大事だから、ロアを優先するよ。案の定というか、予想通り、きみはロアの生活を邪魔しようとしているからね」
「わたくしがいつ邪魔をしたと?」
「だってきみ、ロアに裏切られたと思っただろう?」
凄んでいたクーデリカが言葉を失った。ニヤリとアルスマが意地が悪そうに嗤う。
「自分に協力してくれてもいいのにって、甘えただろう? でもそうじゃないよね。今のきみはロアの人生に一時だけ寄生しているにすぎない。むしろ、あんな惨い過去の体験を子供にさせておいて、倦厭されなくてよかったでしょ。今が十分恵まれているってわかってる?」
「わかってるわよ! 何なのあなた!? それでもカルマンなの?」
「違うよ。ぼくはきみの知るカルマンじゃない。だからきみに優しくする義理もない」
ムキになったクーデリカが冷水を浴びせられたように、息を飲んだ。
「大体きみたち、ロアに何させようとしているか本当にわかっているのかい? 陛下はわかっていて頼まなかったのに、きみたちは国のためを免罪符に、今までただの街娘だったロアに、クーデリカがいるってだけで、何を求めたのか本当に理解してる?」
セオルドが悲しげな顔で沈黙し、ルースがはっとした。
クーデリカとクリスが何を言いたいのかと苛立たしそうな顔になる。カイン、ジェナス、エリーは首を捻っていた。
ロアが口を開こうとして、いつになく真剣な金色の目に阻まれた。アルスマが静かに首を横に振る。
その様子にクーデリカが苛立つ。自分がわからないのに、この師はわかっているらしい。ロアが拒絶した理由を。
実際、答えを出せないクーデリカたちに、あからさまなため息を吐いた。それがまた怒りを煽る。
「魔法師長になることのどこが悪いのかしら? その立場だからこそ出来ることもあるはずよ。きっと役に立つわ」
「それは誰にとって? ロアじゃなくてきみにとってだろう? 話を聞いていたと言ったよね。地位も名誉も名声も、民からの敬愛も感謝も、欲しいのはきみだろう?」
鋭い切り返しに、クーデリカが押し黙った。
「それらはかつて、きみが欲しかったものだろう? それをロアで求めるのは違うよ。そして、ロアに対価を支払わせるのも違う」
「……どういう意味かしら? 何の対価を払う事になるの?」
「魔法師長になったら、確かに名誉な事だね。誰もが羨み、敬うだろうね。給金も確かにいいかな。民にも敬愛されるね。何たって命懸けで自分たちを守ってくれる存在だから」
クリスが息を詰め、ロアを見てから自分の考えなさに頭が痛そうに、顔を逸らした。
アルスマは薄く笑みを浮かべて、クーデリカを蔑むように見た。
「魔法師長は他国への抑止力━━つまり、非常時は一人で国を相手に戦う。この国と民を守るために。それだけの力があるから。その為の待遇であり、地位と名声。━━魔法師長一人に他国の民を大量に殺させて、守って貰う為に」
「━━っ!!」
「クーデリカ皇女殿下、きみはロアに自分と同じ道を歩ませたいんだね」
アルスマの氷の微笑に、クーデリカが青ざめた。
「ち、違っ! わたくしはっ」
「どこが違うんだい? きみが、きみたちがロアに求めたのはそういうことだよね。クーデリカがいて力があるから、つい最近まで普通に暮らしていた街娘に、一国が大軍を率いてきたら、その力でさぁ戦って国と民を守れと━━人を殺せと言っただろう」
アルスマに微笑まれて、カインもジェナスも、エリーも蒼白になった。震えていたクーデリカが、耐えられなくなったように叫ぶ。
「違うわっ! わたくしはそんな事、思ってないもの! それに抑止力なら魔法師長がいる時点で、他国は手を出さなくなるはずでしょう。二年間だけ、その座にいるだけでいいのよ」
「━━きみはとことん自分の事しか見えてないんだね」
反論しようとしてアルスマを見たクーデリカは、その視線に凍りついた。
「考えが甘い。急に魔法師長が出てきたら、他国はまずはったりじゃないかと思うよ」
「それは」
「後天的に魔力量が増大した例はあるけど、滅多にない。そうしたらまずは力が本物かどうか試そうとするだろう。幸いにも国境での小競り合いはよくある。少しくらい規模を大きくして兵の数を増やして…新任の魔法師長の力量をみるには持ってこいだね」
「それなら」
「力を見せつけて本物だとわからせたら、表面上は治まるね。そしてわんさかと刺客がロアに送られてくる。もしくは拐おうするかな。他国からは人殺し、大量虐殺の悪魔と呼ばれ、このファウス国の民も表面上は感謝するけど、人殺しの化け物、殺人兵器として扱われる。王が違うと言っても多くの貴族がそう認識するだろうね。腫れ物を扱うようにして、影では口汚く罵って。甘い汁を吸うためにロアの回りに群がって、自分の手元に置こうと画策する━━まるで五百年前の誰かさんみたいな立場だね」
クーデリカが口にする前に、次々と機先を制された。
にっこりとアルスマが麗しい笑みを見せる。暖かく穏やかな笑顔に見た者は心を癒されるだろう。金の目は極寒の吹雪のようで、声も氷点下だが。
ぞわりとクーデリカが震えた。
「それで? 二年過ぎて、力を使い果たしたきみはさようならと去って、残されたロアは?」
「……え?」
「普通の生活に戻れるとか呑気に思ってたのかい? そんなわけないだろう。魔法師長を辞めたとして、緊急事態の時に民は誰を宛にすると思う。守られていることに慣れた貴族と民は、守ってくれる存在を担ぎ出そうとする。けれどきみはいない。ロアの魔力量は多くないから力を使えない。そうしたら、無能と役立たずと罵倒されるのも責められるのも誰かな? 魔法師長を辞めたけれど脅威だからと、他国からは暗殺者が来るだろうね。力はないというのに、守った国の貴族からもその力が欲しいと狙われて、民からは人殺しと化け物と畏怖されて……きみは以前の自分と同じ存在を作りたいのかな、クーデリカ?」
「そんな事」
「考えてもいなかった? きみの都合で巻き込んでおいて、その後のロアの人生は別にどうでもいいから知らない? 随分と自分勝手だね」
アルスマが笑みを消した。
「きみたちが楽観的に考えてロアに求めたのは、そういうことだよ。魔法を使うのはクーデリカだから、ロアが殺したことにはならないなんてバカなこと言わないでよ? そんな事情、誰がわかるって言うんだい? 一人一人にわざわざ説明する? こんな荒唐無稽な話をどれだけの人が信じてくれるかな。過去の亡霊であるきみが、ロアの体を使ってした事は全てロアがした事で、全部ロアに皺寄せがいくんだよ」
アルスマが冷淡に告げた。そこまで考えていなかった面々は返す言葉が見つからない。
クーデリカも何も言えなかった。
「きみは過去でたくさん殺したから慣れているかもしれないけど、いくらロアがきみと同じ体験を夢でさせられたからって、ロアはまだ誰も殺した事なんて無いんだよ。彼女は今まで人を喜ばせるお菓子しか作ってこなかったんだから」
「師匠、言い過ぎだよ。もうそのくら」
「━━夢は菓子職人?」
クーデリカがふいに何か思い出してようにロアを見た。
「ここじゃない、海を挟んだ隣国。美食の国オルマン。そこではサラダから麺料理、お菓子も、国をあげての大会があるわ。そこのお菓子大会で優勝者には『黄金のパティシエ』の称号が贈られるのよね。美食の国に認められたその称号はどこの国でも評判になって、必ず繁栄すると言われてるわ」
クーデリカは忘れていたロアの夢を思い出した。そして自分がいかに身勝手に思っていたかを知らされた。
アルスマの言う通りだ。
どこかでロアが協力するのは当然だと思っていた。そんなわけないのに。過去の亡霊の自分たちにロアたちが付き合う義理はない。
貴重な時間をクーデリカたちの為に使えと言うなんて、傲慢だった。ましてや、全然ロアの事を考えていなかった。
ロアは普通の、それもつい数時間前までクーデリカの事も知らなかった女性に、人殺しをお願いするなんて無神経だった。
クーデリカは自分と同じ存在を作りたい訳じゃない。
「オルマンで『黄金のパティシエ』の称号を貰って、この国でお菓子を盛りたてていってやる。それが、ヘンゼルの口癖であり、夢だった。きらきらと少年のように目をか輝かせて言うと、幼いロアが私もと元気に返して、あいつはそれならライバルだなと楽しそうに笑う」
セオルドが懐かしそうに、淡く微笑んだ。
「三年…いや、もう四年前にいよいよ大会に出ると旅立って行った途中で、事故に遭ってそのまま帰ってこなかった。ロアはあいつの夢も背負って、叶えようと思っていたんだね」
「━━はい。本当に、ようやくって時にまさかの落石事故でした。遺体は母が確認したんですけど、酷い状態で母はそれから気弱になり、ベッドから出られず弱るばかりです。だからせめて私が、弔いがてら称号を貰って、父の願いも母の思いも昇華させられたらって思っていたんです。そうして心機一転、向こうで自分の力を試してみるのも悪くないと。いい加減に自分たちの未来に、踏み出さないとって思って」
ロアが年相応に柔らかく笑うが、足ががくがく震えていた。そのまま座り込みそうになるのを、すぐ側にいて気づいたルースが支えて、自分が座っていた椅子に座らせる。
ロアに柔らかく和ませた瞳で礼を言われ、ルースは気にするなと微笑した。
そのついでかルースが、心配してまとわりつこうとする王を、用意した別の椅子にロアから距離を置いて座らせ、ベッドを回ってきた不安げなアルスマにも落ち着くよう告げる。
「いくら魔法の微細なコントロールがうまいとはいえ、限界はあるんだよ。わかっただろう、クーデリカ。こうしてきみの姿を映すロアの魔法センスは凄いけど、魔力量は変わらない。上手く調整しても一時間で疲れてしまうんだよ」
「師匠とセオおじさまのせいで無駄に疲れて、ベッドから追い出されたせいでもありますからね。まだ本調子じゃないんです。クーばかりを責めるのは違いますよ。でも、わざと悪役になって話してくれて、ありがとうございます」
ペコリとロアが頭を下げると、アルスマが目を丸くして、へにゃりと笑う。そのまま抱きつこうとするのを、ロアがさっと椅子から立って避け、アルスマが椅子に抱きついてそのまま倒れた。
膝をつきそうになるロアの腕をとったルースが、そのままベッドに座らせる。その間にジェナスが椅子を元に戻した。アルスマが立ち上がる。
「ロアの回避能力が上がってる。何でだろう?」
「酒場で働いていれば、師匠みたいなセクハラに絡まれることもありますから。それで自然に身に付きました。最近では脅しすぎたのか、怖がって絡んでくる輩も減りましたけど」
「落ち着いてください、父上。その酒場を営業停止にしようなんてバカな事は仰らないように。つーか、そもそもあんただって病人なんだからな? おとなしくしないと、いい加減に強制退場させる」
ルースが突っ込んで、牽制した。ロアは内心で拍手を送る。給料支払われる前に営業停止はやめてもらいたい。
「━━ロア、ご免なさい。わたくし自分の事しか考えていなかった。わたくしはあなたに幸せになって欲しいと思っているわ。わたくしのような殺伐とした人生とは無縁でいて欲しいと思っているの」
クーデリカの謝罪に、ロアは頷いて続きを促す。クーデリカが深呼吸して、真っ直ぐ海色の瞳を向ける。
「でも、それでもどうか、お願いします。わたくしに力を貸してくれないかしら? あなたの事もちゃんと考えるわ。決して勝手に体を動かして、今回のように周囲にバレるような真似はしないし、気を付けるわ。クレアの事もあなたの事も全力で守るから、だからお願い。わたくしに力を貸してください」
クーデリカが膝をついて祈るように、手を組んで頭を下げた。アルスマが嫌そうな顔で口を開こうとするのを、今度はロアが目で制した。
「クーは、どうしてそんなにこの国を守ろうとするの? 元はあなたの国の首都だけど、前とは変わった。あなたを犠牲にして成り立った四国のうちの一つだよ?」
「そうかもしれないけど、平和を求めてあの時はただがむしゃらに皆で突き進んで、ようやく手にした結果なのよ。わたくしの人生を捧げて、たった五百年でそれが崩れてまた奪い合いの過酷な日々なんて、わたくしは嫌だわ。せめてもう五百年くらいは民が笑って暮らせる普通の四国でいて欲しいの。そうじゃなきゃ、わたくしが浮かばれないわ! 過去の遺物でも、亡霊でも構わない。図々しく未練たらたらでここまで残ったんだもの。あなたには迷惑をかけてしまうけれど、わたくしは遠慮せずにとことん我が儘に突き進むわ! だからお願いします。あと二年、わたくしが消えるまで付き合って下さい。━━わたくしが築いた国を壊さないで」
ロアがきょとんと頭を下げたクーデリカを見て、ふっと表情を綻ばせた。
「開き直った?」
「うっ! そ、そうとも言うかしら?」
「ねぇクー、もしかしたらまた傷つくかもしれないよ? あんなに悲しい苦しい痛いって泣き叫んでいたのに、また同じことになるかも」
「それでも構わないわ。慣れてるもの。それに一人じゃなくてあなたがいるわ、ロア。あなたを巻き込むのだから、今度はただで無様に落ち込む事だけはしない。最終的には、ロアの大切な人たちもあなたが住むこの国も、バッチリしっかり守りきってみせるわ! だからロア!」
クーデリカが肩の力を抜いて、微笑む。
「━━わたくしと一緒に、一旗揚げましょう?」
「嫌だと言ったら?」
「しつこく説得するわ! それに最後は大切なゆ、友人のわたくしの為にあなたが折れるのよっ! 泣き落としとかで!!」
「…照れるくらいなら、言わなきゃいいのに」
「う、いいのよ! いいから、わたくしに協力してください!」
赤い顔で挑むように見上げてくる友人に、ロアは肩を震わせて笑った。晴れやかに愉快だと、軽やかな笑声を響かせる。
「━━はぁ。仕方ないなぁ。友人にここまで熱心に口説かれちゃ断れないね」
「ロア!」とクーデリカが興奮に頬を紅潮させ、「ロア!?」と咎めるようにアルスマが真顔になる。
「ここまで巻き込まれたなら、仕方ないでしょう? 二年後にはオルマンで大会に出る予定なので、せいぜい足掻くとします」
「……ぼくには口説かれないのに、あっさり落とされるってどういう事?」
「師匠だって言ってたじゃないですか。私は懐にいれた、自分が情を持った人に甘いって。そうなっただけですよ。何も問題ないでしょう? この先を天秤にかけて、私が後悔しない、後悔しても少ない方を選んだだけの事ですから」
「…嘘つき」
アルスマが不機嫌に言う。
「誤魔化されないよ。本当は明日にでも解放されたら、巻き込まれないように、この国を出てクレアさんとオルマンに向かおうと考えていたくせに。幸い、昨日までのきみなら自分の力じゃどうにもならない事もあると割りきって、自分が守れるクレアさんだけを何とかしようと、それを優先に考えていただろう? 思い出のある店や親切な近所の人たち、常連のお客様に、四年以上現れなくなった両親の友人に、多少の未練は残しても、自分の能力内でできる最善を選んでいたよね?」
師の言葉にロアは恥じることなく、肯定した。
「そうですね。そう思ってましたよ。実際に、クーがあなたにきつく言われて落ち込んだらそれまで、もう一度あの時のように傷つくのを恐れてもそれまで、そう割り切ってました。でも食い下がってきたので。あの時は周りの言われるままに諦めていたのに、今回は我が儘を突き通して私の為にも頑張ってくれるそうですし━━それなら、腹を括るしかないでしょう?」
ちらりと悲しげな国王を見やる。
「……私の未練が少なくなるように、四年以上会わないようにしてくれたセオおじさまとティーナおばさまには申し訳ないですけど」
「……ロア」
セオルドが感激したが、すぐに複雑な顔になる。ロアは申し訳なく思いつつも、師を見た。
「師匠、割りきれる私でも情はあるんですよ。親切な近所の人たちも、常連のお客様も、セオおじさまとティーナおばさまにも、父の残してくれたお店にも、生まれ育ったこの国にだって愛着も情もあるんです。それをまるっと守れて、また皆で笑えるのなら、まぁ、頑張ってみようかなと。友人にも本気でお願いされたので。後は私が覚悟を決めるだけです」
「━━場合によっては人を殺す覚悟をね。人殺しと罵られても守れるのかい?」
アルスマが苛立たしげに、詰るように突きつける。ロアはそんな師を見て、微笑んだ。アルスマも部屋にいる面々も、軽く息を飲んだ。
「師匠、私って意外と正直者なんですよ?」
「……知ってるよ。きみは滅多に嘘はつかない。誤魔化したりはぐらかしたりはするけど、基本的に偽らないよね。だからそこの王様も溺愛してるし、ぼくも気に入ってる」
「私は魔法師長の役割をきちんと理解してますよ」
「そうだろうね。気づいていなかった優秀な宰相や巻き込んだ元皇女殿下とは違って、全部解っていたから断ったんだよね」
「…その私が、全部承知で覚悟を決めたんです。今さら違えたりはしませんよ。そうならないよう最大限の努力はしますけど、必要なら、血でも泥でも被りましょう」
迷いなく言い切ったロアを見て、アルスマが泣きそうに顔を歪めた。
「……ロア、きみって時々バカだよね」
「知ってます。時々バカをしたくなるんです。師匠だってしてますし、そういうのがあるから味わいのある面白い人生になるんだって言ったじゃないですか」
「……あー、そうだったね。普段は言うこときかないのに何でこういうところで聞くのかな」
「こういう時だからですよ。師匠、うざいので泣かないで下さいね。泣いたら美人が台無しですよ」
淡々と告げる弟子に、アルスマは呆れた目を向ける。
「きみは色々とずれてるよ、ロア。しっかりしてるのに危なっかしい。ぼくには落とされないのに、皇女には口説き落とされて。真面目なのに変なところで命懸けのバカをやろうとする。師匠は心配で、きみから離れられません」
「鬱陶しくて目障り…迷惑なので、消えてください」
「そこは安心させようとするところだよ!? …はぁ、まぁいいかな。それでどうするんだい、ロア? ぼくは納得してない。だから四六時中べったり側にいて、可愛い弟子のきみを守るとするかな」
楽しげなアルスマに、ロアが心底嫌そうな顔になる。それから嘆息して、国王と王太子、それから宰相を真剣に見た。
「ところで私が魔法師長になることに賛同ですか? 反対ですか? 賛同なら色々と条件がございますので、それを全部呑んで下さい。反対なら私は私でクーと共に勝手に動きます。それでも国の不利益になる動きはしませんのでご安心を」
ロアに視線を向けられた三人が互いの顔を見合せ、最終的にルースに任せるようだ。
「国としてはありがたい申し出だ。こちらとしても頼みたいところだか、条件を聞きたい」
ロアが覚悟を決めてから、一も二もなく飛び付きそうだった宰相とは違い、さすがにあっさりとは頷いてくれない。或いはクリスはクリスで後から制限をつけるつもりだったのかもしれないが。
ロアは見物に徹する師を見て、それからベッドの上で姿勢を正しても心はゆったりを保ち、臨時とはいえ国の全権を与って椅子に座る王太子に、向き合った。
お疲れさまでした。
ロアさんが男前になっているのは、気のせいだと思います