21,
誤字直しました
視界に入ったのは赤だった。
何度も繰り返し見た光景によく似ている。
埋め尽くすその色に、呼吸が乱れる。頭が痛い。
ガタガタ震える体に、ドクドク早鳴る心臓。ゼイゼイと覚束ない呼吸に、ガンガン痛む頭。
世界を見ているのに、現実感がなく。話し声は聞こえているのに、耳を素通りする。
自分の世界、自分の殻に閉じ籠っていく━━。
ふいに、声がした。
内側から響く声。何度も聞いたことのある少女の声。
ロアはその声に耳を澄ませた。
自分の内側の奥の奥。暗闇でも神聖な領域。魂や精神といった世界。そこで、声の主と改めて対面した。
空色の長髪に、海色の目の少女。
「初めまして、ロア・ノーウェン。……初めましてというのは少し違うかしら? あなたが夢でわたくしの過去を一緒に見て疑似体験していたように、わたくしもあなたの生活をずっと見ていたものね」
にっこり可憐に微笑む少女に、全てを━━夢の中の体験も、その際の知識も、寝ている間に彼女に体を操られていた時の曖昧で不明瞭な記憶も、思い出したロアは、頭を抱えて呻いた。
「……こんな身近にこそストーカーが…」
「初めて会って言うことがそれなの!? というか、失礼なこと言わないで!? 確かに色々知っているけど、それは同じ体にいるからであって、あなただってわたくしの過去のあれやこれやを知っているんだからお互い様でしょう!?」
少女が変態じゃないと必死に言い募る。ロアは嘆息した。
「好きで知ったわけでも、夢を見たわけでもないよ。ていうか、そっちが勝手に見せて巻き込んだんじゃん! おまけに何で私の中に入ってきちゃうというか、とり憑いてんの?」
半眼で責めると、少女が弱りきった顔になった。
「し、仕方ないでしょう? わたくしにだってよくわからないのよ。それより、今はこんなことのんびり話している暇はないでしょう? このまま好きにさせておいてもよろしいの? クレアもエリーも危険だわ」
ロアは顔を上げて、彼女には関係ないのにクレアやルースたちを心配している様子を見て、息を吐いた。
「わかってるよ。そうだね、元はあなたが私の寝ている間に勝手に体を使ってくれたせいでもあるよね」
「ぅぐっ!」
「その落とし前をつけてくれるんでしょ。文句も言いたいこともたくさんあるけど━━いいよ、クーデリカ・オルシュタイン・ノーザルス。私の体を使って皆を助けて」
体を貸すことに嫌悪はなかった。これまでずっと肉体に魂が同居して使われていたからという理由もあるが、彼女なら悪用しないと知っている。
クーデリカが十年以上ロアを見てきたように、ロアもクーデリカが生きてきた十六年間を見て知って体験した。
好きな食べ物も、幼い頃好きな遊びも、初恋が誰かも嫌いなものも、悲しくて悔しかった出来事も、嫌になるくらいにお互いのことを理解していた。
ずっと共有して過ごしてきたのだ。友人のように。双子の姉妹のように。片割れのようにいることに慣れて、すっかり受け入れていた。
「師匠による記憶の封印が解けて、記憶やら経験やら知識が押し寄せてきて、さすがに処理が大変だから整理がてら私は少し眠るとするよ。だから後はよろしくね、クー」
今となっては誰も呼ぶことのない愛称で、身内のように言うと、驚いたもののすぐに花が咲いたように笑った。
「任せてちょうだい、ロア! 全員、しっかりぶちのめすわ!!」
嬉々して拳を握るクーデリカに、こんな性格だったかな、とロアは小首を傾げた。
(夢ではもう少し上品で繊細だったような……)
誰の影響か考えるのを放棄して、ロアは体をクーデリカに明け渡した。
***
一気に与えられた膨大な知識と記憶と出来事を、どうにか処理して、自分の中で噛み砕いてまとめて整理して。
ロアはようやく意識を取り戻した。
今まで曖昧だったものが、しっかり輪郭となり自分の中で馴染んだのが解る。
まだ少しぼんやりしているが、ロアが体をクーデリカに明け渡した後どうなったかは、体の体験した情報の共有で把握していた。
どうやら全員無事で、クーデリカがしっかりぶちのめしてくれたらしい。そして、ルースがクーデリカのことを知っている事に軽く驚かされた。
上半身を起こして、この数日、ロアが滞在した部屋のベッドだと認識する。サイドテーブルに置かれていた髪飾りを手にして、ほっと息を吐いた。
クーデリカが疲れて気絶した後の事は、ロアもわからない。情報を共有できるのは、あくまでお互いが起きている間だけだ。
扉が開けられて、エリーが姿を見せた。起きているロアを見て、表情が和らぐ。
「ロア様、よかった。お目覚めになられたんですね。どこか体調の悪い所などございませんか?」
「平気。エリーこそ大丈夫なの? それと、母を守ってくれてありがとう」
ロアが頭を下げると、エリーがこちらこそと頭を下げた。顔を上げて、お互いにふっと微笑む。
「あれからどのくらい時間が経った?」
「三時間程です。もうすぐ真夜中になります。クレア様は問題ありません。一度目を覚まして、ルース殿下が今回の事情をお話されました。また明日詳細を話すことにして、今は既に休まれています」
「そっか。ありがとう。安心した」
「あのロア様、休まれても大丈夫ですが、もし可能であれば殿下方がお会いしたいと」
「あー、うん。大丈夫。私も聞きたいことがあるし、話さなくちゃいけないこともあるから。都合が合うならいつでも」
「ありがとうございます。それでは呼んで参りますので、お待ち下さい」
「わかった。隣の部屋で」
ロアがベッドから降りようと、動くと目眩がした。どうやら思った以上に脳を酷使しているようだ。枕に寄りかかって起きている分にはまだ平気だが、体の感覚が乏しい。
「大丈夫ですか!? やはり明日にしましょうか?」
「ううん、早くに話し合っておいた方がいいから」
「では、寝室に招いてもよろしいでしょうか?」
「ベッドの上からで失礼じゃなければ」
「畏まりました。無理を言って申し訳ございません」
「こちらこそ。少し休むから、いらしたら起こしてもらっていい?」
「はい。皆様、急な仕事でてんてこ舞ですので、集合に時間がかかるかもしれませんから。それでは、呼んで参りますね」
一礼してエリーが退室した。
ロアは深く息を吐きながら、体を沈めるようにベッドに横になった。目を閉じる。
「ぅあー、目が回る」
『十二年間もかかっていた魔法が解けて、十二年分の毎日見てきた記憶と体験と感情と、わたくしが動かしていた間のやり取りも、怒濤のようにあなたに押し寄せたもの。むしろ、この短時間でよく全てを受け入れられたわ。普通なら脳内処理が間に合わなくなって、発狂してもおかしくはないのに。さすがはわたくしを受け入れた器ということかしら?』
声がロアの脳内に直接響くように、聞こえてきた。ロアは試しに声に出さずに、思った事を伝えてみる。
(それだけじゃないよ。封印が解けたら脳内処理を補助するような魔法があった。師匠のお陰かな)
『例え補助があったとしても、普通は熱を出して数日は寝込むわ』
ロアは別にそんなことはどうでもよかった。それよりも今後、どうするかが重要だ。何だか大変な事に巻き込まれている気がする。
そんな事を考えている内に、ロアは寝てしまった。
***
呼ばれている気がして、ロアは重い目蓋を押し開けた。まだ頭が重い。
エリーを見てゆっくり体を起こし、枕を立ててそれに寄りかかる。
部屋には既にルース、クリスとカインがいた。
「足を運んでいただいた上に、このようなお見苦しい姿で申し訳ございません」
ロアが頭を下げると、三人は安堵したように扉側からベッドの回りに集まってきた。エリーが用意したベッド横に置かれた椅子にルースが座り、クリスがその傍らに立った。カインは起き上がったロアの正面、ベッドから離れた壁に背を預けている。
「早速ですが、お話をお伺いしてもよろしいですか?」
クリスが口火を切り、ロアは「はい」と頷いた。
「ですがその前に、今回の一件について殿下方の知っていた事、立てた計画の事、どのように動いたのか知っている事を開示してください。それから質問にお答えします」
クリスがルースを窺うと、構わないと返答を貰った。それから少し考える間をおいて、話始めた。
「まず、ロアの事を知ったのはジェナスからの情報だ。ジェナスはお前より少し遅くに同じ師を持った」
「え?」
「詳しい経緯は知らないけどな。そんなジェナスとはその師の関わりで学院で知り合って、その時から秘密裏に動く影として契約してる」
「つまり、殿下個人の隠密。国側の人間で、あなた方があちこちの反乱組織に密偵を放っていたように、ジェナスをレイヴンに━━いえ、自分たちが都合よく動かせる反乱組織を作って、その活動を任せて民の不満の捌け口にしたのですか。他の反乱組織の動向も難なく把握できますから」
王太子が満足げに笑う。
「そういうことだ。それで女魔法師の件も知っていた。魔法師として実力が申し分ない人材は常に探していたからな。他に俺たちでは城のタヌキどもが関係して動けない時、高位の役人を捕まえる証拠とかを憲兵の詰め所に置いたり、どんなことが起きているか把握したり、敵対する組織だからこそ自由に動ける事もあった」
「女魔法師の件も知る事ができましたしね」
「そうだな。いくら探しても王都中から探すのは骨が折れて、なかなか女魔法師がわからないし、他国からのちょっかいが徐々に本格的になって時間がない時、ジェナスからロアの名前を知らされた。けれどいくら調べても普通でわからなかった」
「だから隠密をつけた。そうしたら女魔法師に関係ありそうで、それどころか別の任務中の本人が三ヶ月も私に接触していた」
打てば響くように入る相づちに、クリスが感心したようにまじまじとロアを見た。
「それで、ジェナスを呼び出し、三人で締め上げたんですよ。ですが、バレたら師匠に怒られるからと、なぜあなたの事を知っていたかについて口を割らなくて困りました。ただあなたが彼の姉弟子ということは教えてくれました。それからは昨日も話した通りです」
行動の怪しさ、曖昧な記憶、本人は何も知らない様子で日常を送り、師の事で特命で動いている気配もない。
壁に寄りかかって腕を組んでいたカインも、話に加わる。
「そんな時、ジェナスから連絡が入った。予想していた通り、隣国からの間者がいると。それがゲルダだ。奴は何度か反乱組織を作ったが、うまくいかずに立ち上げた組織を潰していた。本人は隣国との関係を否定しているがな」
「そこにジェナスが力を貸したんですか。確かにあのお坊ちゃんには民の人望もカリスマ性がありますからね。多少ボンクラなふりをして副官、及び魔法師の才があるのにそれを隠す怪しい者を近くにまとめおいた」
カインが首肯した。
「ジェナスの補佐として一人隠密をつけてな。襲撃してきた奴らは一つの系統しか魔法が使えなかったが、魔力と実力は魔法師に匹敵する。他に、あんたが女魔法師に似ていると気付いたことも、これまではジェナスに一任していたのに痺れを切らして、直接手を出そうとしてることも教えてきた」
「それで拐われたり、洗脳されたり、最悪他国に連れていかれたり、今後の邪魔になるからと殺されたりしないように、保護の名目で城に連れてきた」
ルースが後を引き取る。
「そういうことだ。当の本人は女魔法師の件は知らないし、ジェナスの事も知らない。師の件をちらつかせても、そこまで調べてるなんて気持ち悪いくらいの反応で、賢者の一族の事も知らない。こちらもどういう事かわからなくて困った。ただ時間がなかった。だから早く事態を動かそうと考えた」
「私が魔法を使えないのならそれでよし、魔法師であればなおよしといったところですか」
ロアは嘆息した。王との関係は知らなくて驚かされた、とルースが笑う。
「納得しました。それで狙われた母を保護して、連れ拐われた事にしたんですね。相手は母も持っていかれて、私への交渉材料にするのではと更に焦った。国側に強い魔法師がつくのは困るのでどうにかしようとした。幸い、城の情報も色々集めて知っていたからうまくいくと勘違いさせて」
でもあまりにロアが落ち込んでいるので、見かねて真実を告げに来たのだろう。あの時、襲撃と重ならなければ説明してくれたに違いない。わざわざロアの元に来て、謝ってくれたのだから。
うまくいってよかったと笑う王太子を見て、人がいいとロアは苦笑した。
「そこで私はまんまと魔法を使ったしまったんですね。後は丁度その時期だったっていうのもありますが。恐らくジェナスも師匠から聞いていたんだと思います」
ロアは観念したように一度目を閉じて、息を吐いた。握っていた手を開いて、藍色のリボンに八角形の漆黒の石を見る。
「これは師匠にお守りとして貰った物です。そしてある魔法がかかっていました。私の記憶を封じ込めて、十八になったらそれを全て思い出すように。だから今は全部、自分に何が起こっていたのかを知っています。いえ、思い出しました。確かに私が、例の女魔法師です。正確には、体は私でも中身は違いますが」
ロアは困ったように、微苦笑した。




