16,
長いです。そして暴走ぎみです。
さくっといくはずたったのに、、、不思議です。
何だか魂をすっ飛ばして、ロアは儚く気絶したかったが、「可愛い、綺麗になったね」と、上機嫌に抱き締める国王━━セオルド・ユーリス・ファウスのお陰で、それは叶わなかった。
何が起こっているのか、謁見の間の男たちはどう動くべきか、声をかけるべきか、困っていた。ただ威厳ある見慣れた国王とは、随分とかけ離れている。
本物の国王か疑いたくなるくらいに。
興奮した状態の国王よりかは話が聞けそうなロアを見やるが、何だか精神をごりごりすり減らしている所に追い討ちをかける真似は躊躇われた。
黒の目に生気はなく、色々諦めた感じが漂っている。抵抗すれば余計に疲れることになるので、ロアは王にされるがまま、人形のように無心になっていたが、さすがに頬擦りされて我に返った。
そこでルースもクリスも、これはダメだろうと慌てて助けに近寄る。
「ちょっ、ゃっ!! やめ━━」
「━━いい加減にしなさい、陛下!!」
国王の暴挙を諌めたのは、王より年上でかつて護衛兼教育係だったケネディ大将軍だった。
ロアから引き離し、名残惜しそうなセオルド国王から守るように背後に隠す。
昨日はすっかり彼の演技に騙されて、頑固なジジイと悪態を吐いたロアだが、今ばかりはとても感謝した。そして流されてはいけないと、ロアは己に克を入れた。
「感動の再会を邪魔するな、ケネディ。いくら昨日、会ったロアに忘れ去られていたからといって、僕の邪魔をするのは大人げないぞ」
「どっちがですか。昨日、自分が会えなかったからって、暴走した中年ほど質の悪いものはないですよ。殿下方がドン引きしてることに気づけ。ロアも嫌がっている」
不満げなセオルド国王に、ケネディははっきりと言ってやった。
王が仕方なさそうに息を吐いて、恋人を迎えるように両腕を広げた。
「わかった。もう一回、抱き締めさせてくれたら落ち着く。だからロア」
ロアは蒼白な顔で、ふるふると首を振った。
セオルドがまるでこの世の終わりと言わんばかりに、絶望の表情で固まった。
「……本当に、セオおじさまが国王様なんですね。ということは、ティーナおばさまが王妃様…」
「そうだ。お忍びでよく、友人のヘンゼルとクレアのもとに訪ねてお菓子を食べて、友人の娘のロアを猫可愛がって溺愛していた夫婦が、国王夫妻だ。ついでに言うと、王室会報誌などをロアに見せないよう夫婦でクレアに頼んでいた。見かけるとしても遠目にで、絵姿を見せない限りバレる心配はないからな」
ケネディが静かになった王を見て、疲れたように嘆息した。ロアは彼の背中から横に立って、じっと大将軍を見上げた。
「陛下方の護衛でお店にいらして、店内に入らずにいつも外に立って待っていたディおじさま?」
ケネディが驚き、厳つい相好を崩した。
ロアの背後で「だから誰だよ!? 何でこの歳でデレるおっさんたちを見なくちゃいけない!!何の拷問だ!?」と悲痛な訴えが聞こえた気がしたが、無視した。
ついでに「誰得なんでしょうね。……ルース、言葉遣いが戻ってる」と今にも倒れそうな弱々しくも無駄に色気のある声もしたが、見るのは避けた。
かわりに、すっかり気落ちした国王に視線を戻す。
約四年会っていなかった弊害か、気さくな貴族の方という印象ばかりが美化されていたことをロアは認めた。
確かにこういう感じの人だったなと、芋づる式で残念なセオルドをあしらっていた子供の自分を思い出して、ロアは無知の子供って凄いと感心した。
「昨日は覚えていないどころか、冷たい目で見られたと落ち込んでいたくせに。ロアを孫の嫁にしようと画策して、幼いロアにフラれていたのに、現金だな」
「中年男の嫉妬は醜いですよ。というか、彼女はもう結婚もできる女性なのですから、昔のように気軽に抱きつくのはやめてください。頬擦りや膝に抱っこするのも無しです。当時のあなた方夫婦の溺愛ぶりを知らない連中が見たら、愛人か何かと変に勘繰られた挙げ句、ロアを掌中に納めてあなた方を操ろうとするバカが出てきかねません」
立ち直ったものの、未だにダメージ大のセオルド国王に、ケネディが淡々と忠告した。
一方でセオルドが、雷に撃たれたように衝撃を受けてよろめいた。その場にがくんと膝をつきそうになるのを、ケネディとロアが慌てて左右を支えて、一緒に磨かれた床に腰を落とす。
セオルドが紙より白く情けない顔で、右隣のロアを泣きそうに見ると、ひしっと抱きついた。すかさずケネディが引き剥がそうとする。
「こらセオ! 言ったそばから抱きつくな! 国王がロリコン変態と言われるなんて嫌すぎる!!」
「陛下、本当にやめてください! 何の修行ですかコレ!?」
「陛下じゃなくて、ヘンゼルの友人のセオおじさんだよ。そう呼んでくれないと本当にこの家に留めて、帰さなくするよ」
「無茶な要求はやめてください! それと誘拐宣言も怖いです! ドン引きです!」
必死に逃げようとするロアを、セオルドが腕に留めおく。
「それよりロア!」
「は、はい?」
「ロアは付き合ってる男なんかいないな!? ましてや結婚なんてしてないね!? ロアのことはヘンゼルに頼まれているから、僕がしっかり相手を見極めるよ。ついでに王妃も厳しく審査するって言っていたから。結婚する際は、僕が父親役をするからね!? ああ、でもこんなに可愛いロアに言い寄る害虫は沢山いそうだ。ましてや、これだけ綺麗に成長したら……」
今までずっと突っ込みどころ満載な状況に、ロアはもう疲れて面倒くさくて、色々突き抜けた。すっと感情が消え去る。
「陛下、落ち着いてください。とりあえず、結婚してませんし恋人もいません。過分なお褒めのお言葉ありがたく存じますが、しっかりしてください。幼い子供は大概可愛いことと、四年ぶりという欲目で絶賛して頂いてなんですが、私の容姿は平凡ですよ。よく見積もっても中の上が限界です。私が非常にいたたまれなくなるので、友人の娘だからと誉めるのはお止めください」
ロアは冷然ともいえる頑なな態度と、感情のない声で淡々と返した。抱きつかれているのはもう放っておいた。
ロアの返事に安心したセオルドは、幼子にするように頭を撫でた。
「そんなことはない! 自分を低く見積もるのはロアこそやめなさい」
「そうですか。ついでに結婚する際は会うことがあればお伝えいたしますが、畏れ多いので父親役はご遠慮します。それとこれまでのご無礼、大変失礼いたしました。今後は分別を弁えて失礼のないように努めますので、どうぞご容赦下さいませ」
「えっ、いや、今まで通りでいいんだよ。遠慮なんてされると僕も妻も悲しいから。というか、相手を見極めるのも、父親役も譲らないよ⁉」
「ご遠慮させていただきます。また私を幼子のように扱うのは控えてください。幸いにもこの場にいらっしゃる方は皆様常識ある方で、変な下衆の勘繰りをすることはないと思いますが、今後は周囲に誤解を与えるように振る舞われるのは陛下の為になりませんので、お止めください」
「国王ではなく、セオルドおじさんとして」
「陛下、とりあえず離れてください」
「前みたいに、おじさまと呼んでくれるなら」
「ご命令ですか?」
セオルドが大きく息を吐いて、少しだけ離れて無感動な少女を見つめた。諦めるかと思いきや、微笑を浮かべた。
「無理強いはしないよ。ロア、困らせて悪かったね」
引き剥がそうと躍起になっていたケネディが、目を丸くした。他にも姿は見えないが、驚いている気配が伝わってくる。
「ロアのそういうところは変わらないな。幼い頃から僕たちが溺愛すれば、お手伝いの邪魔をしないで下さいと、よく冷ややかに怒っていたっけ。無理に振り向かせて相手をさせようとすれば、今みたいに貴族としての命令ですかって。そんな命令出したら君は僕たちから離れていくのは解っていたから、名残惜しいけど解放するしかなかった。それで妻とはお互いにあなたが構いすぎたせいだと言い合ったな。それを見たヘンゼルが呆れた顔になって、クレアはにこにこと笑っていた。馬車でまで言い争いになった時は、ケネディがうんざりした顔で「どちらも悪いです、次にこんな喧嘩をしたとロアに教えたら、自分が関わるのが悪いからと、笑顔でヘンゼルの傍で手伝いをして、お二人に近づかないでしょうね」と脅された━━懐かしい」
セオルドが目を細めて、懐古した。
「ロア、いつも通りでいい。オブラードに包まず、本音で喋ってくれた方が嬉しい。正直に言うと、久しぶりなのに君が再会を喜んでくれないのが不満だが」
懐かしくも痛みを堪え、それを隠して笑ういい歳した男が寂しがっていると、ロアは感じた。少しは冷静になって、再会の暴走から落ち着いたらしい。
ロアは嘆息した。
「お久しぶりです、セオおじさま。相変わらずのその甘い台詞はぜひ、ティーナおばさまだけに囁いてください。またお会いできて嬉しいですが、驚きと衝撃がありすぎて、自分でもよくわからない事態になっているので、お気になさらず」
ロアの言葉にケネディが深く同意した。
斜め後方からは「今までの言葉全部、口説き文句じゃないところが凄いよな。あんなの言ったことないし、母上にすらそこまで執着してるの見たことないわー」と達観したルースの呟きと、「そしてそれを勘違いすることなく、恥じらう所か鬱陶しげにバッサリ切り捨てる方も如何なものでしょう、こちらは助かりましたが」とぐったりした声のクリス。
話題のセオルドは、聞こえていないのか聞いていないのか、ロアを見つめて懺悔するように目を伏せた。
「……ヘンゼルの葬式にも顔を見せられず、その後も足が遠ざかってしまってすまない。クレアも体調を崩して塞ぎこみ、君一人で色々と大変だとわかっていたのに力になることができず…」
「私は大丈夫ですよ。もしお二人に甘やかされていたら、私は傲慢になるくらいにどろどろに溶けて、自分の足で立っていられたとは思いません。だから、いらしてくださらなくて、助かりました。ありがとうございます」
友人の死後、事情があって動けなくなっていたとはいえ、薄情に放置していたことを詰る所か感謝された。それも事情は解っているからと言わんばかりに。
セオルドが堪えきれずに、吹き出した。
月日が経つのは早いとしみじみ思う。
「赦してくれてありがとう、ロア。でもきっと君のことだから、もし僕たちが手を差し出しても、君は大丈夫ですと自分で立っていたと思うよ」
笑顔が徐々に消えて、乾いた歪な笑みになる。
「………ヘンゼルは本当にもういないんだね。クレアももうあの店に立つことはなく、あいつの豪快な笑い声も、また来たのか暇人めと呆れたように言ってくることも、オレは忙しいんだって文句言いながら、お茶に付き合って話を聞いてくれることもないんだね」
「はい、もういません。あの時間は、もうどこにもありません。だから無理して訪れなくていいんです。わざわざおじさまが辛い思いをする必要はないですし、そんな苦行に耐えろとは私も鬼ではないので言いませんよ」
「はは、情けないな。君はその空間に一人で耐えて残っていたというのにね。周りの大人たちが避けているとは」
「おじさま、父のことを思ってくれて、そこまで悼んでくれてありがとうございます」
純粋に嬉しくて、ロアは深く頭を下げた。
それを困ったように、泣きそうな顔で笑いながら、セオルドは少しだけ胸の閊えが取れた気がした。
ほっと気が弛んだのか、胸に咳がこみ上げてきた。体が熱を持ち、心臓が暴れだす。呼吸音が怪しくなる。
胸を抑えるが、痛みも熱も引かない。目眩と共に胸が苦しくて前屈みになり、倒れるように目の前にいたロアの膝に頭が沈んだ。
ロアが瞠目し、ルースやクリスが血相を変えて駆け寄ってきた。ケネディが、セオルドのタイとシャツを緩めて、首から下がる小物入れを開けた。
いつもならそこに入っている薬が無くて、舌打つ。
セオルドが苦笑した。
「……朝、補充するのを忘れていた」
「ロアに会うからって緊張しすぎでしょう!」
ケネディが立ち上がり、部屋を出ていった。カインも「御殿医を連れてくる」と、飛び出していく。
「父上! だからあれほど安静にしてくださいと…!」
「悪いなルース、……ごほっ。…どうしても会っておかないといけない気がして……はぁ。驚かせてすまないね、ロア」
「本当ですね。だから後で、ティーナおばさまや殿下方に沢山怒られてください」
口調は平然としているのに、黒曜石の瞳は不安げに揺れていた。不謹慎ながら、セオルドは嬉しく思う。
動悸を落ち着かせようと深呼吸して、甘い香りがした。よく知った芳ばしい香り。
「…あ。ロアか。甘い香りがする。いつも美味しそうな甘い香りがしてたなぁ」
「陛下、こんな時に何を……」
ロアがはっとして、ポケットを探る。
出てきたのは小さな包み。その包みをほどくと、シンプルなクッキーが出てきた。午前中にエリーと作った物だ。いつも通り、幸運が訪れることや疲労回復を願って、魔力を込めた平凡な焼き菓子。
それを見たセオルドが、口許を綻ばせた。咳き込み、掠れた呼吸音が静かな空間で耳についた。
「一番、好きなクッキーか……ごふっ」
白い顔で咳き込むと、押さえた掌に赤い跡ができた。咄嗟にロアが差し出す。
「食べます?」
こんな時に何を。
そんな非難が出ても不思議ではなかったのに、予想外の言葉にルースもクリスも声が出てこない。
その間に、セオルドが手を伸ばして、口に放り込んだ。さくさくと咀嚼する軽い音の後、喉が動いた。
緊迫した状況下において、何とも間抜けな光景だった。
ロアに膝枕されながら、セオルドが再度手を伸ばして、クッキーを食べた。
さくさく、さくさく、ごくん。
いつの間にか呼吸が落ち着き、目眩も動悸も無くなった。胸の痛みも消えて、セオルドはゆっくり体を起こした。
ルースたちが呆けていた。
セオルドは、一人だけほっとした様子のロアを見て、もう一枚クッキーを摘まんで食べた。
「……ヘンゼルの味だ。やっぱりこのクッキーが一番好きだな」
「そうですか。良かったです」
ほのぼのしたやり取りに、先程までの空気が嘘のように霧散した。
そこにケネディとカイン、顔面蒼白の中年の男が現れ、呑気に座ってクッキーを頬張る国王を目撃した。
「なっ……!? 何で起きてるんですか…」
ケネディが皆の気持ちを代弁した後で、がくりと脱力した。
「すぐに薬を飲んで、診察を受けてください」
緩み始めた空気を、ロアの硬い声が引き締めた。
その後、場所を謁見の間から城の奥宮へと、人目につかずに移動して、クッキーを残さずに食べたセオルドの診察が行われた。
魔法による治療と、通常の治療を許された魔法医師が診察すると、悪化の一途を辿っていた病状が少しだけ好転していると驚いた。
訝りつつも喜ぶ面々に、セオルドだけがロアをじっと見つめてきた。
恐らく何となく、全員が気づいている。
ロアは小さく頷いて、クッキーについてお知らせした。
お読みくださり、ありがとうございます。
お疲れさまでした。