13,
世界が赤かった。
夕日ほど暖かい色でもなく、血のように赤黒くもない。
全てを灰塵に帰す赤い炎。
世界が終わっていく。
わたくしを形作っていた世界が。
世界が壊され、目まぐるしく変わっていく。
優しく穏やかな両親と兄たちだった。いつも暖かくわたくしを迎えてくれて、大切に慈しんでくれた。
護衛と無茶すれば怒られはしたが、仕方ないなぁと苦笑して頭を撫でてくれた。護衛はこってり絞られていたが、何故か絶対服従で止めることはなく、楽しく笑ってわたくしにいつも付き従った。
大切に大切に甘やかされて育った。母が亡くなってからはそれがより顕著になった。
わたくしは何も知らず、知らされず、ただ無邪気に自由にのびのびと育った。
最低限の必要な義務は果たしていたが、いつも限られた人と限られた箱庭で、幸福の中にいた。
それが変わったのは、十二歳のとき。
外からわたくしの教師がやって来た。それまでもマナーやダンス、文字の読み書き、歴史、様々なことを習ったが、今度は基礎ではなく、本格的な魔法の勉強だった。
やって来たのは、若い男。
この国の建国時から千年、その礎を支えてきた魔法を得意とする一族。何でも知り、知らないことはないと言われる膨大な知識量。故に、賢者の一族と呼ばれる彼らは、わたくしたちしか住みかを知らない。知られて連れ拐われたり、その能力を恐れた誰かに焼き討ちされたりしないように。
伝説として物語として語られはしても、現実には姿を見せない一族。彼はその一族の長だった。
出会った当初は、何も知らずに箱庭にいるわたくしを心底バカにして嘲笑っていた師匠は、箱庭で一年間、外の世界のことをたくさん教えてくれた。
腹立たしかったけれど事実で、彼が教えてくれることは新鮮だった。わたくしは必死に話をせがんで、知識を蓄えた。
それから彼はわたくしを箱庭から連れ出して、自分の里まで手を引いてくれた。従者と共に初めて外の世界に触れ、ありとあらゆることを、外の世界の現状を、民の様子を教えてくれた。
元々限られた箱庭で過ごしていたので、自分の身の回りの世話は一人でもでき、毒を恐れて箱庭で自給自足の生活だったので、師匠の里でも、苦はなかった。
そこは第二の箱庭だった。
村という集団生活で、人数や役割分担が増えただけ。そしてわたくしを対等と扱い、わたくし自身を見てくれるようになっただけ。ただ完全には閉じられた世界ではなく、情報は流れてきた。
そのお陰で知ることができた。
この国が腐りきっていること、もう崩壊寸前で立て直しがきかないこと。父や兄たちは傀儡で立場か弱く、そのくせ全ての責任を負わされて、国中から憎まれていること。
こんな毒を撒き散らすしか能のない国は、早々に滅んだ方がいいこと。この国に為政者等おらず、害虫が蔓延っていること。
里に移ってから、二年が過ぎた時だった。
師匠の言いつけを破って、わたくしは里を飛び出した。従者だけ付いてきた。
そしてわたくしは、国の混乱、怒号と慟哭、深い嘆きと憎悪、恨みと悲哀、暴力と人の死、血の赤と匂い、沢山の不幸と屍と、あらゆる負の遺産を目の当たりにした。
***
いつもの習慣からか、朝日が昇りきる前にロアは目覚めた。上半身を起こすと、布団に丸い染みができた。次々と丸い跡が出来て、それがぼやけて滲んだ。
ようやく頬を伝うものに気づいて、これはいつものことなのになかなか慣れないと、ロアは苦く笑った。
頭が熱を持ったように鈍く、痛かった。目を閉じると、赤い世界が脳裏に浮かぶ。それ以上を思い出そうとすると、靄がかかって混濁、曖昧になる。
ロアは深呼吸してベッドから出ると、用意してあった飾りのない質素なワンピースに着替えた。
鏡台の前に座り、髪を梳けずりながら、藍色のリボンに漆黒の石が付いた髪飾りを見た。
編み込みを作り、器用にまとめて結い上げながら、思い出す。
「私を守るお守り…」
師は確かにそう言った。でも一体何から守るお守りなのか。
ロアはぼんやりしながら、ふらふらと続き間の応接室に移動した。
昨日と同じように机の椅子に座り、出だし窓に頬杖をついて、朝日に照らされる景色を眺める。
この景色見たことあるかもと、うつらうつら舟をこいだ。
***
「ロア様、ロア様、起きてください」
体を揺すられ、ロアは目を開けた。
茶髪が少女の輪郭に沿ってさらりと揺れ、柔らかな茶色の目が心配するように顔を覗き込んでいた。
「エリー、おはよう」
「おはようございます。この様なところで寝ては風邪を引いてしまいます。まさかずっとこちらで寝ていたのではありませんよね?」
「違うよ。朝早くに目が覚めて、ここに来たらついうとうと寝ちゃっただけ」
ロアは小さくあくびをして、体を起こした。机の置時計を見ると、もう七時である。流れる涙を拭った。
「すぐに朝食の準備を致します。あの、ロア様?」
「心配しないで。泣きながら目が覚めるのはいつものことだから」
エリーが戸惑いながらも、一礼して退室しようと扉に向かう。その背に言っておくことを思い出して、ロアは声をかけた。
「ねぇエリー、昨日あなたは守ってくれると言ったけど、無理はせずにあなた自身も守ってね。あなたの代わりはいないし、あなたに何かあったら弟さんも、私も凄く悲しいから。とは言っても、その危険に巻き込む張本人が何を言うんだかって感じだけど」
自嘲するロアを、エリーが驚いたように見た。それからふわりと微笑む。
「使用人が使う厨房の使用許可を頂きました。材料も手配してあります。朝食後、ご指導よろしくお願いします」
「…うん、こちらこそよろしくね」
綺麗にお辞儀したエリーに、ロアも微笑んだ。




