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一旗揚げましょう?  作者: 早雪
12/38

12,



エリーが淹れてくれた紅茶を一口飲む。ふわりと香りが抜け、鼻腔を擽った。舌に滑らかな感触と果実茶特有の甘味が広がった。

ロアは口許を綻ばせた。


「美味しい。入れ方上手だね、エリー。ただもう少し熱いお湯で蒸らしてからの方が、このお茶は香りも味も深みが出るよ」


エリーが茶色の目を丸くして、正面に座って優雅にカップに口づけるロアをまじまじと見た。

出会ったときから思っていたが、普通の平民の割には、エリーに返礼された淑女のお辞儀や背筋が真っ直ぐに伸びた歩き方といった所作が綺麗だった。昼食の取り方もメイドの指導をしてくれた先輩に教わったように、自然体で見とれてしまった。


もしかすると、先輩たちよりも完璧かもしれない。今もソーサーにカップを戻すのに、音が鳴らず流れるような動作が優雅だ。


「ロア様は本当に貴族のお嬢様ではないのですか? 立ち振舞いがこんなに綺麗なのに」


エリーに不思議そうに訊かれて、悪戯っぽく笑いながらロアは種明かしをした。


「お褒めに預り光栄です。私の所作が綺麗なら、母の指導に耐えた結果が実を結んだ証拠だから、願ったりだよ。お店では貴族のお客様も来ていたからね」


「お母様が指導を?」


「うん。二十年くらい前だけど、母は王妃様の侍女をしていたらくて、おもてなしするのはお客様も同じだわって、小さい頃から躾られたよ。貴族のお客様が来ても粗相の無いようにって……どうしたの?」


「お、王妃様の侍女を……素晴らしいです‼ 身元のしっかりとした、王妃様の信頼がないとなれない女官の中でも最高位で一流の方じゃないですか‼ 素敵です! 憧れます! だからロア様もそうなんですね! ……ん? 侍女って特例を除いて貴族のお嬢様しかなれませんよ?」


ロアが昔聞いた話を思い出しながら、口を開く。


「あ、えーと、母は子爵令嬢だったらしいの。と言っても貧乏で没落寸前で、社交界デビューせずにエリーくらいの歳から城に勤めたみたい。黙々と仕事して、当時の王太子妃様付きになったら、家族が病死して、親戚もなかったらから爵位を返上して、平民になったそうよ。侍女も辞退しようとしたけど、今の王妃様がそのまま仕えられるように取り計らってくださったって言っていたかな。だから平民なの。家も家名も消えたけど、元々没落していたから気にしてないって。むしろ煩わしさから解放されて、喜んでうきうきしながら爵位を返上したそうよ」


「……喜んでうきうき爵位返上…。そうだったのですか。さぞかし優秀な方だったのでしょうね。だからロア様もお手本のように所作が綺麗で、料理やお茶やお菓子にも詳しいのですね」


貴族にあるまじき態度は聞かなかったことにして、納得したと羨望の眼差しで、うっとりとため息を吐くエリー。ロアは苦笑した。


「良ければ今度、会いに来る? よく部屋のベッドて寝て過ごしているから、エリーが相手してくれたら喜ぶと思う」


ロアの申し出に、瞳を輝かせたエリーが大きく頷いた。ぜひ色々と聞きたいことがあるらしい。

それから二人は所作や、主だったお菓子に合う紅茶、メイドたちの間や街での流行についてなど、殆どエリーの問いかけにロアが返す形で、会話に花を咲かせた。


父親が元城の料理人で、母と結婚して店を出したことや、熊みたいな大男なのにお菓子が大好きなこと。父が亡くなり母も体調を崩しがちなこと。一人で店を切り盛りしてること。


紅茶をお代わりしつつ、クッキーをつまみながら、二人は自分達のことを話す。

美味しいジャムの挟まれたクッキーを、しょんぼり眺めながら口にしたエリーは、ロアのお店の話に気分を浮上させた。


「ぜひロア様のお店にお邪魔したいです! 実はお菓子作りに興味があって何度か試したのですが、クッキーを作っても半生だったり、固かったり、とにかくうまくいかないのです。せめて食べられる物を作って、弟にあげたいのですが、既製品は高くて買えず、作った物は不味くて、弟を三日間寝込ませました。そして台所に立つことを禁止されました━━生涯立つなと」

「生涯!? そこまで!?」


諦観したように話すエリーに、だから悲しそうにクッキーを見ていたのかと納得したロアは、かける言葉を探して困った。


一方でエリーは気にせず、両親が亡くなってから孤児院が潰れ、弟と二人で路地裏で貧しく生活していたこと。二年前、奴隷売買で捕まったところをルース王太子とカイン魔法騎士団長に助けられたこと。それから珍しく魔力があった為、カインが面倒をみて、姉弟に使い方を教えてくれたこと。ルースに希望を訊かれて、憧れがあった城で雇ってもらえたこと。弟を学校に通わせられて嬉しいことを話してくれた。


ロアは頷きながら、ぽつりぽつりとエリーの話を聞いた。

良くして貰っても何も返せていないこと、頼る人がいなくて不安なこと、弟に苦労を掛けたくないこと、早く一人前になって恩返しをして弟を育て上げたいこと。


冷めた紅茶を飲み干し、ロアは立ち上がって新しい茶葉に変えて、紅茶を淹れ直した。その際に、少しだけ精神安定と元気になれるよう願いながら魔力も込めた。

恐縮して縮こまるエリーにサーブすると、その所作に注目され、ロアの笑顔を見て弾かれたように目に生気が戻る。

エリーは差し出された紅茶にほうっと息を吐いて、促されるまま口をつけた。目から鱗が出そうになるほど衝撃を受けた。


「美味しい!! えっ、これ、わたしが淹れたのと同じ物、ですかっ?」

ロアがにっこり微笑んだ。

「ねぇエリー、あまり力になれないけど、何かあったら相談に乗るよ。たとえば紅茶やコーヒーの淹れ方、お菓子の作り方、安上がりだけど栄養のとれる料理のレシピ、後はもし城で働くのが辛くなったら、逃げたいと思ったら、私のお店に遊びに来るといいよ」


エリーが息を飲んで、言葉を詰まらせた。。

気にせずロアは自分のカップにも紅茶を注ぐ。

ロアはすっかりエリーが気に入っていた。誰にも頼れず、自分がどうにかしなければとずっと頑張ってきた健気な子。

王太子や宰相の思惑通りでも、別に構わないと思った。多少の嘘はあっても、大筋は全部本音だ。それならたまにロアが、逃げる場所の無い彼女の手助けをしてもいいだろう。


「まずは、美味しいクッキーでも作って、生涯立ち入り禁止を解除することから始めてみない?」

エリーからふっと肩の力が抜けて、鈴を転がすような声で笑顔が溢れた。

ロアが席を立って、エリーのカップにお茶を淹れる。笑いすぎて零れた涙を拭うエリーに背を向けた。



ふと窓から沈む夕日を見つめた。先程よりも赤く染まり、消え去ろうとしていた。

「怖いくらいに血のように赤いですね」

何気なく発されたエリーの一言だった。ロアは疲れたように夕日を見つめる少女をぼんやりと見て、自分も窓に目を向ける。


「……違うよ。血はもっと赤黒くて、あんなに綺麗な赤じゃない…」

「えっ⁉」


エリーが驚いて正面を凝視すると、空虚な目で完全に隠れる太陽を見る黒曜石の双眸。


「ロア様?」


恐る恐る呼び掛けると、こめかみを押さえながら、ロアが目を瞬かせた。エリーがほっとする。


「ごめん、ボーッとしてた。暗くなってきたね。エリー、私もうお腹いっぱい。せっかく持ってきてくれたのに悪いけれど、残りのクッキー食べちゃって」


客人のロアはあと二時間もすれば夕食になるが、エリーは違う。まだまだ仕事がある。ロアの気遣いをありがたく受け取った。


「ロア様、一つお願いがございます」


茶器を片付けながら、エリーは意を決して口を開いた。烏滸がましくて申し訳ないと恐縮しきりの少女に、ロアは続きを促した。


「明日もまた、ロア様は殿下方とお話しされますよね。午前中は皆様、会議や執務でお忙しいので午後に本日の続きをとのことでした。なので明日の午前中、お時間を頂ければ、わたしにクッキーの作り方を教えてくださいませ。厨房の使用許可は取っておきますので…あの」


「喜んで! 気遣ってくれてありがとう、エリー。楽しみだなぁ~」


ロアが上機嫌で快諾した。エリーもほっとする。


その後エリーは仕事に戻り、ロアの夕食の給仕をした。食後にまた少し話をして、ロアの店や仲のいい常連客や、時折訪ねて来た城で知り合った両親の気さくな貴族の知り合いの話を聞いた。


続きはまた明日にして、入浴の支度をすると「そこまで世話しなくていいから」と、ロアは一人で入ってしまった。


艶のある黒髪を乾かした後、ベッドに入ったロアにエリーは挨拶した。

「お休みなさいませ、ロア様」

「お休みなさい、エリー」


立ち去らずにいる少女にさを、どうしたのかと見ていると、徐に真剣な顔で告げられた。


「安心してゆっくりお休みくださいね。わたしはロア様のお世話を任されたので、あらゆることからお守りします。ですから、何かありましたら何でも仰って下さい。それでは、失礼致します」


扉が閉ざされ、足音が遠ざかった。

ロアは体を横にする。ちらほら残してくれたエリー言葉から察するに、やはり彼女は王太子たちから自分のことを任されているようだ。


逃げたさないよう、何かあったら報告するように。もしくは誰かが連れ去ろうとしたり、命を狙ってきたら守るように。


幼い頃から魔法が少し使えて路上で生活をしていたということは、多少荒事の訓練を受けて裏の仕事をしていたのだろう。そうでなければ、生きていけない。

使い捨ての駒だったのか、怪我をしていたのか、人買いに捕まってからここに来て、カイン辺りからも手解きを受けていたようだった。


弟を大切に思い、自分と同じではなく好きなことをさせたいと願っていたエリーは本当だろう。


仕事とは別にして、ロアに少し心を許してくれたようだった。もし命を狙われたら、エリーはきっと自身を盾にしてでも助けてくれるだろう。そういった覚悟でくれた言葉だった。


ロアはうとうと微睡んだ。

なれない部屋で色々なことを聞かされたのに、あっさり眠れる自分は図太いなぁと思いつつ、眠りに落ちた。












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