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与えられた部屋で、ロアは何度目になるかわからない、苛立ちのこもったため息を吐いた。
豪華な部屋。見事に調和のとれたごてごてしていない調度品。どれもが見たことの無いほど一流の品だろう。生憎と、その価値はわからないが。
ただ傷をつけたら、部屋の備品を壊したらと思うと恐ろしくて身動きが取れなかった。
故に座り心地の良さそうなテーブルソファーにも、数冊の本や置物がバランスよく配置された飾り棚や傷ひとつなく磨かれた重厚な机にも、壁一面のクローゼットにも、近寄らず触れもせず。
ぼんやりと出だし窓際に頬杖をついて、机に付属した椅子に座り、暮れゆく秋の空を眺めていた。
何よりも広い。
この居室だけでこじんまりとしたロアの家の一階も二階も、二つずつ入るだろう。
まだ見ていないが、続き間の寝室も同じくらい広がりがありそうだ。
落ち着かず、自分がこの部屋で異物だと思う。調和のとれた一流の品々の中で、明らかにそれを乱す不協和音。
全然、寛げなかった。
慣れた貴族ならこの部屋の素晴らしさを理解し、落ち着けるのたろう。
ロアにとっては我が家の方が、遥かに落ち着いて寛げた。
思わず、盛大に息を吐く。
現在、ロアの頭を悩ませているのは三つ。
一つは、例の女魔法師と記憶の無い自分の徘徊癖について。
どれだけ自分の中に答えを求めても、何も出てこない。子供の頃に滞在して様々なことを教えてくれた師にも、徘徊癖や記憶の欠如については教えて貰ってない。
ロアは髪飾りをじっと見つめた。師が旅立つ前にくれた物だ。幸運のお守りだから、絶対に肌身離さずつけるように言われた。それからは、毎日使用しているが、十年以上経つのに劣化しない。
(師匠だったら、この状態も簡単に説明出来て、今の状況もどうにか出来るかな。何でも知っていて、知らないなんてこと無さそうだったし)
ロアなりに、二重人格、別の自分がいることも考えてみたが、体が同じである以上ロアに使える魔法は限られた。結論は、やはり女魔法師は自分ではない。
(だから、私を魔法師、或いは魔法師長として立てて、他国の侵略の時間稼ぎ、抑止力や国の盾として飾ることは出来ないはず━━なのに、不安があるんだよねぇ)
そっと息を吐いて、とりあえず思考を一時中断する。
代わりに頭の中を過ったのは、国内の津々浦々から王家の名の下に出されたお触れ。
二年前から、魔法に腕の覚えのある魔法師を募集していた。その為、一時期この街に各地から魔法が使える者が集まったが、今日まで魔法師になったという話は聞いたことがなかった。
それほど事態は逼迫していて、力ある魔法師がいないのだ。
反乱組織に関わっている魔法師を必死に探して、繋ぎ止めておこうとするほどに。
二つ目の頭の痛い出来事は、そのせいで母にまで迷惑をかけて、危険に晒していること。
心配だった。早く帰りたかったが、確かに自分がいても役に立たず、守れもしない。
悔しく、腹立たしい。
(ていうか、お母さんを狙った時点で仲間になんかなるわけ無いのに……ああもう、ムカつく‼ 監視していたど変態が少し痛い目にあって、反乱組織の奴等を捕まえてくれればいいのに!)
ロアは割りと真剣に願っていた。
そして三つ目が、召喚状に関する件が一段落して、謁見の間を去ろうとした時に投下された爆弾━━毎日お菓子を買いに来る顔見知りの客が、国一番の反乱組織の頭目だった件だ。
接触があるのは、ここ三ヶ月。
ロアのお菓子を絶賛してくれて、毎日欠かさず買ってくれた。専属のお菓子職人になれと言ったり、経営下に入れと破格の条件を出していた。
(やっぱり、裏があった。三ヶ月ほど前から騒がれ始めた魔法師、だから近づいてきたんだ…)
ロアのお菓子を認めたわけではなく、ロアが魔法師か探りつつ、その力を欲していただけ。
少し辛いが、それでも元々関わりのなかった知らない人だ。勝手に話しかけて付きまとってきた。
ロアは突っ伏して、見事に真っ赤に染まった空をぼんやり眺めた。
自分の取り巻く環境が、目まぐるしく変わっていた。
コンコンコン。
ノック音に体を起こして「はい」と応えると、ドアが開いてロアより年下のお仕着せを着た少女が姿を見せた。
謁見の間からこの部屋まで、ロアを案内してくれたメイドだった。現在十四歳で、貴族の行儀見習いで働いているわけではなく、平民出身らしい。誰かに専属でつくのは初めてなので、至らないところがあったらごめんなさいと謝られた。
「エリー、どうしたの?」
「お茶とお菓子をお持ちしました。少し休憩なさいませんか?」
エリーの茶色の目が柔らかく無邪気に細められた。カートを押して入室すると、てきぱきと作業を始めた。肩口で切り揃えられた茶髪が、さらりと揺れる。
香り高い紅茶が部屋に充満する。窓際まで届いて、この部屋で昼食を食べた後からずっと考えていたロアは、少し小腹が空いていた。
「ありがとう、エリー。一緒に食べよう」
「えっ、いけませんよ、ロア様。わたしはメイドでロア様のお世話をするのがお仕事なんです! 一緒の席に着くなんて恐れ多いです!」
エリーが目に見えて慌てふためいた。その様子も可愛らしく、僅かに和んだ。
この愛くるしい少女は、初めて誰かの部屋付き━━専属で任せられたことが嬉しいようで、疲れた謁見の間からの案内中、体調を気遣ったり、気まずくならないよう話題を探して振ってくれた。それが天気やら、城の噂や七不思議といった選択はどうかと思うが、一生懸命な姿に肩の力が抜けたロアは、その厚意をありがたく受け取った。
部屋に着いたその後も、細やかに何かにつけて気を配りながら、昼食を用意してくれた。
監視かなと少し思ったが、すぐに気にならなくなった。
とにかく、彼女は必死だった。仕事を張り切っていて、昼食後に窓際に座ってぼんやり考えるロアに、気分転換に庭にいきましょう、本はいかがですか、と提案はしても押し付けない。
「お客様が快適に過ごせるようにおもてなしできるのが一流のメイドで、そうなりたいと言っていたでしょ。私は平民で、事情があってちょっとお世話になっているだけだし、マナーも何もわからないから、付き合って一緒に飲んでくれる方が快適に過ごせるんだけど、ダメ?」
エリーがどうしようと困惑して、困り顔で悩んでしまった。
ロアにも夢というか目標があるから、親近感がわいて頑張っているエリーを応援したい。何より可愛く、こんな妹が欲しかったと思う。
「か、畏まりました。ご相伴に預からせていただきます」
ロアはにっこり微笑んで、少女とのお茶会を楽しむことにした。