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第四話・未だ知らぬ少女の名




 掃除は上からが、古来の鉄則である。


 狭き陰湿な埃臭い一室に挑む少女もまた、その心得をわきまえていた。


 真っ白の髪を守る頭巾、埃を吸い込まないための口布、袖口も二の腕までまくり上げ、手にははたきと完全武装である。

 しかも少女はしろが目立つシスター服で掃除に臨むように、自らが埃をかぶることにはそこまで抵抗がないらしく、少女ながら男子と見間違う豪胆さで、せっせと壁面や家具の埃を落としている。

 例えばそう、本棚の上に黒光りする虫の死骸が埃をかぶって転がっていようと、それに対して息を呑む間もなくゴミだめに放り込むほどの肝の座りぶりだった。

 その働きぶりに、アイルも再び追われる身であることを忘れ、時折せき込みながら少女の姿に見入っていた。

 しかし、掃除をする者にとって最も邪魔なものは元来、掃除する気もないくせにその辺に突っ立っている木偶でくぼうと相場が決まっていた。

 この陰気臭い部屋に一人立ち向かう少女にとっても、掃除する傍らじっと見つめてくるだけのアイルのことが煩わしくて仕方ない。時折せき込まれてしまえばなおのことだった。



「あの……、ここは埃も立ちますし、別の部屋に行かれては?ぶっちゃけ邪魔です」


「せっかく途中まで遠回しだったんだから、最後まで頑張ろうよ」



 正面から邪魔と告げられたアイルだが、別の部屋に移動する気はさらさらなく、苦笑いでお茶を濁した。



「さっきからおじさんの声も聞こえてきませんし、きっともうあきらめているかドロンを説教中のどちらかだと思いますよ?」


「え?まぁ、うん。そういえばさっきから何も聞こえてこないし、そうなのかもしれないけど……。あれ?ドロンのこと知ってるの?……って、そういえばさっき会った時も僕の名前呼んでた!……もしかして僕たちって前に会ってる?」



 アイルが今更ながらにその事実に気づくと、少女はとうとうしかめ面から呆れ顔になった。



「まぁ、私を見て女の子かどうか聞くってことは、覚えていないんだろうなと思いましたけど……。ええそうですよ。私たちは会ってます。極々最近、しかもほとんど毎日会ってます」



 今まで礼儀正しかった少女の語調が段々と荒いものに変貌し、アイルを責め立てた。

 アイルは正直、少女のことを全く覚えてはいなかったものの、教会に通っているということと、アイルたちの関係を知っていることから大体の見当はついていた。



「……もしかして、教会で会っていたり?」



 この王国は一神教であり、その国もとで育つ国民はみな、並々ならぬ信仰心をその胸に宿している。その信仰心を培い、また将来この国もとで有望な働き手となるために、子どもは六歳となってから六年間教会に通うことが義務付けられていた。

 アイルの齢は十。例に漏れず、この教会に通っていた。



「もしかしなくても、その通りです」



 少女は淡々と答える。その少女の冷たい双眼は、アイルの視線が泳いでいくを見逃さなかった。

 少女は口布を外し、再度自分の顔をアイルの眼前に曝す。



「何度か話したりもしているはずですけど、まさか四年も同じ教会に通っている人の顔覚えていないんですか?」



 それでもなお、アイルの口は水を得られぬ魚のようにパクパクと開閉するだけだ。

 そう。アイルは完全に忘れていた。

 少女の言う通り、アイルとこの少女は何度か出会っている。それも偶々すれ違ったとかそういうものではない。

 この少女もアイルらと共に、神父から日々教えを受けている、アイルと同い年の女の子だ。

 だが哀しいかな。アイルはそういうのにはとことん疎く、この四年間、教会に通い出来た友達はドロン一人。あとはドロンに誘われ訪れた別の教会に数人程度。

 アイルにとって、目の前の女の子はただの有象無象に過ぎなかったのだ。


 だからこそ、少女の冷たい視線に、軽蔑以外の感情があることに気づかない。



「……嘘つき」



 だからこそ、少女のその呟きに、アイルは気付かなかった。

 




 一度少女は顔を伏せたが、アイルが視線を向けるまでには、とげとげしい雰囲気を多少納めた涼しげな顔が浮かんでいた。



「まっさか同級生の顔を忘れます?もう四年近く顔を合わせているはずなのに」


「あはは、ごめんね。なんか人の顔とか名前覚えるの、得意じゃなくて」



 アイルは一応、自分にも多少非があると思い、素直に謝る。

 そこでようやく、二人の視線が再び交錯する。

 アイルの黒い双眼をしっかりと瞳でとらえてから、少女は深々と頭を下げた。



「エリカ・フラワードです」


「あ、アイル・ダルダータです」



 遅れて、アイルも同じように頭を下げる。

 顔を上げた時には、何とも言えないこそばゆさがアイルの胸にくすぶっていた。

 よくよく思えば、しっかり頭を下げて自己紹介をしたのは今日が初めてではなかっただろうかと、驚愕の事実に気づき、頬を掻く。

 そんなアイルの顔を見上げていたエリカが、ふと思い出したように「あぁ」と鳴いて破顔した。



「そういえば、自己紹介するのは初めてでしたっけ?」


「あ、今おんなじこと思ってた」



 互いの言葉には微妙なニュアンスの違いがありはしたものの、同じことを考えていたことにおかしさを感じて、二人は互いに笑った。





 ***********




「それで、どうして僕はほうきを持たされているんでしょうか?」



 エリカとの自己紹介を済ませ、意気揚々と部屋に隠れてやり過ごそうとしていたアイルの手にはアイルほどの背丈がある箒が握られていた。

 それはいかなる理由か問いかけると、エリカはその童顔に満面の笑顔を浮かべて答えた。



「あなたが私の名前を忘れた罰です」



 満面の笑みを浮かべる顔と漏れ出てくる凍てついた声音との温度差が、ゾクリとアイルの背筋に悪寒を走らせた。



「もしかして、怒ってる?」



 幸いにアイルは、怒りが頂点に達すると急に笑顔になる人種に遭遇したことが何度かある。アイルの母親がそれにあたる人種ではあるのだが、エリカの顔は、怒りに気をやられたアイルの母親をほうふつとさせ、アイルを気圧させるには十分だった。



「いいえ。私はそんなことで怒ったりしませんから。安心してください」



 嘘だ。直感でアイルはそう確信していたが、口には出す愚行だけは何とか思いとどまる。

 アイルは部屋の中を見回す。相変わらず薄汚いという印象しかないが、手狭な部屋だ。いろいろ口出すこともなければすぐ終わらせることができるだろう。



「まぁ、割と狭いし、すぐ終わりそうだからいっか」


「あ、この部屋が終わったら他の部屋にも手を伸ばしますからね」


「……え?」



 いったん妥協した所で新たな追加注文が飛び込んできて手が止まる。



「他の部屋って何?」


「ここと同じような内装の部屋が後九部屋あるので、今日はそこ全部掃除をしますよ」



 笑顔を崩さず淡々と告げるエリカだが、アイルの方はたじたじである。



「因みにそれって僕も?」


「もちろんじゃないですか。まさかとは思いますけど、嫌とか言いませんよね?」



 そのまさかである。アイルにとってこの部屋だけでも掃除をするのは不本意だというのに、同じ部屋を九部屋などたまったものではなかった。

 しかし今まで伊達に神父の視線を掻い潜り、ドロンの悪知恵とやり合ってきたわけではない。この状況から抜け出す手を瞬時に見いだせないアイルではなかった。



「あぁ、なら僕は別の部屋をやるよ。狭い部屋を二人でするより、手分けをした方が……」


「あ、この部屋から一歩でも外に出ようとしたら、おじさん呼んでしばいてもらいますから」



 だがアイルが見出した逃亡という一手はいともたやすく、エリカに見破られた。



「で、でも……他にもそれだけ部屋があるのなら、手分けをした方が」



 アイルが苦しい進言をするが、エリカにその言葉が届くことはない。笑顔のままどこからか取り出した笛のようなものを口元に運んでいる。

 それが一体何の笛なのか、アイルは聞かずとも想像がつき肩から力を抜いた。



「……わかった。手伝う」



 ここはおとなしく従っておいた方がいいだろうと、最終的にアイルは結論付けた。

 何も退路を完全に断たれたわけではないのだ。その気になればいつでも……。



「あ、もし勝手にいなくなったら、おじさんにばれていなかった今までのいたずらに思いつく限りのひれをくっつけて報告しますね」


「……」



 アイルの退路は完全に断たれたのだった。










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