第三話・教会の少女
母なる星、地球。
人類は、その母を殺した。
二十四世紀に怒った第四次世界大戦。その終結は、人間が作り出した大量殺りく兵器による、大陸プレートの破壊という未曽有うの大災害によって終結した。
当時の線時刻が開発した最新型の爆弾WRABがいくつもの大陸プレートが重なる島国に投下され、そこの近辺のプレートが破壊された。ドロドロに溶けだしたマグマにより再びプレートが作られたものの、星の地軸がずれ、星の半径が八分ほど縮むまでに至った。
重力は以前の十分の九ほどに減少、北極南極の氷はすべて溶け、各地で起こった地盤沈下などもあり世界の陸地の九割が海に沈んだ。
残った陸にも、戦争の惨禍が色濃く残っていた。空気は汚れ外で呼吸などしようものなら肺が焼かれるような激痛に襲われ、地に命を根差そうとすればそれは蹂躙されるごとく枯れ逝き、海には赤とも紫とも取れない液体が漂うようになった。
アパルト王国は、現存する国の中で最大規模の王国である。
アパルト大陸中央部に位置する、周囲を六角形の砦に囲われたこの国の中でしか、人間は地上で生きていくことはできない。
その王国の人口は、わずか、十万人である。
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「ばっかもおおおおおん!」
アパルト王国中央区、第一教会。開国百年を刻むこの王国が国として成立する以前から存在した、この国の中でも指折りの古い建物の中で、一人の男の腹の底から轟く怒鳴り声が木霊していた。
かつては王国一の大きさと歴史を誇り、万人がこの教会で祈りをささげていたそうだが、今はその影もなく、壁面にはツタが生い茂り、塗装は触ればぼろぼろと崩れ落ちていくほどに劣化し、外観には荘厳さというものはすでに失われている。
その教会は今や、これからの時代を担う小さき者たちの遊び場にすらなっていた。
「こんのバカ者がぁあああ!よりにもよって、アプイルト様の像に素足で登るなどと!尻叩き百回の刑など生ぬるい、このわし自ら貴様らのケツの穴にコブシをひりこんでひいひい言わせてやるわあああ!」
その教会の中で頭の上から足先まで真っ白な神父服に身を包んだ老年の神父が、いつもの泰然とした態度の片鱗を見せることなく怒鳴り散らしていた。
いつもは泰然とした態度で定評のあった神父が、化けの皮をはがされ、一度標的とまみえたならば一瞬のうちに血祭りに上げんとする獣へと成り下がっていた。
それはというのも……。
「うっひゃぁ、あのじじぃまだ追いかけてきやがる!おいアイル、二手に分かれて逃げるぞ!俺はこの先を右に曲がるからお前はまっすぐ進んで神父をひきつけろ!お前がひきつけている間に俺が作戦を考える!」
「おっけぇ!僕が左に逃げてドロンが神父を引き付けるんだね!いい作戦だと思うよ!それでいこう!」
「お前の耳は腐ってんのか!?」
「ドロンは頭おかしいよね!?」
……いかなる世界にも、何時の時代にも、老人に手を焼かせる子供というのは存在するのである。
アパルト王国は一神教の国である。国民は生を謳歌できることをその神に祈りをささげて感謝する。その神の名こそアプイルト。この国が祀る神様である。
とりわけ王国内に点在する教会には必ずアプイルトの像がおかれており、それはこの国の開国百年の重みと歴史、それに呼応するだけの神聖さを宿している。
その神聖なる像にあろうことか素足で登ったドロンとアイルを目にした神父の怒りは頂点に達し、現在に至っていた。
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「ふぅ、危なかった」
結局あの後もアイルとドロンは互いに協力することはなく、ドロンとの思考戦、神父からの逃走劇を経て、アイルは一人、教会の一室に身を隠していた。
荒い息を落ち着けながらアイルは無我夢中で駆けこんだ部屋の内装を見やる。
そこは小さな部屋だ。石造りの家屋が多いこのご時世にたがわず、天井や壁面、机や本棚、寝台などの家具に至るまですべてが石造りと、灰色一色の部屋だった。ツタの影が浮かぶ壁はしっとりとした冷たさを孕んでいて、床や机にはうっすらと埃が張っている。今は誰も住んでいないようだが、机の正面の窓から差し込んでくる光がなければ、どれほどこの部屋は冷たく陰湿な部屋になるのか。数時間滞在するだけならともかくとして、ここで生活しようとはそうそう思わない。
ずいぶんと息苦しい空間だと、アイルは子供心に感じながら、椅子、机と脚をかけ、窓の鍵を開けた。
「……ん?ふんっ、ぎぎ!」
窓の框を掴み上へと持ち上げるが、木材が腐っているのか、障子と窓枠の隙間にツタでも入り込んでいるのか、なかなか上がらない。
奥歯を噛み締め、膝のばねを十全に酷使してようやく、窓に張り付いていたツタが外れ窓が開いた。
反動でしりもちをつくと、さわやかな外気と、もわりとした埃臭さが鼻を刺激した。相当に臭いがこもっていたのだなと遅れて思いながらも、外気に体をさらして、その煩わしさを払う。
視界が良好になったアイルは、窓から半身を出した状態のまま外を眺めた。
埃臭く灰色の部屋とは対照的に、燦燦とした草木が生い茂る、教会の裏庭が広がっていた。
あぁ、ここは裏庭から見えていた場所なんだと、頭の中で教会の地図に加筆したところで、普段教会の裏庭に見られないものがアイルの視界を掠めた。
まるでひと昔の病院でも思い起こさせる、いくつもの純白のシーツが物干し竿に干され、風になびいている。
「なんだろう」
普段見ない光景に、アイルは純粋な好奇心からアイルは余計に身を乗り出して見る。周りに人影はなく、いったいそのシーツたちがどう理由で干されているのかはわからないが、アイルの好奇心は静かに騒いでいた。
何をしているのか確かめに行こうと、体を引っ込め、机椅子と駆けおりてこの部屋を――。
ガチャリと、アイルがドアノブに手を伸ばしきる前に、ドアノブが回転した。
「――っ!?」
そこでアイルは、自分が追われる身であることを思い出し、激しい後悔の念にとらわれながらもドアが完全に開かれるまでの空白の間、海馬をフルで働かせた。
しかし、齢十歳のアイルには何も思いつくこともできず、
「うわぁあ!?」
大声をあげて飛びのき、頭をかばってふさぎ込んだ。
「うわぁっ!?なんなんですか!?」
同じくアイルの醜態を目撃した人物も、驚きの声を上げ、飛びのく。
「こんなところで何をっ、……あれ?もしかしてアイルですか?」
その人物は無様な格好をさらしているアイルを見るなり、目を丸くしながらその名を呼んだ。
「……え?」
てっきり神父の襲来かと思っていたアイルは完全に虚を突かれ、アイルも丸い目をさらに丸くして、声がした方を見やった。
パチパチと瞬く視界に飛び込んできたのは、両の手にモップやらバケツやらを抱え、上から下まで真っ白の服に身を包んだ、女の子だった。
「……女の子?」
アイルの第一声に、少女は少々顔をしかめた。
「えぇ女の子ですよ。それ以外に見えますか?」
それ以外の何物にも見えるはずはない。アイルとさほど変わらない背丈に、純白な白髪が肩までさらりと流れていて、あどけない顔には蒼天を思わせるかのような蒼いつぶらな瞳が瞬いている。しっかりと冷静になって見つめれば神父などとは間違えようもない。
「でも、神父と同じような格好してる」
「私は一応お手伝いですから。それに、おじさんのとまったく同じというわけじゃないですよ。もう少し動きやすくてかわいいデザインのはずです」
少女はほらとでもいうように、手に掃除用具を携えたまま、体を振ってアイルに着物を見せつける。
確かによくよく見れば、裾はそこまで長くなく、単純な神父服よりは装飾が施されている。いわゆるシスター服というものではあるが、しかしそれがアイルの胸を打つかといえばまた別の話ではある。
「微妙な顔ですね」
いたずら小僧の片割れとはいえ、どこまでも正直なアイルの顔には感情が出やすく、また少女も他人の表情というものには敏感だった。少女は敏感にアイルの表情から感情を読み取る。
少女が読み取った通り、アイルの胸中はいささか複雑だった。
「なんだろう。何か神父の顔が浮かんできてかわいいとかあんまり考えられない」
すっかり神父恐怖症である。シスター服を着た少女がいようが、可愛いという感情が目を出す前にまず生理的嫌悪が表に出てしまうほどに、アイルの症状は深刻だった。
少女も、アイルの様相にため息を隠すこともなく吐き出した。
少女はそのまま、「失礼しますね」と断って中に入って、掃除用具を広げ始めた。
アイルは少女が閉め忘れた扉を閉める。
「あ、これから埃が立つので開けておいてください」
少女はアイルの行動を一瞥して淡々と告げるが、アイルの方はたじたじである。
「あ、うん。窓開けておくから、ってことじゃダメ?」
その覇気のない受け答えから少女も事情を察したらしく、呆れたとまた一つ溜息を吐いた。
「埃臭くなっても、知りませんよ」
少女はアイルに対して吐き出したい感情をいくらか抱えながらも、他人に対して是を押し付けるような性分でもないらしく、少女は再びため息を重ねたのだった。