第二話・プロローグ
暮れなずむ夕日で世界がオレンジ色になった石の街で、僕は足を振った。
スコーンと弧を描いて僕の親指くらいの大きさの石が飛んでいく。コツコツと舗道をはねて転がる。止まった石を、僕はもう一度蹴った。それを繰り返して、教会からの帰り道を進む。
今日もまた神父からありがたい言葉をいただいた……らしい。
僕にはよくわからない。
教会に通えば必ず神父は同じ話をする。この国を守る神様の話らしい。その話はとても重要で、とても大切な話らしい。
そう、神父が言った。
僕にはよくわからない。
でも、神父が大切な話というのだからそうなんだと思う。内容はちっともわからないけど、僕は毎日、その神父の話を聞きに教会に通う。
そんな僕を、同級生のほとんどが変な目で見つめてきていた。
僕はその目を知っている。よくお母さんやお父さんが僕をそういう目で見つめてくる。
その目は、ダメだという目だ。僕がとるべき行動は、そうじゃないと訴えてくる目だ。
どうやら僕は間違えているらしい。
その目に気づいた時から、神父の話を聞かないでいてみたり、教会に行かないでいてみたり、家に引きこもってみたり。
いろいろ試してみた。
でもお母さんやお父さんや神父、あるいは同級生の誰かが必ず僕にそういう目を向けてくる。すごく難しい。
僕はまた足を振る。
石が弧を描いて飛んでいく。
今日も、お母さんはそういう目を向けてきていた。
お母さんは言った。
「少しは、お友達を家に呼んでもいいのよ」って。
また、あの目をして僕にいった。
どうやら僕は友達を家に連れて行くべきらしい。少なくとも、母さんはそうしてほしいと思っているようだ。
だったら連れて行きたい。でも、僕にはそもそも友達がいない。そもそも、どういう人が友達なのか、僕にはよくわからない。でも、わからないなら片っ端から連れて行けばいい。その時母さんがそういう目をしたら、その人は僕の友達じゃないということだから。
僕は早速今日、僕の家に来てくれる人を探した。
みんなが、そういう目をした。
実際には二人だけ、みんなと違う目をしている人がいたけれど、結局今日は誰も連れていくことはできなかった。
でも、何も収穫がなかったわけじゃない。
今日手当たり次第家に誘っていく中で、何も友達というのは人間だけに使う言葉ではないということを知った。
ボールは友達、そんな言葉があるらしい。僕はボールは持っていないけど、自分がいつも一緒にいて、自分が大切に思っているのなら、そいつはもう友達だと教えてもらった。
なら、今日はひとまず妥協しよう。さしずめ今僕が蹴り上げている小石なんかが妥当だ。いつも僕が教会に通うまでの間、ずっと僕と一緒にいるのだから、妥協点としては申し分ないはず。
それがだめだった時は、別の何かで代用しよう。
そうして僕は、また足を振った。
「……なぁ」
帰り道の、街の真ん中を流れる水路にかかる石造りの橋の上でのことだった。弧を描いて飛んで行った石の先に、一人の男の子が立っていた。その男の子には見覚えがある。僕と同じ教会に通っている同級生で、僕が家に来てくれないかと話をした時、誰よりもそういう目で僕を見た子だ。名前は……憶えていない。
その少年がまた、そういう目をして僕を見ている。
「何?」
「お前、人生楽しいのか?」
少年が吐き捨てるように言う。僕にはその意味が少しわからなかった。今まで人生を楽しいかと聞かれた言はなかったから。そもそも楽しいがどういう気持ちなのかも、未だに僕はわからない。
「楽しいって何?」
少年は僕のお母さんと同じように、顔をしかめた。どうやら僕はまた間違えたらしい。
「ごめん、質問の意味がよくわからなくて」
「別にいい。お前が楽しくないと思っていることだけはよくわかった」
そして少年はまた、あの目をする。
「……楽しいが、いいの?」
「あ?」
「楽しく過ごした方が、いいの?」
少年は面倒くさそうにため息を吐いた。
「そりゃぁ、そっちの方がいいだろ」
そして少年は足元の石を僕の方へ蹴り返す。石は僕の足元まで転がって止まった。
「どうして、その方がいいの?」
「気分が沈まなくていい。そっちの方が楽だし、生きている心地がする」
少年は淡々と答える。そのどれもが、僕が知らない感覚だ。やっぱり、僕にはわからない。でも、たとえわからなくてもそちらの方がいいというのなら、僕はそうなろう。そう努力する。
「わかった。なら、楽しく生きる」
ぼくはまた足を振って、石を蹴った。
少年のそういう目に、さらに影が落ちた。
「おまえにできるのかよ」
「わからない」
「わからないと言っているやつには、絶対にできねえよ」
「そっか。それなら仕方ない。別の生き方をする」
少年は一度目を見開いた後、大きく息を吐いた。
少年は足元の石を拾って、僕に近づいて来る。
「お前、変な奴だな」
「よく言われる」
「人の顔色ばかり窺っていても、楽しくなんかなれないぞ」
「それも今日、神父に言われた」
「……わかっているのなら、どうしてお前はそれを続ける」
「……わからないから。……わかりたいから。普通の人が、どう過ごすのか。どう生きるのか」
少年が問いかける間、眉間によったしわは消えていたけど、ずっとあの目をしていた。僕の行動が、言葉が、何かが間違っていると告げる知らせだ。
その知らせがなぜ届くのか。
「……お前は、普通になりたいのか?」
「そう、だね……。僕はきっと、普通の人になりたいんだと思う」
それはきっと、僕が普通の人ではないからだ。
まただ、また彼の眼差しが強く鋭いものになる。僕はまた、決定的な何かを間違えたらしい。
「……ごめん」
僕が謝ると、少年はまた大きなため息を吐いた。
「教えることが、多そうだな」
少年は橋の下を流れる川に、手にしていた石を投じる。少年が投じた石は紅に染まりきっていた穏やかな水面に、一つの波紋を産んだ。
「なぁ」
少年は広がる波紋を見下ろしながら、静かに言った。
「お前はどうして普通になりたいんだよ?」
「……お母さんとお父さんの向けてくる目が、悲しいものだって、なんとなく思うから」
少年は一度僕を見て、またため息を吐いた。
「それが分かるのに、どうしてそうなっちまうかね」
「……ごめん」
少年は面倒くさそうに頭を掻いて、橋の欄干に上った。
まるでこういうのはがらではないとでも言いたげに、頬を少し川と同じ紅に染め、少年は僕に向き直った。
「俺はドロン。お前が友達を欲しいと思うのなら、俺が友達になってやる。お前が普通になりたいと思うのなら、俺が教えてやる。だから――」
少年は――ドロンは僕の手を取って、僕を欄干の上へと導いた。
「思いっきりバカなことをしようぜ。バカなことをして、そして最後には精一杯笑おうぜ」
少年はそういって、僕を道連れに川の中へと飛び込んだ。
「……びしょ濡れになった」
橋桁の高さも川の深さもそこまでではなく、お互い怪我をするようなことにはならなかった。
でもおかげで服はびしょ濡れだ。また帰れば母さんがそういう目で見るだろう。
「別にいいじゃねえか」
だというのに、こうした張本人はゲラゲラと笑っていた。
「びしょ濡れになってようが、お前が笑っていればきっと思えの御袋さんだって安心すると思うぜ?」
「……そういうもの?」
「そういうもんだよ。その証拠を見せてやる。今からお前のうち行こうぜ!」
その日、僕は久しぶりにお母さんが笑った顔を見た。
―――それが、僕とドロンの出会いだった。




